第6話
「面白い話、ですか?」
「そうだよ。ちょっと聞いていかないかい
ウインクする桐崎さんを横目にあたしは店内を見る。やっぱり今はお客さんがいない。カウンターの美形さんは何かしているけれど、呼ばれそうな気配もない。掃除の時間はもう少し後だし、そんなすぐしなきゃいけないわけでも無いので。
「ちょ、ちょっとだけですよ」
すすすす、と。あたしは桐崎さんの席へ戻っていった。嬉しそうな桐崎さんの顔が少し
「これは俺の仕事仲間から聞いた話なんだが」
桐崎さんは頬杖をついた。
「丁度今から2週間前のことだ。その仕事仲間は瑛二えいじって男なんだけどね、瑛二は仕事の出来る男で二つプロジェクトを掛け持ちしていることも少なくない」
「掛け持ち、って。えっそれ大変じゃないですかッ」
「おうとも。大変だよ」
「ですよねですよねッ」
「事実、優秀だからね瑛二は。そこでは稼ぎ頭なのさ」
身を乗り出すあたしに桐崎さんは軽快に笑った。
漫画やドラマの中なら、主人公たちに大きな仕事を任されることがある。けれど、二つ以上の大きな仕事を同時に任される登場人物なんてあんまりいない。
所謂チートキャラとかその主人公が働く会社の社長とかならあり得なくもないけど。ほぼいないって断言できるし、現実なら尚更だ。すごい人がいるんだなぁ。
桐崎さんはカフェオレを飲んだ。
「で。その瑛二が、2週間前に手紙を受け取ったのさ」
「手紙って、まさか。ラブレターですか?」
「そう。だなんて、肯定出来れば良かったんだけどねぇ」
桐崎さんは笑顔で同意する。かと思えば大袈裟に肩をすくめてみせた。ずっと思っていたけれど、目まぐるしい人だなぁ。お陰様で内容は不穏そうなのに浅く考えてしまいそうになる。吹き出すのを堪えつつ、あたしは桐崎さんへ促した。すると桐崎さんは険しい顔をして縮こまった。ほら、今も。
「それ。脅迫文だったんだ」
「ええッ、きょ脅迫文ッ?」
やっぱり大変なことだった!
店内にあたしの叫び声が響く。即座に桐崎さんから「しぃッ、声が大きいよ波須歯ちゃん」と小さな声が飛んできた。はわわ。あたしは桐崎と同じように小さくなった。桐崎さんはこそこそと口を動かし始める。
「内容は努めて簡潔。今すぐ仕事から降りろって書いてあったそうだ」
「それ、比喩でも何でもなくて本当に脅迫文じゃないですか。た、大変ですよッ」
はわわ。あたしは自分のぽっかり開けた口に触れる。ただ、桐崎さんは鼻を鳴らす。マグカップを持って、面白そうにあたしを見た。
「そう言っている割には、顔が輝いているように見えるけどなぁ。あれ、おじさんの見間違えかな波須歯ちゃん」
「えっ」
びっくりして、あたしは脇に挟んでいた金属盆を抱える。するとプラッターの面が反射して、あたしの顔が映った。きらきらした瞳。上がった眉と口角。どう足掻いてもあたしの表情は、フリスビーを前にした犬にしか見えなかった。
桐崎さんを見ると、面白そうに笑っていた。
またしても器用なもので、笑い声は全く聞こえなかったし聞こえない。うーん。機嫌を損ねていないのを喜ぶべきか、なんなのか。
あたしに気がついた桐崎さんは息を整える。
「すまないすまない、ちょっとふざけ過ぎた。ま、心配しなくても大丈夫だよ。文書だけなら無視すりゃあ良い話だから」
「それが大事あると思うんですけど」
「はは、でも本当にもう大丈夫なんだよ。だって翌日には犯人が自首したし」
「ちょっと展開早すぎません?」
もう事件が解決された。山もオチもわからないまま話が終わったんですが。何がしたかったんだ桐崎さん。身を乗り出したままのあたしに、「はは、睨まない睨まない」と桐崎さんは言う。
「本題はここからさ。脅迫文の犯人が自首した翌々日のことだった、また瑛二宛に文書が届いた。今受けている仕事を降りろ、さもなくばお前の命は無い……ってな」
「ららら、ランクアップしてるぅッ」
背筋が粟立った。あたしは勢いよく両腕をさする。だってこれ、アニメや映画によく出てくるレベルの、ガッチガチの脅迫文だ。そんなものが短期間で2通も届くなんて。あたしなら戦慄くだけで、何にもできなくなってしまいそう。瑛二さんが少し可哀想になってきた。
あれ、でもちょっと待って。
「犯人って自首したんですよね、再犯早すぎませんか?」
あたしの問いに桐崎さんはウインクして指を鳴らす。
「良いね、思っていたより鋭いよ波須歯ちゃん。そう、二度目の文書の犯人は最初の事件とは別人だ。何故なら一通目の犯人は確固たるアリバイがあったから。二通目が見つかるまでの間、一通目の犯人は瑛二とは別の奴らと一緒に仕事をしていたんだよ。ずうっとね」
ひぇ。
またあたしは両手でプラッターを抱える羽目になった。犯人が違う、ならばこれは連続犯による犯行だ。だって、違う相手から短期間に何度も脅されるのだ。怖くないわけがない。
あたしは桐崎さんに詰め寄った。
「どうしましょう桐崎さん。瑛二さんが、瑛二さんが死んでしまう」
「落ち着いて波須歯ちゃん。これもう終わった話だから」
「はッ」
そうだった。
あたしは思い出す。桐崎さんは語る前に2週間前の話と言っていた。じゃあ同僚の瑛二さんは、今現在は無事なんだよね。なら良かった。
良かった、その感想に嘘は無い。
なのにどうしてだろう。あたしは首を捻る。まだ不安の芽が摘みきれない。薄らと心に根ざしているのはわかるのに、それを断つ方法がわからないのだ。あたし、何か見落としていることがあるのかも。
「いつまでも客席で何してるの、君」
後ろから低く透くような声が迫ってきた。
桐崎さんより聞き覚えのある声の主は、振り向いたあたしの目の前に現れる。左手にはプラッターの上に乗ったホットサンドのお皿があった。
美形さんはあたしへ目を細めた。
「待っていても、一向にホットサンドを運びに戻らないから。どうかしたのかと思ったよ」
「あっ、すみません」
「まぁ良いよ、次はよろしく。向こうで俺も気になっていたからね。客席」
言いながら美形さんはホットサンドをサーブした。ほかほかと湯気の上がるサンドウィッチに、付け合わせのキャベツとミニトマトが光る。香ばしいパンの香りが、微かに後ろへ駆けていった。うわぁ、お腹が鳴りそう。
桐崎さんは皿を見て、目を輝かせる。
手を伸ばすべく、桐崎さんは両方の腕を前に出した。
でもすぐに、ぴたりと腕は止まる。どうしたんだろう。なんてあたしが思うと同時に、す、と桐崎さんは美形さんを見上げた。
「そうだそうだった。久しぶり、
「お久しぶりです桐崎さん。今日はとてもお元気そうですね。あぁ、店は大丈夫ですよ。今はお客さんいないので」
美形さんこと晃さんは店内を一瞥した。ついでに爆弾も落っことした。
あたしはぎゅんっと音が鳴るくらい、辺りを見渡す。やっぱり店内はがらんとしていた。誰かが入ってくる気配は無い。
桐崎さんも「そのようだ」と笑って、今度こそホットサンドへ手を出した。
うわぁ。聞いていて口の中が苦くなった気がした。
今の言葉の応酬、店長の水野さんが聞いていたら溜息吐いちゃうよ。こういうときに笑えるのは、やっぱり常連さんなんだな。
桐崎さんによる歓喜の声をBGMに、あたしは晃さんを見た。
相変わらず晃さんはしれっとしている。客足が少ない現状に気を病んでいる雰囲気なんて微塵も感じない。良いんだろうかこれ。
晃さんが口を開けた。
「それで。脅迫文でしたっけ」
ハッとした。そういえば瑛二さんが危ういんだ。ぐずぐずしている場合じゃない。あたしは晃さんに食らいついた。
「そうなんですよ、瑛二さんが仕事で嫌われ過ぎてて命狙われてるんですッ」
「もう終わったんだってば。でも波須歯ちゃん酷くないかいそれ」
そうだった。瑛二さんの話は過去だった。
もぐもぐと美味しそうにホットサンドを食べる桐崎さんを見て、あたしは気づく。そうだよね。過去の話で、もう解決しているんだよね。違うなら桐崎さんは暢気に店内でコーヒー飲まないはずだ。クロックヴィクトリアンにはテイクアウトもあることだし。脅迫状の対応に追われてもおかしくない。
「って、いやいやでもでも。違う人から似たような脅迫を貰うんですよ、嫌われている以外の何があるんですかッ」
「ん。違う人なの」
晃さんの眉が上がった。
晃さんの表情はパッと見では全く変わっていないように思える。だけど纏っている空気がそのときどきによって少し違う。
機嫌が良いときはふんわりしているし、不機嫌なときは刺すような空気を肌で感じるのだ。物理的に空気が読めるわけじゃないから予想の範疇でしかないけど、あたしは今のところ外したことがない。これ、あたしの隠れ自慢ね。
晃さんは桐崎さんへ問うた。
「瑛二さんという人は、脅迫文書を送りつけられたのですよね。その犯人って、どういった人物ですか」
「あぁ。一通目は男だよ、瑛二の同僚さ。瑛二のやってきた仕事は、元々この男の管轄だったものもそれなりにあったのさ。二通目は、まぁ犯人がわかっていないんだが」
雷に打たれたような感覚だった。
瞬間、肩を竦めている桐崎さんを見る。何かがおかしいって思っていたけれど、二通目の犯人について詳しく聞けていなかったからだ。
未だ、絶対に一通目の人とは別人って情報以外何も無い。というか犯人が不明ってことは、まだ捕まってないんだよね。ヤバいよね、瑛二さん危ないままじゃん。本当に終わった話なのかな。
しかし隣の晃さんは、ふぅんと言いたげに目を細めただけだった。ちょっと。そんなに軽く捉えることじゃないと思うんですけど。ぎゅうとあたしはプラッターを強く握った。
「あぁ、そういえば。文書はどのように発見されたんですか」
あたしに見向きもせず晃さんは追及する。そうだなぁ、と桐崎さんは顎に手を当てた。視線を天井にある、ステンドグラスの吊りランプへ固定する。
「一通目は瑛二の机の引き出しに入っていた。引き出しを開けて一番上にあったから、非常に見つけやすかったらしい。二通目は瑛二の机の上だな。積まれた書類の間に隠されていたのを、同僚の女史が見つけてくれたそうだ」
「へぇ、なるほど」
晃さんは短く独りごつ。プラッターを脇で抱えて、窓ガラスをじっと見つめた。いや、違う。考えているんだ。犯人が誰なのか。
あたしも晃さんに
一通目は瑛二さんの同僚で、瑛二さんに仕事を取られたことのある人。仕事を辞めろって内容だし、おそらく仕事を取られた恨みで瑛二さんを脅したんだよね。
でもすぐに自首したってことは、軽い気持ちだったのかも。ちょっと懲らしめるつもりが大事になっちゃって、怖くなったとか。
なら、二通目の人は?
一通目の人と違って犯人がわからない。
一通目の人はアリバイがあるから、犯人は別人だし。もしかすると口裏を合わされているかも。でもそんなの、漫画とかドラマとかの中だけの話だよね。
発見された場所だって、書類と書類の間のわかりにくいところだ。
それは、一通目の人が見えやすいところに置いてすぐみんなに露見されたからかな。みんなに見られるのが嫌だったのかも。
だったら、二通目の人は時間稼ぎをしたかったのかな。瑛二さんが仕事をしないために。もしかしたら本当に仕事を降りてくれることを期待していたのかもしれないけれど、成功する可能性は低いはず。だって一通目でスルーした人だから、二通目もスルーする確率は高いでしょ。
わかった。
二通目の犯人の目的は、瑛二さんが一時的に仕事をできなくするために妨害すること。おそらく妨害する時間は長ければ長いほど良かった。それは妨害している間に瑛二さんが進めていた仕事を奪って、自分の手柄にするつもりだったから。
つまり、二通目の犯人は瑛二さんの同僚。だから一通目の犯人と同じように、瑛二さんへ仕事を奪われた経験のある人が怪しい。桐崎さんは特に言っていなかったけれど、きっとその人が犯人だ。
でも、本当にこれが正しいのかな。あたしは腕を組んだ。
あたしみたいな女子高生が簡単に考えつくような計画で、大人が大人を陥れる?しかも、直前に別の人が失敗しているのに。
やっぱり、違うんじゃないかな。
地球より重たい息があたしの口から出た。もしも一通目の犯人と同じような人が犯人なら、一番先に疑われるはずだ。すぐにバレちゃうから、全然時間稼ぎなんて出来ない。脅迫状を作るだけ無駄だ。
じゃあ。
なんで、脅迫状の送り主たちはこんな事件を起こしたんだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます