第8話
「ほぅ、一体それは何のことかな」
あたしと同じ感想を桐崎さんは返した。余裕を湛えた笑みは崩れていない。一方のあたしは、話が変わった理由すらさっぱりで頭の中がぐるぐるしている。やらかした、やらかしたって何を。話の繋がりがなさ過ぎてわからない。
だけど。息を忘れてあたしは耳を澄ます。注意深く
晃さんは深く溜息をついた。
「また倒れたんでしょう、桐崎さん」
ほんの一瞬だけ。桐崎さんの表情が固まった、ように見えた。
いや待って待って。あたしは晃さんを見る。倒れたってどういうこと。倒れたってあれでしょ、何か病気になったとかでしょう。桐崎さんは元気そうだから違うよね。
そもそも、今まで話していたのは
瑛二さんって桐崎さんの同僚の人から聞いた話の登場人物だから、桐崎さん自身とは顔見知りでもなんでもない。もしも友だちなら、最初のときに桐崎さんが言ってくれたはず。何で桐崎さんの話に変わるの。
「すまない、あまりにも急展開でびっくりしたよ。どうしてそう思ったのかな」
桐崎さんは朗らかに笑った。あたしもそう思います。うんうん頷いて晃さんを見れば、澄まし顔のまま晃さんは言う。
「スマートフォンの写真ですよ。あぁ、少しお借りしますね」
そのまま晃さんは、桐崎さんのスマホへ触れる。指を何回か広げると顔を上げた。言葉と共に、晃さんは次々と指を指していく。
「まずこのサンドウィッチの具。次にこの写真のドックサンドの具。そして今あるこのホットサンドの具」
「ぜ。全部同じ、です、ね」
震えた言葉は窄んでいった。パンの大きさや形は全部違う。でもパンの間には、ベーコンとレタスとトマトが必ず挟まっていたのだ。というかサンドイッチに関しては、写真の中に全く同じものが二つあるじゃん。何でスルーできたのあたし。
「いやでも、それくらいなら被ることがあると思いますよ」
「そうだそうだ、
あたしの声に桐崎さんも便乗する。実際コンビニでよくある組み合わせだし、偶然かもしれない。あたしたち二人を気にしないで晃さんは語る。
「そうでもないよ。桐崎さん頑なに同じ具材のメニューしか頼まないからね。しかも品切れだと、珈琲しか飲まないくらいには偏食なんだ」
「えッ」
あたしは桐崎さんへ振り向いた。ぱちっと目が合った桐崎さんは悪びれもせず笑う。そ、そういうことなら、これは桐崎さんのことなのかも。いやでも、そんなに偏食家なのは大人としてどうなんだろう。もっとちゃんと食べてほしい。
しらっとしたあたしを放置して晃さんは続ける。
「あとはここに映っているボールペン。これ、前に見せてもらったものと同じだよ。しかもそのときに桐崎さんから、オーダーメイドで同じものは早々無いって聞いたから間違いない」
「ひぇ」
うわわ。あたしはぱくぱくと、声を出せない口を動かす。今度こそ身体中が震えあがった。至る所にヒントが散らばっていたんだ。しかも見えるところに。
胡散臭げな空気を発しながら、晃さんは桐崎さんへ目を細める。
「このように、挙げようと思えば更にありますが。どうしますか桐崎さん。もっと挙げましょうか」
「あはは、はぁ。お見通しか。降参だ、晃くんには敵わないな」
「は、えッ、えええッ」
やれやれと桐崎さんは両手を上げた。あたしの絶叫が店内を劈く。同時に天井のランプが揺れたように幻視した。じゃ、じゃあ今の話って全部桐崎さんの話だったってことだよね。瑛二さんなんて人は、最初ッからいなかったってことだよね。そうだよねッ。
頭の中がぐるんぐるんと回っている。一度、整理しよう。あたしは大きく息を吸った。えっと瑛二さんは桐崎さんのことだったから、桐崎さんは脅迫状って建前が必要なレベルで仕事に没頭していて、その脅迫状が作られた理由は。
ぎゅんッと音が鳴りそうな速度で、あたしは桐崎さんへ顔を向けた。仰け反る桐崎さんへ詰める。
「え、じゃ、あ、あのッ桐崎さん、おから、お身体は大丈夫ですかッ」
「大丈夫大丈夫、ドクターのお墨付きを頂いたからね。あと看護師さんの分も」
桐崎さんは引き攣らせながらも笑った。指でオッケーマークを作っている。本当かなぁ。あたしは口を尖らせた。全ッ然信じられない。だって看護師さんってことは、入院したってことでしょ。それに晃さんは『また』って言っていた。桐崎さんが倒れるのは初めてじゃないってことだよね。
うん。
病院は全面的に信用できるけれど、桐崎さんには信頼できるポイントが皆無だ。残念でした。
そのまま疑いの目を向ける。すると「止めなよ」と言って晃さんがあたしを桐崎さんから引き剥がした。何をするんだ。ゆるゆると晃さんへ視線を移せば、晃さんは溜め息をついて桐崎さんを見た。酷い。
「通りで最近見ないと思いました。おそらく、退院してから初めての外食ですよね。本当に良かったんですか、ここで」
「良いの良いの、ここのホットサンドが一番元気が出るから。焼き加減が丁度良いんだよなぁ」
「はぁ。何の変哲も無いBLTですけれど」
つと、晃さんは視線を曇りガラスへ動かす。三角のホットサンドからは真っ赤なトマトが溢れそうになっていた。
桐崎さんは眉を上げてお皿を小突く。
「自家製ピクルスの入ったBLTの何処が一般的なんだ?あのピクルスってきちんと辛さを感じるのに、爽やかで後引かないのが良いんだよな。なぁ、あれってどうやって作っているのかな」
「さぁ。作っているのは店長なので、店長に聞いてください」
「それ店長に聞いても、作っている晃くんに聞いてくれとか言われて絶対に教えてくれないだろう。この流れ、俺は知っているぞ」
「さて、どうでしょうね」
桐崎さんはカフェオレを飲む。飲みながら未練がましく晃さんを見るけど、当の本人はどこ吹く風。静かに壁の時計を眺めているのだ。精神がタフネスにも程がある。
むむ。あたしは焦った。なんか良い話っぽく終わろうとしているなッ。そんな気配がする。ねぇねぇお二人とも、ちょっと待って欲しいんですが。まだ大きな謎が1つ残っていると思うんですよ。
あたしは勢いよく手を上げた。
「じゃ、じゃあ二通目の犯人って誰なんですかッ」
あたしの言葉に、どうでも良いでしょとも言いたげな、晃さんの視線が注がれた。むッ。負けじとあたしも晃さんへ睨む。今度こそ事件は解決された、違いない。ならば犯人の正体なんて、今や知る必要無いかもしれない。けれどね、ずっと考えていたあたしは気になるんですッ。
晃さんは小さく息を吐いた。あたしの粘り勝ちだ、やった。「推測だけどね」と前置きして晃さんは語る。
「二通目の犯人は、文書を最初に見つけた同僚の女性だと思うよ。写真を見ればわかるけど、机の上がかなり汚いよね。写真を映すために避けた結果だったとしても、一般的なデスクの大きさなら整頓するスペースはあるはず。なのにあの惨状になっているなら、普段の机の上も煩雑なんだろう。日常的に煩雑な机の上の書類やファイル群、その中から怪文書が挟まっている書類束をピンポイントで見つけてターゲットに突き出す。そんなこと、ありふれた人間のできる芸当とは思えないな」
ほえぇ。あたしは大きく頷いた。
「言われてみれば。その同僚の女の人ってかなり不自然だったんですね」
「同僚の女、って飯島か。あいつ仕事を調整して病院行けって、よく言っていたからなぁ。仕込んだのは十中八九あいつだろうな」
うんうんと桐崎さんは腕を組んだ。あっ、桐崎さんも知らなかったんだ。何も言い出さなかったから、てっきり目星がついていたのかと思っていたけど。桐崎さんには最初から嘆願書ってわかっていたみたいだし、どうでも良かったのかな。ぐぬぬ。
口をへの字にしていると桐崎さんと目が合った。
桐崎さんは持っていたマグカップを机に置く。
「まぁでも、初見さんにはちょっとブラックジョークがきつかったかもしれないな。すまなかったね波須歯ちゃん」
「うぅ、はい。ずっとハラハラしてましたけど、面白い話って言われたことには納得しましたよ」
あたしの感想に桐崎さんは瞬きする。
「そう?おじさんは、最後まで自分の話ってバレない自信あったけどな。詰めの甘さを晃くんに突きつけられるまではさ。どうしてそう思ったんだ?」
「だって、桐崎さん。この話するとき、最初に面白い話って言いましたよね」
桐崎さんは身振りで相槌をした。その表情は頓狂だけど、瞳は真っ直ぐあたしに向いている。あたしは続けた。
「カフェラテとカフェオレの区別もつかないあたしへ、あんなに懇切丁寧に教えてくれました。そんな桐崎さんが他の人の不幸な話を楽しそうに話すのかなって、ちょっと不思議だったんです。だから晃さんの説明を聞いたとき、すとーんっと腑に落ちました」
そう。
おそらく、あたしは瑛二さんと桐崎さんが同一人物だと思っていたんだ。全くの無意識だったから、桐崎さんが自分の話だって認めるまでは自覚できなかったけれど。理由は、晃さんが桐崎さんの話に切り替えたときのことだ。
あたしが疑問に思ったのは『どうして桐崎さんを話に登場させるのか』ではなく、『どうして桐崎さんの話を始めるのか』だった。
それまでの桐崎さんはあくまでも語り手で、同僚から聞いた男性の話をあたしたちに伝えていただけ。知り合いの知り合いって、別クラスのクラスメイト以上に遠い存在でしょ。しかも話の中で桐崎さん本人は一切登場していなかった。
そんな状況で、晃さんはいきなり桐崎さんの話を始めたのだ。しかも扱いは主人公。何故この話に桐崎さんが出てくるのか。本来は、まずそこに疑問の矛先が向くと思う。なのにあたしはそこへ疑問を持たなかった。すんなり受け入れて別のことを考えた。それって、変だよね。
つまりあたしの脳内には、瑛二さんイコール桐崎さんの式があったんだろう。
晃さんの話を聞いて思ったから、ぜーんぶ結果論だけどね。
桐崎さんはぽかんとした顔であたしを見ていた。口も少し開いているけど、一向に閉じる気配がない。えっどうしたんだろう。大丈夫かな。
顔の前で手を振ろうと、右腕を伸ばしたときだ。急に桐崎さんの口が閉じた。ひぇ。思いがけなかったことに加えて早かったことで、あたしは腕を引っ込める。あたし、変なこと言っちゃったかな。お、怒られちゃうかも。
怒声へ震える時間は一瞬だった。
すぐに割れんばかりの笑い声でかき消されたからだ。
両腕でプラッターを抱きしめていると、桐崎さんは指で自分の目頭を拭った。
「はぁ、そっかそっか。そっかぁ、やっぱり波須歯ちゃんは面白い子だなぁ」
「えっ、えっ?」
あたしは目を白黒させる。桐崎さんはまたツボに入ってしまったらしい。声を抑えながら笑い続けている。返事は絶望的みたいだ。というか。これ、褒められているってことで良いんだよね。良いんだよねッ。
よくわからずにまごまごしていると、あたしの肩に優しい感触が降りてきた。目で追えば、晃さんがモナリザみたいな顔をしていた。
「大丈夫、君はそのままで良いから。その気持ちのままでいて」
「えぇ、どういうことですか。ちょっと、教えてくださいよ。ねぇちょっとッ」
食い下がれども晃さんは答えない。ぽんぽんと肩を優しく叩くだけだった。桐崎さんは未だに声を押し殺しているし。もう滅茶苦茶だよ。あたしは天井を仰いだ。
三角のホットサンドが陽光に淡く照らされていた。
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