妹の代わりに私を

春風秋雄

6年間連れ添った妻が出て行った

「うわー、ショッペー!」

思わず口から発せられた自分の言葉に、自分で情けなくなる。

毎日コンビニ弁当では、さすがに飽きてきたので、自分で作ってみようと台所に立った。料理なんて、今までやったことがなかった。結婚するまでは実家暮らしで、家に帰ればお袋が食事を作ってくれていた。結婚してからは妻が家事一切をやってくれた。だから俺は家事というものをやったことがない。野菜炒めくらいなら出来るだろうと思い、キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、ピーマン、そして豚肉を買って来て作ってみたが、どうも塩を入れすぎたようだ。とても食べられそうにない。俺は棚からカップ麺を探した。


俺の名前は藤井圭祐。32歳のサラリーマンだ。6年間連れ添った妻の桜が家を出て、もう2か月になる。離婚の理由は、“新しい彼氏と暮らしたいから”だった。あまりにも一方的な理由だ。慰謝料を請求しない代わりに、共有財産はすべて俺のものとなった。妻が800万円の頭金を出して購入した、このマンションも俺ひとりのものとなった。子供が生まれてもいいようにと、背伸びして4LDKのマンションにしたが、ひとりになってみると、広すぎる。4つある部屋のうち1部屋は洗濯物を干す部屋、もうひとつは物置部屋と化している。

実家は3年前にお袋が身罷って、外で暮らしていた兄貴一家が家に入り、親父をみてくれている。だから今さら実家には帰れない。マンションを売って賃貸に引っ越すことも考えたが、まだかなりローンが残っており、売ってもローンの返済がやっとで、下手をすると追い金を出さないといけない可能性もあるので、躊躇していた。


いつ買ったのかわからないカップ麺をみつけたところで、ピンポーンとインターフォンがなった。モニターを見ると、義姉の石崎楓だった。

「圭祐、差し入れ持ってきたよ」

「ああ、ありがとう」

俺はそう言ってオートロックを解錠した。

楓は、もともと中学・高校と、俺と同じ学校へ通っていた同級生だった。卒業して何年か経ったときに、楓が妹の桜と一緒に街を歩いているところに偶然出くわした。懐かしさから、しばらく立ち話をした。今度同窓会をしたいねと話して、連絡先を交換して別れた。その時桜が俺のことを気に入ったらしく、紹介してほしいと楓にしつこく頼んだということだ。仕方なく楓は、俺に連絡してきた。一度会うだけ会ってやってくれないかと頼まれ、俺は会うことにした。一度会ってからは、桜は積極的だった。3回目のデートのとき、桜からホテルに行こうと誘われて関係を持ち、正式に付き合うことになった。そして付き合い始めて1年も経たずに、押し切られるように結婚したというわけだ。

楓としては、身内が起こした不始末に引け目を感じているうえに、自分が妹を紹介しなければ、こんなことになることはなかったと責任を感じているようで、たまに差し入れを持ってきてくれている。


楓は部屋にあがるなり、俺の作った野菜炒めの残骸を見た。

「これ、圭祐が作ったの?」

「うん、失敗だった。とても食べられそうにないので、カップ麺でも食べようと思っていたところ」

「どれどれ?」

楓は一口野菜炒めを口に入れて、顔を萎めた。

「からーい。塩入れすぎだよ」

「うん、そうみたい」

「材料はまだある?」

「野菜は半分しか使ってないから残っているけど、肉は全部使っちゃった」

「じゃあ、私がチャチャっと作るから、その間圭祐はこれ食べてて」

そう言って楓は自分が作ってきた鶏肉とタケノコの煮物を皿に盛ってくれた。

楓は冷蔵庫をあさり、材料をトントンと切って、ものの10分で野菜炒めを作った。肉の代わりにベーコンが入っている。ベーコンはこの前楓が持ってきて、冷蔵庫に入れていたものだ。ただ焼くだけだからと言われていたが、俺は手をつけずそのままにしていた。楓が作った野菜炒めを一口食べて、思わず「美味しい!」と叫んでしまった。塩コショウーの加減が絶妙だった。

「さすがだね。本当に美味しいよ」

「塩を振るときは、味見しながら少しずつ振りなよ。そうすれば入れすぎることはないから」

「やっぱり俺には料理は向いてないよ」

「じゃあ、圭祐に新しい彼女ができるまで、私が毎日作りに来ようか?」

「それは悪いよ。楓のご両親にも申し訳ないし」

「うちの親も桜のことを気にしていて、圭祐にしてあげられることはしてあげなさいと言っているから」

「もう気にしなくていいよ。世間にはよくあることだから。楓もそうだけど、ご両親が責任感じることないから」

楓は、何か言いたそうに俺をジッとみていたが、何も言わなかった。

「まあ、俺は俺で、何とかやるから。それより、楓は結婚しないの?」

「結婚する相手がいないもん」

「彼氏とかつくらないの?」

「彼氏にしたい男がいないもん」

そのあと楓は、何故か不機嫌になり、帰ると言って帰ってしまった。


それから楓は、毎日のように俺のマンションに来るようになった。毎日LINEで俺の帰り時間を聞いて、それに合わせてきてくれる。来ない日は俺が残業で遅い日だけだった。以前は作った総菜をもってきてくれていたが、野菜炒め事件以来、材料を持ってきてマンションで作ってくれるようになった。俺が食べている間に、部屋の片づけまでしてくれる。

「ありがたいけど、これだけ毎日のように来てもらうと申し訳ないよ」

「私は全然平気だよ。桜の代わりだと思ってくれればいいから」

桜の代わりだと言っても、嫁さんではないのだから、そうそう甘えられない。楓の家から俺のマンションまで、車で30分強かかる。食材は楓が自腹で買っている。車で来ると、マンションの駐車場には駐車できないので、近くのコインパーキングに駐車しなければならず、それもお金がかかる。食材のお金と駐車場代を出すと何度も言ったが楓は受け取ろうとはしなかった。1か月ほど経ったとき、さすがにこのまま、なあなあにしておくわけにはいかないと思い、俺は楓に言った。

「せめて食材のお金だけは受け取ってもらわないと困るよ」

「いいって言ってるじゃない」

「受け取ってくれないのなら、もう来なくていいよ」

楓は驚いたように振り向いて俺を見た。

「俺、そういうの好きじゃないんだ。桜のことで楓が責任を感じているのはよくわかる。だけど、俺から言わせれば楓が責任を感じることではないし、そのためにお金まで出してもらって色々してもらうのは俺としては苦痛以外の何物でもないよ」

ジッと俺を見ていた楓の顔が歪んできた。

「わかった。もう来ない」

楓は荷物を持って玄関へ向かった。

「楓、そうじゃないんだ。俺が言いたいのは…」

「もういい。私じゃあ桜の代わりは務まらないから、もう来ない」

そう言って振り返って俺を見た楓の目からは涙があふれていた。

それを見て俺は何も言えず、ただドアが閉まるのを黙って見ているしかなかった。


あれから楓は本当に来なくなった。電話をしてみたが電話には出ない。メッセージを送っても、既読スルーの状態だった。俺はまた外食とコンビニ弁当の生活に戻った。ひとりでコンビニ弁当を食べていると、非常に寂しさを感じた。桜が出て行ったあと、一人で食べている時も寂しさを感じたが、今の寂しさは、その時とは異なっていた。桜が出て行ったときは、二人だったのが一人になったという寂しさだった。しかし、今回の寂しさは、楓を失ったという寂しさだった。同じ寂しさでも根本的に違っていた。


楓が来なくなって、1か月くらいした頃、インターフォンが鳴った。もしや楓か?と思ってモニターを見たら、なんと、桜だった。

「いきなりどうしたんだ?」

「ちょっと用があって来た。開けてくれる?」

部屋にあげる筋合はないので、断っても良かったが、俺はオートロックを解錠した。


部屋に入るなり桜はあたりを見渡してから、あきれた顔で言った。

「散らかっているねえ。たまには掃除したら」

「余計なお世話だよ」

「自分で出来ないなら、ちゃんと家事をしてくれる人を早くみつけなよ」

「お前に言われたくないよ」

「一時お姉ちゃんが来てくれてたんでしょ?」

「何で知っているんだ?」

「たまに実家には帰ってるもん。お母さんから聞いてた」

何故か俺は隠し事を知られたような引け目を感じた。

「それで、今はお姉ちゃん来てないんだ?」

「もう来ないって言ってた」

「また圭祐が余計な事言ったんでしょ?」

俺はちょっとムッとしたが、何も言わなかった。

「ねえ、何で私が新しい男を作ったかわかる?」

「今さらそんなこと聞きたくないよ。どうせ俺に嫌気がさしたんだろ?」

「離婚しようと決めたからだよ」

どういうことだ?俺の聞き間違いか?

「新しい男が出来たから離婚しようと思ったんだろ?」

「違うよ。逆だよ。離婚しようと思ったから、生活するためにも新しい男を作ろうと思ったの」

俺はまったく意味がわからなかった。

「私、小さい頃から欲しいものがあると、なんとしてでも手に入れようとする子だったの」

確かに、一緒に暮らしていてそういうところがあると思っていた。

「圭祐の時もそうだった。圭祐と結婚したいと思ったから、ホテルにも私から誘ったし、強引に結婚まで話を進めた」

その通りだった。

「その時は圭祐が私をどう思っているのかなんて関係なかった。私と結婚すれば絶対に私を好きになってくれると思ってた」

俺は、桜が何を言いたいのかわからなかった。

「でも、一緒に暮らしているうちに、どんなに欲しくても、圭祐の心は自分の思い通りにならないなとわかっちゃった」

「どういうこと?」

「圭祐の心の中には、ずっと私以外の女がいたということ」

「そんなことないよ。俺はずっとお前だけ見ていたよ」

「表面上はね。でも、心の奥底では私以外の女をずっと見ていた」

俺が反論しようとしたら、桜はそれを制して続けた。

「まあ、それはいいの。圭祐が他の女を見ていようが、圭祐は私のものだから。でもね、私が我を通して欲しいものを手に入れると、それによって傷つく人がいるのに気づいちゃったんだ」

「傷つく人?」

「そう。私が圭祐を手に入れると、私と同じように、あるいは私以上に圭祐のことが欲しいと思っていた人が傷つくんだよ」

「でも、それは仕方ないことだろ?」

「普通はね。でも圭祐もその人を欲しいと思っていたのであれば別でしょ?」

俺は、桜が誰のことを言っているのかわかって、まさか、そんなはずはないと、胸がざわめいた。

「私がね、圭祐を連れて実家に帰ると、私たちを見てお姉ちゃん、とても辛そうな顔をするのよ。私とまともに目を合わせようとしないの。私ひとりで実家に帰ったときは普通に接してくれるけど、それでも圭祐のことを話しだすと、やっぱり辛そうな顔をするの」

そうだったのか?まったく気づかなかった。

「これじゃあ、私は悪者じゃない。強引に結婚した圭祐は、心の中ではずっとお姉ちゃんのことを見ていて、私が我を通したがために、圭祐を好きだったお姉ちゃんは傷ついて。赤の他人なら、そんなこと知るか!て開き直れるけど、さすがにお姉ちゃんとなると、私は辛いよ」

俺は、楓が俺のことをそういうふうに思ってくれていたとは知らなかった。

「何年かすれば、お姉ちゃんも気持ちを切り替えて、彼氏でもつくるかなと思ったけど、そういう感じはないし、この2年くらいは明らかに私をさけるようにもなって、私は辛かった。圭祐は圭祐で、表面上は良い亭主を演じてくれているけど、実家に行くと、ジッとお姉ちゃんを見ているし。そうすると、だんだん圭祐に対する気持ちも覚めてきちゃったのが自分でもわかってきたの。もう離婚した方が三方丸く収まるかなって考えたら、どんどん離婚に気持ちが傾いちゃった。そうなると、離婚した後のことも考えなくちゃいけない。ならば、新しい男をみつけようってなって、今の彼がいるってこと」

桜が言いたいことはわかったが、そんなことで離婚するかよ?

「何でちゃんと話してくれなかったんだよ。そんなこと離婚の理由にならないだろ?」

「圭祐に話すと、話がややこしくなるから。それに、いくら話しても、気持ちの問題はどうにもならないでしょ?」

確かに、その通りだ。

「でも今の彼をちゃんと好きだし、彼も私のことを大切にしてくれているから安心して」

「お前の発想は独りよがりだよ」

「でも、圭祐がお姉ちゃんのことを好きだったのは本当でしょ?」

俺は返答に窮した。楓は初恋の相手だった。中学、高校と、ずっと俺は楓のことが好きだった。その楓が妹を紹介したいというので、楓は俺のことを何とも思ってないのだと、あきらめたのだ。確かに、桜と結婚してからも、俺は心の中で楓のことを無意識に見続けていたのかもしれない。

「お姉ちゃんと、ちゃんと話して、自分の気持ちを伝えなよ」

桜はそれが言いたくて、今日来たのか。

「あと、今さらだけど、私の名誉のために誤解のないように言っておくけど、今の彼とは離婚届を提出するまで体の関係はなかったからね」

俺は驚いて桜を見た。

「だって、圭祐を裏切ることだけはしたくなかったから。これはケジメとして」

「だったら、財産分与もちゃんとするべきだったじゃないか」

「いいの、いいの。どうせこのマンションの頭金も親が出したんだし、先々お姉ちゃんと住むなら同じでしょ?」


桜の話を聞いた翌週、楓をマンションに呼び出した。携帯に電話しても、LINEを送っても無視されるので、実家に電話をし、お義母さんに伝言を頼んだ。

「どうしても話したいことがあるんです。とても大切な話なんです」

と言うと、お義母さんは「必ず行かせます」と言ってくれた。


指定した日に楓はやってきた。

楓は硬い表情をしたまま部屋に入り、リビングのソファーに座った。

俺は、桜から聞いた話を、そのまま楓に伝えた。楓は途中、ティッシュで目元を拭いながら聞いていた。すべて話し終えたあと、俺は言った。

「桜が言う通り、俺の心の奥底では、いつも楓がいた。俺は中学の時から楓が好きだった。再会して連絡先を交換したときは、胸がときめいたよ。でも、楓から初めて連絡がきた要件は、妹を紹介したいだった。俺の一方通行だったんだとあきらめたんだ」

「圭祐を桜に会わせたことを、どれだけ後悔したか。どんなに桜に頼まれても断れば良かったと自分を責め続けた。圭祐の隣に桜がいるのを見るのが、とてもつらかった。桜の口から、圭祐との生活を聞かされると、胸が引き裂かれそうなくらい嫉妬した。私もずっと圭祐が好きだったから」

「楓が料理を作りにきているのは、桜に対して責任を感じているからだと思っていた。そんなことで来てほしくない。ちゃんと俺の彼女として来てほしい。でもそれは無理なんだろうなと思った。だから、下手に期待しないように、ちゃんとお金を払って、割り切った方がいいと思ったんだ」

楓が俺の目を見た。

「責任を感じていると言ってたのは口実だよ。私は圭祐のそばにいたかったの。少しの時間でもいいから、ここに来たかっただけ」

「楓、ここに一緒に住まないか?」

突然の言葉に、楓は戸惑うように俺を見た。

「いいの?」

「楓と一緒に暮らしたい」

楓の目から涙があふれてきた。

俺は楓の隣に場所を移動した。

「結婚しよう。そして、掛け違えたボタンを、もう一度掛け直そう」

楓は「うん」と頷いて俺に抱きついてきた。

俺はそっと唇を重ねた。楓もそれに応えた。俺が服を脱がそうとすると、楓が俺の手をつかんだ。

「桜は、離婚届を出すまで圭祐を裏切らなかったんだよね?」

「うん、ケジメだと言っていた」

「だったら、私も婚姻届けを出すまではしないことにする」

「えー!それはちょっと違うような気がするけど」

「いいの。これは私のケジメなの」

楓の目は真剣だった。桜に対するケジメなのだろう。

「わかった。楓の気持ちを尊重するよ」

「わがまま言って、ゴメンね」

「大丈夫だよ。その代わり、明日の午前中は仕事を休んでくれないか」

「どうして?」

「決まってるじゃない。朝一番で婚姻届けを出しに行くんだよ」

俺がそう言うと、楓は笑いながら抱きついてきた。

「そんなに私としたいの?」

「当たり前じゃない」

楓は抱きついたまま俺の耳元で聞いた。

「ねえ、結婚式には桜も呼んでいいんだよね?」

「妹だから当然じゃない」

「結婚式に元嫁を呼ぶ新郎っている?」

俺は、一瞬頭の中がパニックになった。


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