第12話 ヴァルトラン・ウールヴとふたりの獣
「ヴァルトさんが……アルクの兄さん?」
その言葉に、ユースは思わずアルクを見返す。
見上げてくる琥珀色の瞳は嘘を吐いているようには見えないし、そもそもこんなことで嘘を吐く必要はない。
なら本当に。
「全然知らなかったな。配属時のデータにもそんなこと……。ああいや、書いたからどうって話か」
ヴァルトランが生きているならまだしも、もう1年前に戦死しているのだ。
「お兄ちゃんが死んだって聞いたのは、確かに1年前だった。私はちょっと、そのときはお兄ちゃんとあんまり話さなかったから、どこの基地にいたとか、どういう部隊にいたとか、全然知らなかったけど……」
1年前ならアルクは14歳か。なるほど年頃の女の子として、親兄弟を疎ましく感じる時期だろう。
「死んだって聞いて、もっと色々話しておけばよかったって、すごい後悔して……」
でも、とアルクは続ける。
「そっか……。ここにいたんだ、お兄ちゃん」
普段明るく、天真爛漫という言葉がよく似合うアルクの物悲し気な表情に、ユースは何も言えず、ただ黙って立っていた。
やがて、アルクが口を開く。
「……ねぇユース。お兄ちゃんはシグルに、俺のようになるなって遺したって言ったよね」
「ああ。そう聞いてる」
ヴァルトの死の現場にはユースもいたが、消え入りそうな最後の言葉を聞いたのはシグルだけだ。
「あれからずっと、どこか諦めたように生きてる」
「……お兄ちゃんはさ、ずっと夢を追いかけてたんだ」
ぽつりと、アルクが言葉をこぼす。
「お祖父ちゃんの喫茶店を継ぐっていうのも、実はお兄ちゃんの受け売り……っていうか、それをまた私が継いだっていうか」
「そういやヴァルトさん言ってたな。いつになるかは分からないけど、退職したらやりたいことがあるって」
何をやりたいのかは頑なに教えてくれなかったが、喫茶店を継ぐことだったとは。
そう言えばビーストハント隊随一の料理上手だったなと、今になって思い至ることもある。
「お兄ちゃん、家でもずっとそればっかりで……。お父さんが早くに亡くなっちゃって、お祖父ちゃんに育てられたようなものだから、お祖父ちゃんが大好きなの。私もだけど」
だから喫茶店を手伝おうと決めていて、祖父が死んだあとは継ごうと決めて。
けれどそのとき、徴兵令が届いてしまったという。
「だからきっと──」
「っ、班長! フレットが!」
ミクストラ領内、対獣戦線ポイント212。森林地帯のその戦場。
ビーストハント隊第1分隊第1班に所属するウールヴ・ツーのシグルは、緊迫を帯びた声で呼びかける。
「ッ……! ヴァ、ルト……班長……!」
喘鳴混じりに唸るそれは、総身を赤黒い血に染めたビースト・スリー。フレット・ウールヴ。
つい数十分前まで共に戦い、背を預けていた同年代の少年兵だ。
「堕ちたか……」
堕獣化。人と獣の混ざりものであるBB使いの末路のひとつ。
獣同士の争いを、殺伐とした生活を続ける内に獣性に引っ張られてしまう現象だ。
堕ちてしまえば待っているのは、目につくも全てを殺し、壊し、暴れるだけの破壊衝動。
「班長、あれじゃ……」
「ああ。もう戻れない」
フレットの纏う血は鎧獣のものではない。
アルス・ワン。アルス班の少年を穿ち貫いた、その返り血だ。
「俺たちで止めるぞ!」
「……っ、了解!」
脳裏をよぎるのは、1年を共にしたフレットの柔らかな笑顔。
元々気弱な彼は、戦いには向いていなかった。
だから堕ちた。
獣と人の死体が入り混じる戦場の中に、自分の未来を見てしまったのだ。
「がぁぁッ!」
「散れ!」
鋭い指示が飛び、遅れることなくこの場に居合わせた面々が散開する。
ポイント212で戦闘に参加していたのはウールヴ班、アルス班の2班で、既に残りは4人。
四方に散ったメンバーの内、フレットが目をつけたのは。
「ユース! 狙われてるぞ!」
ユースレイン・アルス。シグルと同期で、配属からずっと同じ隊にいる少年兵。
「なろっ……!」
ユースは拳銃を引き抜いて銃口を向ける。
が、しかし。
「ぐあっ……!」
引き金が引かれるより早く、フレットの狼爪がユースを襲う。
咄嗟にミズガルズで防御したようだが、腕からは鮮血が噴き出ている。
「下がってろ!」
アルス・ツーが自身の拳銃の引き金を引き、放たれた弾丸が直撃する。
鎧獣の鎧殻すら撃ち貫く、BBで強化した拳銃弾。
けれどフレットは、それを貫通させることなく受け止めていた。
「ウルフヘズナル……!」
「下がってろアルス班! この間合いじゃ──!」
「らぁッ!」
フレットが跳ね、狼爪が伸びる。
BBで強化した蹴りをアルス・ツーが放ち、空気を裂くような鋭さで狼爪を迎え撃つ。
が、しかし。
「ッぁ……!」
フレットが腰を落として蹴りを避け、伸ばされた足を突き上げる。
アルス・ツーの足は半ばから逆方向に折れ曲がっていた。
「チッ……!」
狼牙を纏わせた腕を伸ばし、ヴァルトがユースに飛び掛かった。
「班長……!」
動かなければいけないことは分かっている。
もう戻れないことは分かっている。
これ以上フレットを野放しにすれば、さらに被害が広がることも分かっている。
なのに。
「動け……この、足が……ッ!」
縫い付けられてしまったかのようにシグルの足は動かない。
殺さなくては。フレットを。
守らなくては。ヴァルトを、ユースを、アルス・ツーを。
なのに──。
「シグルッ!」
「っ、しまっ……!」
顔を上げた次の瞬間、持ち上げた拳銃を横合いから伸びた狼爪が弾き飛ばす。
咄嗟にナイフを引き抜くも、続く2撃目に容易く砕かれてしまった。
「止めろフレット! これ以上は……!」
突き出される狼爪を、狼牙を纏った腕で防ぐ。
狼の爪は獲物を狩るための刃ではない。
にも関わらず、狼爪は狼牙を押し、シグルの腕が軋みを上げる。
「クソッ……お前も……!」
配属されてからの1年間、何度も仲間の死を見てきた。
鎧獣に殺された奴も、墜ちて仲間に討たれた奴も。
そのたびに、シグルは歯を食いしばって来た。
「俺たちは……どうして……!」
BB使い。異種婚姻譚の成れの果て。
人であり獣、獣であり人。
戦うために徴兵され、人を護るために牙を研ぎ、命を削るその役目を。
誰もが望んだわけではない。
ただ押し付けられただけだ。
「こんなところで……! こんなことで……!」
人としての人生を捨てて、戦うことを強いられて。
その果てが、獣として始末されるか、獣との戦いで死ぬか。
そんなものになりたくて生きてきたわけじゃない。
もっと違う未来を夢見て──。
「しまっ……!」
思考に沈んだシグルの意識を、鋭い殺意が現実世界に引き戻す。
直後、その殺意が実態を纏って放たれた。
「がっ……ッ!」
吹き飛ばされ、木に打ち付けられて痛みに呻く。
肺の空気が一気に押し出され、同時に血が零れ出た。
「うぁぁあァぁァッ!」
血走った眼でフレットがシグルを睨み、咆哮し、けれど突然視界が遮られた。
次いで、人体を刺し貫く嫌な音。
「はぁ……ガハッ……げほっ」
視界を遮ったのは、シグルよりも高い背と薄墨色の髪だった。
「班長……!?」
「シグル! 今だ! ──早くッ!」
そこからは一瞬だった。
促されるままに体は動き、伸ばした狼牙はフレットの頭を刎ねて砕いた。
それだけ。たった一瞬の一挙動で、仲間だった少年兵の命を奪った。
「あ……フレッ、ト……」
直前で響いていた咆哮は止み、森は途端に静かになった。
静謐という言葉がこれ以上ないほどに似合う、静かな森。
凄惨という言葉がこれ以上ないほどに似合う、赤い森。
「班長!」
その森の中で倒れ伏すヴァルトに、シグルは駆け寄って抱き起した。
「よく、やったな、シグル……」
「班長……! すみません……すみません……! 俺が、もっと早く……!」
ヴァルトの体には大きな風穴が開いていて、そこから夥しい量の血が流れ出ている。
致命傷だ。
「なぁ、シグル……」
ヴァルトは血濡れの体を見下ろして静かに笑う。
「俺は、やりたいこと、あってさ……」
いつになるか分からないが、戦い抜いてやりたいことがあると、常々ヴァルトは口にしていた。
フレットにも、アルス・ワンにもアルス・ツーにも、ユースにもシグルにも、あったはずだ。
「俺みたい、には……なるなよ……」
「っ……!」
「こんな、死に様を……。俺と、同じように……」
その先の言葉は紡がれなかった。
腕の中のヴァルトはもう。
「──分かりました、班長」
「俺は──夢を抱かない」
「だからきっと──」
きっと兄は、ヴァルトは、夢を捨ててほしかったんじゃない。
「夢を叶えて欲しかったんじゃないかな……」
夢半ばで死んでしまった、自分のようになってほしくなかったから。
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