第3話 夢見る人と夢見ぬ獣

「すっごい……! 隊長、私と1つしか違わないし、BBも同じ狼なのに!」

 荒廃した旧ラシャベルツ市、接敵した熊種鎧獣を貫手で仕留めたシグルを見て、アルクは思わず感嘆の声をあげる。

 シグルは歩くと同じウールヴ性で、BB使いにとって姓というのは内包する因子を示す指標の1つだ。

 ちなみにウールヴは狼、アルスは馬、フェルニは鷹だ。


「あれっ……でも狼爪ろうそうって、練習すればあんなに鋭くなるものなの?」

「いや、あれは狼爪じゃねぇよ」

 ふと呟いた疑問に、熊種から庇うような位置取りに立っていたユースが応じる。

 そもそも勘違いされがちだが、狼爪は攻撃的な用途に使用するのではなく、餌を食べるときに固定したり、滑りやすい岩場を登ったりするためのものだ。

「アイツは従軍2年目で、その2年の間に色々とBBの応用を効かせられるようになってんだ」


「応用……?」

「ああ。アイツが攻撃のときに使ってる特性は狼爪じゃなくて狼牙ろうがだ」

 狼牙。だが牙であるからには、腕や足からその力を発生させることは不可能なのではないか。

 そんな疑問を見透かしたようにユースは肩をすくめ、言葉を続けた。

「普通できないことを、積み重ねでできるようにしてんのさ。……その分、アイツは獣性に引っ張られてるけどな」

「……?」

 聞き馴染みのない言葉に首を傾げていると、基地への報告を終えたシグルが2人の方へ歩いてきて人当たりの良さそうな笑みを浮かべる。


「お疲れ様……と言いたいところだけど、フェルニ班に代わって哨戒を引き継ぐことになったから、急だけどこのまま外回りだ」

「げっ、マジかよ。……どうせこの辺、他に鎧獣居なそうだし帰っちまおうぜ」

 露骨に嫌な顔をするユースの言葉に、シグルは呆れ顔を浮かべて溜息を吐く。

 もっとも、本気でそう思ってるのではないだろう声色と、同じく本気で呆れているわけではなさそうな表情だ。


「アルクも、急で悪いけど大丈夫?」

「あ、うん! ……じゃなかった、はい!」

 先ほどからちょくちょく敬語が抜けていた。

 2人は年上で先輩で、何より上司なのだからしっかりとしなければ──。

「別に話しやすいように、砕けた口調でも構わないけど」

「えっ?」

 アルクの内心を見透かしたような言葉に、思わず目を瞬かせる。

「別に俺たちは正規の軍人じゃない。重要な場面や偉い人相手だと別だけど、BB使い同士ならそう畏まる必要はないだろ」

「そっか……。うん、分かった!」



「よし。それじゃ改めて哨戒任務に入ろう」

 アルクとユースを連れ、シグルは旧ラシャベルツ市内を見て回る。

 ここは倒壊した建物や路面の破損が酷く、後者はともかく前者が装甲車の道を物理的に塞ぐため、歩いて周るしかない。

 それに建物がどうとか以前に、鎧獣に襲われたときに装甲車は無力だ。

 下手に攻撃を喰らって横転、身動きが取れなくなって袋叩きに遭っては目も当てられないことになる。

 だから敵が潜んでいるかもしれない、人類圏と獣棲圏の境界付近はこうして歩いて周るのが常だ。

 普通の人間では厳しい行軍も、獣の因子で基礎的な身体能力が高いBB使いには苦にならない。


「そうだ、隊長……じゃなかった、シグル」

「どうかした?」

「さっきユースから聞いたんだけど、あなた狼爪じゃなくて狼牙の力を四肢から発動してるんだよね?」

 ちょこんと首を傾げるアルクの言葉に頷き、自分の手の平を一瞥する。

「まぁ、そうだな」

「それって、私にもできるようになるかな?」

「それは……」

 無邪気な問いに、シグルは口籠ってしまう。

 可能か不可能かで言えば、当然可能だ。

 同じ狼の因子を持つのだから。

 ただそれを身に着けるということは、獣の力を使いこなすということは、人間から逸脱していくということであり──。


「あっ」

「鎧獣か?」

「あ、ううん、ごめん。そうじゃなくて」

 ふと発された言葉にグリップを握ると、アルクが慌てた様子で首を振る。

 それから戻された視線の先を追うと、そこには戦闘の余波で荒れたお店が一軒、ビルの間に挟まるようにポツンと建っていた。


「こりゃ……何の店だ?」

「飲食店っぽいけど」

 道に面するガラス窓、というかその跡から覗く店内は、寂れているがテーブルがあり、カウンターがあり、その奥には食器棚のようなものが置かれていた。

「多分、喫茶店じゃないかな!」

 アルクは何やら楽しそうに言い、もう何もない窓枠から店内を覗き込んでいる。

 確かに言われてみればそう見える。


「ここでお店を開いてた人、街を離れた後も喫茶店経営してるのかな……」

「うーん、まぁ放棄されて10年以上経つ。もしかしたら、そういうこともあるかもしれないな」

 ──ふと、何か思いついたようにアルクは振り返り、ニコリと微笑む。

「私、小さいときお祖父ちゃんが喫茶店やっててさ」

懐かしむように、愛おしむような優しい声。

 まるで子供のような──いや、まだ子供なのだ、実際。

「でも去年亡くなっちゃってさ。お店、継ごうと思ってたんだけどね」

 そんなタイミングで、徴兵の招集はやってきたと。

「だから私、この戦いを生き延びたら喫茶店を開きたいんだ」


 しんしんと降りしきる雪と、風化して灰色の街。

 それらとは正反対に赤黒く固着した血だまりに立つシグルに、彼女は微笑む。

「この戦いを生き延びたら、あなたは将来何をしたい?」 

 その問いかけに、シグルは口を開き、何も言わずに呑み込んで、再び開いた。

「──俺は何も望まないよ。だって俺たちみたいな獣には、未来なんてないんだから」

 優しい問いに対する、淡々とした素っ気ない返事。

 アルクはきょとんとした様子で目を瞬かせ、シグルは少しだけバツが悪くて目を逸らす。

 気まずい沈黙が2人の間に広がる直前、ユースが割って入って口を開いた。

「早いとこ哨戒終わらせてここを離れようぜ。フェルニも、連れて帰らないとだしな」

 2人に気を利かせての言葉に、実際その通りなので頷いてシグルは歩き出す。

 アルクも今は追及するつもりはないようで、喫茶店の跡を名残惜しそうに眺め、後に続いた。


「よかったのかよ、あんな風に答えて」

 先頭を行くユースに並んだタイミングで、顔を近づけて彼は言う。

 アルクを一瞥するその目は、ぶっきらぼうな口調とは正反対な彼の優しさの表れだろう。

「事実だろ」

 ユースとは従軍直後からの戦友だ。だからこうして、彼を相手にしたときはシグルも口調が荒っぽくなるし、声も低くなる。

 あるいは彼の口調がうつったか。

「そもそも鎧獣との戦いに終わりなんか見えないし、油断したらすぐ死ぬのがこの戦線……対獣戦線だろ」

「それはそうだけどよ。配属初日の、女の子だぞ?」

「……気は遣うさ。けど、夢だけは抱かせちゃいけない」

 この戦場では、夢を抱いても絶対に叶えることができない。

 鎧獣との戦いに終わりはなく、力が無ければ死に、力を求めれば──獣に引かれすぎて、人に戻れなくなって結局死ぬ。

 叶わないと分かり切っている夢を追うのは、虚しい。

 叶わないと分かり切っている夢なら、捨ててしまえば楽に生きられるし、楽に死ねる。

「……それはお前が、夢を思い出したくないだけじゃねぇのか」


 従軍直後から同じ部隊で戦う同い年の戦友は、2年前のシグルを知っている。

 2年間戦い続け、狼の因子を自在に操るシグルを、そのリスクも知っている。

 だから、2年の変化を知っている。

「かもしれないな。でも、間違ってないだろ。俺たちは退役することなくこの戦線で死ぬ。人として死ぬか、獣に墜ちて死ぬかは……さぁ、どっちだろうな」

 シグルはユースに笑いかけ、不服そうな視線を背に受けて進む。

 獣狩りの獣は所詮、消耗品の猟犬なのだ。

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