第11話 眠りの道  西暦525年

 精神世界 Spirit World


「騎士殿。騎士殿」

 遠くからバッジョを呼ぶ声が聞こえる。


「騎士殿。騎士殿」

「誰か、私を呼ぶのは誰か?」

 バッジョは目を覚まそうとする。


「騎士殿。極意ごくいを思い出すのだ」


(はっ。そうか。あたかも樹皮の隙間に身を隠す虫のように、ひっそりと佇む。意識は持続して、目覚めずに、眠らない)


「先で待っておるよ」

 それを最後に老人の言葉は途絶とだえる。


(不思議な感覚だ。周囲の喧騒けんそうは全て途絶えた。私の意識は深い沈黙の谷間に沈んでいる)

 バッジョは特別な感覚の世界に居る事に気が付く。


 総てがただ仄暗ほのくく、周囲を沈黙が支配していた。


 気配を消し続けるバッジョの意識。だが、不意に何かに引き込まれる。そして急に周囲の景色が見え始める。


「おおっ。これは凄い!!」

 バッジョの意識は透明な通路の中に引き込まれていた。それは光の輪が連続する空間、連続する光の輪に包まれたトンネルであった。


 光の輪が連続するトンネルの中を、バッジョの意識はもの凄い速さで移動している。


(私は今、連続する光の輪に包まれた通路の中を移動している。ここは広くはないが、閉塞感や所狭さはまるで感じられない。最大限に手足を伸ばしても、輪には触れぬほどの広さが保たれている。その中を、歩くでもなく、走るでもなく、ただ移動をしているのだ。不思議なのは、光の通路の中にいる事がとても心地好く、心が安らぎさえ感じていること。そして外には、漆黒の空に浮かぶ星々が煌めいている。輪を持つ大きな球体の横を、今、擦り抜けた)

 バッジョは光るトンネルの外に、惑星や恒星こうせいの雄大な姿を見ていた。


 時間の感覚は麻痺していた。


「この素晴らしいながめは、まるで夢のようだ!」

 安らぎの空間を移動しながら、バッジョは外の景色を楽しんでいた。


 しかし突然、何の前触まえぶれもなく光のトンネルは終点に達する。


「おおっ!?」

 突然と光のトンネルから放り出されたバッジョの意識は大きな声を上げる。


 バッジョを運んできたトンネルは、とてつもなく巨大な円柱の塔へと繋がっていたのだ。バッジョの意識は、塔の内部に同じように放り出され来るおびただしい数の光の玉を見る。バッジョ丈ではない、眠りに就いた沢山の人間の霊魂が、巨大な円柱塔の内壁より飛び出して来ているのだ。各々異なる色をした光の玉。それが巨大な円柱塔内壁全方位から飛び出して来ていた。


 目の前に広がる光景を見て、「あっ。皆っ!」バッジョの口から言葉が漏れ出る。


 続々と放り出され来る光の玉を見て、自身の意識も又一つの光る玉であることを、バッジョは自覚したのである。


 その後、バッジョの意識は飛ばされてしまう。


 次にバッジョが気付いた時には、沢山の人々が建物の内部を行き来する景色の中に、自分が存在した。


「不思議な場所だ。しかし今、確かに、ここに私は存在する!」

 嘗てバッジョが詰めていたゼルティ王の居城より、遥かに大きい建造物の内部で、バッジョが呟く。


 天に向かいそびえる階段を上る者、天から下がる階段を降りて行く者、更には西へ東へ、人々はあたかも定められた道を知るかのように整然と進んで行く。


「面白い所だ。大きな要塞都市のような賑わいがある。それにしても何と人の多いことか!?」

 バッジョは感嘆かんたんの声を上げる。


「騎士殿」

 振り返るバッジョの目前に老人の姿があった。


「おお。御老人」

 バッジョは老人との再会を喜ぶ。


「如何かのう?」


「ここは何という場所なのですか?」

 バッジョが尋ねる。 


「騎士殿が来たがっていた、あの世だよ!」

「本当ですか?」


「そうじゃ。我等は死なずにここに来ている」


「死なずに? 何と奇怪な!? しかし確かに私はここに存在する。これは不思議な感覚です」

 バッジョが答えた。


「騎士殿にはこの世界がはっきっりと見えているのかな?」


「いいえ。遠くの方は何か霧がかかっているようで、はっきりとは見えません。それに、人々がたくさん集まっている事は解るのですが、ひとりひとりの表情はとなると、良くは見えぬと言うのが私の正しい見解です。認識出来る人は、案外と少ないことに気付かされます」

 バッジョはそう答えた。


「それで良い。騎士殿が儂と修行を積めば、ここの景色も、もっとはっきり見えるようになるだろうさ。人間に備えられている花弁が奇麗に開き、それが回り始めれば、更にたくさんの事象が見えてくる。儂とてまだ発展の途上だ。さて、それでは儂のころもを掴んでおくれ。騎士殿の過去を巡る旅に出掛けるとしよう」

 老人の言葉と共に周囲の景色が目まぐるしく移り変わる。


 もの凄い速さで、周囲の風景が流れていた。


「何故、私の過去をさかのぼるのですか?」

 バッジョは老人に尋ねる。


「騎士殿の前世を見に行くのだ」

「私の前世ですか?」


「そうだ。そこに行けば騎士殿が抱く疑問の総てが明らかにされよう。しかしその前に現世のセラヌの姿を見てみよう」


「スパイサーの宰相さいしょう、セラヌの姿を!?」


「ああ。奴の正体も見ておくのだ。騎士殿、その必要もある」

 老人がそう言うと、再びもの凄い速さで周囲の景色が移り変わる。


 気が付くとバッジョは、スパイサー城の上空から城下の街並みを見下ろしていた。


「二頭立ての馬車が城から出て行く。西の山に向かい走り出した」


「どうだ、騎士殿。あの馬車に見覚えがあるか?」

 老人はバッジョの隣に浮かんでいる。


「ええ。あれが宰相セラヌ専用の黒馬車です」


「そうか。セラヌはあの中に居るのだな!?」


 バッジョと老人の意識は、走る馬車の近くにまで接近をする。


「小柄な馭者ぎょしゃが一緒だ。セラヌがその者の魂を支配しようとしている。バッジョ、あの馭者のことを知っているのか?」

 老人が尋ねる。


「はい。馬にけ、良馬を育て上げる事で知られるアリオンという男です」


「ほほう。馭者に戦馬をつくらせる積りだな」


「ああ。なんとみにくくおぞましいもの達に取り囲まれている事か。アリオン。早くそこから離れるのだ!」

 バッジョは顔見知りの馭者の身を案じる。


「騎士殿。この世界では我等は唯、傍観ぼうかんする事しか出来ぬよ! 肉体が無い方が良く見えるであろう!?」

 老人はバッジョに言葉を掛ける。


「はい。我等の世界に、我等が見ていないものがこれ程迄に多く存在するとは、驚きです」


「これが真実の世界だ。しかし人間には見えないように隠されている」


 二人の視界には、小柄な馭者アリオンを取り囲む数多の魔物や精霊が映し出されている。


「セラヌは不思議な術を使いますね?」

 霧の立ち込める森と、その上空で繰り広げられるセラヌとアイオンの行動を見て、バッジョが呟く。


「そうだろう。あいつは既に人間ではない」

「人間ではないですって!?」


「そうだ。魔王。それが奴には相応ふさわしい呼び名だ!」

 老人は答えた。


「アリオンに1000頭もの戦馬を作らせ、海を渡り大陸の国々にまで戦を仕掛ける。セラヌはとんでもない事を言っていますよ!」


「ああ。それによりどれだけの人間の血が大地に流される事か。奴はそれを悪魔に飲ませ、更に魔族を従えて行く」


 バッジョは黙っている。


「バッジョ。これも聴いておくれ。やはりな、奴は更に大きな戦を続け、この世界に自身の巨大な王国を築き上げるつもりだ。道具とそれを使う人間を高度に発達させ、その力を用いて魔族を月に昇らせる。そこから火星へ、更には黄道十二宮迄もを、魔族やルシフェル族の支配する領域にするつもりだ。堕天使ルシフェルは天界を追放されても尚、神にそむき続ける」


「話が大き過ぎます。あいつはアーテリー王子や私と戦った、スパイサー王国の宰相にしか過ぎないのではないのですか?」

 バッジョが老人に尋ねる。


「違う。それは彼奴あいつが持つほんの一面の姿にしかすぎぬ。彼奴は大きな邪悪の計画に組み込まれたかなめ。それを騎士殿に知って貰いたい。我らはその為に、この旅を始めたのだ」


「話の内容が、好く飲み込めません」

 老人が示す話は、バッジョが有する理解の範疇はんちゅうを大きく超えていた。


「今はそれで良い。騎士殿、次に参ろう」

 老人は、バッジョを次の世界へと促す。


「しかしこのままでは、アリオンがセラヌに殺されてしまいます」

 バッジョの視界には、魔王セラヌに翻弄されながらも、必死に抵抗を試みるアリオンの姿が映し出されていた。

 

「騎士殿。これは少し前の過去の事象。我等は既に起きた事を見ているだけで、どうすることも出来ぬのだ」


 バッジョは黙っている。


「過去に訪れる事は出来るのに…」


「来ることは出来る。だが、過去を変える事は出来ない。過去は何時迄もそこに存在するものでしかないのだ。遠い過去程遠くに、近い過去程近くに存在する。それでしかないのだ」

 悔しげな表情を見せるバッジョに老人が説明をする。


「なんとも信じられません」


「ここは近い過去。それをもう少し遠くに進もう。馭者の運命には介入は出来ぬ。あきらめておくれ。今度は騎士殿の過去を見に行く」

 再びもの凄い速さで、周囲の風景が流れてはじめていた。

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