第12話 前世への旅路 西暦525年

 精神世界 Spirit World


「おおっ。縄をうたれた騎士殿が舟着き場へと連れて行かれる。大勢の中を引き回され… 島流しと称して。むごい事よのう。辛かったであろう!?」 

 老人がバッジョを労る。


  時空を超えてブリテンの港へと現れた二人の目前で、過去のバッジョが兵士に両脇を抱えられ流人舟へと運ばれて行く。その隣には、なんとも憎らしい顔をした宰相セラヌの姿があった。


 バッジョはセラヌに近付くと、力を込めてその頬に殴り掛かる。しかしバッジョの拳がセラヌの頬を叩く事は無く、拳は虚しくセラヌのからだを擦り抜けて行く。


 次いでバッジョは、己が舟に運ばれるのを阻止しょうと、兵士の前に立ち塞がる。しかしその行為も、彼等に何ら影響を与える事も出来ずに、過去の風景は流れ続ける。


「この風景は騎士殿が生きて来た過去の事象、その投射にしか過ぎない。見る事は出来ても触る事はおろか変える事などとても出来はしない。過去がここに存在する。唯それだけでしかないのだ」


「解ってはいました。しかし、あの男の顔を見たら無性に殴りたくなって」

 バッジョは吐き出すように言った。


「まったくじゃ。産んだ親の顔が見たいものだ。憎たらしい顔をしておるわい」

 老人は困った顔を見せる。


「ああ。騎士殿が舟に乗せられてしまった」


「そうです。丸太のような太い腕をした二人の水夫が私を舟に引き入れ、沖へと漕ぎ出したのです。手足を縛られたまま沖に出された私が、何故一人だけ生き延び、貴方の居る島に辿り着いたのか? それが不思議なのです」


「そうだのう。『島流しとしょうして沖に漕ぎ出し、石をくくり付けて海の中に沈めるのだ』セラヌの奴、水夫に耳打ちしておるではないか」


「解りますか!?」


「ああ。儂は唇の動きで人の会話が読めるからのう。今度、騎士殿にも教えてあげよう」


「是非にお願いいたします。セラヌの奴、やはりその積りでいましたか…」


 満天の星が煌めく夜空の下、身体の自由を奪われた過去のバッジョが、船上に横たわっている。


 老人とバッジョは海面を歩くようにして、その光景を見詰めていた。


「騎士殿は死を覚悟していましたな?」

「ええ。このまま王子の許に参る積りでおりました」


「ほおっ。この水夫達、眠りに就いた騎士殿の身体に石を括り付けようと、立ち上がり準備をしているぞ」


「はい。私を暗い海に投げ捨てようと企てております」


「このまま事が運べば、騎士殿が儂の島に一人生きて流れ来る事はないのだ。いったい何が起ったのだ? それに気付いた騎士殿が、人夫どもを海に投げ飛ばしたのではないのか?」


「いいえ。そのような記憶はありません」

「ふむーっ?」

 老人は考え込む。


「何れにしてもこのまま見ていれば解る事でありましょう。あまり気は進みませんが…」 

 バッジョは眉をひそめる。


 その時、海原に立つ二人の目前で、大きな鯱が海面から高く飛び上がった。老人は驚きバッジョの肩に飛び乗った。バッジョも動きを止められる。


 二人は無言で… 海原に突き落とされた水夫が鯱に食われる様子を見詰めていた。


「私が寝ている間に、こんな事が起きていたとは…」

 バッジョは絶句ぜっくする。


「二人の水夫には申し訳ないが、これこそが神の成せる業。騎士殿にはなんとしても生きて遣らねばならぬ事があるのだ」

 老人が両手を合わせる仕草で話した。


「私が遣らねばならぬ事?」


「さあ時間を遡ろう。騎士殿が赤子の時代迄、一気に戻るぞ」


 再び周囲の景色が目紛めまぐるしく飛び去って行く。


(私が生きてしなければならぬ事、何があると言うのだ?)

 バッジョは考えていた。 


 次に二人が辿り着いたのは、若い母親が小屋の片隅で赤子に乳を飲ませている風景であった。


「おお随分と昔に戻ったようだ。あの赤子が騎士殿らしい!? 可愛い子だのう。どれ、よしよし!」

 老人がおどけて、子供をあやす仕草をしてみせる。


「この赤子が私なのですか!? お前も苦労する。このようになるのだからな」

 バッジョは左目の眼帯を指差し、乳をすする赤子に話し掛ける。


「それにしてもバッジョ殿の母上はお美しい方じゃな」

 老人は赤子に乳をやる若い女性を見詰める。


「12歳の春に母との別れが訪れました。我等の領他が突然、他の部族に攻め込まれ… その戦で私は母を失ったのです」


「そうであったか。正にこの世は暗黒の時代、何時になっても戦が絶える事が無い」


「ええ。私の人生は総て、戦なしには語る事も出来ません」


「辛い記憶をよみがえらせてしまったようだ。騎士殿よ済まぬ、許して下され」

 老人はバッジョに詫びた。


「いいえ。好いのです。随分と辛い事を重ね、悲しみにも慣れたようです。それにまさか、再び母の姿を見る事が出来るとは思いもしなかった。これは貴方のお陰です。母は美しい。私の心に思い描いていた通りに。いいえ。それ以上に美しい女性です」

 バッジョは懐かしい母の優しさを思い出していた。


「おおい。今帰ったぞ!」

 精悍せいかんな顔立ちにたくましい肉体を持つ男が、仕留しとめた鹿を担いで小屋に入ってくる。


「親父殿。若い」

 バッジョは家に入って来た父の若さに驚いている。


「ほう。この人が騎士殿の親父様であるか!? 正に騎士殿そっくり。いや騎士殿が親父様に瓜二つなのだ」


 若い夫婦は可愛い赤子を挟み、仲睦なかむつまじく微笑みを交している。

 小屋の中には人間の幸せな時間が流れていた。


「さて騎士殿。いよいよ前世に、貴殿が生まれる前の世界へと進みますぞ」

「はい。お願いします」


「ああ、そうじゃ。一つ大事な注意をしておく。これより騎士殿は、おのれの前世を知る事であろうが… 決して前世の自分に、気持ちを込め過ぎてはならぬぞ! どんな状況にあろうとも、それは既に前世において過ぎ去った過去の事象なのだ。前世の自分に気持ちを込め過ぎて、今の自分を見失っては、それこそ現世への帰還きかんも危うい。如何なる時も冷静に、第三者としての冷静なる心で、遠くから過去の事象を見詰める事。よいな!?」


「はい。大丈夫だと思います」

 バッジョは頷く。


「それなら安心だ。よし。参ろうではないか!」

 老人の言葉と共に再び周囲の景色が目紛しく移り変わる。


「おおっ。光のトンネルに入りましたね!?」

 バッジョが老人に話し掛ける。


「そうだ。霊魂は光のトンネルを通り抜け、この世に出て来るのだからな。見て御覧、この藍色に輝く玉のような存在が、騎士殿のひとつの霊的な姿だ」


「はい。これが私の芯を成すものと、何故かそう感じています」


「そうだろう。必ず解るのだ、自分にはのう」

 老人は二度三度と頷く。


「さあ。高い宇宙そらへと飛び出すぞ!」

 老人の言葉通りに、二人は光のトンネルを飛び出し、広大な宇宙空間へと吐き出される。


「光が物凄い速度で流れる。最早もはやここまで、後は何も見えません」


「よいよい。ただ儂にしっかりとしがみついておれ。あとは心で感じ取るのだ。今、銀河さかいを越えた。更に意識は広大な宇宙へと広がって行く」


「自分が大きく、とてつもなく大きく拡がって行くのを感じます。これは何処どこまで拡がるのです?」


「宇宙の果て迄じゃ。そしてまた収縮して行く!」


 宇宙全体に広がるバッジョの意識。バッジョは自分が宇宙全体に溶け込むような感覚を覚えていた。


「さて収縮が始まった。宇宙の果てから、前世の騎士殿がいる地球だいちに一気に戻るぞ! 騎士殿。意識を飛ばされるな!! 儂とて楽な道程みちのりでは無い!」


 バッジョは、とてつもなく大きく広がった自分の意識が、今度は徐々に小さくなるのを感じていた。


(離されていたものが、再び自分に戻される!?)

 そう思った瞬間、不覚にもバッジョの意識は飛ばされてしまった。

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