第37話
きっとこの気持は自分にしかわからない。
好きだった人が目の前でドロドロの液体になって消えて行くなんて、経験した人じゃないとわからない。
「ねぇアリス、しっかりして?」
「キユナにはわからないよ。私の気持ちなんて!」
「そうだね。今はまだわからないかも」
その言葉にひっかかってアリスはキユナへ顔を向ける。
キユナは今にも泣き出してしまいそうな表情になってアリスを見つめていた。
どうしてキユナがそんな顔しているの?
質問するまえに、キユナが口を開いていた。
「ねぇアリス。アリスは自分の家を覚えている?」
「え?」
突然何を言い出すんだろう。
いくらなんでも自分の家くらい覚えている。
バカにされているのかと思いキユナを睨みつけたが、頭に浮かんでくる家はひとつもなくて混乱した。
普通、暮らしている家くらいすぐに脳裏に浮かんでくるはずなのにいくら思い出そうとしてもなにも思い出すことができない。
「家はどこ? 学校は? 私以外の友達は?」
「ちょっと待って一気に質問しないでよ」
なぜか頭が割れてしまいそうなくらいに痛くなる。
「ごめんねアリス。本当はこんなことしたくないんだけれど、クローンがどうしても言うことを聞かない場合の対処法なんだって。自分がクローンだっていうことを思い出させて、購入者の連絡に反応するようにするの」
なにを言われているのかわからない。
わからないのに、冷静にならないと発狂してしまいそうになる。
「ねぇ答えてアリス? あなたの家はどこ? 学校はどこ? 他の友だちは誰?」
家は……わからない。
思い出そうとしても真っ白な映像しか出てこない。
学校も同じだ。
友達も。
自分はなにも覚えていない。
途端に恐怖が湧き上がってきてキユナに抱きついた。
ガタガタと体が震えてしまう。
「すごく性能がいいクローンができるとね、自分のことを本物の人間だと思ってしまうんだって。さっきの彼は自分が消えることを恐れていなかったけれど、あなたは怖がるようになってしまった」
キユナがなにを言っているのかわからない。
それじゃまるで私がクローンのような言い方だ。
「アリスは一ヶ月も一緒にいてくれた。友達のいない、私と一緒に」
キユナはまるで聖母のように微笑んでいた。
すべてを知り、そして包み込むような笑顔。
「キユナ……さっきから何を言っているの?」
「アリス、自分のスマホを確認してみて」
促されてアリスはバッグからスマホを取り出した。
「今まで誰から連絡が来た? 学校や、親から連絡はあった?」
答えられなかった。
キユナ意外の誰からも連絡は入っていないと、もう知っていたからだ。
でも、まさか、そんな。
スマホを持つ手が小刻みに震える。
呼吸が乱れて鼓動が早くなり、嫌な汗が背中に流れてくる。
アリスは大きな深呼吸をしてスマホに登録されている人物を確認した。
まずはカイ。
次がキユナ。
次は……誰の名前もそこには入っていなかった。
友人、家族、学校、その他お店などの連絡先。
あるべきはずのそれがないのだ。
アリスの震える手からスマホが滑り落ちた。
カシャンッと軽い音を立てて土をかぶるスマホ。
それを取り上げることはできなかった。
「いつも自分がどこで眠っているか覚えてる?」
キユナの質問にアリスは左右に首をふる。
だけど家だ。
自分の家に決まっている。
「私の家だよ。夜になると自動で戻ってきて、隣で眠るようになってる」
それは手作り人間工房で聞いた説明そのままだった。
アリスは無理矢理笑顔を浮かべて「嘘だ。そんな記憶ないし」と答える。
「そうだね。夜になると自動で電源が落ちる時間帯があるの。そうなるとその後の記憶は消えて、家に戻るだけの力しか残らなくなる」
「さっきから何言ってるの? 全然わからないんだけど」
「カイがクローンだってこともわかってたよ。だって、アリスと一緒に渡しの家に戻ってきていたから。でもクローンがクローンを購入するなんて、前代未聞だってお店の人は言ってた。それくらいアリスは特別なクローンだって」
アリスは地下にあるお店のゴシックロリータの女性を思い出していた。
私は彼女のお店で作られた?
性能のいいクローン?
グルグルと頭の中を疑問がかけめぐる。
自分の手のひらを見下ろしてみてもそれは人間そのもので、クローンだなんて思えなかった。
けれど確かに家や学校の記憶は持っていない。
どういうことなのか理解できずにパニックを起こしてしまいそうになる。
それでなくてもついさっきカイが消えたところなんだ。
「家に戻って、ちゃんと話をしよう?」
キユナに手をひかれてアリスはようやく立ち上がったのだった。
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