第9話

ご飯を点滴でもらうようになった。



もう、自分の口で食べることはないんだろうか。



それでもシュンヤは起きているような、眠っているような状態を続けてなにも言えなかった。



意思の疎通ができなくなった息子を見て、両親はどう思っているだろう。



なにを話しても答えず、なにをしても反応を示さない。



それでもシュンヤには両親の声が聞こえてきていた。



返事ができないのが、もどかしい。



「おい、聞こえてるか?」



不意に聞こえてきたその声はユウキのものだった。



突然意識が急速に浮上して行くのを感じる。



これは痛み止めで打たれている点滴が切れた時に訪れるものだった。



「ユウ……キ」



うっすらと目を開けてその名前を呼ぶ。



ユウキはベッドの隣にいて、シュンヤの顔を覗き込んでいた。



それにしてはやけに低い位置にいるなと思ったら、車椅子を使っている。



シュンヤは驚いて少しだけ目を見開く。



「どうした……足……」



「ん? ちょっとな。筋力が落ちてきたから。それより25日の土曜日は明日だ。お前行けるのか?」



その質問にシュンヤは一瞬記憶を巡らせて、そしてすぐに思い出した。



そうだ25日の土曜日に第4診察室へ行くんだった。



「あぁ。行ける」



「本当か? お前、点滴のせいでほとんど寝てるだろ。俺が代わりに行ってこようか?」



「お前が?」



「おぉ。噂では、診察室で死神に会えるのは寿命を知りたい本人だけじゃないらしい。他人が行って『シュンヤの寿命を教えてほしい』ってお願いしてもいいらしい」



その、取ってつけたような噂話にシュンヤは笑った。



笑うと体のあちこちが痛くなって顔をしかめる。



「なんだよ……そんな、都合のいい……」



「嘘じゃない! 本当のことなんだ!」



ユウキは懸命に言う。



シュンヤは微笑んで頷いた。



「信じるよ」



そう伝えると、ユウキは安心したように微笑む。



「だけど、俺は自分で行く」



他人に自分の寿命を知られるのは嫌だった。



「そっか……」



ユウキは頷き、シュンヤの手を強く握りしめたのだった。


☆☆☆


翌日のシュンヤは医師に頼んで点滴なしで過ごしていた。



昨日、ユウキとしゃべって意識がはっきりしている間に頼んだのだ。



「シュンヤ、大丈夫?」



痛みに顔をしかめるシュンヤの体をさする母親。



「うん……」



シュンヤは苦しげなうめき声にも聞こえる声で返事をした。



こうして意思の疎通ができる代わりに、痛みは容赦なくシュンヤの体を蝕んでいく。



それでも今日だけはと頑なに点滴の使用を拒んだのだった。



昼くらいになるとシュンヤは自分から車椅子に乗りたがった。



今日の夜、1人で第4診察室へ向かうためだ。



すぐに母親が手を差し伸べてくれたけれど、それを断って力を込めて自分の体をベッドから車椅子へ移動させる。



その時に見た自分の足は、痛み止めの点滴を始める前よりも更に細く、弱くなっていた。



どうにか車椅子に乗ったあとは今度は両腕の力でタイヤを回さないといけない。



少し動かすだけで息が切れて冷や汗が吹き出してくる。



それでもシュンヤはやめなかった。



そんな姿を見ていた母親はトイレにかけこみ、声を殺して泣いていた……。


☆☆☆


夕方になると学校を終えたユナがやってきた。



「あらユナちゃん、いらっしゃい」



「こんにちは」



母親と挨拶を交わしたあと、ベッドの上で意識のあるシュンヤを見て驚いた表情を浮かべている。



「今日は調子がいいの?」



「あぁ。少しはマシかな」



ユナは嬉しそうに微笑んで、学校での出来事をマシンガンのように話してきかせた。



シュンヤからの反応が帰ってくることが嬉しくて仕方ないみたいだ。



「ユナ、聞いて」



話の途中でシュンヤはユナの手を握りしめた。



クラスメートが給食を床にこぼしたという話をしていたユナは、真剣な表情のシュンヤを見て言葉を切った。



「どうしたの?」



さっきまで楽しそうにしていたユナの表情がふいに曇る。



シュンヤがなにを言おうとしているのか、なんとなく感づいている様子だ。



「俺は、もうダメなのかもしれない」



シュンヤの弱々しい声にユナが息を飲む。



そしてすぐに目に涙を浮かべた。



「こんなこと言ってごめん。だけど、覚悟を持っておいてもらわないといけないと思って」



「どうしてそんなこと言うの?」



ユナの声は涙に濡れて震えていた。



今までユナのこんなつらそうな顔は見たことがない。



シュンヤは自分の胸が張り裂けてしまいそうなになるのを感じながら、ユナを見つめた。



「俺がいなくなっても、絶対に元気で生きていてほしいから」



「シュンヤは死なない」



ユナはシュンヤの手をさするようになでながら言う。



「だってこんなに元気じゃん。血色がいいし、呼吸も整ってるし、自分の手で車椅子を動かしてる」



ユナは必死に言葉を紡ぐ。



それは本当にシュンヤが元気であると錯覚してしまうようなものばかりだ。



「そうだな……俺、元気だな」



思わず笑みがこぼれた。



「本人なのに気が付かなかったよ」



「バカ」



ユナの涙がポタポタとシュンヤの手のひらに落ちていく。



病室内にいた母親はそれを見て、口もとを手で押さえて病室を出ていく。

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