07 『大将からの依頼』


 寝起きにインターホンの音がうるさかった。


 布団を蹴ってがりがりと頭を掻く。

 遮光カーテンを開ける。窓から射しこむ陽光が眩しかった。

 頭が重い。昨夜はよく眠れなかった。


 大音量の呼び鈴が連続して鳴り続けている。

 一軒屋だからいいものの、集合住宅なら間違いなく苦情が入るところだ。


「聞こえてるよ! ちょっと待ってくれ」


 玄関に向けて怒鳴る。

 音が鳴り止むのを待って数秒、胴真どうま伸宜のぶよしはようやく腰を上げた。


「すまん。寝坊した」


 玄関ドアを開けるまで、さらに5分待たせてしまう。

 顔は洗ったが、髭を剃るまでの暇はなかった。


「もう昼ですが」

「すまん」


 銀髪の極道――朔田さくた市太郎いちたろう――もさすがに呆れた顔をするが、平謝りに頭を下げるしかない。約束の時間を定めたのは自分自身なのだ。


「それにしても」


 朔田は玄関周りを見渡して、それきり口を閉ざす。

 後を続けるのは失礼にあたると思ったのだろう。細眼鏡の位置を指先で直すと咳払いをひとつする。誤魔化ごまかすのが下手な男だった。珍しく目が泳いでいる。


「べつに気をつかわなくていいよ。ひでえあばら屋・・・・だろ?」


 肩をすくめてみせた胴真だが、その口調はやはり自嘲めいて響く。

 築65年の平屋建ては経年劣化が著しく、屋内からながめてもゆがみが一目瞭然だった。柱とはりの角度がおかしい。床も水平には見えず、歩くたびにいやな音をたてる。


 こんな住まいで不安にならないのか。

 朔田はそう問いたかったのではないのか。


 いつ倒壊してもおかしくない。

 居住者である胴真もそう思う。

 外から見るともっとひどい。ほとんど廃墟にしか見えなかった。

 雪国特有のトタン屋根はびによる腐食がはげしく、広く赤茶けて元の塗装が何色かわからない。雨漏りしないのが不思議なくらいである。


「家賃がな。無料タダみたいなもんなんだよ」


 古い一軒家が格安で貸し出されるのは豪雪地帯において珍しいことではない。

 人が住まなくなった家屋は急速に寿命を縮める。

 とりわけ雪国では死活問題だ。屋根に積もった雪を下ろさなければ潰れてしまうこともある。こまめに除排雪を行う胴真は、家賃を大幅に減額してもらっていた。


「……胴真さん。意地を張らずにうちに来てください。派遣工の倍は出しますよ」


 胴真は黙って目を逸らし、首を横に振る。

 同情されたくないのだろう。銀髪もそれ以上は勧誘を続けなかった。


「それより、今日はどうするんだ。心当たりはあるのか?」

「いくつかは。とりあえず近場からまわってみましょう」



 ◇◇◇


 昨日、ふたりはラーメン屋の店主から相談を受けていた。


「息子がな……。良くない連中・・・・・・つるんでるみたいでよ。この2週間、家に帰って来てないんだ」


「ほう。息子さんは、いくつです?」


 朔田が訊ねると、白髪頭の店主はおのれを恥じるようにうつむいた。


「20はたちになったばかりだ。……トシとってやっとできた子だから、どうにも甘やかしすぎちまった。いまとなっちゃ、おれも反省してる」


「その良くない連中ってのは、どんな奴らなんだ」


 胴真も身を乗り出す。


「……半グレって、やつだと思う。店まで息子を迎えに来たことがあるんだ。どいつも腕や首の刺青いれずみを見せびらかすみたいな服装だったよ」


 胴真は思わず銀髪の極道へ視線を向けてしまう。

 淡い色のドレスシャツを着用しているが、内側は透けてはいない。

 やはり本物の極道は身体に入れたスミを善良な市民に誇示したりはしないのだ。なぜか安堵の吐息が漏れ出てしまい、胴真はひとり隠れて苦笑する。


「大将が心配するのもわかります。ひとり息子ならなおさらだ。しかし、若いとはいえ、もう大人でしょう。本人の意思ってものがある」


 胴真もうなずく。


「そうだな。むりやり引っ張ってきても逆効果かもしれん。部屋に閉じこめておくってわけにもいかんだろうし。結局は連中のとこに戻っちまうんじゃ意味がない」


 還暦越えの店主は何度も白髪頭を振り、すがるような目をふたりに向ける。


「違うんだ。息子あいつは気が弱いやつなんだよ。悪ぶって調子に乗ってたのは最初のうちだけで……。帰って来なくなる前は、ずっと暗い顔してて……」


 うつむく角度がどんどん下がっていく大将の背を、胴真がぽんぽんと軽く叩く。


「そりゃ、おどされてるな。朔田。監禁されてるってことはないか?」

「なんのために?」


 即座に問い返された胴真は言葉もない。

 20はたちの青年を監禁する理由など思いつきもしなかった。親元に身代金の要求があったわけでもないのである。


仕事シノギに使われてる。そう考えるのが妥当なところでしょう」

「シノギだあ? おい、朔田よ。半グレっつう連中は、どうやって金銭かねを稼いでるんだ」


 今度は胴真が問う。

 不快感をあらわに隠そうともしない。眉間に刻まれた皺が深かった。


「特殊詐欺、薬物の密売、窃盗、強盗……。この田舎町じゃ、そんなとこですか。闇バイト・・・・って、聞いたことがあるでしょう」

「あ、悪事の片棒を担がされてるってのか? うちの息子が!」


 激高して詰め寄る白髪頭に対し、朔田はなだめもせずに名刺を差し出した。


「な、なんだよ、これ。……朔北さくほくセキュリティ?」


 気勢をそがれた店主は、印刷された活字をただ読み上げることしかできない。


「ただの警備会社ではありません。力でしか解決できない、そんな案件もお引き受けします。……本来なら動いてしかるべき警察が、まるで頼りにならない。そんな非常時ときに役立つ組織が必要な時代ではありませんか」


 相手を落ち着かせるようにゆっくりと、そして抑揚を殺して銀髪は語った。


「つ、つまり、どういうことだい。あんたらは、息子を」

「おまかせください。われわれふたり・・・が、かならず息子さんを大将のもとに戻してみせますよ」


 大将の目が潤んで細い。

 朔田の手を挟んで握る姿は、まるでほとけおがむように見えた。


「あ、ありがてえ。よろしく……よろしく、頼みます」


 寸胴ドラム缶体型のお人好しは口を大きく開けたまま声も出せない。

 息子の身を案じる老いた父親の姿を目の前にしては、とても断ることはできなかった。

 こうして胴真は銀髪の極道による表の業務・・・・に協力することになってしまったのである。


 ◇◇◇



きましたよ、胴真さん」

「ん……おお」


 落ち着いた声で呼びかけられ、胴真は目をこする。

 半睡うとうとしてしまっていたらしい。

 さすがは高級セダンといったところか。助手席とはいえ乗り心地が最高だった。シートに沈む重量級の肉体に、まるで息苦しさを覚えさせない。


「昨日は眠れなかったみたいですね。遠足の前の日みたいに興奮してたんじゃないですか」


「ば、ばかやろう。そんなんじゃねえよ」


 肉づきのいい頬が赤く染まる。

 こういうときにハンチング帽を深くかぶりなおして隠すのは胴真の癖なのだろう。図星と認めたも同然だった。


「……で、ここは?」


 車の外から音が聞こえてこない。

 周囲の風景も寂しかった。郊外だろう。

 フロントガラスの先には古びた共同住宅マンションが見える。


 3階建てだが、建物の壁にはあちこちに長い亀裂が交差していた。

 駐車スペースもひどいものだ。

 地面のアスファルトは割れが多く、剥がれたまま補修されていない。裂け目からは雑草が伸び放題に長く、とても管理されているようには見えなかった。


「ボロ家住まいのおれがいうのもなんだが……。人が住んでるのか? ここ」


「住居として使われてはいませんね。連中の職場になっているようです」


「……職場?」


 胴真はあらためて駐車場を見渡す。

 軽自動車が数台とワンボックスが1台。まばらに停めてある。


「行ってみればわかりますよ。準備はいいですか?」


 なんの準備だよ、と思いつつも胴真は助手席のドアを開けた。


 思った以上に陽射しが強い。暑かった。

 荒れたアスファルトの地面を踏みしめる。

 靴底から、夏の熱が伝わってきた。


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