06 『深夜の叛逆者』


「何度言ったらわかるんだ? え? おい」


 頭の天辺てっぺんがごんごんと音をたてる。

 ステンレスのパイプで叩かれているのだ。痛くないわけがない。

 にぶい音とともに脳の内部にまで振動が広がっていく。衝撃のたびに意識が怪しくなる。後遺症を心配するくらいにパイプは重く、無造作に振り下ろされていた。


 タオはじっと耐えている。

 うつむいて耐えるほかにできることはなかった。 

 意地悪く居座いすわる嵐が過ぎ去るのを、辛抱強く待つしかない。


 細身のクリーンスーツに胸の赤バッチ。

 工程部署を仕切るハンチョウは、タオの天敵だった。


 外国人技能実習生という存在が気に入らないのか、ストレス発散の相手として最適と感じたからか。おそらくはその両方だろう。とにかく目のかたきにされていた。狙われていた。


「おい。何できちんと取りつけられてないんだ?」


 これも単なる言いがかりだ。

 作業はきちんとこなしている。この工程の誰よりも気をつかって製品を組み立てている自負があるくらいだ。


「返事はどうした? おいこら。何とかいってみろ」


 ハンチョウのパワーハラスメントは酷くなる一方だった。

 最近ではタオだけが標的にされている。

 ほかの被害者による密告があって、そのしわ寄せがきているのかもしれない。虐めても問題のない外国人。それで鬱憤うっぷんすべてをぶつけられているのか。


「コトバ、ワカリマセン、か? おい、言ってみろ。コトバ、ワカリマセン。えっ?」


 ハンチョウがののしりの言葉を吐くたびに、ステンレスのパイプも振り下ろされる。


 腕力がないのだろう。

 叩かれる際に強弱の予想がつかなかった。

 加減できるほどの力がないから、棒の重さにまかせて雑に振り下ろされる。それがタオには恐怖だった。いつ強烈な打撃に見舞われるか知れない。途中で止めることもできないほど、目の前の痩躯は貧弱なのだ。


「黙ってりゃ、やり過ごせる。そう思ってるんだろ? 甘いよ」


 まずい。

 パイプに勢いがついている。

 タオは反射的に目をつむった。

 頭から血を噴いて倒れる自身の姿を想像する。

 だが、予想を外れて衝撃は頭部に到達しなかった。


「グゥッ!」


 タオは床に片膝をついていた。

 腕の感覚が無い。

 肩から指先まで、完全に痺れてしまっている。ステンレスパイプは鎖骨に振り下ろされたものらしい。


「ウ、ウウ……」


 たまらず肩を押さえる。

 骨にヒビくらい入ったかもしれない。痺れは徐々に薄れていくものの、少し指を動かすだけで激痛が走る。


「お、おい。なんだよ、その目は」


 知らずにらみつけていたらしい。

 おびえたように左右を見回すハンチョウだが、周囲に人影はない。


 当然だ。ここは余人の目が届かない、ひとり作業用のラインルームなのだから。この部屋にタオを配置したのは他ならぬハンチョウ自身である。人目を避けてタオをなぶるためにだ。それも毎度のことではないか。


「こ、これは指導なんだ。おまえが仕事を覚えようとしないから」


 弁解じみた台詞せりふを吐きながら、ハンチョウは金属パイプを片手に一歩後退する。声が震えていた。


「そ、そうだ。これは指導なんだ。さ、逆らうなら上に伝える。そしたら、おまえは馘首クビだからな。そうなったら、おまえ、強制送還されるんじゃないのか。こ、困るよな?」


 小心ちいさな男だ、とタオは思った。


 やりすぎた、とは思っているのだろう。

 しかし怪我を負わせたことに対する罪悪感は微塵みじんうかがえない。ハンチョウの胸にあるのは自分の立場が危うくなるかも、という不安だけなのだ。それが証拠にタオの身を案じる言動はひとつも出ていない。


「怪我をしたなんて大袈裟おおげさなことを言うんじゃないぞ。誰も信じないからな」


 思わずタオの口からため息が漏れる。

 あきれ果てていた。


「な、なんだ、その顔は」


 軽蔑が顔にまであらわれていたらしい。

 腕に痺れは残っていたが、肩を押さえたままタオは立ち上がる。

 こんな男におびえていたのか。そう思うと、今度は自虐的な笑いが出て止まらなくなりそうだった。


外国人アジアンのおまえなんか、馘首くびにするのは簡単なことなんだぞ。で、できないと思っているのか?」


 タオは自分の頬が緩むのを自覚していた。

 わめく声がうるさかったが、虚勢を張ろうと必死なのだろうと思うと可笑しく感じる。声をあげて笑い出さないのが自分でも不思議なくらいだった。

 

「そ、そうだ。ドウマってオヤジが居ただろ」


 思わぬ名前が出て、タオの身体が大きく揺れた。

 頬が強ばるのを自覚する。


「あのおっさん、マトモに仕事もできないくせに楯突きやがった。もちろん派遣元に連絡してやったよ。おれが報告をあげりゃあ、一発でアウトなんだぞ。もう次の日には職場に来れなくなる。一発だよ、一発。……おまえもか? おまえも馘首クビになりたいか? えっ、おいこら」


 タオの反応を見て効果ありと確信したのだろう。

 ハンチョウは下卑げびた得意顔を取り戻し、かさかって早口でまくしたてた。


「おい。何とか言ってみろよ。汚ねえ外国人アジアンが」


 ハンチョウは明らかに図に乗っていた。

 おのれの優位を再認識して安心したのか、金属パイプを片手に、ふたたび一歩近づく。


「まだ指導がるか? コレが欲しいのか? えっ、おい」


 ハンチョウがパイプを高く振り上げる。

 すぐにでもタオの頭を叩きつけられる位置だった。


 おどしのつもりなのだろう。

 瞳孔が開いていた。

 無抵抗な相手をなぶる歪んだ悦びに酔い痴れている。


 かといって、さらに追加の一撃を喰らわせるまでの度胸はない。

 まずは保身が第一。その上で恐怖による支配の継続。自身はかすり傷ひとつ負わず、安全なところから細く長くいじめ抜くつもりでいる。陰湿な暴君。それがハンチョウの正体だった。


 だがしかし、彼の目論見は大きく外れる。

 目の前にいる青年は、すでに弱者いいなりではなかった。


 タオが一歩前に出る。

 頭上に掲げられたステンレスのパイプを気にした様子もない。


「シネ」


 その声が痩躯の耳に届いていたかどうか。

 接近に戸惑とまどうハンチョウの顎を、渾身こんしんの力を乗せた拳が打ち抜く。


「う、ぐッ……!」


 コンベア機械に激突し、くずおれる暴君。

 その顔の中心に追撃の蹴りが見舞われる。

 殴られた顎に手をそえる暇もなかった。

 マスクで覆われた鼻へ安全靴の爪先が深く食いこむ。狙いは正確で、まったく容赦がない。


 芯が樹脂製の軽い安全靴とはいえ、人の顔を蹴るために造られたものではない。

 鼻骨が砕かれていても不思議ではなかった。


 マスクの端から大量の血が溢れ出て止まらない。

 手で押さえたところで意味はなかった。

 首の周りから胸、腹にいたるまで。痩躯のクリーンスーツに赤い染みが広がっていく。


「ンうぅッ! ふゥむ! うぅグ!」


 次々と噴き出す鼻血のせいで痩躯は呼吸もままならない。

 凄まじい苦痛に両手で顔を押さえ、ハンチョウはクリーンルームの床にもがきころげた。


「シネ」


 のたうちまわるハンチョウは気づかない。

 血に餓えたケモノが迫っていることに。

 復讐に燃える瞳の炎が、勢いを増していることに。

 震える手には痩躯が手放した金属パイプが握られていた。


「シネ」


 無機質な声とともに、パイプが振り下ろされる。

 

「ぎゃッ!」


 鎖骨を狙ったのだろう。

 タオがさきほど打たれたように。

 しかし顔を押さえる手が邪魔をして、手首に直撃する。折れたかもしれない。曲げた手の向きがおかしかった。逃れようと床へ倒れこむ痩躯の眼には涙が溢れている。


 無造作に近い一撃だったが、ハンチョウとはまるで腕力が違う。

 故郷くにの農作業で鍛えられた腕や背中の筋力は伊達ではなかった。威張り散らすしか能の無い痩躯ごとき、その気になれば一振りで絶命させることも容易たやすいだろう。その気であれば・・・・・・・


「シネ」


 タオは腰を低く落とし、なおも追撃を加える。

 今度は肩だった。短い悲鳴をあげ、ハンチョウはさらに身を縮める。亀のような姿勢になったところで背中を踏みつけられ、情けない泣き声を漏らして潰れる。


「ヒィ……。うゥ……ゆ、ゆるして」


 後頭部にステンレスパイプの一撃。

 両手で頭を抱えていたため、ダメージは手の方に大きいだろう。絶叫に近い悲鳴を放ち、ハンチョウがごろごろと床を転げ回る。


「シネ」

「シネ」

「シネ」


 悶え苦しむ痩躯の身体へ、タオは次々と打撃を与えていく。

 しだいに腕に力が入り、振りかぶる高さも振り下ろす速度も増していった。胴体、脚、腕、背中、頭。打ちつける場所を選ばない。血のついた金属のパイプが徐々に歪んでいく。滅多打ちであった。


 やがてハンチョウの身体がぴくりとも動かなくなる。

 床も壁も、タオのクリーンスーツも血にまみれていた。狭い室内に暴力の名残なごりが蔓延してくさい。ひどい惨劇の後だった。


 我に返ったタオはなかば呆然としながらも不思議に思う。


 誰も来ない。


 深夜とはいえ。

 廊下ひとつ挟んだ部屋では複数の人間が働いている。

 凄まじい悲鳴も、人体を打つ派手な音も。

 部屋の外遠くまで届いているはずなのに。

 

「アハ。アハハ。アハハハハ」


 口から漏れ出た笑いが止まらなくなる。


 なんのことはない。

 ハンチョウによるパワーハラスメントは公然と黙認されていて、誰も関わりたくない。それだけのことなのだ。相手は現場を仕切る暴君である。下手に触れて怪我をしたくない。


 なにか問題が起きても知ったことではない。

 自分の身に災厄が降りかからなければそれでいい。


 仮にハンチョウがやりすぎて・・・・・タオを殺してしまっても、自分の責任ではないから関係ない。

 そう思うだけの連中なのだ。


 まして、タオは外国人である。

 暴君の機嫌を損ねてまで、その身を案じてくれる者などいるはずもなかった。


 ……いや。

 ひとりだけ、いた。


「ドウマ、サン……」


 泣き笑いの表情を浮かべたまま、タオはクリーンルームを後にした。


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