02 『外国人技能実習生』
タオは疲れていた。
今夜も疲れていた。
昨夜も、疲れていた。
……明日もまた、疲れていることだろう。
コンベアの上を流れてくる機械部品に、機械工具を用いてさらに部品を取りつけていく。今夜だけで何百繰り返したかわからない。何の部品なのか知らないし、もはや興味も失せていた。
こんな作業はもうたくさんだ。
もう終わりにしたい。
抜け出せない悪夢の底でがいているような毎日だった。
故国に帰りたい。
田舎の農村で過ごす、ひどく暑い日々が恋しかった。
肌を
明日に絶望しかないと、故郷を飛び出してきたはずなのに。
タオがこの国に渡ってきたのは1年ほど前のことである。
外国人技能実習生という立場で、それは
母国とは違い、
先進的な技術を身につけて母国に帰り、活躍できればいうことはない。それが上手くいかなくても、貯めた金銭を元手に何か事業をはじめてみてもいい。まだまだ若いのだ。可能性はいくらでもある。なんなら就労ビザを取得して、この国で働き続けるのもアリだ。異国の地でいい娘を見つけ、結婚、なんてことも……。
結局は、夢だった。
18歳の青年が心に描いた将来は、甘く淡い夢に過ぎなかった。
異国の地に赴いて1年。
貯蓄は限りなくゼロに近く、生活も楽ではなかった。
仕事で得た稼ぎの大半は故郷への仕送りで消えてしまう。それも大した額ではない。手元に残った
賃金は当初の契約通りに支払われている。
労働者と等しい額面の給与、そこにも嘘はなかった。
しかし、給与明細に記載された額、そのすべてをタオが手にできるわけではない。
NPOを名乗る怪しい団体が給与の大部分を持っていってしまう。
外国人が実習生として働くための煩雑な手続きの代行を行う、その対価だというのが連中の言い分だった。
たしかに入国から就職まで、団体の世話にはなっていた。
身元の引き受け、保証人、銀行口座の開設、そして住居の手配にいたるまでお任せだったことは否定できない。タオはほとんど身ひとつで渡来し、働きはじめることができた。
とはいえ、明らかに不当な搾取である。
食い物にされていることは、無学でこの国の常識に疎いタオにも理解できた。
納得などできない。
受け容れることなどできない。
だが、なにもかも管理されている身としては、関係を断ち切るのも難しい。
そもそもが真っ当に働く若者の上前をはねようという悪質な組織なのである。
それならと当局に訴えたくともタオにはその手段がなかった。
まず言葉の壁がある。どこに訴えれば話を聞いてくれるのかも解らない。役所に行ってみても門前払いである。言葉がわからないなら代わりに話のできる保証人を連れてこいという。その保証人の不正行為を訴えたいというのに。
あげくの果てに、結局は
文句があるなら母国に帰ればいいだろうと。
人手不足だというから働きに来たのに、この国の人間はどういうわけか外国人を憎んでいるように思えた。
「おい! 取りつけが甘いよ、このやろう!」
罵声とともに、いきなり後頭部を叩かれる。
いつものことだった。クリーンスーツに赤いバッチをつけた細身の男。いつも甲高い声で怒鳴り、タオを小突いたり叩いたりする。言葉が通じないから身体に教えてやるのだと
タオの働く部署を仕切る工程の
パワハラ。外国人差別。暴行。
抗議したこともあるが何も変わらなかった。
現場責任者であるハンチョウの横暴は黙認されている。この国の言葉を満足に扱えず、仕事も半人前のタオの訴えなど誰も取り合ってくれはしない。見てみぬふりである。
人としての尊厳も何もあったものではなかった。
技術を教わるどころではない。
技能など身につけようもなかった。ごく単純な作業だけを命じられ、それすら手順や注意事項を教えてはもらえない。いきなり現場に放り出され、ミスをしたところで怒鳴られ叩かれる。
これでは下僕、いや、奴隷以下の扱いではないか。
怒りに打ち震えたところで、現状を変える力がタオにはなかった。不当な仕打ちに耐えることしかできない。そんな毎日が続けば心が弱っていくのも当然である。いつしかタオは卑屈な態度をとることしかできなくなっていた。
悪夢。
現実は、悪夢そのものだった。
足掻いても抜け出すことのできない、覚めることのない悪夢……。繰り返される理不尽な日常は精神を蝕み、生きる活力を奪っていく。明日に希望を見いだす余裕などありはしなかった。
……こんな国に、来るのではなかった。
甘い言葉に騙された過去の自分が情けない。19歳にして、タオは自分の人生に後悔しか見いだせなかった。
「タオ。おい、タオ」
はっとして振り返ると、特大のクリーンスーツが視界を覆った。
「交替の時間だよ。休憩に入って」
「ア、アア……ドウマ、サン」
同僚のドウマ、というオジサンだった。
背は低いが、身体は異常なほど分厚い。全身を薄青色のクリーンスーツに包まれていても体型で遠くから判別できる。歩く姿にも存在感があり、お世辞にも機敏な動きには見えなかった。あまり要領が良いタイプではないのだろう。タオほどではないが、よくハンチョウに叱られていた。
「だ、大丈夫か? ずいぶん、疲れてるみたいだけど」
作業を交替しつつ、ドウマが訊ねる。
声色から心配してくれているのが伝わってきた。この国の言葉に堪能でないタオのために、ゆっくりとした会話を心がけてくれていることも。
「ヘ、ヘイキ、ダヨ。アリガト」
この工場で気遣ってくれるのはドウマだけだった。
タオの名前を覚え、呼んでくれるのも。タオを対等の人間扱いしてくれるのも、ドウマだけだ。ほかの者は「おい!」とか「こら!」という乱暴な口調や罵声でしかタオを呼ばない。
「また、痩せたんじゃないか? ちゃんと、食べてるか?」
「ウ、ウン。ダイ、ジョウブ」
言葉のひとつひとつが暖かい。
嬉しかった。
ちょっとした気配りが、泣きたくなるくらい、嬉しかった。
誰も彼もが冷たい異国の地で、いまやドウマの存在は救いだった。
もっとドウマと話したい。
タオの話を聞いてもらいたかった。ドウマの話を聞かせてもらいたかった。他愛もない会話をしてみたかった。
それは簡単なようで難しい。
ドウマは派遣工なのである。
非正規雇用という立場は似ていても勤務シフトが違う。休憩時間は異なり、また勤務時間も休日も微妙に外れている。連れだって食事に行くことすら容易ではない。無理に時間を造ってもらってまで誘うのも申しわけない気がしたし、断られるのも怖かった。
「ほら。早く休憩に入らないと、またあの
「ウ、ウン。行ッテ、クル……」
いつか、ゆっくり話してみたい。
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