第10話

スミスの話からこの件は俺達では無理だと判断したキアラはすぐにギルド長に伝えるべく走って行った。

その際「よく話してくれました」とスミスをそっと抱きしめ頭を撫でていったのだが、ややしてスミスが「…野郎にやられても嬉しくないな」と言って俺達に笑われた。

スミスは強がっていたし、俺達だって表面だけでしか笑っていない。

でも、まだ15歳に過ぎない俺達は互いにそれ以上のことはできなかった。

「まあ、今回は初めての依頼なんだし、無難にビッグボアでも狩ろうぜ」

俺は気持ちを切り替えるため、改めて依頼を選び直そうと皆とボードを見る。

さっきまではつまらない物足りないと思っていたそれが、今ではとても安心できる身の丈に合ったものだと思えた。

「ごめぇん、スミス君と、レィヴァン君もちょっと来てもらっていいかなぁ?」

しかし俺とスミスはすぐに戻ってきて階段の途中から叫ぶキアラによってギルド長室に呼び出されたため、初の依頼は銀級トリオだけで頑張ってもらうことになった。

「ま、俺らのことは気にすんなよ」

「チームでの初依頼はお預け、だな」

「さくっと終わらせてきますね」

そう言ってバートンとエレリックは引き千切る勢いで取った依頼書を持ってカウンターに向かっていたケニスを追って行く。

彼らは俺の提案通りビッグボアの討伐依頼をすることに決めたようで、俺はそっと胸を撫で下ろした。

それだけスミスの話は俺達の心に深く残ったのだ。


「せっかくの初依頼を邪魔してすまんな。だがお前の話は今まで得たどれよりも危険度が高い。早急に確認するためにも辛い記憶だろうが知っていることを全て教えてほしい」

ギルド長室に入った俺達を迎えたのは大きな執務机に座ったギルド長ヒューゴとその両脇に立つキアラとキャリード先生で、その奥にあるソファにはさらに見たことがないおじいさんとおじさんも座っていた。

その二人は言葉を発することもなく、ただじっとスミスを見つめている。

誰なのかはわからないが、妙に胸が騒ぐ目だった。

「わかりました」

スミスは2人に目を遣りつつギルド長の要請に応えると一歩前に出て息を吸い、吐き出すと共に真っ直ぐに前を向いて話を始めた。

「あれは俺が8歳の時です。その日は妹の6歳の誕生日で、ピクニックに行きたいという妹の願いを叶えるため、数人の使用人と共に家族で出掛けました」

スミスはそう言ってギルド長室の壁にあった地図に近づく。

「向かった場所はここだったと思います。今回の騒ぎがあった山の峰を挟んで丁度反対側。俺達家族はここへ行きました」

そう言って彼が地図上で示した場所は依頼書に載っていた山の反対側の、大きな湖がある辺りだった。

「昼になり、俺達は持ってきた軽食を食べようと湖の畔に腰を下ろしました。するとどこからか頭に大きな布を巻いた大きな人がやって来たんです」

スミスはぐっと拳を握る。

辛い記憶を呼び起こすのだ、耐えるためにはどうしても力が入ってしまうのだろう。

「そいつは害意はないというように顔も判別できないような遠くから「もし食べ物が余っていたらわけてほしい」と声を掛けてきました。突然でしたので父と執事がどうするかと目を見交わしていたのですが、その間に妹が「じゃあ私の分をあげるよ」と真っ先にそいつに向かって走って行ったんです」

ぐぐっと握られた拳にさらに力がこもる。

俺はそれが痛々しくて見ていられなくて、そこから視線を逸らしてしまった。

「多分誕生日だったこと、家族で出掛けたこと、自分が人の役に立てること、全部が嬉しくて、テンションが上がっていたんだと思います。俺が止める間もなかった。そして、そいつのもとに辿り着いた妹が言ったんです。「あれ?お兄ちゃんのお顔、なんだか不思議だね」って。俺がおかしいと気がついたのはその時でした」

たっ、と何かが垂れる音がした。

それは本当に小さな音だった。

「その瞬間、そいつは人間にしては大き過ぎる口を開けてにたりと笑うと、妹の手を掴んでそのまま体を持ち上げました。そして目の前にあった妹の足を根元から噛み千切った…!」

『っ!』

覚悟していた話ではあったが、全員が思わず息を呑む。

たたっ、たっ、たたたっと何かが垂れる音が増えていく。

「妹は悲鳴を上げ、暴れました。でもそいつが手を離すことはなくて、そいつは叫ぶ妹の横で噛み千切った足を咀嚼して飲み込んだ。そこで俺はようやくショックから目を覚まして妹に駆け寄ろうとした。けど」

たたたたたっと増えた音が連続する。

それが絵の具を滴らせたような、少し粘着感のある音だと気がついて、気になった俺は正体を探ろうと辺りを見回した。

「あいつが背中にたたんでいたらしい羽を広げた。たったそれだけで俺の身体は吹っ飛んで後ろにあった木にぶつかりました。そしてその風であいつの頭にあった布が取れたんです」

見回した室内に音の正体は見当たらなかったが、不意にそれがすぐ下から聞こえていることに気がつく。

「そこには大きな二本の角がありました。あいつは突然の痛みに悲鳴を上げる妹に向かって「うるさい」と言うと、妹の喉をその角で貫きました」

俺は自分の足元を見てみたが、当然ながらそこには何もない。

「妹は一瞬びくりと動きましたが、すぐに動かなくなりました。そして俺の意識はそこで途切れてしまった…」

けれど視線をスミスの足元に移せば、そこには赤い水たまりがあって、上から赤い雫が幾つも垂れてきていた。

「スミス!!」

視線を上げればやはりその雫はスミスの握られた手から垂れている。

手のひらに爪が食い込むほどに握りしめられた、まだ15歳の少年の小さな拳から。

真っ赤な血が。

「馬鹿、手を開け!」

事態に気づいて焦る俺の声にようやく大人たちもスミスの手元に気がついた。

向かい側にいた彼らからは執務机で死角になっている位置だったらしい。

「ちょっと見せなさい!」

血相を変えて駆け寄ってきたキアラが傷を見ると顔を顰め、すぐに回復術を掛けてくれる。

「…普通、人体の構造上こんなに強く握るなんてこと、できないんですけどね…」

彼は回復術の光に照らされたスミスの小さな手を痛ましい表情で見つめると、そっと両手で包み込みながら呟いた。

ちらりと見た傷口からは白いものが覗いていたから、腱か下手すれば骨にまで達していたのだと思う。

確かにそんな深く自傷するなど、普通はあり得ない。

キアラの言葉に「そんなになるまで気づけずすまなかった」とギルド長が深く頭を下げるが、スミスは小さく頭を振って、治療が終わるまでは口を閉ざしていた。


治療が終わった後、スミスはキアラに礼を言い、元通りになった手を閉じたり開いたりしながら再び口を開いた。

「俺が意識を取り戻したのはそれから三日後でした。最後まで見ていた両親や使用人の話によると、そいつは妹を殺した後にこう言い残したらしい」

『我が名はドライガ。魔を統べる黒龍なり。我に向かってきたそこの矮小なる小僧に伝えよ。我を倒したくばいつでもここへ来るがいいと。我は逃げも隠れもしない。ただこの地でお前が再び来る日を待っている、と。…いや、期限を決めねばつまらぬか。そうだな、人間の時間で10年としよう』

「奴はそれだけ言うと妹の身体を持って飛び去って行ったといいます」

そう言ってスミスは顔を歪めた。

「何故あいつがそんなことを言ったのかはわからない。けれど俺がそいつに呼ばれていることは確かで、期限はまだ先だけど、もし今回のことが痺れを切らした奴の誘いなんだとしたら、俺が弱いせいで、関係ない人が死んだかもしれなくて、そう思ったら…」

スミスは今度は服の胸元を掻き抱き、ぎゅうっと握り込むように背を丸める。

それは15歳の少年が背負うにはあまりにも重すぎるものだった。

彼はちっとも悪くないし、何の責任もないはずなのに。

まるで自分の前世の理不尽な不幸を見ているようだった。

「スミス…」

「俺は早く、今よりもっと強くならなきゃいけないんだ…」

俺はそんな彼の姿を見て、言い知れぬ歯がゆさを感じた。

そしてこの辛い経験が彼をC級にまで押し上げてしまったのだと理解した。

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