第6話
「いやー、爽快爽快っと」
あの地獄のような空気をものともせずに配布物を配り、明日の予定などを伝え終えた先生は「解散」と言って今日の説明会を締めくくった。
そして全員が逃げるように教室から出て行った後、残った俺とスミスはゆっくりと帰りの準備をしている。
「俺は胃が痛い…」
そこに並ぶ俺たちの顔は対照的で、スミスは「ざまぁ見曝せ」とすっきりした顔だが、俺は明日からの学園生活を思って今にも不安に圧し潰されそうな顔だったんじゃないだろうか。
教室に入った時の憂いのない気持ちが懐かしい。
今すぐあの頃に戻りたい。
「人の名前を馬鹿にするような奴らだぜ?今回のことはいい薬になったろ」
お前はなんも悪くねぇよ、とスミスは慰めるように俺の肩を叩くが、俺の気持ちはまだ切り替わらない。
「別に名前をなんて言われても俺は気にしないのに…」
名前についてあれこれ言われるのなんて、それこそ前世からだし、今世で馬鹿にされたところで今更何とも思っていなかった。
むしろスミスがあんなに怒ったことの方が驚きだった。
あの時ケニスが言った通り、俺の名前は直訳すると『千里光る道』。
だからどうしたというような意味のそれは当然ながら一般的な名前ではなく、天啓を受けた時は両親も老司祭も首を捻ったという話を聞いた。
何故前世の俺の父親がそんな名前を俺につけたのかは謎だが、わざわざ転生してまで知った意味がそれだった時の俺の気持ちを誰か察してほしい。
可能なら閻魔大王に「そんな意味なら勿体ぶらないであの場で教えてほしかった」と文句を言いたいくらいだ。
「いや気にしろよ」
しかしスミスはそんな俺を叱るように険しい顔を見せる。
「神様がわざわざお前にその名前を付けた意味、そしてそのお前が神級の勇者である意味、ちゃんと考えたことあるか?」
「…え?」
俺は彼のそんな態度や言葉がまたしても予想外で、やや反応が遅れてしまう。
俺がこの名前なのは前世での父がそう付けたからで、その意味を閻魔大王に問うた結果。
神級の勇者なのは前世の不幸に対するお詫びの幸運が強すぎた結果。
俺の中の真実はそれだけなので、その意味や理由について深く考えたことなどなかった。
「って言っても、俺は神様じゃないから正確なところはわからないけど」
スミスはそう前置きをして小さく咳払いをすると、「いいか?」と人差し指を立てる。
「光る道っていうのはきっとこれからお前が進むべき道で、神様に名付けられた神級の勇者であるお前が進む道は神の道とも言える。そしてそれが千里続くってことは、お前がこれから進むべき道はそれくらい長いってこと…だと思う」
腕を組んで悩みながらスミスは言葉を選ぶように俺に名前の意味を読み解く。
なんとなく彼の言わんとすることはわかるので、俺はそれに頷いた。
「で、だ。そんな風に広く活躍する勇者って、最早御伽噺の英雄だろ?」
「…そうだな?」
実際他に存在した神級は『導き手』というその時にしか存在しなかった称号を持つ人ただ一人で、その人が各国の動乱を静めて今の地理ができたと言われている。
それは彼の死後に英雄譚として御伽噺となり今日まで飽きることなく語られているわけだが、確かに同じ等級の俺は同じくらいの偉業を成さなければならない、のかもしれない。
……そう考えると気が遠くなりそうだな。
「だからきっと、神様はお前にそんな英雄になってほしくてその名前を付けたんだと、俺は思うんだ」
スミスは自分の推論を言うと恥ずかしそうに頬を掻く。
頬には掻いたせいではない赤味が差していた。
「つまりはお前は生まれながらの英雄候補ってことだろ?俺はそれが羨ましいと思ったし、その名前もめちゃくちゃ恰好いいって思ってるんだよ。だからお前もそう思えよ!」
スミスはやや乱暴にそう言うと、柄にもないことを言ってしまったと思っていそうな顔を俺から背けて「ほら、もう行くぞ」と鞄を担いで教室の出口へ向かっていった。
ドスドスという態度の割には行儀の良い彼らしくない足音が徐々に遠くなっていくのが耳に届く。
「……ああ」
だが俺はすぐには動けそうもない。
音を立てて歩くその背がゆらゆらと揺らぐのも仕方ない。
だって、俺は自分の探し求めていた答えを見つけたのだから。
もちろんスミスの推論が正しいと決まったわけではないし、父と同じ思いなのかもわからない。
でも、もしそうなら嬉しいし、そうであって欲しいとも思う。
俺はこの日、自分の名前の本当の意味を知った気がした。
「ありがとな、スミス」
その俺の声はすでに廊下にいる彼にはきっと届いていない。
距離もあるし涙を堪えることで精いっぱいで、くぐもって揺らぐ聞き取りにくい音だったから。
それでも俺の思いはちゃんと彼に届いている。
そう信じて見えなくなった背に俺は黙って頭を下げた。
翌日、教室に入るなりあの三人が駆け寄って来て、
「「「昨日は本当にすいませんでしたー!!!!」」」
と、見事な土下座を披露し、同調してその場にいたスミス以外のクラス全員も一斉に土下座した光景を俺は忘れない。
そして隣で涙を滲ませて大笑いしていたスミスの顔も。
「おら席につけー……、何してんだお前ら」
気だるげに教室に入ってすぐに目についた生徒たちの奇行に驚いた顔をしたものの、俺やスミスを見て納得した顔で「じゃあいいわ」と欠伸をしたキャリード先生の暢気な顔も。
「お、お願い、呪わないで…!!」
「手下にでもなんにでもなるから!!」
「い、命だけは…!!」
やっと顔を上げたと思ったら涙と鼻水まみれの顔で懇願しつつ襲い掛かるゾンビのような動きで俺を掴まえようとする三人の顔も、なにもかも。
俺はきっと一生忘れない。
「カオス!!!」
そして心から叫んだこのセリフも、俺は千里の道を走らなければならない人生で、決して忘れはしないだろう。
何故なら今から約30年後、銀級の賢者として有名になったエレリックがこの時のことを本にして出版して、それが世界的ベストセラーになったからだよ!!
俺は忘れたかったのに!!
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