第4話

「じゃあ行ってきます」

「気をつけてね」

「たまには帰って来いよ」

「にゃー」

「うん!お土産も持ってくるから」

12歳になった俺は国からの招集に従い、王都にある国立騎士学園へ入学するために家を出た。

俺が育った街は王都から少し離れた交通の要衝となっている街で、栄えてはいたが規模としては中程度の街だったらしく、国立の学園は一つもなかった。

そのため「どうせなら王都の一番大きな学園に通えばいい」と俺の愛剣を持ってきた王都の役人がまたやって来て両親に説明していた。

よくよく聞けばその人は国の宰相補佐をしている人だそうで、爵位は伯爵という結構なお偉いさんだったことがわかって俺は少し慌てたが、たかだか12歳の少年の行動に目くじらを立てるようなこともなく、その人は用件を済ますとさっさと王都へ帰って行った。

だが王都へ着いたら真っ先にその人の元を訪ねるように言われていたので、俺は数ヶ月ぶりに伯爵と会うべく、地図を頼りに王都の街を歩いた。

王都の形は特徴的で、縦長の街の一番奥に王城があるのだが、その後ろには断崖絶壁と海が広がっている。

そしてその絶壁から続く海岸と山が王都の両横に広がっており、街の入口は王城と反対端の一カ所しかない。

つまり王城に行こうとするならば縦長の街を縦断するしかなく、渡された地図の目印のすぐ近くに王城が書かれているということはつまり、その道のりを踏破しなければならないということで。

「つ、疲れた…」

俺が目的の屋敷に辿り着いたのは王都に入ってから半日も経ってからだった。

「知らなかったとはいえ、素直に辻馬車にでも乗っておけばよかった…」

街の入口で運よく客待ちの辻馬車を見掛けたのだが、観光がてら歩いていこうと思ったのが間違いだった。

「緩やかでもずっと上り坂はマジでキツいって」

その傾斜のために街の入口からでも王城が見えていたためそんなに遠いと思わなかったことと、王城がでかすぎて遠近感が狂っていたことが失敗の原因。

お陰で足がパンパンだ。

石畳で舗装された道を長時間歩くには山道とはまた違ったコツが必要らしい。

まあ、それがわかっただけでも無駄ではなかっただろうと前向きに考え、俺は目の前の「本当に個人の家?劇場とか公共施設じゃなくて?」と言いたくなるほどの巨大な屋敷を見上げる。

俄かには信じられなかったが、ぐるりと見回せばここは高級住宅街なのか、どこの家も似たり寄ったりの威容を誇っていたため、間違いではないはずだ。

俺がいた街のどの建物よりも大きい個人の家々か…。

まるで別世界だなと思ったが、そもそもここ異世界だったと埒もないことを思う。

俺は伯爵から送ってもらった紹介状を手に、屋敷に見合うだけの巨大な門の前に立つ衛兵に声を掛けた。

「すみません」

「…ん?」

「デイモンド伯爵のお家を探しているのですが、こちらで間違いないでしょうか」

いきなり紹介状を渡して「いやこれお隣さんだよ?」とか言われても恥ずかしいので、俺は目指していた家が本当にこの家で間違いないのかをまず確認する。

それに対して衛兵は若干訝しがりながらも「そうだが、君は?」と返してくれたので、手に持っていた紹介状を渡した。

「グラリアから来たレィヴァンです。デイモンド伯爵に王都に着いたらこちらを訪ねるようにと伺っています」

同時に出身地と名前を告げ、彼と知己であることも伝える。

12歳にもなって名前も名乗れないような礼儀知らずと思われたくないし、ただふらっと来た子供でないこともちゃんと伝えないと、後できっとこの人が罰せられてしまうと思ったから。

「…なるほど、君が旦那様の仰っていた神級の勇者か。その辺の悪ガキ共とは違って礼儀正しいし言葉もちゃんとしている。親御さんの教育がよかったんだね」

衛兵は紹介状を確認して一瞬相好を崩すと、すぐに背筋を正し、

「ではこのオレリアンがすぐに旦那様に確認して参りましょう!…少しここで待っていてくれるかい?」

そのままぱちりとウインクをして俺に言い置き、踵を返して門の中に消えていった。

……いい歳こいたおじさんがウインクはどうかと思うよ?

俺はそんな一言を漏らさないために全身の神経を口に集中させて耐えなければならなかった。


「レィヴァン君、待っていたよ」

5分と待たされずに門にはオレリアンを伴ってデイモンド伯爵本人がやって来た。

たまたま家にいたのだろうが、将来有望とはいえ12歳の子供相手に伯爵自らお出迎えって。

好待遇が過ぎて逆に恐怖を感じる。

俺まだ何の実績もないんだけど…。

「陛下からも宰相閣下からもくれぐれもよろしくと頼まれているからね。迎えに行こうか迷ったが無事に辿り着いてくれたようで安心したよ」

伯爵は俺の姿を上から下まで確認して胸を撫で下ろすと、「疲れただろう?」と俺を労いながら屋敷に通してくれた。

俺は三日後に行われる王立騎士学園の試験を受けて合格後は寄宿舎に入る予定だが、それまでの間はこの屋敷で客人としてお世話になることになっている。

だからだろうか、屋敷の扉をくぐるとずらりと並んだメイドや侍女、執事やコック、庭師、馬屋番などのこの屋敷で働いている人が勢ぞろいしていて、俺に向かって一斉に頭を下げた。

役職や役目に関係なく大人数が一糸乱れぬ動きで頭を下げたのにも驚いたが、『いらっしゃいませ』の声が完璧に揃っていたことにも驚いた。

貴族の屋敷で働くにはこれくらい余裕で熟せなくてはいけないということかと思ったが、あまりに綺麗に揃い過ぎたそれに伯爵ばかりか本人達までもが顔を見合わせて驚いていたから、きっと今日この瞬間だけの奇跡だったのだと思われる。

まさかとは思うが、これも俺の幸運の力だったりするのか…?

一体何の役に立つかはわからない奇跡だったが、確かに奇跡は奇跡だ。

「……あ、あー、こほん」

ざわついた空気と自身の気持ちを落ち着かせるために空咳をした伯爵は、居並ぶ執事の中から俺と同い年くらいの少年執事を手招く。

「彼はスミス、君の世話を担当することになっている」

伯爵は彼の肩を掴むと、再び空咳をし、

「詳しいことは言えないが、この子は他家から預かっている貴族の子だ。だから君が学校に入った後も同級生として君を手助けしてくれるだろう」

と言ってその肩を俺の方にずいっと押しやった。

「スミスです。よろしくお願いします」

それが促しだったのか、彼は俺に挨拶をするとにっこり笑って手を差し出す。

位はわからないが、貴族が平民に対してそんなことをするとは思わず、俺は焦った。

「し、失礼しました。私はレィヴァンと申します。お世話になります」

確か貴族の世界では下位の者から声を掛けてはいけないが、下位の者が先に名乗らなければならないという決まりがあったはずだ。

今は公式の場ではないが、貴族と平民であればどんな場合であれルールは絶対のはず。

なのに俺は彼に先に名乗らせてしまった。

これじゃあ貴族が多く通う騎士学園での先が思いやられる。

「違いますよ」

「え?」

そう思っていると、スミスはくすっと笑って俺の手を取る。

「確かに僕は貴族ですが、今はこの家の執事見習いで貴方はお客様です。ですから、謙る必要はないのです」

だから俺が後に名乗っても問題ないと、彼はそう言ってくれているのだろう。

伯爵もその通りだと後ろで頷いてくれている。

「…ありがとうございます」

俺は彼の気遣いに感謝し、改めて彼の手を握った。


三日後、俺はスミスと共に騎士学園の入試に来ていた。

そういえば伯爵の言葉を普通に受け入れていたが、俺が落ちてスミスが受かった場合、もしくはその逆が起きた時、俺たちはどうすればいいんだろうか。

なんとなく気になって、というか俺が落ちた場合が気になって俺はスミスに訊ねた。

「大丈夫ですよ。僕も一応、適性は金級の魔術師ですから」

「え!?」

するとスミスは今までで一番のいたずらが成功したような顔で俺にそう言って、心配は無用だと教えてくれた。

それであれば確かにどっちになっても問題ないだろうが、じゃあなんでデイモンド家の執事に…?

俺の疑問は口に出さずとも顔に出ていたのか、スミスは「ぷっ」と吹き出すと、

「ただの行儀見習いですよ。僕は三男なので」

そう言って二人分の受験票を取り出し、受付に提出する。

そして確認の判子が押されて返って来たそれの一枚を俺に渡すと、

「だから、同級生になったら口調も態度も素に戻すつもりですから」

驚かないでくださいね、と言って俺の緊張をほぐすように朗らかに笑って見せた。


それから一週間後。

届いた結果通知には、二人とも無事に合格した旨が記載されており、俺たちは晴れて騎士学園の生徒となった。

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