リハーサル抜きの本番です
東の空に顔を出した太陽が街の隣にある窪地を照らし、四隅に設置された封印柱が長く黒い影を地面に描いている。そこはまるで時が止まり、すべてが忘れさられたかの様な場所だった。
私たちはまだ肌寒く感じる朝の気配の中、その窪地へと降りる階段を下っていく。そしてその中心にある大きな石が組み合わさり、巨大な神殿のようになっている場所の前へと進み出た。
私の目の前にその石の間にぽっかりと開いた黒い隙間が見える。どうやらそれが迷宮の入り口らしかった。
下の階層に潜る人たちは既に中へ入ってしまったらしく、辺りには私たち以外は誰もいない。朝の到来に、近くの森から羽ばたく鳥の鳴き声だけが響いているだけだ。
「上層階は空気の流れが十分にありますから、今日は魔法ではなく松明の明かりでいきます」
そう告げると、アルバートさんは背中の装備から松明を取り出して、それを私以外のメンバーに渡した。どうやら今日の私は完全にお客様扱いらしい。私たちは松明に火をつけたトニオさんを先頭に、漆黒の闇の中へと足を踏み入れた。
外よりもさらにひんやりとした空気が迷宮の奥から流れてくる。その時だ。急に背中を何かぞくぞくとしたものが通り過ぎて行った。間違いない。これは悪い予感と言うやつだ。それに気のせいだろうか? 何度かこれと同じものを感じたことがあった気がする。
「アルバートさん」
「なんでしょう?」
松明の黄色い光の向こう側で、アルバートさんが私の問い掛けに応じてくれた。
「この迷宮は生きている奴ですか? それとも死んでいる奴ですか?」
私の質問にアルバートさんが怪訝そうな顔をした。
生きている迷宮というのは、迷宮を発生させている力によりその中が絶えず変化しているやつだ。つまり死んでいる迷宮なんかよりはるかにやばい奴であり、同時にその最奥にはその力の源泉たる核がまだ眠っていることを示している。
前にいたミストランドの周りには生きている巨大迷宮がいくつかあった。私が感じたやばい予感は生きている迷宮の脈動ではないだろうか? だとすれば、これはアルバートさんが言った、案内ついでの簡単な潜りとは全く違うものだ。だけど、アルバートさんはあっさりと首を横に振って見せた。
「ここはミストランドじゃないですからね。もちろん死んだやつですよ。もっとも現在解明されているのは、31階層まででまだ誰も最下層までは到達していません。ですが最深部にたどり着いたのは、私たち碧き誓いです」
そう言うと、アルバートさんは少し誇らしげな表情をして見せた。そうか死んだ奴なのか。だとすれば、さっきのぞくぞくした感じは何だったのだろう? 単なる私の武者震い? きっとそうに違いない……。
私はアルバートさんに頷き返すと、闇に慣れてきた目で辺りを見回した。それは石造りでできた通路になっており、木材などで必要な補強もされている。迷宮というよりはやはりどこかの神殿といった佇まいだ。
確かにアルバートさんの言う通り、何も気にする必要などないのだろう。
「なんだこれ。本当に迷宮なのか? どこかの廃屋の地下室の間違いじゃないのか?」
迷宮に入っていくアイシャ達を見送ったフリーダが、呆れた声を上げた。
「フリーダ、これが普通だ。お前は単に無知なだけだから見逃してやるが、そんな上から目線の発言を続けていると友達をなくすぞ」
「友達? なんだそれ? アイシャみたいなものか?」
フリーダの質問に、アルフレッドは大きくため息をついた。
「お前たちには関係のない話だろうが、普通はとっても大切なものだ。それに大抵の人間は迷宮なんかに近寄りもしないし、冒険者だってここみたいな死んだ迷宮の、それも浅い階層に潜るのが精いっぱいなんだ」
アルフレッドの言葉にフリーダが不思議そうな顔をして見せた。
「本当か? ギルドの連中はよろこんで潜っているけど」
「旧神連中を鼻歌交じりにぶっ飛ばしたりするお前たちとは比較にならないが、
「そう言うものか?」
「そう言うものだ」
「アル、お前にしてはなかなか蘊蓄ある話をしているな」
腕組みをしたリリスが、アルフレッドに対して大きく頷いて見せた。
「リリス、お前に言われると、何のありがたみも感じないのはなぜだ?」
「アル、お前は我を馬鹿にしていないか?」
「俺の心臓が動いている限り、間違ってもそんなことはしない。それよりあれはなんだ? 少しばかり男にちやほやされたからって、相当に舞い上がっているぞ」
アルフレッドの発言にエミリアがおやっという顔をして見せた。
「あら、やっぱりアル君としても妬けたりする訳?」
「そんなんじゃない。荷物も持たされないということは、自分がどれだけ危険な立場なのかという事を全く理解できていない。それにも気付けないほど舞い上がってやがる」
「そうか? アイシャに荷物を持たせるお前の方がよほどに酷くはないか?」
フリーダの台詞に、アルフレッドは大きく首を横に振った。
「単にちやほやしてどうする! 先でより大きな苦労をすることになるだけだ。それについて言えば、お前たちだけでなくここにいる俺も同罪だな」
「アル君、そんな自虐的な発言をするなんて、やっぱり糖分が足りていないんじゃない? そんなことより、渡した台本はちゃんと読んだの?」
そう告げると、エミリアはアルフレッドの横腹を手にした紙の束、それも何やら文字がびっしりと書き込まれたもので小突いた。アルフレッドはそれをサラリと避けながら、自分が手にした紙の束へ視線を落とすと、それをうんざりした表情で眺める。
「エミリア監督、一つ聞いていいか?」
「アル君、なにか?」
「百歩譲って演出用に台本があるのはいい。だけど、どうしてそこに俺の台詞があるんだ? 俺たちはあれに気づかれないように、そっと後をつけているという理解であっているよな?」
「もちろんよ。それに今回は台詞にも凝らせてもらたったわ。決め台詞がなかったら、ちっとも盛り上がらないでしょう?」
「盛り上がりってこれか? 『アイシャ、君はなんて素晴らしい女性なんだ。自分の全てを、この世の全てを捧げてもま、だその素晴らしさには遠く及びはしない。君を一目見た時から、ずっと君だけを見つめていた。 ここで全員で大拍手』」
そう読み上げると、アルフレッドは紙の束をエミリアに突き付けた。
「どうしてこんなあほな台詞を、俺があの小娘に言わないといけないんだ!」
「あら、今のとっても上手だったわよ! なんの問題もなしね」
パチパチパチ
アルフレッドの背後でフリーダとリリスが拍手をして見せる。
「お前たち、一体何に対して拍手をしているんだ?」
「普通にうまかったぞ」「なかなか様になっていた」
「流石アル君ね。でもアイシャちゃんの前にアル君が出て行って、それをやれとは言っていないわよ。別に自分で言いたいのなら言ってもいいけど?」
「誰が言うか。それよりもエミリア、どういう意味だ?」
「あの坊やたちの口を借りてしゃべるの。ほら、私たちがやると、どうしても女言葉のアクセントが出るから、ここはアル君の出番というわけ」
「はあ?」
「じゃ、みんな台本通りでよろしく。アル君の台詞についてはもっと盛り上がれそうなら、アドリブも有りよ。それとリリスちゃんは大道具の準備、特にタイミングを合わせるのに注意して。それにフリーダは脇役たちの制御ね」
「よいぞ」「了解した!」
エミリアは二人に頷いて見せると、錫杖を前へ掲げた。
「その魂を求めて彷徨いし者たちよ――」
「おい、エミリア! なにを死霊術なんて唱えているんだ?」
「ちょっと、アル君。術の途中で声を掛けないでくれる? 気が散るでしょう」
「文句を言いながら並行思考で術を続けるな。俺は無意味なことはやめろと言っているんだ。そもそもどこにも対象なんていない」
「いるわよ、ほらそこ」
エミリアはそう言うと、迷宮の奥へと進んでいく冒険者達を指さした。
「俺の見間違いでなければ、あれはまだ生きているよな?」
「もちろんよ。アイシャの周りにそんな匂うものなんて置いておけないでしょう。そもそも死霊術というのはその肉体を制御する術だから、相手が生きているか死んでいるかなんて関係ないの。単に生きている人相手には遠慮して使わないだけよ」
そう告げたエミリアに対して、アルフレッドはその身に纏う濃紺の司祭服を指さした。
「それを禁忌と呼ばないか? それにお前は一応は司祭だったよな?」
「あら、そんな細かいこと気にしなくてもいいじゃない。それに司祭とかいうくだらないものは当の昔に破門されているから、もう関係ないわよ。因みにこの服は私の単なる趣味」
エミリアは司祭服の裾を持ち上げると、アルフレッドに対してニヤリと笑って見せた。
「では皆さん、リハーサルなしの本番です。これより開幕でーす!」
パチパチパチパチ!
エミリアの言葉にフリーダとリリスは盛大な拍手をすると、アルフレッドの方を振り向いた。
「開幕だぞ、アルも拍手しろ」
「誰がするか!」
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