回転寿司と涙
寿司は好きだが、それなりに値がはるものだ。
だから、カウンターの寿司屋というのには基本的にあまり縁がない。
回転寿司が基本である。
回転寿司の醤油には多くの場合、私の涙が混じっている。
もちろん、醤油差しに目をこすりつけたとかいう話ではない。
子供の頃、回転寿司というものに初めて連れて行ってもらったときは歓喜した。嬉し涙が出るくらいにだ。
ぐるんぐるんと回転してくるというのは見ているだけで楽しかった。
食べ物がまわっていると、それだけでテンションがあがるのが男の子というものである。
その証拠に私は中華料理屋の回転盆が大好きである。
意味もなく回したくなる。
回しすぎてこぼしたこともある。それも大人になってから。
周囲の友人たちは「黒石くんは、こういうの見るとテンションあがっちゃうもんね」と優しかった。
それくらいに男の子と回転は喜びという糸で結ばれているのである。
自分でもうすうす論理の破綻が見えているが、それは気にしない。
突っ込んでくる人がいたら、逆ギレして乗り切ろうと思っている。
成人してから一人で回転寿司に行ったのは、自分の誕生日のことだった。
そのあたりは数年間、誕生日は付き合っていた女性と過ごしていた。
その頃の私は実家住まいで、夕飯がいるかどうかというのをよく聞かれた。
ただ、誕生日については聞くまでもないということになっていた。
「◯◯さんと過ごすんでしょ?」
母の言葉に私は曖昧にうなずいた。
しばらく前に私はふられていた。
家には帰れない。腹は空く。誕生日なのだから、せめて少しでもいいものを食べたい。
私は回転寿司に行った。
皿の色を心の中で気にしながら、私は贅沢をした。
醤油に混ざるのは嬉し涙ではなかっただろう。
どういうわけか、辛いときに回転寿司に行くようになった。
一人暮らしをはじめてからも、しんどいことが続いた時、回転寿司で自分にご褒美を与えていた。
安いアラの煮付けと生ビールを頼んで、ちまちまとそれをつつきながら、頭の中でその日の予算を復習する。
そして、その枠内で何を食べるか、考えるのだ。
楽しくもあったが、みじめでもあった。
やはり醤油はしょっぱかった。
ところで、回転寿司の中にもランクめいたものがある。
ランクの高い回転寿司は職人さんが握るし、目の前で魚をさばいていたりすることがある。
カジン実家がお気に入りのところにそのようなランクの高い回転寿司店があった。
カジンと同居する前後から、その店に私も行くようになった。
初めてカジンと二人で行ったときのことは忘れられない。
私が常に皿の色を気にしながら食べている横でカジンは自由に頼むわけである。
(あ、その皿は五二〇円、それは六八〇円……)
二〇〇円や二六〇円の皿を厳選しながら私は動揺する。
自分の財布を思って涙し、自分の器の小ささを思って涙した。小皿の醤油はやっぱりしょっぱかった。
さて、今、しょっぱく感じているのは、かつての自分を考えて涙したせいか、それとも、しょっぱい話を書いたことに涙しているせいか。
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