たからかにうたえ、ひわいなうたをの巻

パフェと鼻毛

 私が通うことにした語学学校は直接教授法というのを売りにしていた。

 直接教授法というのは、学習者の母語を用いずに、学習言語のネイティヴが学習言語だけを用いて教えるというものである。

 たとえば、英語なら、非英語圏の学習者向けにつくられた英語で書かれた教科書を用いて、英語ネイティヴが教えるというものである。


 とはいえ、なにも知らない初学者にいきなりそれをやっても効率が悪いのだろう。

 はじめて触れる人用の入門コースというのがあり、それは日本人講師が日本語で授業をおこなう。

 「これから、私が皆さんの名前を呼びます。男性の方はプレザン、女性の方はプレザントと返事をしてください」

 この言葉からはじまった授業は三ヶ月続き、私たち受講者は旅行会話ならばなんとかこなせる程度の文法を教わった(が、教わっただけで、使いこなせるようには当然なっていない。少なくとも私は)。


 夏休み、私は初級コースに進んだ。

 初級コースの担当の先生は、体調不良で代講で3回ほど授業が終わった。

 初級の教科書は綴り方や発音の規則以外の文法は一からやりなおすというもので、まぁ、なんとかなった。


 ある日、教室にはやく着いた私が教科書を眺めていると、私より少し歳上であろう若い男性が入ってきた。

 モデルでも通用しそうなイケメンであった。ただ、この教室に入ってきたということは、彼が本来の先生なのだろう。

 彼は私につかつかと歩み寄ってくると、しゃべり始めた。

 何一つ聞き取れなかった。


 私の表情を見て察したのだろう。

 彼は私の横に座ると、教科書を指さしながら言った。

 「フェ、ウ、パ、フェ?」

 今度は聞き取れた。しかし、意味はまったくわからない。

 私はパフェというデザートが好きだが、「フェウ・パフェ」なるものは食べたことがない。

 私は困る先生の鼻の穴からそよぐ鼻毛をみつめながら、未知のパフェに思いを馳せる。そう、先生はびっくりするくらいにイケメンであったが、鼻からは一本長い鼻毛がそよいでいたのだ。

 鼻毛は私を落ち着かせてくれたが、私たちの心をつないではくれなかった。


 先生はしょうがなく言語を切り替えた。

 とはいえっても(後日知ったことだが)彼は日本に来たばかりで日本語は話せない。だから、英語だ。

 "Do you speak English?"

 私は胸をはって答える。

 「のーいんぐりっしゅ!」

 だいたい、英語ができなくて困ってるから、別言語でしのごうという腹づもりなのだ。

 いんぐりっしゅができていたら、ここにはいない。


 先生の鼻毛がそよぐ。

 鼻毛が出ていますよと伝える語学力がほしいなと思った。

 同時に鼻毛が出ているということは、普通伝えないよなとも思った。

 困った顔で鼻毛以外を固まらせた先生と、そよぐ鼻毛を見つめながら妄想の世界で踊り始めた私を救ったのは、二人だけの空間にあらわれた年配の受講者だった。

 (これまた後で知ったことだが)近所の大学の医療系の先生であったおじさま受講者がいんぐりっしゅでぱっと説明をおこなうと先生の顔もぱっと晴れた。

 鼻毛が嬉しそうにそよいだ。


 後日、謎のスイーツ「フェウ・パフェ」が"Fait? Ou pas fait?やった? それともやらなかった?"ということを知った。私が好きなパフェについて話したいならば、せめてパルフェと言わねばならないということもわかった。

 その言語で鼻毛という言葉は現在に至るまで使ったことがない。

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