お手本

 大人がお手本にならなければという言葉を読む機会があった。

 すばらしい心がけだなぁと思う反面、お手本になれる人はどれくらいいるのだろうとか思ったりもする。

 私は大人であるが、お手本になれるかといえば、無理である。


 たとえば、ここで色々と書き散らしているが、筆力、発想力等、私より戦闘力が高い未成年なんてごろごろいるだろう。

 お手本にはなれない。

 では、品性はどうか。

 下ネタを書き散らして、立腹するたびに「う◯ちなう」と書き散らす大人、端的に言って品性下劣である。

 お手本にはなれないし、三つ子の魂百までというくらいで直せる気がしない(直す気もそもそもない)。


 お手本になれない人がお手本になろうとすると有害でさえある。

 特に言葉でお手本たらんとする人とかアレである。

 「俺の若い頃はなぁ」から始まるアレ。

 伝統あるアレである。アレは局部を露出しているのと同じではないだろうか。そんなことをいつも考える。本人は気持ち良いかもしれないが、その気持ちよさは私には理解できない。たいして親しくもない相手の前で精神的◯ん◯ん出して気持ちよくなるなど、愛すことのできない変態である。

 私は二度と聞きたくないし、聞かされる人は少しでも減ってほしい。自分が聞かせる側になるぐらいならば、大通りをフル◯ンで走り抜けるほうがまだましくらいに思っている。


 まぁ、結局のところ、私はお手本にはなれないわけだ。

 反面教師ぐらいがせいぜいだろうか。

 というわけで、私は失敗談ばかりしている。

 ちなみに失敗談は優しく聞いてくれる若者がたまにいる。どれくらい優しいかというと「そんなに自分のことを卑下しないでください。そのうち良いことだってありますよ」、「自虐的な話しかしないのでかわいそうになってくる」と言葉をかけてくれるくらいだ。

 ごめんね、こんな大人で。

 コートの前を開きながら、高らかに歌おうではないか。

 「ほうら、おいちゃんの蝮だよぉこんな大人になってはいけません

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