こしにてをあててあかまむしどりんくの巻

道草を食う

 道草を食うという表現、昔から知っているし使える表現であったが、腑に落ちたのは随分と後年のことである。

 観光地で馬に乗ったことがある。

 口輪を引いてもらうのではなく、自分で馬を走らせるというものだ。

 とはいっても、しても私に乗馬スキルはない。

 馬が訓練されていて、先導の馬についていってくれるというものだ。背中にまたがっているだけで冒険者気分になれるのでとても楽しかった。

 ただ訓練されているとはいえ、それはあくまで先導の馬についていくというだけで、私のいうことを聞いてくれるわけではない。

 途中、もしゃもしゃと草を食って立ち止まってしまったりもした。

 鬱蒼とした森の中で置いていかれると小心者の私は恐ろしくてたまらなくなる。馬に必死に話しかけた。

 「すみません。置いていかれると怖いんで、草はそれぐらいにして先行きましょうよ」

 道草を食うという言葉が腑に落ちた瞬間である。


 太郎丸(仮名)と次郎丸(仮名)も道草を食う。

 散歩の最中、そこらへんに生えている草をもしゃもしゃと食んでいるときがある。

 犬が草を食うこと自体はまぁよくあることで問題はない。

 ただ、何がかかっているかわからない草は食べてほしくない。

 それで、庭に猫草(えん麦)を用意してみた。

 見向きもしないどころか小便をひっかけて枯らしやがった。

 そして、彼らは今日も道草を食う。

 飼い主おやの心、知らず。


 そういえば、私も小学生の時、帰り道、道草を食っていた。

 通学路の途中に生えていたヘビイチゴ(だったと思う)をもしゃもしゃと食っていた。

 たいして甘みもないもののはずだが、友人たちと喜んで食べていた。

 自分で見つけたものを食べるという行為が楽しかったのだろう。

 程なくして、親や先生の知るところとなり、厳重に注意され食べることを禁じられた。そりゃ、何がかかっているかわからない野草なぞ食べてほしくないだろう。

 ただ、子どもは親の言うことをきかないものだ。

 ヘビイチゴは自分たちで見つけたちょっとしたオヤツから、禁じられし悪魔の実になり、さらに子どもたちを惹きつけることになる。

 親の心、子知らず。

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