ポストアポカリプス・百合の破片(2)

 道は唐突に果てていた。

 へし折れたハイウェイの先端で、アイネは目を細める。

 その先。

 銀色に光る、巨大な球体が浮かんでいる。


 水没都市と不毛な砂漠を捨て、人は完全環境都市アーコロジーへ移り住んだ――それもはるか昔の話だ。

 今や、そのアーコロジーさえ放棄されつつある。

 廃棄都市ゴーストシティはかつてエッグネストと呼ばれていた。卵をもとに設計したという形状からきた名で、ディセンバー社の商標でもあった。

 球形の都市、その光る表面は太陽光パネルと強化ガラス。水上に浮かべられ、バラストと赤道面を囲むように支柱で固定されている。ガスタンクみたいだねとかつて■■は言ったけれどが、見たことのないアイネにはピンとこなかったものだった。

 

「どこから手、つけようかね……」

 鷹揚に見下ろした先、正面入口が目に入る。けれど廃棄都市全体が傾いているせいで、扉の下半分は水を被っていた。

 あそこまで降りる……いや、ないな、とアイネは脳内で燃料の計算をしながら頭を巡らせる。なにより入口直下の三層は収穫物が少ない。既に荒らされた廃棄都市ならゴミでも拾うが、今日は果実のおいしいところをいただきに来たつもりだった。

 なら、とアイネが少し視線を上げると、エッグネストの赤道部に途切れた足場が見えた。外回廊、と誰かが仰々しい名前で言っていたが、それほど大したものではない。グレーチングの、点検用に作られた通路だった。

「ラピッド、あそこに飛ぼうと思うけど」

『成功確率は85%です』と即座にAIは答える。『距離は15.41メートル、機関義肢の出力から演算しました』

「残り15%はなに?」

『ヒューマンエラー及び着地点における構造物の損傷具合が主因です』

「ヒューマンエラー、ねえ」アイネは眉を吊り上げて、「あたしがポカやるって?」

『ラピッドは確率を提示したのみです』

 ふん、とアイネは不機嫌に鼻を鳴らし、

「じゃああたしのこと、止める?」

『いいえ、ラピッドはアイネの決断を尊重します。AIはユーザーを否定しません』

 素直な答えだった。だから、アイネは舌打ちをしたくなった。

 彼女なら、たぶん頑なに反対するか、こう言って先に跳んだはずだ。


 ――いいから、アイネ。私に任せておいて。


 低く優しい囁きが、脳の奥で揺らめいた。白く透き通るような髪と、涼やかな黄金の瞳を思った。目が合うと覗き込んで、いつも見てるよ、とでもいうように微笑する■■の癖を、思った。

「馬鹿が」

 呟いて、せせら笑った。ねえアイネ、されたことを忘れたわけじゃないでしょ? だからあたしはこんなところを彷徨ってるんだ。

 ゆらりと、アイネの顔が上がる。

 赫の瞳の奥で、泥のような深い憎悪が蠢いていた。

「ラピッド、あんたはここに。接近するやつがいたら通信入れて」

 言い捨てて、アイネは軽く助走をとった。二歩、三歩……踏み切りの瞬間、機関義肢が唸り声を上げた。

 風が頬を切る。跳躍は鮮やかな弧だった。射出機カタパルトで打ち出されたかのような軌道。

 着地に備え下肢をかがめ/重々しい音/内臓が揺れる/足元の確実な感触。

 アイネは外回廊に降り立っていた。バランスを崩しはしない。

「どう、ラピッド。何も問題なかったでしょう」

『はい。アイネの経験が勝ったということです』

 その返答にまた、アイネはむっとした。やっぱりあたしはミスなんかしないよねとか、15%もなかったんじゃないの、というような言葉が頭の中に浮かんだけれど、口には出さなかった。その抗弁が理不尽だということも十分わかっていた。

 アイネは頭を振って、ポケットから煙草ラッキーストライクを取り出し火を点けた。舌の上を苦い味が転がっていった。

 さて、とわざとらしくアイネは呟く。遊びに来たわけじゃない。

 彼女は煙草をふかしながら、ことさら大股に歩いていった。踵を鳴らしながら半周もすれば、目当てのものが姿を現す。通用口だった。

 煙を吐き出しながら、アイネは傾いた扉をじっくりと観察した。誘導灯の不安系な明かりが点滅しているところを見ると、まだ非常用電源は生きているらしい。

「悪くない」

 呟きながら、アイネはサングラスのつるに手を掛けた。

彼女の視界に4つ、5つとウィンドウが立ち上がり、いくつかをスワイプするとオノ・センダイ産ハック用ブレーカープログラムが見つかる。

起動ラン

 と呟くと、目まぐるしく数値が変わりはじめた。それをスワイプして視界の端へ押しのけ、アイネはのっそりと煙を吐き出した。

 物理的にこじ開けることも、不可能ではない。けれどたいていのエッグネストが備えている侵入対抗電子機器アイスが作動し、LAWSに襲われることになる。剥ぎ取り屋スカベンジャーを始めたばかりの、つまりはアイネがまだ17の誕生日を迎える前にはそういうこともあった。

 吹っ飛ばされるのはもう勘弁願いたいね、とアイネは思い返しながら、左腕の肘あたりを撫でている。

 半戦車型LAWSの90mm戦車砲は幸いにして直撃しなかったが、破片と瓦礫がアイネを襲って圧殺しかけた。足が潰れなかったのは幸運でしかなかった。もちろんその腕はとうに換装しているものの、今でも時折存在しないはずの痛みを覚えることがある。どうやらヒトは機械になっても、身体を壊されるというのは精神に悪いらしい。

 と、そんな思案にふけっているうちに、ポン、とサングラスの隅にポップアップの表示/続いて鍵の開く金属質な音。

 前に立つと、軋みながら自動的に扉が開く。アイネはP226を構えながら、慎重に足を進めた。

 クリアリングは慣れたものだ。角から右左、上下と目を配り、音もなく滑り込む。

 けれどその必要はないらしかった。エッグネストの中は一切の静寂だった。

 目につくのは、中央に立つ、エンタシスを思わせるコントロール・タワーだったが、強化ガラスは透明のまま澄んでさえいた。緑化のため人為的に巡らされた蔦や木々も静かに所定の位置を守ったまま、弱い陽光を受けている。

 ここ最近はずっとこんうだ、とアイネは思う。


 2年ほど前の廃棄都市は違った。たいていが半壊で、ここには住めないだろうと納得もできた。

 例えば天球の部分は穴が開いて強烈な酸性雨が降り注ぎ、緑が無秩序に茂り狂っていた。コントロール・タワーは途中でへし折れ、塔を円形に囲んだ住居モジュールは、一層~三層のどこをとってみても銃痕と燃えたような煤の跡で寥々としている。それが常だった。


 今は。

「人が、溶けたのかな」

 胡乱な妄想を呟く。人だけではない、一切の生きているモノの持つ気配がない。

 ……いや? 気配?

 アイネの背筋に、唐突な電流めいた予感が走った。

 撃鉄を起こし振り向きかける/女の、掠れた声。

「動くな」

 背中に固いものが押し付けられる感触。銃だ、とアイネは観念して素直に手を上げた。いつになく気を抜いていたことを後悔したが遅い。右の手首がつかまれ、P226が取り上げられた。

 首だけで背中のほうを見やると、少女、アイネとほとんど同じ身長・同じぐらいの年頃か。透明に近い緑の髪は短く刈り揃えられ、三白眼が不気味に睨んでいた。

 アイネは軽く口笛を吹いてみせ、

「どっから出てきた?」

「わからない? 馬鹿なのね」

 少女が、薄い唇をひん曲げて笑う。それを肩口に目の端で確認したアイネは、同時、彼女の胸元に、静電気のような青い電気の迸りを見た。

「は、光学迷彩ステルス。サーモを使わなかったあたしのミスか」

「そんなことしなくても感じないと。三流ね、アンタ」

「生憎と目は換装してなくてな」

 そ、と言いながら彼女はゆっくりと正面へ回ってくる。

 意外に子供、とアイネは思う。真正面から見れば、彼女の頬、肌が白いせいでそばかすが目立ち、ふて腐れたように尖らせた小さな唇もまた、可愛らしささえ覚えた。

「手は下ろさないで!」と彼女が厳しい調子で言う。「殺してもよかったんだから」

 アイネは無言で肩をすくめ、口の端に笑みを作る。

 それに不快を覚えたか、彼女は眉間にきつく皺を寄せ、

「アンタ、剥ぎ取り屋スカベンジャー?」

「ご賢察。アールの店によく卸してるよ。銃、返してくんない?」

 ふむ、と彼女は思案顔で「アール、か」と小さく呟いた。彼女の、ベレッタの銃口が下を向く。

 数秒ためらいがちに視線が泳いだが、結局、ため息をつきながらアイネへ銃を寄越したものだった。

「どうも」とアイネは受け取る。セイフティがかかっていた。「あたしはアイネ」

「ライム」ぶっきらぼうに彼女は答える。「握手はしないよ」

「そりゃあもちろん。相棒バディじゃあるまいし」

「いるの、相棒バディ……」

 ライムが警戒に目を細める。いや、とアイネは首を横に振って、

「あたしはずっと一人。誰とも組んだことない」

「冗談でしょ」ライムは当惑に眉をひそめ、

「ヤバイ時どうするの」

「どうにかする。そうやって乗り切ってきた」

 アイネは、自嘲に鼻を鳴らして、

「だいたい、あたしと組めるやつなんていない。欲しいものが違いすぎるから」

 呟いて伏せた目は、冥く。

 濁った色は、遥か遠くを見て。

 ライムの喉が微かに鳴った。気圧されて生唾を飲んだ、けれど彼女もまた剥ぎ取り屋スカベンジャーで、その性質が、悟られないようなさりげなさへと辛うじて抑え込んでいた。

「さて、無駄話はいいや」出し抜けに、アイネが顔を上げた。「さっさと取るもの取って帰ろう。いつまでもこんな辛気臭いところにいられないでしょ」

 肩をすくめ、銃をホルスターに収める。わざとらしい慌ただしさでライムの脇をすり抜けたアイネは、もう橋へと続く階段を上り始めていた。

 待って、とライムは慌ててそれを追いながら、

「こ、この場だけでも協力しない? アタシも一人だし……」

「それぐらいなら。でも生き死にを賭けるのは無理だよ」

「わかってる」ライムは少し怒った口調で、「この商売やってるんだ、覚悟はある」

 そう、と呟いたアイネは、乾いた視線でコントロール・タワーを見ていた。

 二人の、無機質な足音がこだまする。反響が所在を曖昧にして、そのくせに戻ってくる音は拡大されて、脳の奥に痺れめいた不快感を呼び起こす。

「ア、アンタ、出身は?」

 ライムが沈黙を嫌って口を開いた。答える必要はないと、アイネは視線を動かしもしなかった。

 それが一層ライムの口数を多くする。まるで芸をして餌をねだる犬のように、

「アタシは東のほう、もともとママはエッグネストにいたらしいんだけど、再植民計画リテラフォーミングで外に出て」

 アイネは念のために装備を再点検する。銃だけではなく、懐の手榴弾も数え直す。

「やめて欲しいよね」ライムは同情して欲しそうに、情けなく笑ってみせた。「結局一人で生きる羽目になった。師匠も……死んじゃったし」

「だからあたしと組みたい?」

「そういうわけじゃないけど!」

ライムは間髪容れずに答える。用意していたように。

 なるほど、とアイネは無感情に呟く。

「ごめん、怒った?」

「特には」

 よかった、とライムは相好を崩す。年相応に、いとけなく。アイネはそこで初めて、頬にあるニキビに気づいた。

 無垢だなと思った。ことばを、額面通りに受け取ったのか。この世界で。誰も彼も嘘をつき約束など鴉の餌にしかならない時代に。

 そう、かつてのあたしみたいに。アイネは胸の中で呟いた。

 ライムはなおも話し続ける、表情がころころと変わる、

「アタシも剥ぎ取り屋スカベンジャーはそんな長くなくて、って言ってもここで10は回ったんだけど、綺麗な場所もあるよね。時々花が咲いてたりもするじゃん? この間なんか紫でもわっとしてる花があって、名前、何だったかな……あぁ、そうだ、アザミ。それをエッグネストで見つけてさ」

「ライム」とアイネは静かに吐息を漏らす。

「少し、黙って」

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