第21話

 その数日後、航が汐の部屋の周囲を巡回していた時だった。

「航さん」

 広い廊下で、ふいに呼びかけられて足を止めた。

「こっち」

 声のした方を振り返ると、すれ違ったばかりの女性が立ち止まって航を見ていた。

 見たことのあるような気がしてじっと観察するように見ていると、ふいに、思い当たる人物の名前が浮かんできた。

「……夜雲か」

「久しぶりね」

 見慣れたメイクではなく、派手ないで立ちだったため、一瞬、気づかなかった。何かの潜入調査なのか、広いつばの帽子を被っていて、顔も半分くらい隠れている。

 夜雲はキャットの解散後、バタフライという組織に所属した。戦うことはほとんどない、スパイのような活動をしている組織である。得た情報を他の組織に流すことが仕事で、潜入調査やキャットの頃と同じような情報収集などを主にしている。

 夜雲はさっと辺りを見回して人の気配がないことを確認すると、航に近づいた。

「航さん、佑さんのことなんだけど、何か知ってる?」

 小声で問いかける夜雲に、航は「……何も知らん」と答える。

「そう。じゃあ、この前の襲撃は誰だったんでしょうね」

 夜雲は見上げるようにして航を見た。

「……その言い方やめろ」

 ふふ、ごめんなさい、と夜雲は笑った。

「佑がどうした」

「最近、何か嗅ぎまわってるみたいよ」

「嗅ぎまわってる?」

「情報収集してるみたい。苦手だっていっていたのに、一人で立派に仕事してるみたいよ」

「仕事って……」

「目的は分からない。ただ、佑さんは、何かをしようとしてる」

 何か知らないかと夜雲は聞いた。

「知らん」

「……そう。何かあったら教えてちょうだい。こっちも、何か掴んだら連絡するから」

 そう言って去ろうとする夜雲に「ちょっと待て」と航は声をかける。

「何?」

「今頃、なんで佑のことを──」

「納得してるの? 解散のこと」

 航は言葉に詰まった。

「私はしてない。私は解散した時から、ずっと佑さんのことを追ってる。探しても探しても、全然姿は見つからなかった。でも、最近、ようやく動き始めたみたいなの。まだ拠点も何も分からないけど、私は、佑さんを見つけて、解散の理由を聞き出す」

 強い決意のこもった瞳だった。

「何かあったら連絡ちょうだい。まだ連絡先、消してないでしょ?」

 よろしくね、と言って、夜雲は去って行った。


   ×    ×   ×


 仕事終わりに報告書を書くというのは、ドッグに所属してから初めてやるようになった。キャットにいた時は報告書などなく、ミーティングで報告するだけだったのだが、ドッグではミーティングはなく、報告書をメールとして送信するというのが通例だった。

 自宅で報告書を書きながら、夜雲から聞いた話を思い返していた。

 佑が何かを調べ回っている。キャット解散以来、連絡の取れなくなった佑は、今、どこにいるのかすらも把握できていない。まるで存在が消えたかのように数か月の間、その行方をくらましていた。

 しかし、今になって動き始めている。拠点は突き止められていないと言っていたが、どこかしらに寝床でもあるのだろうか。

 一番気になっているのは、その理由だった。汐を襲ったこともそうだが、何かを調べ回っていたというその理由。

 時期的に、汐の来日と佑の目的に何か関連があるのだろうか。

 航には、思い当たることがなかった。

 幼い頃から一緒にいることが多く、なんとなく佑のやりたいことや言いたいことは分かっていたつもりだったが、今回の目的だけは分からない。

 あの時、佑に不満をぶつけていなければ、こんなことにならなかったのだろうか。

 一抹の後悔が頭をよぎる。

 後悔したってもう遅いことは分かっているが、それでも振り払うことはできない。

 航はふうとため息をついた。

 こんなことを考えている場合ではない。さっさと報告書を送ってしまおう。

無心で必要事項をまとめてメールを送信すると、パソコンを閉じた。

 背もたれに背中を預け、もう一度小さくため息をつく。もう外は暗くなり始めていた。

 その時、机の上に置いてあったスマートフォンが震えた。同じ組織のメンバーとなった来流亜から、メッセージが届いたのだ。

『佑さんを捕獲しました』

 航は音をたてて椅子から立ち上がると、鍵を手に、家を出た。

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