第16話

 その日、仮拠点に残っていたのは冬馬と佑だけだった。恵、夜雲、南奈、添華の四人はウィンドショッピング、航は、目的はないが外に出ていた。

 テレビは古いブラウン管テレビしかなく、ゲーム好きの冬馬は、仕方なしにスマートフォンで遊べるゲームをダウンロードしてプレイしていた。

「失礼します」

 その声とともに、扉が開いた。

「荷物を取りに来ました」

 そう言って入って来たのは来流亜だった。倉庫として使用しているこの場所は、たびたび、このようにドッグのメンバーが荷物を取りにくる。

 来流亜は入り口付近にあった古びた椅子を手に取ると、「では」と言って帰ろうとした。

「来流亜くん」

 すっかりだらけきった佑は、ソファに横になりながら来流亜を呼びとめた。

「ちょっとお話しない?」

「仕事中ですので」

 では、と帰ろうとするのを、「少しくらいいいじゃん」と言って、佑は引きとめる。

「なんでしょうか」

 諦めたように、来流亜は椅子を床に置いた。

「来流亜くん、冬馬のことが好きだったりしない?」

 突然の発言に、空気が凍った。

「え……?」

「いや、来流亜くんって、俺たちをじっと見る癖あるでしょ? この前来た時もこっち見てたけど、冬馬だけ目を合わせなかったから、なんでだろうなと思って」

「そ、それが、なんで、その、好き、に繋がるんですか」

「うん、あからさまに動揺してるよね」

「ど、動揺、なんて、してないです」

「視線合わせようとしないし」

「合わせられます」

「うん、俺じゃなくて冬馬を見て」

 すると、来流亜は一瞬冬馬を見た後、ぷいっと視線を逸らした。

「耳、赤くなってるよ」

 指摘された来流亜は、ずかずかとソファの前に来た。

「どうしたの? 恥ずかしくなっちゃった?」

 佑がおちょくった次の瞬間、硬く握った拳が腹部に叩き込まれた。

「ぐへぇっ……!」

 カエルが潰れたような泣き声を発して、佑は蹲る。

「あ、あんまり、調子に乗らないでください」

 それでは、と怒った様子で来流亜は帰っていった。

「……椅子」

 肝心の椅子を忘れていることに気が付いた冬馬は、入り口の近くにある椅子を抱え上げた。

 その時、扉が開き、来流亜が顔を覗かせた。

「あっ……」

 冬馬と目が合った来流亜は、すぐさま目を伏せた。

「あ、あの……」

 もじもじとしながら、後ろ手に扉を閉める。

「そ、それを……忘れてて……」

 いつものような大人びた口調はどこへ行ったのか、ぼそぼそと呟くように来流亜は言う。

「……はい」

 冬馬もどう接したらいいのか分からず、まごまごしながら椅子を差し出した。

「あ、ありがとう、ございます……」

 椅子をもらっても、来流亜はそわそわ落ち着かないような態度で、しばらくの間佇んでいた。

「……仕事、いいの?」

 冬馬が聞くと、「あ、え、し、仕事……仕事、いってきます……!」と我に返ったように勢いよく頭を下げて出て行った。

「冬馬ぁ……」

 痛みに呻きながら佑が呼んだ。

「絶対好きだよ、あれ」

 冬馬は佑のそばに寄ると、もう一発、腹部に拳を叩き込んだ。


   ×   ×   ×


 街を歩きながら、航は佑のことを考えていた。

 幼い頃から、気づいたら一緒に遊んでいた。親の話によれば、幼稚園に入園する前から親同士の親交があり、同じ時間を過ごすことも多かったという。

 幼稚園を卒園し、小学校に上がってからも同じクラスになることが多く、ほとんどの時間を一緒に過ごした。

 あの日──佑の家族が殺されたあの日も、学校終わりに一緒に遊んで、笑顔で別れた。

 事件を知ったのは、翌日、起きてからだった。母と父がそわそわと落ち着かない雰囲気で支度をしていた。

「おはよう、航」

 いつも通りに挨拶をしているつもりなんだろうが、母の様子がどこかおかしかった。

「何かあったの?」

 そう聞くと、言いづらそうに父と目を合わせる。

「言った方がいいと思うぞ。友達のことなんだから」

「でも……」

 言い渋る母に、「友達って、誰のこと」と聞くと、母は視線を合わせるためにしゃがみ込んだ。

「佑くんのことなんだけど……大けがしちゃって、入院したんだって」

 それを知った航は、学校には行かない、病院に行くんだとわがままを言った。

 しかし、まだ面会が許されていなかったこともあり、仕方なしに学校に行った。

「なあ、佑の父ちゃんと母ちゃんとお姉ちゃん、死んじゃったんだって」

 そこで、航は佑の身に何が起きたのか、詳細を知った。

 航はショックで塞ぎ込んだ。学校にも一週間行けなかった。

 一緒に遊んでくれた佑の姉、それを優しく見守ってくれた佑の母、あまり会ったことはないけど、佑が「お父ちゃんはかっこいいんだぞ! 悪い人をやっつける政治家なんだ!」と自慢していた佑の父。

 航が死というものにちゃんと触れたのは、これが初めてだった。

 佑が学校に来たのは、それから三か月後だった。傷はもっと早くに治っていたが、それよりも、精神的なケアが必要とされたのだ。

 佑が教室に足を踏み入れると、教室が一斉に静かになった。みんな、どうやって接すればいいのかと、様子をうかがっていた。

 佑は、事件の前よりも痩せて、小さくなったように見えた。小さな身体にくっついた大きなランドセルは、寄生虫のように見える。

 自分の席に座った佑を遠巻きに見つめるクラスメイトの中、航が近づいた。

「おはよ」

 佑が航を見上げる。

「ちゃんと休めたか?」

「……うん」

 航はぐしゃぐしゃと佑の頭を撫でた。

「何かあったら言えよ。友達なんだから」

「……うん。ありがと」

 航はもう一度ぐしゃぐしゃと頭を撫でると、「手伝う」と言って、佑の支度を手伝ってやった。佑の動きは、三か月前よりも、ずっと遅くなっていた。

 それからも、航は佑のそばにいた。中学の時も、クラスが違っても休み時間はいつもそばにいた。高校も同じ公立の高校に通った。似たような成績だったから、誰にも反対はされなかった。

「俺、動物アニマルになる」

 佑がそう宣言したのは、高校の時だった。立ち入り禁止の屋上で、サボっていた時のことだ。

「誰も悲しまない世界を作る。俺みたいな人を、一人も作らない」

 ぼろぼろの金網を握りながら、佑は言った。

「だから、手伝ってよ、航」

 高校を卒業した航と佑は、すぐに動物アニマルを立ち上げた。キャットという名を名乗り、二人だけで活動をし始めた。始めてから何年間かは、他の組織の手伝いをしていた。たった二人でできる仕事はなく、ドッグや、まだ人の少なかったエレファントを手伝うこともあった。

 そして、ある日、道端で倒れていた夜雲を拾ったのを皮切りに、メンバーを増やしていった。

 夜雲の次に恵、恵の次に冬馬、そして、南奈、添華。

 メンバーが増えていくにしたがって、個別に依頼をもらうことも多くなり、いつしかキャット単体での仕事が主な業務になっていった。

 助けなければという一心で、ここまでやって来た。

 けれど、長くそばにいすぎたからか、それ以上に不満が募っていった。

 挙げ始めればきりがないほどに積もり積もった不満は、ついに、助けなければという気持ちを追い越した。

 ──これからどうすればいいんだろうか。

 ホームレスばかりの公園のベンチに腰を下ろしながら、航はこれまでにないほど深いため息をついた。

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