第5話
パーティーの始まりは夜の八時だった。
スタッフの集合時間である六時にスタッフ用入り口から潜入した冬馬は、トイレの個室に隠れると、用を足しにやって来た従業員を一人倒し、スタッフ用の正装を奪った。
「……ごめん」
冬馬は気絶した従業員を個室に閉じ込め、使用禁止という張り紙をした。
南奈と恵も、八時過ぎに参加者を装ってロビーへと侵入した。
「受付もいないなんて、警備緩すぎ」
南奈が思わず呟く。
二人は航と夜雲から派手なパーティーだからドレスを着るようにと言われ、仕事のために買っておいたドレスを引っ張り出してきた。主役ではないため、派手すぎず、かといってシックすぎると浮いてしまうだろうということで、夜雲が何着かあるドレスの中から、南奈には深い青色、恵には赤と黒のドレスを選んだ。
二人は人の波に身を委ねるようにして広い宴会場に足を運んだ。学校の体育館二つ分もあるような広い会場で、ドレスや正装に身を包んだ人々が、テーブルを囲んだり、窓際で談笑したりしている。
「まずは腹ごしらえ~」
会場に入るなり、南奈はうきうきでビュッフェ形式に並んだ食事を取りに行った。
「南奈……」
恵は子供っぽい行動に呆れてため息まじりに言った。
「すみません」
ふと声をかけられて振り向くと、そこにはタキシードに身を包んだ男が立っていた。
「あまりにも美しかったもので声をかけてしまいました」
男は陳腐な言葉を吐いた。恵は「まあ」と驚いて見せる。男はピシッとしたタキシードに身を包み丁寧な口調で話しているものの、粗暴で乱雑な性格が言動の端々から見て取れた。
「大学に通ってるんですか?」
「ええ、数年働いていたものですから、皆様よりは遅れて入学しました」
「そうでしたか。少し、お話よろしいですか?」
恵はちらりと南奈を見た。視線に気づいた南奈は、小さく頷いて返す。
「ええ」
恵は男に誘われるまま、空いたテーブルへと歩き出した。
× × ×
南奈は取り分けた皿を手に、会場の端の空いたテーブルへと足を向けた。テーブルは全体が見渡せるような位置に配置されていた。
派手な衣装に身を包んだ人々が、波のように揺れている。将来が約束されている医大生に、女性たちは群がるように集まっている。
この世界では権力を手にしたものが優位に立つ。路頭に迷いたくなければ、権力を手に入れなければいけない。
「クソみたい」
南奈は吐き捨てるように言った。権力しか持っていない野郎と比べると、権力はなくても優しい人の方が南奈は好きだった。
好きな人となら、ホームレスになっても良いかも。
そんなことを考えていた時、「見て、来たみたい」と近くにいた女が声を上げた。
もぐもぐとサラダを食べていた南奈が入り口に目をやると、そこには高瀬望がいた。高そうなタキシードに身を包んでいる。
高瀬が歩みを進めるごとに、女性たちがわらわらと集まっていく。このパーティーの主役とお近づきになりたいのだろう。顔は笑顔だが、どこか必死さは隠せていない。政治家の息子で将来は医者。権力の頂点とも言える彼に近づけば、この先は安泰だ。
南奈の近くで噂話をしていた女も、吸い寄せられるように高瀬の元へと歩いて行った。
南奈は遠くからその様子を観察した。隙のない身のこなし、自分の格を見せつけるかのような服装、品定めするような視線。
一瞬、目が合い、南奈は笑顔で会釈をした。高瀬も微笑んで会釈を返す。
「絶対無理」
南奈は小さく口の中で呟いた。
× × ×
会場に設置されたステージ上で、オーケストラの演奏が行われている。優雅な旋律を奏でるオーケストラに、南奈は全く興味がなかった。そんなものを聞いている時間があったら、腹を満たしたい。普段食べられないような料理を食べられることに夢中になっていた南奈は、もう一度、食事の並ぶテーブルに近づき、肉と野菜を皿に盛りつけた。
視界の端に、高瀬の姿が映る。あいつを始末するのが仕事だが、これを食べてからでもいいだろう。
もぐもぐと食べているうちに、オーケストラの演奏が終わった。次はよく分からない歌手が、よく分からない歌を歌っている。
会場内には、恵と冬馬の姿が確認できた。二人も、それぞれ高瀬の動向をしっかりと確認しながら、会場内に溶け込んでいる。恵に至っては熱烈なアプローチを受けているらしく、男性と話し込んでいる様子も見て取れた。冬馬は入り口付近で会場を見渡している。警備のつもりらしいが、もう一人のスタッフも貧弱そうで、軽微ということすら憚られるような状態だった。
南奈はスマートフォンで、五人にメッセージを送った。
『そろそろいくよ』
ちらりと視線を上げると、冬馬が小さく頷いたのが確認できた。
他からは返事が返ってこないが、既読は五人分ついているため、心配はないだろう。
南奈はテーブルの上に皿を残したまま、窓際で固まっている高瀬とその取り巻きに近づいていく。
「あのぉ……」
声をかけると、一斉に視線が向けられた。女たちの視線には、敵意が含まれている。政治家の息子をどうやって手に入れるか、それを必死に考えてアプローチをかけている女たちからしたら、南奈は即座に敵という認識になったのだろう。
「高瀬望さん、ですよね?」
「ああ、そうだが」
「お話、混ぜてもらってもいいですか?」
「いいけど、君、大学生?」
「大学生です。一年で、まだ、よく分かってないことばっかりで……」
「そうか、それは心細かっただろう。みんな、いいよね」
「ええ、望さんがそれでいいなら」
「望さん、お優しいのですね」
周りの女性たちは高瀬をおだてる言葉を並べる。
内心、反吐が出ると思いながらも、「ありがとうございます」と南奈は笑顔を作った。
「そういえば、望さん、犬を飼ってらっしゃるんですよね」
「ああ、そうだね」
南奈は機会をうかがった。どのタイミングで人気のない廊下に連れ出そうか。どうやって女性たちから高瀬を離そうか。
しかし、待てど暮らせど女性たちの話が終わることはない。次々とつまらない話題を引き出してきては、高瀬に質問を浴びせかける。そのスピードが速すぎて、南奈にはついていけなかった。
段々と焦りの気持ちが湧き出てきた。時間はまだあるだろうが、高瀬が最後までいるかどうか分からない。もし失敗したら、
「君、具合でも悪いの?」
ふいに、高瀬から声をかけられた。
「え……?」
「ずっと下を向いているようだけど」
しまったと思った。どうやって連れ出そうか考えていたら、話に集中できず、いつの間にか俯いていたらしい。
「あ、いえ、大丈夫です」
「ちょっと、外の空気吸いに行こうか」
そう言って、高瀬は南奈の肩に手を掛けた。
「君たち、ちょっとこの子を外に連れて行くから、少し待っててくれないか」
「ええ、いいですけど……」
「一人でも大丈夫じゃないかしら」
「心配だから、僕も行くよ」
あからさまに女性たちは嫌という顔をしたが、高瀬は構うことなく南奈を連れて会場を出た。
南奈は混乱しながらも、二人きりになれたことに安堵した。
「すみません、ありがとうございます」
南奈は具合が悪いという体を装って、俯いたまま言った。
「君」
人通りの少ない廊下に差し掛かった時、高瀬は脚を止めた。
「何の目的で僕に近づいた?」
素早い動きで振り返った高瀬は、南奈が驚いている間に壁に追いやった。両手を壁に縫い付けるように抑えられた南奈は、身動きが取れなくなる。
「明らかに挙動不審だったよ。隠しごと、苦手でしょ。こういうの向いてないよ」
高瀬は腕をひとまとめにして壁に押し付けると、「何の目的で近づいたのか知らないけど、僕がどんな人間か分かって近づいたの?」と下卑た笑顔を浮かべた。
「なあ、苦痛に歪む女の顔って、最高にそそるんだよ。お前も味わってみるか?」
高瀬はドレスの上から手を這わせた。
南奈は嫌悪感で勝手に身体が震えるのが分かった。大声を出せば、誰かが助けに来てくれるだろう。しかし、大声を出したら作戦が終わってしまう。スマートフォンを取り出そうにも、手は自由に動かない。
どうしようと迷っているうちに、手は段々と下がっていく。
「ちょっと生意気そうだけど、そういう奴ほど、苦痛に歪む顔が良いんだよな」
高瀬の手が、ドレスの裾を持ち上げる。
いっそ悲鳴を上げてしまおうかと思ったその時。
ゴキッ
嫌な音がして、目の前の高瀬が崩れ落ちた。
「大丈夫か、南奈」
その代わりに、航が南奈の肩を揺さぶった。
南奈はそこで航が首をひねり上げたということに気がついた。
「航……」
南奈は思わず航に抱き着いた。航はふらつくこともなく南奈を抱き留める。
「こっちは大丈夫みたい」
夜雲が目を開いたまま床に伸びている高瀬の脈を図って言った。大丈夫というのは、もちろん、息絶えているということである。
「オッケー、じゃあ、俺と航と冬馬で後片づけするから、南奈と恵と夜雲は家に戻ってて。航、手伝って」
佑と航は高瀬の遺体を持ち上げて、すぐ近くの裏口から表へ出た。そこには黒いバンが停めてある。
「南奈」
高瀬を車に乗せた佑が、もう一度戻って来た。
「ありがとう。助かったよ」
そう言って、南奈の頭を撫でた。
「それと、怖い目に遭わせて、ごめんな」
佑はどこか悲しそうに目を伏せると、「今日は帰るの遅くなると思うから、早く寝ること」と言って、裏口から出て行った。
南奈は佑の姿を目で追ったまま、呆然とそこに佇んでいた。魂が抜けたような南奈に、夜雲が声をかける。
「南奈、帰ろう」
返事もしない南奈の背中を、夜雲はそっと支えるようにして歩き出した。
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