第3話
街がオレンジ色に染まる頃、リビングに南奈の声が響き渡った。
「買い物行く人この指とまれ!」
頭上に高々と上げられた人差し指は、ぴんと天井を向いている。
しかし──
「あっ、冬馬っ! このっ……!」
「……」
佑と冬馬は格闘ゲーム。
「ちょっと外行ってくる」
「私も出かけてきます」
航と夜雲は情報収集。
姿の見えない恵は、トイレ中である。
「みんなあああああ!」
南奈は絶叫した。人差し指にとまろうとする者は誰一人としていなかった。
「なんで……誰も手伝ってくれないの……」
大袈裟に床に座り込んだ南奈は、絶望に染まった声で言った。
そんな姿を見ても、誰も手を貸そうとはしない。みんな、いつものことだと思っているのだ。ただ一人、冬馬だけが気になるようで、ちらちらと振り向いている。
「……どういう状況?」
トイレから帰って来た恵が困惑したように言った。
「誰も買い物手伝ってくれないのぉ……」
今から泣きますとでもいうように「うぅ……」とうなだれる南奈。
「ああ、そういうこと」
呆れたように、でも優しく恵は笑い、「私が一緒に行くから。泣かないの」と南奈の頭を撫でた。
「ほんとに!?」
「ほんとに」
「やったぁ!」
南奈は素早く立ち上がると、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「ありがとー!」
南奈はそう言って恵に抱き着くも「ほら、早く準備して」と引き剥がされてしまった。
「はーい」
それでも機嫌を損ねることなく、南奈は自室へと戻っていった。
「恵ぃ、あんまり甘やかさない方がいいんじゃない?」
ポーズ画面にした佑が、振り返って言った。
「甘やかされて育ったあんたが言うな」
「甘やかされてません~」
「朝起こしてもらってるのはどこの誰でしょうか?」
「ど、どこの誰だろうね~」
分が悪くなった途端、佑はテレビ画面に向き直ってゲームを再開した。突然ポーズを押されても、突然ゲームを再開されても、冬馬は何も文句を言わない。
「じゃあ、航に言っとくね。佑は、朝一人で起きれるって」
「え、ちょっと、それは……って、ああっ!」
ポーズを押すのを忘れていた佑は、目を離した隙に冬馬に倒されてしまった。キャラクターが空の彼方へと飛んでいく。
「あああああ!!! くそおおおおおお! 恵のせいだあああああ!」
「えっ、何!?」
ちょうど、タイミングよく南奈が戻って来た。叫ぶ佑を見て狼狽えている。
「なんでもないよ。行こ、南奈」
「う、うん」
どうしていいか分からず戸惑う冬馬と、子供のように悔しがる佑。
「許さないからな!」
子供のような佑の叫び声が後ろから聞こえてきて、恵は思わず吹き出して笑った。
× × ×
南奈と恵が買い物に行ってから約十分後──
「あー、もう無理! 冬馬強すぎ!」
そう叫んで、佑はコントローラーを投げ出した。テレビ画面にはぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねるチャイナ服の女性と、床に伸びた屈強な上裸の男性。
「どのゲームも強いとかありえないから!」
先ほどまでやっていたゲームで勝てなかった佑は、違うゲームを持ち出して冬馬に対戦を挑んだ。しかし、冬馬はどのゲームも強く、佑は手も足も出ないうちに倒された。
「なんでハンデこんなにつけて勝てないんだよ! 筋肉ムキムキに細いチャイナ服が勝てるとかありえない! もおおおおお!!!」
おもちゃを買ってもらえない子供のようにばたばたと暴れる佑に「……やる?」と冬馬が聞く。
「やらない!」
不貞腐れた佑は、キッチンへと入っていった。
冬馬は申し訳なさそうに対戦モードから練習モードに切り替えて、ゲームを再開する。NPCの強さは最強に設定しているが、冬馬にとってはいい練習相手程度の難易度だった。場面に応じて、的確な攻撃と防御を繰り返す。
佑はむくれ面のまま、冷蔵庫からパフェを取り出した。昨日から発売されているコンビニの新作スイーツだ。発売初日に買って、そのまま冷やしていた。
ダイニングテーブルで、パフェの蓋を開けた。一番上に乗せられた小さなプリンを突くと、ぷるぷると震える。スプーンで掬って口に入れると、その甘さに心が穏やかになっていくのが分かる。
「ねえ、冬馬」
パフェを半分まで食べた佑は、集中してゲームを続ける冬馬に声をかけた。
「今の生活、どう?」
一瞬、画面の中のチャイナ服の動きが止まった。その間に、二発の攻撃が打ち込まれる。
「ラーメン屋で働いてた時の方が楽しかった?」
「……なんで?」
「え?」
「……急に、なんで?」
「いや、気になって」
冬馬はゲームを続けながら言った。
「……今の方が、いい……かもしれない」
「かもしれないって何」
佑はスプーンをがじがじと噛みながら笑った。
「もし嫌なら、出て行ってもいいからね」
パフェを崩しながら佑は言う。
「来るものは選ばせてもらうけど、去るものは追わないし。人生は自由だよ~」
パフェはどんどん佑の腹の中におさめられていく。
「……なんで、そんなこと聞くの?」
「ん?」
「……急に、なんで?」
「んー、冬馬と二人きりになることあんまりないし、ほら、俺、一応リーダーだからさ、みんなのこと知っておかないとと思って」
「……意外とちゃんとしてるんだね」
「意外とって何、意外とって」
パフェは空になった。佑は空になった容器をごみ箱に捨てると、冬馬の横に座った。
「もともとさ、乗り気じゃないじゃん。冬馬、こういうこと好きじゃないでしょ? でも、俺に誘われて、断れなかったわけで」
「……断れなかったわけじゃない」
「あ、そうなの?」
「……居場所が、ほしかっただけ」
「居場所?」
冬馬は目の前の敵を倒しながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……養護施設逃げだしてから、一人で、生きるか死ぬかの瀬戸際で生きてきた。生きるためにゴミ箱を漁ったり、ホームレスの人から段ボールを分けてもらったりした。施設にいる時は、ずっと誰かに殴られたり蹴られたりしてたから、戻りたくなくて、職員が探しに来るのから必死に逃げた。ラーメン屋のゴミ箱を漁ってた時に店主に見つかって、怒られて、『ゴミ箱漁るくらいならここで働け』って、部屋を貸してくれて、住み込みで働くようになった。何年も何年も同じ生活をして、でも、部屋は貸してもらったところだし、すぐ隣が店主の部屋で、なんか、ずっと、居場所がなかった。どこにいてもここじゃない気がして、でも親切で雇ってもらってるし、もういい歳だから、ずっとここにいるんだろうなって思ってた。でも、佑が、『俺んとこに住むか』って聞いてきて、ちょっと気になった。初対面なのにそんなことを言う人はやばいやつだって思ったけど、もしかしたら、そこが俺の居場所になるかもしれない。そう思ったら、行こうって、なんか、自分の中の何かが勝手に決めて、住むって答えてた」
画面の中で、NPCが倒される。
「……だから、断れなかったんじゃない。俺が決めた」
冬馬が横を向くと、佑は驚いたように目を丸くしていた。それもそのはずで、基本無口な冬馬が、ここまで喋ったことは今までなかった。
「……ここは俺の居場所。俺の家」
ぽつりと付け加えた。
「……うん、そっか。居場所ね。それならよかった」
「……やる?」
「やる」
甘いパフェを食べ、冬馬の気持ちを聞いて、佑はまた闘争心に火が付いた。
その後、散々倒された佑がまた機嫌を損ね、なぜか冬馬が「手加減をしなさい」と恵に怒られるのは、それから一時間後のお話。
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