第120話 未知の存在に交渉を挑む骸
「………………っ!!?」
ルービスは目の前で起こっている出来事が、およそ現実だとは信じられなかった。
〈エド〉。長くアンラス地方に巣くう精霊どもの首魁であり、強力な力を有した骸の精霊。
当初の予定とはちがい、四聖騎士は2人しかいないうえに、契約していた精霊もその存在を感じ取ることができない。
普通であれば、ここで騎士団もろとも全滅するだろう。それくらいエドの力は絶大なものだった。しかし。
「は……? え…………」
現れたのはアハト。風の四聖騎士ルドレットの従者、その1人である。
砦の会議室では男の方が発言していたが、その美貌はとても目立っていたのでルービスも覚えていた。
彼女はまず謎の男女を、いとも簡単に無力化してみせる。そしていま。なんと手に持つハルバードで、岩壁に追い込んだエドを殴り続けていた。
(物理攻撃が通じないはずのエドが……! お……押さえこまれている……!?)
四聖騎士の中では、ルービスが最も身体を鍛えている。それに剣も覚えがある。そんな彼女から見て、アハトの動きは戦士の常識を超越していた。
すさまじい速度でハルバードによる連撃を放ち続け、エドもまったく抵抗できていない。
自分の目ではどれだけ攻撃し続けているのかわからないが、エドはまちがいなく全身のあらゆる箇所を強打され続けているだろう。
いや。あの猛攻を受ければ、信仰国最強の騎士でも太刀打ちできまい。そう思わせる迫力がたしかにあった。
「す……すご……い……」
となりでユアムーンがつぶやく。彼女もアハトの強さに目を奪われていた。
そもそも長年かけて討伐できていなかったエドを、ただの物理攻撃で追い詰める者がいるだなんて、だれも考えもしなかっただろう。
だがおどろくのはまだはやかった。
「あ……」
ここでアハトは、エドにハルバードの柄を向ける。そのまま器用に斜めの角度で、エドの骨の間を通して岩壁に突き刺した。
これでエドはハルバードが邪魔して、左右に身体を動かすことができなくなった。そんなエドに対し、アハトは拳を振るう。
「なにを……!?」
普通に考えれば、物理攻撃の通じない高位精霊に拳で殴りかかるなど意味のない行動だろう。
だが。周囲にボキンという音を響かせ、黒い骨が宙を舞った。
「は………………?」
ルービスとユアムーン、2人の思考が硬直する。目の前の出来事をただしく判断するのならば。アハトは拳で、エドのあばら骨を折ったということになる。
それは天地がひっくり返ることに等しいほど、常識ではありえないことだった。
「ああああああああああ!!」
エドが大きく叫ぶ。その声には恐れや恐怖が混じっていた。
あの高位精霊がこのような声を上げるなど、いったいだれが信じられるだろうか。
だが無理もない。エドもまさか克服したはずの物理攻撃で殺されそうになるとは、塵あくたも考えていなかったはずだ。
そして。絶叫のまま、エドはその姿を消した。
「え……!?」
「に……にげ、た……!?」
あのエドが。1人の美しき女性を前に。恐怖で逃げた。だれがどう見てもそうとしか思えなかった。
■
目の前からエドが姿を消したとき。アハトはこれまでの経験から、転移して逃げたものだと判断した。
そしてその目に搭載されたあらゆるセンサーを用いて、エドの行方を追う。
(ふむ……近いですね)
彼女の目がエドを見つけたのは一瞬だった。アハトはそのままハルバードを岩壁から引っこ抜くと、その場から移動する。
そしていま。アハトは岩壁の影に隠れたエドの前へと姿を現していた。
「あ……あ……!?」
エドはあきらかに狼狽した様子でアハトを見ていた。彼女から距離を取るように下がるが、すぐに背中が岩壁にあたってしまう。
「できれば皆の前で倒したかったのですが……。まぁいいでしょう。このままあなたの首を狩り、持ち帰るとします。黒い頭蓋です、だれもがあなたと判断できるでしょう」
「………………!」
これまでのエドの動きを見て、アハトは自分が負ける可能性はゼロだと判断していた。
まだ魔術をまともに受けたことはないが、ボディは高温や絶対零度に対する耐久性を持ち合わせている。深海の水圧にも耐えられるのだ、魔術でもダメージを負う確率は低い。
かといってエドが物理攻撃でアハトのボディを傷つけられるとも思えない。高位精霊をあらゆる意味で上回っているのがアハトという存在なのだ。
彼女を倒すには、同格の戦闘アンドロイドか、フォトンを用いた武装などが必要になる。だがこの星にそんなものは存在していない。
「ま……まって! まってください!」
ここでエドはアハトが予想していなかった行動に出た。両手を上げて敬語でコミュニケーションをとってきたのだ。これにアハトは興味をひかれ、足をとめる。
「まちましょう。なんですか?」
「え…………?」
まさか本当にアハトがまってくれるとは思っていなかったのか、エドはすこし戸惑っていた。だがすぐに言葉を続ける。
「お……俺にはやらなくてはならないことがあるんです……! お願いします、見逃してください……!」
信仰国から恐れられていた精霊エドの言葉とは思えない。今の彼の姿を見れば、だれもが驚きで言葉を失うだろう。
だがこういう形で骸の精霊とコミュニケーションが取れるのは、アハトとしても初めての経験となる。彼女は好奇心のままにコンタクトを継続していく。
「見逃して……あなたの手で信仰国が荒らされるのを見ていろと?」
「ち、ちがいます……! 俺は信仰国をどうかしてやろうなんて気は……! い、いや。場合によってはありえるけど……そうじゃないんです……!」
エドを見ながら、アハトは「人間みたいだな」という印象を抱いた。
人とは別種の存在なのに、人のように強者に対してうろたえている。自分の言葉もまとめきれていない。
「信じられないかもしれませんが……! わ、わたしは前聖王の弟、ムルファスなんです!」
「………………? 骸が精霊化したものでは……?」
「ムルファスの骸が精霊化をしたものです。どういうわけか、この間、ムルファスとしての意識を取り戻しまして……」
エドの言葉にアハトはこれまでで最も強い関心を抱く。折れたあばら骨に視線を向けつつ、彼女は口を開いた。
「骸が精霊化を果たし、人だった時の記憶が戻った……ということでしょうか?」
「そうです。あ、いや……正確なことは自分にもわかりません。精霊化を果たしてからしばらくは、ムルファスとしての意識などなかったのですから」
エドは精霊として自意識を得てから、今日までの出来事をアハトに聞かせていく。
最初は信仰国の騎士たちに強い嫌悪感を抱いていたらしい。そして彼はその激情のまま、騎士たちと戦い続けていった。そして気づけば、自分よりも位の低い精霊たちが従うようになっていた。
それから彼は、時間をかけて支配地域を広げていく。心に激情を秘めながらも、なぜか古城を出ずこの地に居座ることが大事だと思えていた。
「どうしてこの地に居座り続けていたのか。おそらくもとから俺には、ムルファスとしての意識がうっすらとあったんです」
「どういうことでしょう?」
「……順を追って説明させてください。まだ俺がムルファスとして、聖都リスタリスにいたときのことです」
そこから彼はアハトに、自身の境遇を話していった。
兄は優秀な聖王として信仰国を統治していたこと。だが妻が火の神殿長と不倫をしており、状況から見て子のグリアジーンは自分の子ではないと相談を受けたこと。
このまま王家の血をひかないグリアジーンを次期聖王にはできないということ。
「それで兄は……あの日。俺を次の聖王にと話を持ちかけてきたんです」
だがそこに火の神殿長であるクンベルが姿を現した。そして彼は自分の子を聖王の座につけるため、その場で聖王を殺してしまう。
ムルファスも大ケガを負ったが、なんとか聖都を逃げ出した。
しかし騎士団とつながりの深いクンベルは「ムルファスが聖王を殺した」と喧伝し、彼に追手を差し向ける。
「もともとケガの手当もせずに逃げ続けたこともありまして……。数日後に力尽きたんですよ」
そこでムルファスは一度死んだ。そしてその骸が精霊化を果たす。
新たに芽生えた自意識には当初「ムルファス」としての意識はなく、ただ激情がその身に宿っていた。
「骸の精霊化は、人の死から短時間で起こるものなのですか?」
「どうでしょう……。この地はとくに精霊化が起きやすいというのもあると思いますが。おそらくわたしがムルファスとしての意識を取り戻せたのも、〈精霊の目〉が関係しているのではないかと……」
「……〈精霊の目〉とはなんです?」
「王家に伝わるオーパーツですよ」
手のひら大の貴石である〈精霊の目〉。ムルファスが聖都を出るときに持ち出したものだが、これは持ち主の魔力を飛躍的に高める機能がある。だが本来の使用用途はべつにあった。
「聖都にある大神殿。その地下は古の時代に築かれた遺跡になっています」
「ほう……」
「〈精霊の目〉は、その遺跡の奥にある扉を開けるカギだと伝えられています」
そのカギをどう扱えば扉を開けるのか。これはムルファスにもわからない。
だが神秘の力を有する〈精霊の目〉は、代々の聖王に伝わってきたものであり、いわば聖王の証とされていた。
過去には戦場に向かう四聖騎士に〈精霊の目〉を持たせたという逸話もあるくらいだ。
この〈精霊の目〉と、グリアジーンのことが記載された手紙。エドは最初、なぜ自分がその2つを持っているのかわかっていなかった。
だがこの2つを自分が持ち続けなければという使命感は感じていた。
「なるほど。ムルファスとしての記憶を取り戻し、あなたは復讐のために聖都を目指していた……と」
「ちがいます。話にはまだ続きがありまして……」
エドがムルファスとしての意識と記憶を取り戻したのはごく最近だ。それから彼は自分がどうすべきか悩んでいた。
グリアジーンをこのまま聖王にさせておいていいものかという疑問はある。だが彼を排斥しても、信仰国にまた新たな混乱が起きるだけだ。それはエドも望んではいない。
クンベルやグリアジーンを糾弾したい気持ちと、兄がつないできた信仰国を崩壊させたくない気持ち。相反する感情を抱いていたときだった。
「根城にしていた古城に、1人の男が現れたのです。彼はあやしげな魔道具を使い……俺から〈精霊の目〉を奪っていった」
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