第59話 幼少期のエルヴィット

「ガイ……ヤン……。玖聖会……」


 うわさレベルで聞いたことはあった。〈アドヴィック〉が最近、どこかの組織の傘下に入ったと。その組織は他にもいくつかの別組織を吸収していると。


「どうやら頭はわるくないらしい。あんまり貴族らしくねぇなぁ? 貴族の女と言えば、チヤホヤされて若いうちに結婚相手を決め、そのまま家に入る。そんなもんだろ?」


「そういう人もいるでしょうけど。聖竜国でそこまで余裕がある女性はすくないですよ」


「だがお前は青竜公の娘だ。その余裕ある女の1人だろう?」


「………………」


 ちがう……とは言えない。まちがいではないが、しかしエルヴィットにはそのような人生は約束されていなかった。


「紫竜公はわたしをさらって、どうするというのです……?」


「あん? 俺は紫竜公なんて奴は知らねぇ。お前をさらったのは他の理由からだ」


 うそだ……と、エルヴィットは直感的に感じ取った。しかし紫竜公の関与を示す証拠はなにもない。


「いろいろ考えるのもいいがよ。すこしでも魔力を使う予兆を見せたら、遠慮なくその身体に言うことをきかせるように教育するからな?」


「まぁ……困りましたわね」


 会話を続けながらも、エルヴィットは自分の死を覚悟しはじめていた。


 なにか狙いがあって自分がさらわれたのは間違いない。まだ相手の狙いは見えないが、それを確実に潰す方法がある。


 それはエルヴィットが死ぬことだ。目の前の男はエルヴィットを殺すことなく、わざわざだれも助けのこないこの場所まで連れてきた。


 はじめから自分の命が狙いであったなら、さらわなくてもいくらでもその機会があったはずなのだ。


 手間暇かけてまで生かしておきたい理由がある。そしてそれは相手を利することに繋がる。


 ではここで自分が死ねばどうなるか。計画の全容は見えないが、大きく瓦解させられる可能性は大きい。


(家はゼルトがいますし……。これも運命、でしょうか)


 もともとエルヴィットは自分の生に対して大きな執着がない。幼い頃に母を亡くし、エルヴィットは屋敷の中でも腫れ物のように扱われて育っていた。


 それというのも、エルヴィットになかなか魔力が発現しなかったからだ。本当に青竜公の娘なのか。そう陰口をたたかれることもあった。


 だがイジメにあっていたわけではない。父も明るく接してくる性格ではないが、食事を一緒にすることもあった。


 ただ青竜公の娘でありながら魔力がないエルヴィットに対してどう接したらいいのか、誰もがはかりかねていたのだ。


 そんな彼女は、日中は本を読んで過ごすことが多かった。他にすることがなかったから……という理由が大きかったが、とくに選り好みせずに本に目を通していった。


 歴史、空想劇、数学書、古語。本当にジャンルはさまざまだ。その中でもおとぎ話に出てくる大国の将軍グランバルクの話はとくに好きだった。


 いつしかエルヴィットは、魔力はないものの幼いながらに頭がいい少女としてうわさされるようになっていた。


 青竜公はそんな彼女を見て、将来は国の魔道具研究機関で働かせようかと考えた。


 そしてある日。青竜公は幼いエルヴィットに研究所の見学をさせるようにと手配をする。すこしでも興味を持ってくれたらいいだろう……それくらいの気持ちだった。


(思えばあれからでしょうか。自分の生に意味を見出せなくなったのは……)


 運がなかったのだろう。あとになって知ったのだが、当時の研究所は魔力を圧縮する魔道具の研究を行っていた。


 極限まで圧縮した魔力を解放することで、周囲一帯に大爆発を起こすというものだ。


 今でこそこの研究は、どこの国も禁じている。結論が出たからだ。圧縮した魔力は制御できないと。


 そして。まだそのことを知らない当時の研究所で、爆発事故が起きた。


 これにエルヴィットも巻き込まれた。彼女は幼くしてこの時、数日間に渡って生死の境をさまよったのだ。


 皮膚が焼け、頭髪も無くなり、耳も聞こえなくなった彼女は生きる肉塊となった。


 もう言葉も話せない。様子を見に来た父が、変わり果てた自分の姿を見て目を逸らしたのもよく覚えている。


 ああ……わたしこのまま死ぬんだろうな。幼いエルヴィットは自然とそれを受け入れていた。そしてゆっくりと片目だけになった瞳を閉じた。


 もうこの目を開くことはないかもしれない。そんな気持ちもあった。自然と涙が流れたが、失われた両腕ではそれを拭うこともできない。


 ここで死んでもいい。そう心から思ったその時だった。身体の内から魔力があふれ出てきたのだ。そして彼女はこの時初めて、魔力を発現させた。


(おかげで父にはずいぶんと驚かれましたが)


 発現した属性も特殊なものだった。そしてその目覚めた魔力の属性が発揮した効果もあり、エルヴィットは全身が完全に回復した。


 肌も腕も目も髪も。なにもかもが元通りに……いや。髪色は金髪から薄緑に変化した。それに臓器の一部も復元されることはなかった。


 以降エルヴィットは自分の人生に意味を見出せないでいた。奇跡の復活を果たしたのに……いや、だからこそ。復元されなかった一部の臓器も関係し、自分の存在理由がわからなくなったのだ。


 本当の自分はあの時に死んでいたのではないか。

 今の自分はあの時に目覚めた魔力が意思を持ち、エルヴィットのふりをしているだけなのではないか。

 そもそも今の人生自体がオマケのようなものなのではないか。


 そんな自問自答は今も続いている。だが頭がいいエルヴィットは、父からいろんなことでよく相談を受けるようになっていった。これに彼女は快く応じる。


 しかし常にもう一人の自分が客観的に見ているのだ。父の要望に応えたところで、家を継ぐのはゼルトである。自分の助力で青竜公家の基盤が強くなっても、最終的に自分自身になにかが残るわけではないと。


 だからといって、ではどうしたいといった具体的なビジョンはなにもない。そもそもどうでもいいからだ。極端な話、明日死んでもかまわない。


 それに貴族子女としての務め……子を成すこともできなくなったのだ。つまり青竜公家の娘としての価値も無に等しい。


 血を繋ぐという貴族としての役目を全うできない身体になったエルヴィットは、生まれの身分にも意味を見出せなくなっていた。


(子宮がなくなったわたくしには、もはや貴族位でいる意味すらありません)


 復活を遂げたからこそ、自分の生きる意味をより深く考えるようになった。考えた結果、人生に意味を見出せなくなった。


 今は父の希望どおりに軍学校に通っているが、卒業後に軍に入って成し遂げたいこともなにもない。


 だからこそ。今、ここで死ねば。自分のこれまでの生に、すこしでも意味を持たせることができるのでは。エルヴィットはうっすらとそう思考する。


 もっとも、死ぬというのも簡単なことではないのだが。そう考えていたタイミングでガイヤンが口を開いた。


「まだすこし時間があるな……。いちおう聞いておこうか。シルヴァークという名は知っているか?」


「………………?」


 知っているもなにも、聖竜国の高位貴族であれば……とくに竜公家の者であればだれもが知っている名だ。しかし平民や下位貴族には別の名前で知られている。


「……初代聖竜公に力を授けた神。聖竜神様のお名前ですわね」


「…………ほう。そういやこの国は、聖竜神を祀っているんだったか。そうかそうか……なるほどな……」


 シルヴァークという名を知っている時点で、聖竜国の高位貴族である可能性が高い。


 だがガイヤンは名前だけを知っていて、その名が聖竜神のものだとは知っていなかった。順序がちがう。


「どうしてその名を……? どこで知ってのです?」


「さぁなぁ。ち……しかし遅いな。いや、俺がはやすぎたのか……」


 状況から見てガイヤンがだれかを待っているのはわかる。そして会話で情報を引き出すのもむずかしいように思えた。


(従順なふりをして、1人になれる機会を探りたいところですわね……。どこに連れていくつもりなのか次第でもありますけど)


 それに待ち合わせをするには違和感のある場所でもある。おそらくは自分が逃げられない場所を選んだのだろう。


 ここなら助けは期待できないし、どこへ逃げたところで身を隠す場所もない。それにガイヤンをふりきることも不可能だろう。


(たとえここで魔力を発現させても、ガイヤンは殺さずに無効化するでしょう。この場で死ぬことはむずかしい……やはり変に警戒されないように振る舞うのがベターですわね)


 次からは外出時には、靴底に自決用の仕込みナイフでも用意しておこうかしら……。なんてことを考えはじめた直後だった。


「ぁがっ!?」


「…………!?」


 どこからか飛んできた石が、ガイヤンの頭部に命中したのだ。彼はたまらずその場に倒れ込む。そして。


「エルヴィット、お待たせ!」


「え……!?」


 目を疑うような速度で走ってきたマグナが、エルヴィットの身体を抱き上げる。そしてそのままガイヤンから距離を取ったところで、彼女を下ろした。


「ふぅ。だいじょうぶか? どこかケガとかしてね?」


「だ……だいじょうぶ、です……。その……マグナ、さん……ですよね?」


「うん? 見たらわかるだろ?」


 マグナの実力の高さはわかっている。それでもガイヤンの見せた身体能力から、ここまで救出に来られる者はだれもいないだろうと考えていた。


 しかしこの目の前の男は、まともに明かりもない中、短時間でここまでたどり着くことができた。さらにこの暗がりの中で、ガイヤンの頭部に正確に石をぶるけることまでやってのけた。


「マグナさん……あなたは……いったい……」


「ってぇな……」


 ガイヤンがゆっくりと立ち上がる。頭からは血が流れていた。


「え!? マジで!? たぶん死んだだろ~、って思っていたんだけど……!?」


「ああ……効いたぜ。まさか俺に気取られない距離から、こんな原始的な攻撃をしかけてくるとは思っていなかった……。てめぇ……なにもんだ……?」


 ガイヤンは先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、マグナに鋭い目を向けていた。明かりのない中で頭部に石を当てた技量といい、ただものではないと見抜いたのだろう。


 一方でマグナはと言えば、緊張した様子もなく正面からガイヤンと目線を合わせる。


「会場警備のマグナだ。テロの現行犯からエルヴィットを助けにきたぜ」


「あぁ……? 会場警備だぁ……?」

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