第8話 塾でもね

「来てくれたんだね」

「……はい、」


「今日も、お話、する?」

「はい」


「テストまであとちょっとだけど、」

「レノンちゃんなら大丈夫!」


「一緒に頑張ろうね!」


「ありがとうございます」

「……音野先生」


「なに?」

「音野先生は、塾の先生をする前、なにをしていたんですか……?」


「お医者さんだよ」

「え、わざわざ辞めたんですか」


「ううん、精神科医やってたんだけどさ、ストレスになっちゃって。」


「そうなんですか」


「音野先生は、もしタイムスリップできるとしたら、」

「どこにタイムスリップしますか?」


「急に……⁉」


「私だったら、過去の精神科医やろうとしてる自分に、」

「「今、全然関係ない仕事してるから!!」って言うかな~」


「それで、精神科医やらせないで、最初から塾の先生やらせるかも」


「塾の先生、は楽しいんですか……?」


「つまらなくはないよ。」


「私は、元々子供が好きだったし、教えるのが得意だったから、」

「「もしかしたら、塾の先生、向いてるかもしれない!」って思って始めたね」


「物事を新しく挑戦するのって、結構勇気がいるけど、」

「その勇気が持てたら、あとは走るだけだよ?」


「頑張っときゃ、なんとかなるし」


「社会はそう甘くないっていうけど、」

「それでもなんかうまくいくのが社会なんだよね」


「これ、覚えといたほうがいいよ!」


「私のお母さんがずっと言い続けてきたことだから!」


「みんなにも教えてあげてね?」


「勇気を与えてあげられるのは、最高なことなんだよ」


「……はい!」


先生に勇気をもらえて、嬉しかった。


思わず口が緩んだ。

笑いかけた、そのとき――


「すみません」


お母さんの声がした。

「レノンはいますか」


「えっ」

咄嗟に声が出てしまった。


また、なにかあったのだろう。

なにか、言われるのだろう。


「……ここにいますよ、」

先生がそう答える。


前を、見ていられなかった。

「ありがとうございます」


「……レノン。」

「学校、行かないの?」


私が、一番聞きたくなかった、その言葉。

その響き。

『学校』。


「……それはっ、」


「午前中、靴がなかったから、」

「もしかして、と思って塾に来たけど、」

「学校に行かないで塾に行ってるの?」


「……、」

「これ、前にも話したけど、」

「塾に行くのはいいことだと思う。」


「だけど、そろそろ学校に行ってみたらどうかしら?」


「新しい友達を作るチャンスなのよ?」

「1日だけでもいいの。」


「だから、もう一度、少し環境の変わった学校に行って、」

「学校を克服してみようよ。」


「でもね、お母さん……!」


「違うの、お母さんが聞きたいのはそういうことじゃない。」


「学校にまだ、一度も行っていないのなら、」

「どうなのか分からないじゃない。」


「なのに、行かない行かないって言って、」

「クラスで浮いている存在になったら……。」


「お母さん。」

「もう少し、考えてみましょう。」


「先生、大丈夫ですよ、関係ないじゃないですか」


「関係ある、ないじゃないんです。」

「まずは、本人の意見を尊重することが先だと思うんです。」


「確かに、お母さんの言うことは概ね正しいです。」


「しかし、まだ中学生になったばかりで、」

「勉強が難しくなったり、環境が変わることに、」

「少し恐怖を抱いているのではないでしょうか。」


「親子では、よくあることです。」


「親は親で、親なりの考え方があり、」

「子供は子供で、子供なりの考え方があるんです。」


「一度、相談し直してみるのが一番だと、」

「私は、そう思います。」


「音野先生、っ……!」

「レノンちゃん。」


「一緒に頑張りましょう。」


音野先生という人。

私の担当をしてくれている塾の先生だった。


人といるのが苦手だった私は、

いつしか、学校に行けなくなっていた。


人混みが苦手で、

コミュニケーションが取れない人になっていた。


そこで、個別指導の塾に行って、

塾で学校の内容を教えてもらうことになった。


『一緒に頑張りましょう。』


これが、先生の口癖だった。


いつだって、私のことを分かってくれる。


理解してくれる。

考えてくれる。


だから、塾に行きたいと思うようになった。


学校は、元々嫌いだった。


嫌いなものを、嫌いなままにしておいて

落ち着くのが、やっぱり私だった。

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