木下 雫④


 最高の瞬間とは最低の瞬間でもある。

 嬉しい瞬間とは悲しい瞬間でもある。

 ちょっと言っている意味が分かりません。


 生きるとは死ぬことである。

 なんとなく理解出来る。


 対となる言葉は表裏一体。

 そうなの?


 その表裏の間を顕微鏡で覗いてみよう。

 限りなく一体に近いが、近付けば近付くほどに浮かび上がってくるその隙間。


 時間という概念から解放された者だけがその隙間を支配する。


 しかし、地球上の生物はもれなく時間の中に生きている。そしてそれから逃れられる術は存在しないのだ。


 〜エンディング音楽が流れる。



「すっげぇ難しい内容だったな。俺は少し理解できたけど、姉ちゃんは1ミリも理解出来なかったんじゃないか?」

「私だって少しは理解できたよ」


 現在我々家族は晩御飯の食卓を囲んでいる。


 そしてテレビを見ながら食事をしているわけだが、今見ていた番組は“人生”をテーマにしたディスカバリーだった。


 あまり興味をそそられない、どうでもいい内容だったと思う。半分以上理解出来なかったけど。


 この番組はお父さんと拓海が好きでいつも鑑賞しているが、お母さんと私は仕方なく付き合っている感じだ。

 男のロマンみたいな内容は中々に入ってこない。


「姉ちゃんは馬鹿だから理解してないに決まってる。強がらなくてもいいよ」


 なんだこのチワワむかつくなぁ。


 私は無言で拓海の生姜焼きを一枚盗み、口へと放り投げた。


「なにすんだよ!俺のだぞ!返せよ!」


 既に口に入れた肉を返せとは。こやつもアホよのう。

 私は大げさに咀嚼し、美味しさをアピールしてやった。


 拓海はブチ切れ、身を乗り出して私の生姜焼きを狙ってきた。


「あんた達いい加減にしなさい!拓海!悪いのはあんただよ!座りなさい!」


 お母さんは怒鳴り、真っ当な判決を下してくれた。

 姉ちゃんだって!と拓海はお母さんに反論するが、勝てる筈もなく説教が始まった。


 そしてどさくさに紛れて、拓海のお皿からさらに一枚生姜焼きを盗んでやった。


「あ!お母さん、また姉ちゃんが盗……」

「ガーーー!!」


 今のお母さんには火に油だ。大人しく説教を受け続けるしかない。


「ご馳走様でした」


 私は眼の前の食事を急いで口の中に投げ入れ、お母さんの怒りが飛び火しない内に席を立った。


 横目で覗く拓海の顔は苦痛に歪み、“覚えてろよ”と私に語りかけている。


 私は中指を立てながら口の端を持ち上げて、姉ちゃんの偉大さを知らしめてやった。


 その間、お父さんはこの喧騒が耳に入ってこないのか、テレビを“アリゲーターハンターのあくなき挑戦”というドキュメンタリー番組に切り替えていた。


 この番組はアメリカのフロリダ州で活動しているフリーランスのアリゲーターハンター、オリバーとマークの二人が織りなす、ワニの捕獲劇である。

 直接ワニの口を手で抑えるシーンは緊張感に溢れ、見ているものをハラハラドキドキさせてくれる。

 え?そんなことは聞いてない?失礼しました。


 空になったお皿をシンクに片付けて、私は自室へと向かった。


 だけど流石に生姜焼き二枚は可哀想だったかな。


 私は自室に向かう道すがら、スマホで拓海にメッセージを送る。


『生姜焼き二枚は悪かったね。変わりと言っては何だけど、冷蔵庫にある私の食べかけのプリンあげるよ。めっちゃ迷ったんだからね。優しい姉ちゃんに感謝するんだよ』


 これでよし。


 プリンあげるからこれ以上怒ることは無いと思うが、念の為部屋にはカギを掛けておこう。

何しろあのチワワは何しでかすか分からない、クレイジーチワワなのだから。


 私は部屋にカギを掛けた後、ベッドへとダイブした。そして充電中のスマホをそのまま引っ張り、寝転がりながらスマホを操作し始めた。


 漫画周回はめんどいから後にしよ。やっぱお笑いだよね。

 ……なんかグループにメッセージ来てる。

 かよちんからだ。


『合コンの時の写真早く送ってくれー』


 合コンパーティー……二日前のことなのに既に昔のように感じる。あー楽しかったなー


 夜はれんちーといちゃいちゃ出来たし、記念日にしたい位最高な日だった。

 ん、あいりんから返信きた。


『それってこの写真の事?』


 一緒に添付された写真には、下着姿で寝ているかよちんの姿が。

 そっか、あの時あいりんが飲ませまくって、かよちんの服を剥いたんだった。


 続け様に送られてくる写真。


 いろんなアングルで撮られており、中には際どい写真も含まれている。


『誰に許可をもらってこの写真を撮ったんだ?返答によってはお前の人生が終わるからな。言葉には気をつけろよ?』


 かよちんは語気を強めてあいりんに詰め寄った。


 知らずの内にこんな写真を取られたらそりゃあ怒るわな。本当にあいりんの人生は終わるかもしれない。


『雫』


 ああああいりん?

 チ、チミは何を言ってるんだ?私を道連れにするつもりか?

 不可侵条約はどうなった!互いに干渉しない約束でしょ!

 

『ふーん。で?あんたら今家に居るの?雫もこのメッセージ見てるんでしょ?』


 驚くほど早いレスポンス。そして既読でバレてる!

 

 メッセージのやり取りとは思えないほどの臨場感が襲ってくる。


 とにかく弁明しないと。このままだと終わる。かよちんに○される。


 私は慌ててスマホをタップし、文章を組み上げていく。


 ポンッ

 早い!私が打つ前に話が進んでしまう。


『私は今雫の家に遊びに来てるよ〜。そろそろ帰るし、来るなら早くきなよ。ほら、来てみなよ!』


 こいつ何言ってるんだー!!

 っていうか煽ってどうする!?


 ポンッ

 返信早いて!


『もう家出てるわ、ボケこら。吐いた唾は飲むんじゃねーぞわりゃ。ケツから腕突っ込んで奥歯ガタガタいわしたるわ』


 反社の方ですか?

 私の知ってるかよちんじゃないぞ。マジで怖いんですけど。


『はい口だけー。あんた足遅いんだから口より足を動かしてよ。本当に帰っちゃうよー』


 あいりん私ん家に居ないでしょ!勝手に殺人鬼送り込まないでよ!クソッ、何故か知らないけど嵌められた!


『わりゃ相当○されたいようやのぉ。チンピラには持ったいねーが。チャカとドスどちらで○ぬか選ばせたるわ。それにのぉ。歩いて向かってるなんて一言も言っとらんぞ?この音が聞こえんのか?車じゃボケ。まぁ、モクでも吸って待っとれや。吸い終わる前に着くと思うがのぉ』


 完全に反社の方ですよね?

 親分さんですか?

 かよちんじゃないですよね?

 つーか音が聞こえるわけないでしょ!


 ッッッ!!ツッコんでる場合じゃない!早く弁明を!


『かよちん!あいりんが言ってることは全部嘘だよ!私ん家には居ないんだからね!』


 ようやく言えた。かよちん私を信じてくれるかな。


『おう、着いたぞ。カチコミされたくなかったら出てこいや。ワシも無駄な○しはしたない。お前らの首でチャラや。家族には手ーださへん。約束する。だから大人しく出てこいや』


 メッセージスルーされてる!

 この人怖すぎるんですけど。


 窓越しに下の通りを覗くと、黒塗りのベンツが三台駐車していた。


 ガチ?

 私○ぬの?


 私が恐怖に見を竦めていると、新たなメッセージが届いた。


 ポンッ


『グループメッセで変な芝居やらないでよ。いくつか写真、アルバムに入れとくわね』


 ななみんからだ。ななみん助けてくれー!


『ごめん、ごめーん。これはドッキリだよ。ね、夏夜』

『ヤ○ザ映画を愛里と一緒に観てたらハマってしまってな。芝居に熱が入ってしまった』

『雫怖かった?』


 なーんだ芝居か!良かったー

 安心したら腰抜けた。


『めちゃくちゃ怖かったよー。親分さんは駄目だって!じゃあ外の車は偶然か』

『車?』

『うん、丁度家の前に黒塗りベンツ三台停まってるのよ』

『まさかの本物。笑』

『怖すぎるな』

『雫、絶対ふざけて近づいたりしないでよ』


 するかい。わたしゃーまだ死にたくないよ。


『ということは、かよちんは隠し撮り写真の事怒ってないの?』

『まぁ怒ってなくは無いけど、愛里のすることだしな。諦めてるって感じかな』


 おぉ、かよちん大人だ。じゃあ私も出して大丈夫かな。


『そうなんだ。良かった。実は私も一枚隠し撮りしたんだよね。これなんだけど』

『なんだこれ!胸チラ……っていうか乳首見えてるじゃないか!』

『ふふーん、我ながら渾身の一枚が撮れたよ』

『夏夜、女の乳首とはどんなに隠しても見える時は見えるものだ。諦めろ』

『可哀想……変態にターゲットにされたばっかりに』

『雫!今すぐ消して!それは流石に許容出来ない!』

『えー、隠し撮りしても良いって言ったじゃん。それにマー坊が欲しがってたからあげちゃったよ。れんちーを通して』

『舐めとんのかワレ。ポン刀持って今すぐそっち行くから、首洗って待っとれや』


ーーー


 ジョン万次郎おもろ!


 私はベッドに横になりながら、スマホでお笑い動画を視聴していた。


 やっぱお笑い最高だ。さくーまチャンネル最高すぎる。

 今のところ一番面白いチャンネルだわ。


 ささくれだった心が癒されていく。

 

 かよちんに〇すと脅されるし。

 ヤ〇ザの車が家の前に来るし。

 チワワがキャンキャン鳴きながら部屋のドアを引っ搔いてくるし。


 これらは、つい先ほど私の身に降りかかった嫌がらせだ。

 私の人生は暗雲低迷と言わざる終えない。


 そんな腐りきった世界でも、一筋の光が差し込む時がある。それが占いやお笑いに触れている時だ。あとれんちーに触れている時だ。

 ……あとご飯食べてる時とエロ小説や漫画を読んでいる時もそうかも。学校で友達と喋ってる時もか。それと学校終わった時のあの解放される瞬間もね。


 だからそれらの瞬間は極めて大事な事であり、私の持つアイデンティティを支える柱になっているのだ。


 ぶぅふぅぅぅーーー!あはははは!

 面白い過ぎる!この芸人さん天才過ぎるだしょ。


 動画を見ながら大声で笑い転げる私。

 ん、部屋の壁をドンドンしてる音が聞こえる。隣にお住まいのチワワが壁を叩いているのかもしれない。

 こんな夜に壁ドンの練習をするなんて。時代と時間を考えて欲しいものだ。私は寛容だから許しちゃうけどね。


 あー笑いすぎてちょっと喉が乾いてきた。


 暇を持て余しているであろう弟に飲み物持ってきてもらおう。


 ポチポチッとな。


『麦茶今すぐ。ついでに私の食べかけのプリンも持ってきて』


 これでよし。

 ポンッ


 お、すぐに返事きた。殊勝なことだ。


『お前頭おかしいのか?』


 姉ちゃんをお前呼ばわりとは。思春期してるなー。だけどこれを許してしまうとつけ上がるだけだ。ここは姉ちゃんとしてビシッと言ってやらねば。


『拓海。女の子にお前とか言ったら駄目。男子と違ってお前耐性が低いんだからね。姉ちゃんは怒ってないよ。拓海の将来のために言ってるんだからね?

 話しを戻すけど、麦茶今すぐ。ついでに食べかけのプリンも持ってきて』


 これでよし。

 ポンッ


『姉ちゃん。弟に何かを持ってくるよう命令したら駄目だよ。普通の人間は命令されるとイライラするんだ。でも俺は怒ってないよ。姉ちゃんの将来のためにに言ってるだけだからね?

 話しを戻すけど、俺は忙しいから麦茶は持っていけないよ。それに姉ちゃんのプリンはもう俺の物だ。勝手に食べないでほしいな』


 そっかー

 初めて拓海の気持ちを知ったよ。命令されるの嫌だったのか。

 拓海が幼稚園か保育園くらいの時だったかな……

 一緒に公園で遊んでる時に、ボール投げて取りに行かせると喜んでたから、そういうのが好きな子だと思ってたよ。反省しなきゃね。


『拓海ごめんね。てっきり命令されるのが好きなタイプだと思ってたよ。今後は命令しない!姉ちゃん拓海に嫌われたくないからさ。

 だけど、一度口に出した命令は取り消せない。これだけは分かって頂戴。最後だから。もう今後は言わないから。だからお願いね。

 麦茶今すぐ。ついでに食べかけのプリンも持ってきて』


 これならいける。

 ポンッ


『最後って言葉の意味を知ってる?姉ちゃんよく“これで最後”とか“一生のお願い”とか言うけど。本当に最後だった試しがないんだよな。

 よって拒否します。

 それにさっきも言ったけど、その食べかけのプリンは俺の生姜焼き二枚と交換した物だ。お前の物ではない』


 拓海のメッセージを受けて私は勢いよくベッドから立ち上がった。

 しゃーないですな。自分で取りに行こ。


 しかしそのタイミングで隣の部屋から慌ただしい足音が響き渡ったと思うと、ドアを強めに開ける音が聞こえた。


 まさか…………しまった!


 私は駆け出した。

 しかし完全に出遅れた。

 

 自室を出た先、目に写ったのは弟の背中だった。

 たかだか数歩、されど数歩。


 私は悟った。弟に負けてしまったんだと。


 それでも立ち止まれない。必死に追いかける。追いつけないのは分かっているが、何が起こるか分からないのが人生だ。


 転べ!


 念じる。まさに神頼み。

 しかし神は答えない。


 冷蔵庫に辿り着いた弟は、まるで何百回も練習したかのようなスムーズな動きで、冷蔵庫からプリンを取り出した。


 何度も見返したあのフォルム。見間違うはずがない。あれは私の食べかけのプリンだ。


 やめてぇぇぇぇぇーーー!!


 弟の動きは完璧だった。冷蔵庫に着いてからの一連の動きは、武芸の達人であるれんちーを彷彿とさせた。


 90度に傾いたお皿からツルツル滑り落ちていくプリン。


 落ちた先には1.6メートル級の小型の巨人が大きく口を開き、プリンを待ち構えている。


 恐怖に身をぷるぷる震わせながらお皿を滑るプリン。

 そして、お皿から身を投げ出された瞬間、私にはプリンの声が聴こえた。

 “僕は君に……食べられたかった”


 ガブッ!


 私はその場で崩れ落ちた。


 ガブッ……ガブッ……ガブッ……


 何で、私のプリンが食べられてるの?誰か教えてよ。


 その小型の巨人は、ニンマリとした笑みを浮かべながら私の方へと向かってくる。


 あっというまにプリンは噛み砕かれ、胃袋へ落ちていった。小型の巨人の口元に付着したプリン片が生生しく、プリンの最後を物語る。


 奇行種……だったのだろう。

 私の事を無視して脇を通り過ぎていく。

 大きく口角を釣り上げた表情だけが私の脳裏に焼き付けられた。


 腐りきったこの世界。

 絶望を抱きかかえながらも、差し込む光だけを頼りにひたむきに頑張ってきた。


 それなのに……

 

 私は暗雲低迷の人生を彷徨い歩いている。


 対なる言葉が表裏一体だと言うのなら、いつかは表の景色も見れるのだろうか。

 それとも隙間とやらに阻まれてしまうのか。


 私は歩み続ける。雲外蒼天に転じる未来を信じて。


 …………変なこと考えてないで、お笑いの続きでも見よ。

 私は麦茶片手に自室へと帰っていった。


ーーー 


 目が覚めた。

 なんだか長い夢を見ていた気がするが思い出せない。


 苦しい夢でありながら楽しくもあり、悲しい夢でありながら嬉しくもあった。そんな夢だった気がする。

 

 ……お腹空いた。


 大きなあくびをしながらスマホを手に取り、電源を入れる。


 もうこんな時間!?あれ、アラーム鳴ってた?


 即座に脳が覚醒していく。

 

 そうだ、今朝は弁当屋の手伝いがいらない日だったんだ。間違って起きたから二度寝したんだ。その時にアラーム設定してなかったのか!


 私はグーっとなるお腹を無視して、ベッドから飛び出した。


 洗面所で簡単に洗顔し、髪を解かすと台所へ向かった。


 静かな家の中。


 お父さん、お母さんは既に一階の弁当屋で仕事中。拓海は部活の朝練。今家には私一人だ。


 数分後にはれんちーが来る。急いで着替えて準備しなきゃ間に合わない。寝坊きつ。


 時間がない……しかし

 私の体は、脳から送られる信号とは別の動きをし始めた。


ーーー


 普通にがっつり朝ご飯食べてしまった。

 がっつりと言っても手の込んだことはしていない。

 茶碗四杯分の白飯を、私専用の丼ぶりによそおい、たまご3個入れてたまごかけご飯を食べたのだ。味変は鮭フレークと海苔佃煮である。


 私にとってはたまごかけご飯は飲み物みたいなもんだ。つまりはそういう事。時間はかけていない。


 反省しろと言われれば反省はする。

 でもこれだけは分かってほしい。腹ペコ時の私はストマックに操られている。自分の意思じゃない。マリオネット雫だ。カッコよく言うなら、雫・M・木下だ。


 とにかく!こんな事してる場合じゃない!

 急げ!もうれんちーが待ってるはずだ!


 れんちーごめん。すぐに降りるからね。


 こんなときに拓海がいたら……ご飯を食べてる時に私の制服を準備させてたのに。肝心なときに居ないなんて、つくづく使えないやつだ。


 急いで着替えてっと………カバンに色々ぶち込んでっと……ん?何で占いカード光ってるんだろ?まぁいいや……とにかく全部ぶち込んでっと!


 ランウェイモデルの様な早着替えをこなし、ぶちまけてた荷物をカバンへ詰め込み、私は駆け出した。


 足取りが軽い。なぜなら最近毎日が凄く楽しいから。

 れんちーと付き合う3秒前の状況が影響していると思う。


 れんちーから向けられる愛しい眼差しは、私の気分を高揚させる。とにかくハッピーなのだ。


 今日も素敵な一日が待ってるに違いない。


 私は玄関扉を開き、階段を滑るように降りてれんちーと合流した。


「れんちーおっ待たせー」


 なんて事無いただの日常。

 連続した日々の延長線。

 疑いようのない今日という一日。



 この日、地球に隕石が降り注いだ。


ーーー



 日常とは幻想だ。

 常に事象現象は変化し続ける。森羅万象はすべからく関連付けられているのだから(笑)

        /無空の点滅者ナーの呟き/



ーーー


 私は占いカードに絶対的な信頼を寄せている。

 今まで数え切れないほど使用してきたが、一度だって外れた事がないからだ。


 百発百中で当たる。

 あり得ないが、この占いカードはそれを実現させる。


 現代科学では証明できない、何らかの力が加わってる事は確かだけど、それが何かは分からない。


 私の予想では、オーバーテクノロジーでは無いと思う。どれだけ科学が進歩しようが、これ程の物を作れるとは思えない。


 となると、やっぱりオカルトやファンタジーの類かな。

 

 いつ、どこで、誰が、誰に、起こる出来事。


 たったこれだけのシンプルな内容でありながら、与える影響は恐ろしい程に絶大である。


 今まで何百回と使用してきたこのカード。


 今日もカバンから占いカードを取り出して占いを開始する。

 いつもと同じ様に。

 

ーーー


 いつもなら一枚しか光らないカードが何枚も光っている。こんなの初めてだ。


 取り敢えず適当な一枚を引き抜いてみる。


 “繧?▲縺滄≠縺ォ蟷イ貂牙?譚・縺溘?”


 頭に思い浮かぶメッセージが文字化けしている?なんじゃこりゃ。


 今までに無い反応に戸惑いながらも、私は占いを続けた。

 

 “縺輔※縲∝・ョ逋コ縺励※繝ャ繝吶Ν5縺ョ譏溯誠縺ィ縺嶺スソ縺?∪繝シ縺”


 やはり文字化けする。これじゃあ占いを続けられないよ!


 占いカードの新たな展開に、少なからず高揚感が芽生えたが、実用的ではない状況に私は焦りを覚えた。


 皆が私の占いを待っている。文字化けはやめてくれー。


 カードをシャッフルしてみるが、複数枚光っている状況は変わらない。


 こりゃあ駄目かもしれない。もう一度引いて駄目なら一旦諦めよう。


 お願い!


 今一度カードを引いてみた。


 “繝昴メ繝?→縺ェ縲 消滅全員死”


 やはり文字化けしている。でも分かる単語もあった。


「えっ…………しぬ……?どういう事?」


 そして突然、頭に映像が流れ込んできた。

 記憶の一部であるかの如く鮮明に映し出されるその光景。


 街に巨大な隕石が降り注ぎ、逃げ場もなくを、人々は右往左往しながら、街中に阿鼻叫喚が響き渡っている。


 何!?なんなの!?


 映像というにはリアル過ぎる。なにこれ……どうなってるの!

 

 私は今まさに五感で感じている。

 肌に伝わる空気揺れ、鼻腔に届く車の排気、砂埃、アスファルトの匂い、耳を刺す人々の絶叫、そして5億7600万画素で見る、空を埋め尽くす隕石群。


 これは未来の記憶?

 私はこの未来を知っている。というより体験している?


 ううう……うぅ。

 胸が張り裂けそうだ。苦しい。やめて……


 この絶望感。

 抗うことの出来ない恐怖が体を締め付けていく。


 駄目……駄目!もう止めて!これ以上は見たくない!


 苦しい。無理、無理、無理無理。死ぬ。死ぬ。死んじゃう。


 助けて、誰か助けて……


 あ……あぁ


 もう助からない。

 ここで皆死ぬんだ。

  

 私は“死”という存在を心に染み込ませ始めた。もうおしまいだ……

 ところがその時。瞬時に景色が移り変わり、数分前の町並みに戻っていた。


 え?


 頭が追いつかず混乱状態の私。


 先程とは打って変わって平穏な日常風景。

 隣に並ぶ大好きなれんちー、大切な友達、通りを歩く人々、信号待ちする車。

 

 どれも見慣れた普通の光景だ。


 ___あぁ、そっか。私が見たのは未来だ。


 自然と体が震えだす。

 あれが今から起こるの?

 体の震えが一層強くなる。


 私の体は一瞬で恐怖に染め上がった。


 握りしめていた占いカードが手からこぼれ落ちていく。

 

 怖い。寒い。苦しい。


 一度目に焼き付いたあの光景を忘れる事は出来ない。

 もう嫌だ。あんな経験するぐらいならいっそ死んだ方がましだ。 


「雫落ち着け!何がでた?何が見えたんだ!?」


 突然肩に衝撃が走り、体が大きく揺さぶられた。


 たっちゃん……


 気が付くと目の前でたっちゃんが叫んでいた。

 その剣幕で来られると普通なら怯んでしまうが、今の私の感情が揺さぶられる事は無かった。


「雫!!!」


 そうだ……皆まだ知らないだ。今から起こる出来事を。

 でも今更何ができるというのだろう。

 そう、私達に出来ることは何も無い。

 そしてこれから起こる事は、非現実的過ぎて説明する事も出来ない。


 皆ごめんね。私はもう駄目みたい。

 キャンセルするよ。この世界を。

 

 そして私は未来を諦めた。


 その時、不安がるれんちーと目が合った。

 心にチクリと痛みが走る。

 ごめんねれんちー。ごめんね。


「みんな……死んじゃう」


 結果だけ伝え、私は心を閉ざした。

 

ーーー


 何も見えない。何も聞こえない。

 でも頭だけは冴えている。

 私は真っ暗闇の空間の中、道なき道を歩いていた。


 温かい……


 突然50メートル程先に、熱を帯びた光の球体が現れた。


 光に誘われる虫の様に、私は何も考えず光に向かって歩を進める。

 近付けば近付くほどに、私の体が内側から温まっていくのが分かる。


 温かくて気持ちいい。


 球体の目の前まで来た私は、野球ボール程の大きさをしたそれに、手のひらを覆いかぶせた。


 すると球体は光を強く放ち、空間全体を照らし始めた。一瞬で辺りは真っ白な空間へと移り変わる。


 同時に宙に出現した沢山の写真達。


 私は全て理解している。宙に浮かぶ写真も、今居るこの場所も、私が今何をしているのかも。


 ここは内面世界。私の心の中の世界だ。


 そろそろ外の世界が滅亡する。

 だから内に避難してきた。


 避難といっても命が助かるわけない。ただの現実逃避である。


「なんで隕石なんか……」


 私は独り言を呟きながら、一枚の写真を手に取った。家族の集合写真。皆が笑顔で幸せそうに写っている。


「お父さんもお母さんも若いなー」


 あ、これ懐かしい。


 さらに別の写真に手を伸ばすと、それはれんちーと出会った頃の思い出だった。


 この時確か、洋服が可愛いって褒めてくれたんだよね。れんちーは昔っから優しいからなー


 この写真ってもしや!

 これも懐かっ!


 私は片っ端から写真をかき集めていった。


ーーー


「雫……俺だよ……」


 耳元で声が聴こえた。

 私の大好きな声。


「れん……ち……」


 私は夢を見ていた。

 その夢は暖かくて優しい、素敵な世界の物語。


 自然と涙が溢れた。

 大量の涙は視界をにじませ、目の前のれんちーをぼやけさせる。


「わた……し……、死に、たくない……」


 私は上手く喋ることすら出来ない程に泣きじゃくった。


 もっと生きたかった。もっとやりたいことがあった。もっとお母さん、お父さん、拓海と一緒に居たかった。大人になって……れんちーと結婚したかった。

 過去は未来に繋がるものだと疑いもしなかった。


 嫌だ!まだ死にたくないよ。もっと生きたい。


 れんちーは泣いてる私を優しく抱き寄せる。


「雫……死ぬまで一緒に生きよう」


 れんちーの言葉を受けて、涙で濡れたくしゃくしゃの顔を持ち上げた。

 れんちーの顔をはっきりと見つめる。そこには死への恐怖を微塵も感じない。寧ろ……


 この顔見覚えがある。告白する時の顔だ。


 “死ぬまで一緒に”

 れんちーの言葉の意味。


 思えばずっと一緒だった。

 私の中には常にれんちーが居た。

 かけがえのない人。


 今この時。私の意識から隕石が消えた。

 

 私が一度手放した未来。

 れんちーがずっと握りしめてくれた未来。

 ありがとうれんちー。


 私は今同じ未来を見ているよ。


「大好きだ!……雫のことが大好きだ!」


 れんちーが叫ぶ。


「れんちー…………」


 止まらない涙は嬉しさの証。


「私も、大大大好きだよ!」

 

 私は叫ぶ。

 そして……



 私達はキスをした。

 それは最もわかりやすい愛の形。


 私は全てが無に返すその瞬間までれんちーと生きた。


 “れんちー大好き。死んでも一緒だよ”


 そして世界は終わりを告げた。

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