工藤蓮④

「お前最近変だぞ」

「あー、俺もそう思ってたわ。この変人め」


 竜也とマー坊は昼飯を頬張りながら、唐突に俺をディスってきた。


「急になんだ?お前らと一緒にするな。俺は至ってまともだ。黙って飯を食え。この変人1号、2号が」

「それそれ!前からそうだったが、なんかより上から目線になったというか、ウザさが増したというか」

「あとたまに、気持ち悪く笑うよな。あれなんなん?どんな心境?」


 心当たりはある。

 それは雫とお風呂に入った一件が影響している。

 あのときの幸せな思い出は、色褪せることなく俺の心の中でやたらに再現され、ついつい口元が緩んでしまうのだ。


 あ、また思い出して口元が。


「キモっ。だから何だよそれ」

「竜也。お前は猿なんだから、深く物事を考えなくていい」

 

 キレる竜也に、それを押さえつけるマー坊。いつも通りの風景である。


 確かに俺も不注意だったな。

 もう少し外面に気をつけて行動するか。


 俺等は再び食事を再開して、黙々と食べ物を口の中に放り込んでいると、かっちゃんが先に昼食を食べ終わった。


 先程の会話も参加せずに一人無言で食べ続けていたかっちゃん。こいつはいつも会話を乱してくるのに、今日はやけにおとなしいな。


 食後もスマホを覗き込み、一人の時間を過ごしている。


 不思議なこともあるもんだ。そんなことを思っていた矢先……


 ピロンッ


 俺のスマホだけでなく、複数のスマホから通知音が発せられた。


 なんだろう。


 俺はズボンのポケットからスマホを取り出して電源を入れた。

 通知を見ると、そこにはかっちゃんの名前が表示されている。


 目の前にいるかっちゃんが何かしらのメッセージを送ったのか。

 とりあえず開いてみるか。


「……は?」 


 メッセージを開いてみると、そこには画像が添付されていた。


 なんだこの写真は……俺と雫?

 雫と一緒に過ごしたあの夜の写真か?


 雫の家の前で俺と雫が手を繋いで佇んでいる写真だ。

 

 おい、かっちゃん。これはどういう事だ?


 そんな疑問を投げかけるようにかっちゃんに顔を向ける。


 すると、かっちゃんは俺を無視して竜也とマー坊に話かけた。


「蓮がおかしくなったの気になるだろー?俺は答えをしってるぜー」


 その瞬間、悪魔のような笑みを見せるかっちゃん。

 こいつを放置しては駄目だ。

 何を考えてるのか分からないが、俺に牙が向いていることはわかる。止めなければ。今すぐに。


 しかし、かっちゃんは俺の思考を読んでいるかのように、竜也とマー坊の後に回り込み、写真の説明を始めた。


「蓮が変なのはこの写真が関係してるのか?」

「つーかこれ雫の家じゃねーか。二人とも濡れてるし、雨で濡れたのか。いつの写真だ?」


 竜也とマー坊は写真に興味を示し、話を掘り下げてきた。

 ここからどう話を展開していくのか分からないが、何となく嫌な予感がする。別の話題にしなければ。


「おーい。そんな写真より……」

「たっちゃんは直に気付いたようだな!そう、これは雫の家の前で撮った写真で、肉パの日の解散後の写真だ」


 かっちゃんは俺の言葉を遮り、大声で被せてきた。こいつ、なにを企んでやがる。


「この写真で何がわかるんだ?」

「なー。これだけじゃ何もわかんねーぞ」

「焦るんじゃない。知りたがり屋のゴブリンどもめ。続きを送ってやる」


 そう言いながら、かっちゃんは直ぐ様画像を送ってきた。


 ピロンッ


 俺を含め、三人は急いでスマホを覗き込んだ。


「おいおい、冗談だろ」

「蓮、お前マジか……」


 画像を見た二人は驚愕した顔を浮かべている。


 それもそのはず。

 そこには雫と手を握りながら、一緒に家の中に入る姿が何枚も写し出されていた。

 さながらラブホに消える、仲の良い恋人の様に。


 画像を見た直後、脳は危険信号を感知して光の速さで俺の右腕に指示を飛ばした。

 指示を受け取った右腕は、即座にポケットからスタンガンを取り出して、一直線にかっちゃんへと飛び掛かった。


 マー坊の背後にいたが関係ない。

 俺なら一歩で間合いを詰められる。


 少し寝てろ。


 かっちゃんは反応出来てない。入る。


 そう思った瞬間、マー坊の隣に居たたっちゃんの体がブレた。

 いつの間にかたっちゃんが目の前に立ち塞がり、左手でスタンガンの電極部を握りしめていた。


 スタンガンは接触させる場所によって効果が異なると思ってる人も多いが、実際のところ何処に接触させても、体全体を電気が駆け巡り効果はさほど変わらない。

 

 通常、スタンガンを食らうと全身に激痛が走り、神経伝達が狂うことで筋肉が異常をきたして行動不能に陥る。

 数秒押し当てることで相手を無力化することが出来るのだ。

 

 通常ならな……


 俺の頬を一筋の汗が滑り落ちる。


 竜也には効かないと分かってはいたが、実際にこの目で見たのは初めてだ。

 スタンガンをまともに食らってるのに、表情一つ変えず身じろぎ一つしない。逆に握りこぶしは握力を増していき、俺はスタンガンを抜き取る事さえできなくなった。


 久しぶりに竜也の化け物っぷりを見ると鳥肌が立つな。こいつはやばすぎる。


「まーまて蓮よ。俺とマー坊は気になってんだ。かっちゃんは取らせないぜ?」

「チッ……お前が出張るなら俺はどうすることも出来ん。まぁいい、俺も正直気にはなってる。かっちゃんが何を企んでるのかな。続きを聞こうじゃないか」


 マー坊が何が起きたのか察知したときには、既に事は終了していた。


 さぁ、続けろ。


 バリケードで守られたかっちゃんは、余裕の笑みを浮かべてる。まさかたっちゃんが守ってくれることが分かっていたのか?


「蓮、勘違いしないでほしい。俺はお前の味方だよ。雫との関係を応援してんだからさ……ちょっとは信用してくれ」

「……っわかったよ。じゃあ続けてくれ」

「よし、先ずは二人ともこれを聴いてくれ」


 そう言うとかっちゃんは、竜也とマー坊の目の前にスマホを無造作に放り投げた。


 全然カッコよくないから。スマホ壊れるぞそれ。


 そしてかっちゃんのスマホから音が流れ出した。


ーーー


「こちら“スコーピオン”対象補足しています」

「追い続けろ。視界が悪い。見失うなよ」

「了解」

「しかし隊長。よく蓮に盗聴器を仕掛けられましたね。隙が無さすぎて僕には無理ですよ」

「俺にかかれば赤子同然よ。あいつはただのメガネだ」

「隊長流石っす」


 本当は酔っ払って倒れてるときに取り付けたんだけどな。普段の蓮には俺でも無理だ。


『し……ずく?俺は……?』


「対象に動きあり。音声切り替えます」

「よし頼む」


『れんちー起きた?いいよ寝てて。お家まで送っていくからさ』


 女子に優しく介抱して貰えるなんて……やっぱり許せないよな。

 全国の男子を代表して俺が制裁を加えてやる。


『ごめん……吐きそう』

『すみません止めて下さい』


「こちら“スコーピオン”対象が停まります。どうしますか?」

「待機だ。何もするな」

「了解」


 それにしてもめちゃくちゃ酔ってんな。こんな姿、雫に見られたくないだろうな……飲ました俺が言うのも何だがちょっと同情するぜ。


「対象の嘔吐を確認しました。体温が著しく低下しています……な!?なんだと!?」

「おい、どうした。何があった」

「隊長大変です。嘔吐した対象に対して、雫様がハンカチを差し出して背中をさすっています!ま、まるで聖母様のようです!」


 ガタッ!


 俺は驚きのあまりイスから立ち上がった。

 ここは40フィートコンテナを改造して作り上げた司令室。他の隊員達も驚きを隠しきれず、ざわめきが室内を埋め尽くしている。


「隊長!」

「今度はなんだ!」

「対象が続けて嘔吐しましたが、雫様はより献身的に寄り添っています」


 誤算だ。まさかこれほどに親密な関係だったとは。引くどころかより献身的にだと?雫はそこまで蓮を慕っているというのか。


 そして彼等は程なくして車に戻り、再び帰路につき始めた。


「これは……応援するべきかもな」

「隊長!?」


 隊員たちが一斉に俺の方に振り向いた。


「そんな……それじゃあ我々がやってきたことはどうなるんですか?」

「わかっている!わかっているが……」

 

 二人の心はかなり深いところで繋がっている。俺等が簡単に掘り起こせない程に。ならば、見守るしか無いのでは?

 悔しいが祝福しようじゃないか。二人の未来を。


 俺の気持ちを汲み取ったのか、隊員達も口を紡ぎ室内は静けさに覆われた。


『いいよ。横になっても』


 どこまでも優しい雫の声が盗聴器から聴こててくる。

 こんないい子。悲しませるんじゃねーぞ。 


『今日は雫の家に泊めてくれないか』


 バキッ


 俺はいつの間にか手に持っていたペンを握り潰した。


 調子に乗ってんじゃねーぞボケ。こちとら女子の家に行ったことすらねーんだよ。こんな蛮行は俺が許さん。


「コードレッドだ。蓮のやつ何をとち狂ったのか雫の家に上がり込み“ピー”をするつもりらしい。全力で阻止しろ!!」

「「イエス・サー!」」

 

 お酒が逆効果だったか!?

 まさか蓮がそんな大胆な事を言い出すとは。不味いことになったな。


「雫様の家への到着時刻は二二一○時。後五分しかありません!」

「スコーピオン!今すぐタイヤをバーストさせろ!タクシーを止めるんだ」

「こちら“スコーピオン”射撃準備に入ります。対象物タクシーのタイヤ。三十秒後に狙撃を開始します」

「隊長!?それだと雫様に被害が及ぶのでは!?」

「心配するな補給班が待機している。予定外作戦だが絶対に上手くいく!緊急時こそワンチームだ。緻密に連携していくぞ!」

「イエス・サー!」


 大丈夫だ。焦るな、クールになれ。

 俺ならやれる。数々の修羅場を潜り抜けてきた俺なら!


 緊張感が高まる中、司令室には一瞬の静寂が訪れる。

 外では雨足が強まり、むき出しのスチール製の屋根を激しく打ち付けていく。


「こちら“スコーピオン”準備完了。カウントします」


 彼等はプロのスナイパーチームだ。今更注意を促すことは何もない。やれ!


「五…四…三…二…一…ズガンッッ!!」


 スナイパーライフルの射撃音がこちらにまで届いた。


 よし、次の作戦に移行する。


 俺はスコーピオンのミッションコンプリートを疑いもせず、次の作戦に移ろうとしたその時、再度通信が届いた。


「信じられない…………っ失礼しました!狙撃失敗!ライフル弾にバードストライク!目標到達地点から約10Mのズレが発生!」


 は?バードストライク?雨降ってるのに?

 つーかそんな事あるの?聞いたことないんだけど。


 あまりに不可思議な出来事に理解が追い付かない。

 動揺しながらも“スコーピオン”は素早く次の射撃準備を始めた。これぞ優秀なチームの動きである。


「第二射準備完了!カウントします!五…四…三…二…一…ズガンッッ!!」


 よし!少し取り乱したが修正出来る範囲内だ。作戦に支障はない!


 だがまたしても“スコーピオン”から驚愕の通信が届いてきた。


「…………バードストライク!!!狙撃失敗!!あり得ない事が起きています!隊長指示をお願いします!」


 確率的に言って、一体どれ程の天文学的な数値が出るのだろうか。奇跡という言葉では収まりきれない程の出来事……何が起きてるんだ?


 現場はパニック状態。

 全ての隊員が口を揃えて“信じられない!”“あり得ない!”と叫んでいる。


 そんな状況を目の当たりにして、俺は少しづつ冷静さを取り戻していった。

 パニックになるのが一番危険だ。取り敢え二度の失敗は置いといて、もう一度狙撃だ。

 三度目の正直。次は絶対に成功する!それは間違いない!よし、落ち着いてきた。


 俺は深呼吸をして自身の心を鎮めた後、全体の指揮を再開した。

 

 そして向えた第三射撃。


 これを逃すと建物等の遮蔽物が多くなり、次はない。ラスト射撃である。


 行けー!!撃ち殺せー!!


「隊長……バードストライクです」


 俺はヒステリックに発狂した。


ーーー


「あれ?俺寝てた?」

「はい。3回目のバードストライクの後、狂ったように奇声をあげながら気絶しました。でもほんの一分位ですかね」

「そうか。すまなかったな取り乱して」

「仕方ありませんよ。皆同じ気持ちです」

「今どんな状況だ?」

「あ、丁度家に着いたところです」

「そうか間に合ったか。直に蓮を射殺しろ」

「それは構わないのですが、またバードストライクが発生した場合、隊長の精神が壊れてしまうのでは?」

「……ぐっ、確かにそうだな。マジで理解できん。なんなんだよあれ」


 偶然ではない気がする。

 信じてはいないが霊的な何かか?

 守護霊が守った的な?そんな、小説じゃあるまいし。

 

 答えのでない可能性を模索するが、結局のところ振り出しに戻ってしまう。


『多分皆寝てるから、出来るだけ静かにお願いね』


「隊長、二人が家の中に入りました」


 結局、俺が迷ってる間に二人は次のステージへ進んでしまった。潮時か。


 俺には現状を打壊する力が無かったということだ。悔しいが諦めるしかないか。


「そうか。これ以上は手出しできないな」

「盗聴は続いてますがどうしますか?」

「通信を切れ。撤収するぞ」

「見守らなくてもいいんですか?」

「流石に蓮が“ピー”してる音声は聴きたくねーな。ムカつきすぎてナパーム弾を部屋に打ち込むかもしれん」

「分かりました。全チームに継ぐ、撤収だ。三分以内に撤収を開始しろ」


…………


 こうして、俺の長きに渡る対蓮妨害工作任務は幕を下ろした。

 まさか最後は俺の方が妨害されるとはな……

 神様の介入があるんじゃ流石の俺でもお手上げだ。


 俺はイスの背もたれに体を預けながらコーヒーを啜った。

 ふぅ、と小さくため息に似た吐息が漏れる。

 なんだか疲れたな。


 ここは俺の自室。

 目の前にはいくつものモニターが所狭しに並び、それぞれが違った情報を映し出している。


 その中の一つに、家の周辺をマップ化したモニターがあり、そこには無数の赤い点が表示され、家の周りに密集していた。


 この赤い点は生体反応を示しており、十人近い人間が家の周りを取り囲んでいることがわかる。


 俺もここまでのようだ。


 こいつらは組織が送り込んだ殺し屋で間違いない。あと3分もしない内にドアを蹴破り侵入し、アリを踏み潰すように俺は排除されるだろう。


 俺はこれまで、幾度となくあくどいことにも手を染めてきた。時には欺き、時には暴力を振るい、時には懐柔し、時には人を殺めた。

 だが後悔はしていない。いつでも、俺を突き動かしたのは愛国心だった。

 消えかけの命であってもそれは変わらない。


 俺は目の前のモニターから離れ、コーヒー片手にソファーへと移動した。

 このソファーは俺のお気に入りだ。

 クッション性が強すぎるのを嫌い、低反発タイプのを買ってみたが、かなり座り心地が良くいつも俺に安寧を与えてくれる。


 目を閉じてコーヒーを一口含む。

 

 瞼の裏に写し出されるのは任務の記録。

 俺の記憶は過酷な任務で埋め尽くされていた。

 とても楽しかったとは言えない思い出。人生最後にしては味気がなく、無機質で機械的な記憶禄。


 ふっ、俺の人生なんてこんなもんさ。


 悲哀など感じない。これが俺だ。国の裏側を生きるとはそう言うことだ。さっきも言ったが後悔はしてない。


 俺は自分の気持ちに区切りを付けた。

 死を迎える準備が整った。


 そんなとき、俺の心の中で一つの映像が再生された。任務の記録に埋もれ、運命と共に忘れ去られていた数少ない記憶。


 心の奥底にしまった筈のフィルム。


 いつの間にか映写機にはめ込まれ、カタカタと音を鳴らしながら断片的な記憶の欠片を再生していく。


 マー坊……たっちゃん……

 親父にお袋……


 それは幸せだったころの記憶。

 俺には存在しないと思った楽しかった頃の思い出。

 

 そっか……俺にもこんなに幸せな時期があったのか。

 

 気付けば俺の顔は涙で濡れていた。


 それは馬鹿馬鹿しくも暖かくて寛容で、俺の体は無条件の多幸で満たされていった。


 遠くからドアが破壊された音が聞こえる。


 死ぬのは怖くない。これが俺の運命だ。甘んじて受け入れよう。


 俺は目を瞑った。


 最後の一秒までこの景色を見せてくれ。この思い出を抱いて俺は死にたい。


 死ぬときぐらい救われてもいいよな?

 俺の人生も悪くなかった。そう思える。

 

 既に足音は俺の周りを取り囲んでいる。


「最後に言い残すことは?」


 低い声が頭の片隅で聞こえるが、俺は答えない。今一番大事な時間を過ごしてるのだから。


 頭に固い金属質の物体が押し付けられた。


 皆ありがとな。俺は幸せだよ。


 そして俺は、記憶のフィルムを大事に抱えながら意識を失った。


 ー完ー




 ぷすっ


「あぅ」


 無意識にかっちゃんに麻酔注射を打ち込んでしまった。ゾウを一発で眠らせる強力なやつだけど大丈夫かな?まぁどうでもいいか。かっちゃんだし。

  

 このままBP(ボッティチェッリ・プリマヴェーラ)へ連れて行って尋問しよう。徹底的に。


「復活!俺に麻酔なんて効く筈がないだろう?対策済みだ」

「このデタラメ野郎。っていうか何盗聴してんだよ。戦争か?俺と戦争したいのか?ぐちゃぐちゃにされたいのか?それに無駄話が長すぎるだろ。最後に何ちょっと良い話感だしてるんだよ。ツッコミどころが多すぎるだろ!!」


 達也なんて泣いてるし。色々と支離滅裂していて、そこまで感動するとこ無かっただろ。


「蓮、盗聴したことは謝る。だけどそれは仕方無いことだったんだ」

「どう仕方がなかったか聞こうじゃないか。それに……百歩譲って盗聴は許せたとしても、邪魔するのはどういう了見だ?」

「それを答えるには、一つ聞かなければいけないことがある」

「なんだ?」

「お前あの後“ピー”したのか?」

「あぁ!?なんでそんな事言わないといけないんだよ!?」

「諦めろ蓮。言うんだ」

「お前には言う義務がある」

 

 義務なんてないし!

 というか何で竜也とマー坊も敵に回ってるんだよ。


 6つの目が俺を睨み、逃げ場がないことを示唆している。


 クソッ……言うしかないのか。

 普通に恥ずかしいから、こんな話したくないんだけどな。ここまで知られていたら言い訳出来ないか。


「はぁ、わかった言うよ。“ピー”はしてない。これで満足か?」


 言わすなよ恥ずかしい。


「はぁ!?お前マジでしてないのか!?ぷーっくくく。ダサッ!ダサすぎる!ヘタレ!チキン野郎!」

「蓮……それはヘタレ過ぎるだろ」

「少しは雫のことも考えろ」


 うっざ!なんだこいつら。うざすぎるだろ。何気に最後の竜也の言葉が一番きついわ。

 かっちゃんはただただムカつく!


「そうかそうか、ヤッてないのか〜っっぷぷ。救いようのねぇやつだな!ん?なんだその顔は?文句あんのか?言いたいことがあるなら言ってみろゴミ野郎」


 言いたい放題のかっちゃん。水を得た魚のように生き生きしている。

 クズすぎんこいつ?

 ここまで言われて黙ってられるか。進展がない訳では無いんだ。

 いいだろう。お前が欲しい情報をくれてやる。


「確かにヤッてはいない。だけど一緒に風呂に入ったぞ」


 宝箱にしまった雫との大切な思い出。こんなクズに話すべきではないが、これ以上エスカレートしたら俺の堪忍袋の尾が切れてしまう。


 そしてこのカードは予想以上に効果覿面だったようだ。


「あ……ぅ、ぅ……そだ。嘘だ!嘘だよね?」

「本当だ」


 かっちゃんの口が金魚のようにパクパクと開いて閉じてを繰り返す。かっちゃんはこれで大人しくなるだろう。


「おぉ!やったな蓮!凄い進歩じゃないか。正直俺もかっちゃんと同じく嫉妬はするが、ここは祝福させてくれ」


 マー坊いい奴。マー坊はいいやつだ。


「チッ、マー坊使えないな。たっちゃんから言ってやれ!調子に乗るなって!」


 話を振られた竜也はボーッとして、どこか虚ろな表情をしている。

 どうしたんだ?らしくない反応だな。

 普通ならかっちゃんに乗っかって、罵詈雑言を浴びせる筈なのに。


 そんな俺の思いとは裏腹に、竜也の目から一筋の涙が流れた。


「お、おい竜也!?どうしたんだ急に!?」 

「いや、なんていうか……俺にもよくわかんねーんだけど嬉しくてさ。やっぱりお前は雫と結ばれるべきだよ」


 そう言いながら達也は涙を拭った。

 竜也の予想外の反応に面食らったが、こいつなりに思うところがあったのだろう。

 これだけ俺と雫のことを気にかけてくれていたのだ。


「……あぁ……そうだよな」


 達也の熱い思いに感化されて、俺も目頭が熱くなってきた。

 やっぱり持つべきものは友達だな。


「お、俺も実はそう思ってたんだよなー!いやぁ、本当にお似合いだよ。うん。良かった良かった」


「よし!折角だ。今日は三人で飲みに行くか?こんなめでてー日は中々無いぞ。俺が奢っちゃる」

「さんせーい。お祝いしよーぜ」

「たっちゃん……マー坊……ありがとな」


「たっちゃんナイスアイディア!四人でどこに行こうか?」


「そうと決まれば場所決めねーとな」

「それならここはどうだ?」

「マー坊。お前いいとこ知ってるな」


「どれどれ?おいおい三人とも。俺が見えないぞ」


「じゃあ放課後に一度集合な」

「おっけー。集まるのはたっちゃんのとこでいいか?」

「俺はそれで構わない」


「一発ギャグやります!!」

「「「どうぞ、どうぞ」」」


「聞こえてるじゃねーか!」

「かっちゃん、お前は友情不履行により一発ギャグの刑な」

「酷だがしかたなし」

「あれやってくれ。前に集まったときに披露していた……なんだっけ。そう!ダチョウの顔マネ!馬鹿なお前にピッタリであれは面白かったぞ」


「ふ……ふ……ふざけんじゃねーーー!!」


ーーー


「お父さん。今日の夕方訓練ヤードに居る?立ち寄っていいかな?」

「ほぉ。どうした急に?何の用事だ?」

「※携SAMを見せてほしいんだけど」※91式携帯地対空誘導弾

「見せれるわけないだろ!!」

「前は色々とよく見せびらかしてたじゃん」

「それはお前が小さい時の話だ!無理に決まってるだろ!?」

「……長官の権限を利用しても?」

「俺の首が飛ぶわ!!」


 お父さんは、口に含んだ味噌汁を吐き出しそうになりながら慌てふためいた。

 隣に座るお母さんは微動だにせず、無言でバターが塗られたトーストを口に運んでいる。


 工藤家の朝食は和食である。と言いたいところだが、俺とお父さんは米食、お母さんはパン食で別れている。


 お母さんも昔は米を一緒に食べていたが、実はお父さんに合わせていただけらしく、元々朝食はパン派だったらしい。

 “朝はパンが食べたい”とお父さんに進言した際、“へんなの”と一蹴され、“変じゃない!パンを甘くみないで!世界的に見たら小麦の方が圧倒的に多く消費されてるわ!”とブチ切れていた。


 お母さんの剣幕に押し切られ、お父さんはパン食を余儀なくされた。

 俺は米派なのでお父さんを応援していたが、お母さんに逆らえるはずもなく、俺も一緒にモソモソとパンを頬張った。

 

 しかしそんな生活も一週間しない内に限界を迎える。やはり体が求めているものは米なのだ。

 俺とお父さんがやつれていく一方、お母さんはエネルギーに満ち溢れ、体が光り出していた。

 

 俺とお父さんはどうにかして朝食に米を食べる方法はないかと会議を重ねたが、パンを食べ続けた末、脳は正常に働かず、リビングデッドの様な風体の俺等に妙案は生まれてこなかった。


 心と体が疲弊し、鉛のようにずっしりした体を引きずっていたある日、目の前に天使が現れこう言った。


『そんなのそれぞれ違うの食べればいーじゃん!う○こ味のカレーで例えると……うーんごめん、説明できない。忘れて!』


 その天使の的確なアドバイスのお陰で工藤家は救われた。現在では家族皆幸せに暮らしている。


「雫ちゃんとは仲良くしてる?高校に入ってから全然遊びに来ないから、お母さん寂しいわ」

「俺だって寂しいぞ。たまには家に呼んだらいい……もしかして、お前の部屋に呼べない理由でもあるのか!?どうなんだお母さん!」

「下品な人ね。そう声を荒らげないで。大丈夫よ。蓮の部屋にいかがわしい物は無かったわ。逆に心配になる位ね」

「雫ちゃんに変態と思われないようにしないとなぁ」

「あら、あなたじゃないんだから……蓮なら心配要らないわ。蓮、エッチなことするなら優しくするのよ。清楚で純粋な雫ちゃんを怖がらせない様に優しくよ?」


 両親と雫は仲が良い。あははおほほの関係だ。


 だけど、その関係性に間違っている点が一つある。

 それは互いに性格を隠しているという点だ。

 それはどういう事?と思っただろう?


 ある日の会話を聞いてみるとしよう。それが一番手っ取り早い。


ーーー

ーー


し『お邪魔します。お母様。今日も凄く美しいですね。ついつい見惚れちゃいます』


母『あらあら、雫ちゃんはお世辞が上手なんだから。雫ちゃんもいつも礼儀正しくて偉いわね。私も見習いたいくらいよ』


 どこからかクラシック音楽が流れ出す


し『そんな!私の様な若輩者には勿体無い言葉です!あ、お父様こんにちは!お邪魔しております』


父『やぁ雫ちゃん。ゆっくりしていきなさい。かなえ(母の名)、天元坂の菓子があったろう?あれを出すといい』


母『そうですね。雫ちゃんは今日は何か用事があって来たのかしら?』


し『はい!蓮君と勉強しようと思って来ました。いつも家に押しかけてご迷惑お掛けしています』


母『全然迷惑じゃないわ。雫ちゃんならいつでも大歓迎よ。ほら、先に蓮の部屋に行ってらっしゃい。茶菓子を用意するわね』


ーー

ーーー


 どこの華族やねん。

 誰?いやマジで。


 簡単に説明すると、両親も雫もお互い変態の癖にそれを隠して会話している。


 オブラートに包むどころか着ぐるみ着て喋っていて、もう別人である。


 俺としては、着ぐるみ脱いで普通に喋って欲しい。

 どっちも変態なんだから着ぐるみ脱いでも仲良く出来ると思っている。


 まぁ、もう慣れたしどっちでもいいか。


「ご馳走さま。学校行ってきます」


 食事を終えた俺は、ハイカットの靴に忍ばせた折りたたみ式ナイフを指先で確認しながら靴を履き、お家を後にした。


ーーー


「れんちーおっ待たせー!」

「別に急がなくていいのに。そんなに待ってない……って!胸元開いてるぞ!?」

「へ?うひゃぁー!!……べ、別に減るもんじゃないもん!それに……れんちーなら別に……」

「う、うん」


 うん、ってなんだよ。

 俺もテンパりすぎだろ。


 雫が階段から滑るように降りてきたかと思うと、急にセクシー系で恥ずかしがり屋で、堂々としているようでしてないような、びっくりだよ!


 まだテンパってるな俺。落ち着け!


「行こうか!」

「はい!そうしましょう!」

 

 そんなときはゴリ押しに限る。

 

 そのまま俺達は横並びで歩き出した。


ーーー

 

「でさ、そのとき万次郎が、“なんでこの風船割れへんのや!!新しいの買うてこい!”って言ったの。もう爆笑よ」

「それは面白いな」

「だそだそ!万次郎はやばいて。あれを笑わないのは無理やて」


 雫は昨日見たっていうお笑い動画の話をしているが、俺は半分ぐらいしか理解できていない。

 お笑いの話以上に、雫の満面の笑みが可愛すぎるし、愛おし過ぎて集中できないのだ。

 雫はなんでこんなに可愛いいんだろう。

 俺は簡単な相槌を打ちながら、そんなことを考えていた。


 お風呂の日以降、俺にはある変化があった。日常生活の行動に変化は無いが、雫に対する気持だけは著しく変化した。


 なんていうか……ずっとドキドキするのだ。


 今までは一線引いて、その外側から雫のこと眺めていたのが、今俺がいるのは内側だ。


 手が届く位置に雫がいる。


 俺が雫と付き合っても良いんだと、今なら考えられる。

 足取りは軽やかで、世界が祝福してるかのように幸せを感じる。

 

「あ、見て!ななみんとたっちゃんだ」

「本当だ。達也と一緒なんて珍しいな」


 ここは大通り沿いの交差点。

 駅も隣接しており、多くの学生が合流する場所だ。


 登校中に奈々実と合流するのはよくあることだが、達也と一緒なのは本当に珍しいな。


「たっちゃん!ななみんを泣かせないで!」


 雫は大きな声を発すると同時に、二人のもとえ駆け寄った。


 奈々実が蹲っていた為、心配したのだろう。

 しかし、雫が近付くと直に立ち上がり笑顔を見せてくれた。


「雫おはよー。蓮もおはよっ。大丈夫大丈夫、何もないよ」


 何故蹲っていたのかは知らないが、良かった。特に問題は無さそうだな。


「よぉ、今日は血まみれじゃなくて安心したぜ」

「毎度キモい奴らに絡まれてたまるかってんだ」


 これは冗談でもなんでもなく、こいつが早起きするのは、そういう絡みがあるときだけだからだ。

 

 俺達は世間話も程々に、四人で学校に向けて歩き出した。


 こうして見ると、やっぱり二人はお似合いだよな。

 達也は俺と雫の関係が向上したことを喜んでくれた。そして、それは俺も同じ気持ちだ。

 雫の情報によると、今の達也と奈々美は付き合う1秒前の状態らしい。

 あ、今日一緒に登校してるのはそういう事か。


 二人の関係性は大昔から知ってる。

 だからこそ、二人は付き合って欲しいと思うし、幸せになって欲しいと心の底から思っている。


 四人で登校という、不思議と幸福な感覚に見舞われていると、暇を持て余した雫がシリアス・デヴィネイション・ゲームを突如開始した。

 

「皆せっかくだから占ってあげるよ。さてさて、今日の運勢はどうかなー」


 誰の許可も得ず、誰にも忖度せず、誰の意見も聞かない。これぞ正しく悪魔の諸相。


 もし夏夜が近くにいたら逃げ出していた事だろう。彼女は雫の占いにより大きなトラウマを抱えてるらしいからな。


「れんちーと私の、二人の運勢を占って見ましょう!果たして本日結ばれるのでしょうか!」

「俺と奈々実は蚊帳の外じゃねーか」

「まぁまぁ旦那、落ち着きなさんな。私とれんちーの後で、ななみんと結ばれるか占ってあげるから」

「やめろ、そんなことはやめなさい」


 そして雫は、いつもの軽いノリで占いを始めた。


 雫の占いは100発100中である。

 普通に考えてあり得ない。科学では証明できない何らかの力が作用している。超能力の類……そうとしか思えないのだ。

 本来であれば、こんな何でも無いところで使っていい力では無いと思う。

 国のお抱えでもおかしくない程だ。


 以前雫にそんな話をしたことがあるが

“わたしゃーね。占いたい時に占う。誰にも縛られず自由気ままにね!頭にピンッと来るのさ。そうだ!占いをしよう!ってね。あ、待って……今ムズムズしてる……ピンッと来た!かよちんの占い行ってくるねー!!バイバーイ”


 そう言って全力で走り去って行ったな。

 もしかしたら衝動的なものなのか……雫自身でもコントロール出来ない力とか?


 まぁ、少し考え込んでしまったが、実際のところ俺はそこまで気にして無い。

 楽しく、幸せそうに占う雫を邪魔するつもりもない。占い中の雫の笑顔は唯一無二なのだから。


 俺はいつも通り雫の占いを結果を待った。

 どんな結果であれ受け止めるしか無い。できるだけの良い結果であってくれと祈りながら。


 だけど……俺の期待は最悪な形で裏切られることとなる。


 突如雫が歩みを止めた。 


 一歩後ろで立ち止まった雫に、俺等三人で向き直る。


 一枚のカードを放心した面持ちで見つめている。結果が出たのだろうが、先程までの笑顔は消えてた。


 普段なら結果の良し悪しは気にせず、サラッと発表するのだが今回は違った。


 どうしたんだ雫?


 少し心配になった俺は、雫に近付こうとしたところで口を開いた。


「えっ…………しぬ……?どういう事?」


 そう呟くと同時に、手からカードが滑り落ちていく。


「ちょっと雫!急にどうしたの!?何があったの?」

「雫!?どうした!!」


 俺は奈々美と一緒に、雫へ詰め寄った。

 

 支えた体は震え、呼吸が荒く焦点も合っていない。本当に恐怖している……?


 ……こんな雫初めてだ。

 何が起きた!?どうしたらいいんだ!?


 雫のこんな姿はこれまで見たことがない。俺と奈々美は半分パニック状態である。


 冷や汗が吹き出てくる。

 不味いな、恐怖は伝染する。俺が落ち着かなくてどうする!!しっかりしろ!


 俺は自分に活を入れ、思考を整理した。


 とにかく結果だ。

 占いで悪い結果が出たのだ。それしか考えられない。

 そう言えばさっき“しぬ”という単語が聞こえたがそれが原因か……

 

 正直信じられない。俺が守っている限り雫が殺されることは殆どあり得ないと思う。なんなら護衛を強化することで、より盤石にできる。


 だけど……俺は誰よりも知っている。


 雫の占いは絶対だ。死ぬと言ったら死ぬのだ。


 “死”という単語が俺の体をゆっくりと蝕み始めた。リアルに落とし込まれた死の概念が血液を駆け巡る。

 その毒は強力な恐怖作用を伴い、俺の筋肉が痙攣し始めた。


「雫落ち着け!何がでた?何が見えたんだ!?」


 ……達也?


 無力な俺と奈々美を引き剥がし、雫の肩を乱暴に揺らしながら問い詰める。


 咄嗟に“乱暴はよせ!”と止めに入ろうとしたが、直ぐ様思いとどまった。


 何故ならあの達也ですらも平常心を失い、恐怖を感じていたからだ。


「雫!!!」


 達也が焦っている。

 冷や汗が止まらない。

 空気中に充満する不安の密度が増していく。


 そして、雫の口から漏れ出た一言で運命が動き出した。


「みんな……死んじゃう」


 雫の虚ろな目は辺りを彷徨いながら、最後に俺を見つけた。


 俺は雫と目が合った瞬間に背筋が凍りついた。


 雫の顔は憔悴し、光を失った目から未来が消え失せていたからだ。


 突如空を見上げる達也。

 俺もつられて空に目を向けた。


 そして理解した。雫の見た未来を変えることは出来ないのだと。

 

ーーー


 雫を守ると誓ったその日から今日まで、自己研鑽の毎日だった。思考に老け、体を酷使し、出来ることは何でもやった。


 きっかけは凶悪犯罪者による理不尽な暴力だった。

 当時の俺は小学二年生。

 とある犯罪者に誘拐され、抵抗虚しく殴り、蹴られ、刺され、焼かれ、切り刻まれた。


 今でもその痛みは鮮明に覚えている。


 そして、その事件に巻き込まれたのが雫だ。

 俺ほど酷い扱いはされなかったが、俺の目の前で殴り蹴られ、体中ボロボロになった。


 犯人の狙いは俺だけだったのに……近くにいた雫にも毒牙が向けられたのだ。 


 今思い出しても虫ずが走る。怒りが込み上げてくる。


 ……よそう。もう終わったことだ。

 

 つまり俺は、理不尽な暴力や物事に対抗すべく力を求めた。

 あらゆる障害に対する対策を練り、試行錯誤し、己を鍛えぬいた。


 他人から見たら愚見とも思える誓い。それを遂行できるだけの力を身に着けたつもりだ。

 

 それなのに……


 俺は今、理不尽を目の前にして思い知らされた。

 真の理から外れている現象に対して、準備もクソも無い。

 どんなに知識を取り入れようが、どんなに鍛錬しようが、どんなにシュミレーションしようが、すべてが無駄だったのだ。


 空から無数の隕石が、重力の赴くままに落下してくる。


 雨のように降り注ぐ隕石を見上げながら、俺の心は空っぽになった。


ーーー

 

 これだけの数の巨大隕石、世界規模の大災害になることは間違いない。もしかしたら日本は駄目かもな……

 俺等だけじゃない。皆死ぬんだ。


 未曾有の大災害。一個人に出来ることはなど何もない。


 何故この規模の隕石が報道されてないのか、世界は気付かなかったのか?

 あり得ない……あり得ないが、目の前に広がる光景は間違いなく真実である。


 周囲に居た人々は騒ぎ立て、街中悲鳴に包まれている。

 

 迫りくる巨大隕石は、人の心など意に返さず無慈悲に落下を続ける。


 現実逃避の一種だろうか。突然周りがスローモーションに動き出した。

 あぁ、これが死ぬ寸前の感覚ってやつか。

 同時に周囲の雑音は消え、辺りはシンッと静まり返った。


 走馬灯の様に浮かび上がる記憶は、どれも雫との思い出ばかりだ。楽しかった日々の記憶も沢山あるが、やはり後悔の記憶が数多く残っている。


 未練という重りが体に括り付けられていく。


 もっと一緒に居たかった。死にたくない……後悔ばかりの人生だった。死んでも死にきれない……


 そんな時、目の前で蹲っている雫の姿が目に入った。夢も希望も失われ、体の機能が停止し、絶望の淵に身を沈めていた。


 その姿を見た瞬間、止まっていた時が動き出した。

 

 俺は馬鹿だ。


 死ぬ寸前に新しい後悔を背負うところだった。また雫に気付かされた。


 時間は無い。明確な死は目前だ。


 即座に体が動いた。


 雫の目の前でしゃがみ込み、両手を握った。

 その手は冷たく弱々しい。生気が完全に抜け落ちている。


「雫……俺だよ……」

「れん……ち……」


 俺の呼びかけに、徐々に意識を取り戻す雫。

 しかし、現状を思い出したかのように表情は崩れていき、ボロボロに泣きじゃくった。


「わた……し……、死に、たくない……」


 呂律か回らず、言葉を詰まらせながら声をあげる雫。

 俺は無言で、そっと肩に手を回して抱き寄せた。

 雫は顔を俺の首元へ埋めて、声なき声を曇らせる。


「雫……死ぬまで一緒に生きよう」


 雫は顔を上げると、少し虚を突かれた様子で俺と向き合った。

 残された時間……と呼ぶには儚くも短いひととき。

 俺の思いを、感情を、全てを言葉に乗せて伝えよう。ずっと伝えたかったんだ……ずっと……


 小さく一呼吸した後、喉から絞り出すように叫んだ。


「大好きだ!……雫のことが大好きだ!」

「れんちー…………私も、大大大好きだよ!」


 雫は溢れる涙を拭い、満面の笑みで俺の気持ちに答えてくれた。

 

 そして、二人は自然な動作で唇を重ねた。


 既に不安や絶望、恐怖は消えていた。今この場にあるのは二人の持つ愛情だけ。


 俺は目の前がまっしろになるまで雫を愛し続けた。


 “願わくば来世でもまた一緒に……”


 そして世界は終わりを告げた。

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