一条竜也②


 朝の五時に起床した。

 カーテンから差し込む薄明かりが、まだ俺の起きる時間帯ではないことを告げている。何故俺はこんな早い時間に起きてしまったんだ?


 俺は普段、朝の八時半に起床するのだが。

 それは夜ふかししてるから仕方のない事だ。


 夜ふかしの原因は単純だ。


 エロ雑誌、エロ本、エロDVD、スマホのエロコンテンツ、それらを吟味し、堪能し、オナニーしているからだ。単純だろう?


 まぁ男なら少なからず、皆同じことしてるんだ。


 かっちゃんとマー坊は、そんな俺のことを聖獣と呼んで崇拝してる。


 蓮は俺のことを低能なエロ猿と呼んでいるが、一皮むけば奴も同じだ。前に雫の乳を見たいか?と聞いたら、見たいと言っていた。言質は取ってある。


 話が脱線してしまったが、何故早起きしたのかというと……


 昨夜奈々美からメッセが来た。

 明日の7時45分にたっちゃんの家に行くから一緒に登校しよ。といった内容だ。


 これには正直、心の中でガッツポーズをしたね。かなり嬉しかった。しかし同時に非常に困ったことになった。


 俺は朝だけはマジで苦手なのだ。


 取り敢えず奈々美には、起きれたらとだけ答えといた。


 さてどうするか。前日に早く寝ればいいだけだ、と思っているのだろう?言葉にしたら簡単に聞こえるが、そんな生易しいものじゃない。


 前日の禁欲が体に与えるストレスは想像を絶する。


 それなら時間かけずにさっさと済ませろだと?


 いいかよく聞け、サッカーをしていてディフェンスもいない、ゴールキーパーもいない、そこでシュートを放ったところで達成感も無ければ楽しくも無い。


 しかし、そこにディフェンスやキーパーがいて、上手く躱したり、逆に体当たりされたり、ドリブルやパスを使ってくぐり抜け、最後にシュートを放つ。


 わかるだろ?まるで違う。

 数々の試練を乗り越えた先で放たれるギャラクシーシュート・オブ・エクスタシー。

 そう、まるで意味が違うのだ。


 目的の前に過程があり、その過程こそが実は本質なんだ。


 ひとっ飛びに目的を達成しても、その先にあるのは束の間の幸福と虚しさだけだ。


 理解できたか?では本題に戻ろう。


 相反する目的のどちらを取るか。選択するのは非常に難しい。ではどうするか?


 それは、心の天秤を使うしかない。


 俺の天秤は高性能で、0.0001g単位で見極める事ができる。つまり引き分けはあり得ない。


 どっちが重要か白黒はっきりさせよーじゃねぇーか!!


 と意気込んで乗せてみたら……ゴクリ。


 奈々美との朝の登校が重すぎて天秤が壊れた。おやすみなさーい。


 これが、俺が朝5時に起床した事の顛末である。


 5時ってどうすんだよ。早すぎだろ。


 二度寝しようにも目が冴えちまった。

 

 ……シュート放ってくるか。


ーーー


「おはよっ」

「おう」


 七時四十五分

 奈々美が来るのと、俺が玄関に出たのは同時だった。朝の太陽は暖かくも、外は少しだけひんやりしていた。


「ちっと寒くなってきたな。もう秋か」

「そうだねー。そろそろ長袖が必要だね」


 合流して、そのまま二人並んで歩きだした。

 

「それにしてもよく起きれたわね」

「たまたま早く目が冷めたんだよ」

「そっか。でも嬉しいな。一緒に登校できて」

「ば、ばーろー!たまたまだからな!」


 奈々美かわえぇ!好きだ!

 

 奈々美はずっと笑顔だ。俺と一緒にいるからだろうか、それならめっちゃ嬉しいな。


「朝ごはん何食べたの?」

「白メシにたくあん」

「渋いな!私はパンケーキ食べたんだけど。美味しすぎて食べすぎちゃった。何でホットケーキってあんなに美味しいのかしら」

「甘いもの食いすぎると太るぞ」

「う、うるさい!わかってるわよ……」


 俺の意地悪な返しに、少し怒った様子でそっぽむく奈々美。長い髪が綺麗に宙で揺れ、とても美しく見える。


 はぁ、手ぇー繋ぎたい。奈々美と手を繋いで歩きたい。


 俺は横目でチラチラと奈々美の顔を見る。

 整っていて凛々しくも、少し幼く見える顔は凄く可愛い。


「何よ。私の顔に何か付いてるの?人の顔ジロジロと見て」


 やべっ、露骨に見すぎたか。可愛くて見すぎたとは口が裂けても言えない。


「ケーキ付いてるぞ」


 俺は咄嗟に嘘を付き、奈々美の口元を指で摘まみ、俺の口に放り込んだ。上手く誤魔化せたと思う。本当は何も無かったんだけどな。


「ば、ばばばかぁー!!先に言ってよね!」


 めちゃくちゃ恥ずかしかったのか、奈々美は顔を真っ赤にし、両手で顔を覆いうずくまった。耳まで真っ赤にしてやがる。そして直ぐに携帯で自分の顔を見ながらチェックを始めた。


 ちょっと悪いことしたな。


「たっちゃん!ななみんを泣かせないで!」


 後ろから俺の名前を呼ぶのは誰だ?それに奈々美は泣いてねーぞ。


 振り返るとそこには、蓮と雫が歩きながら近付いて来ていた。


「ななみんどうしたの?たっちゃんにまたエロい事されたの?」


 ふざけんな雫てめー。今日はまだ何もやってねーよ。教室でやるつもりだ。


「ん、雫おはよー。蓮もおはよっ。大丈夫大丈夫、何もないよ」


 奈々美は顔を上げながら後を振り返り、蓮と雫に挨拶をした。


「よぉ、今日は血まみれじゃなくて安心したぜ」

「毎度キモい奴らに絡まれてたまるかってんだ」


 蓮の冗談を返し、俺達は四人で一緒に歩き始めた。


 学校までの道のりは、家から大体20分〜25分位の距離にある。長くもなく短くもなくって感じだ。


「皆せっかくだから占ってあげるよ。さてさて、今日の運勢はどうかなー」

「お前まだカード占いやってたんだな」

「雫、俺を先に占ってくれよ」

「雫の占いはガチだからねー。ちょっと怖いわー」


 雫は占いが好き過ぎて、自分で道具を買って勉強してるらしい。それがプロ顔負けの実力というから凄いもんだ。


「れんちーと私の、二人の運勢を占って見ましょう!果たして本日結ばれるのでしょうか!」


「俺と奈々実は蚊帳の外じゃねぇーか」

「まぁまぁ旦那落ち着きなさんな。私とれんちーの後で、ななみんと結ばれるか占ってあげるから」


「やめろ、そんなことはやめなさい」


 雫はえへへと意地悪く笑い、手元のカードの束の中腹辺りから、1枚抜き出しては見てを繰り返し行った。


 こいつ歩きながらよくできるな。


 ながら歩きは危険だが、雫の占いしながら歩きは非常に様になっている。


 色々な絵柄を吟味しながら器用にカードをさばいていく。


 ふむふむとか言いながら1分位だろうか、軽快な手の動きが止まった。


「えっ…………しぬ……?どういう事?」


 死ぬと呟いた雫は、体をがくがくと震わせてカードが手元から滑り落ちていく。


「ちょっと雫!急にどうしたの!?何があったの?」

「雫!?どうした!!」


 呼吸が荒くなり顔が青ざめていく。


 俺は地面に落ちたカードを拾いながら雫の顔を見上げた。


 目の焦点が定まっておらず、唇は震え微かにカチカチと齒を打ち合う音が聴こえる。ただ事ではない。


 不味い、何が不味いのか全く分からないが、かなり嫌な予感がする。


 雫のこんな姿見たことない。蓮と奈々実もわけがわからずパニックしている。


「雫落ち着け!何がでた?何が見えたんだ!?」


 俺の持つ超感覚、第六感も非常に大きな警鈴を鳴らし始めた。そしてその不安が急激に増大している。


「雫!!」

 

 俺は少し乱暴に雫の肩を掴み体を揺らした。とにかくやばい。ヤバい事が起きようとしている。


 雫が掴んでいた最後のカードが手から滑り落ちた。


 そこには、天空の楽園が広がり、天使達が遊んでいる光景が描かれていた。


「私達……死んじゃう」


 雫は小さく呟いた。

 その声は悲壮に満ち溢れ、どうすることもできないんだと知覚させるにはじゅうぶんだった。

 

 だが分からない。この不安は一体なんだ?確実に何かが起ころうとしている。漠然とした感覚が非常にもどかしい。

 

 しかしその答えは直ぐに見つかった。


 本能が働いたんだろう。

 俺は空を見上げた。首が勝手に動いた。


 そして空に広がる光景見て言葉を失った。


 これは俺の超人的な力を持ってしても未来を覆すことは出来ない。


 死へのカウントダウンが始まった。


ーーー


 こりゃあひでーぜ神様よ。

 無理ゲーすぎんだろ。


 俺は空を見上げながら、呆然とその場に立ち尽くしていた。


 空のキャンパスを埋める無数の飛来物。

 巨大隕石群の襲来である。


 その目に映る光景は正に終焉。逃げ場はない。


 最凶の質量、硬度、大きさを兼ね備えた隕石が、雲を散らしながら地上めがけて落下してくる。


 周辺の人々も隕石に気づき始めた。叫び声や絶望の声が聞こえる。


 一体なんだってんだよ。

 死にたくねーなぁ。

 こんなところでまだ死にたくねーなぁ。


 心の底から絶望しているものの、不思議と俺の心は落ち着いていた。諦めに似た感情かな。無理だもんこれ。


 視線を地上に戻すと、奈々実の姿が目に入った。俺と同じく空に目を向けて茫然自失している。その目は曇り、体は小刻みに震えていた。


 チクリと心に棘が突き刺さった。


 気付かされた。俺は何をしてるんだ?


 目の前に好きな女がいる。

 残された時間……と呼べるものはもう残っていない。


 隕石は思いの外早く、直ぐ目の前まで迫ってきていた。


 やれることがある。というより、やらなければいけないことが俺にはある。


 感情の取捨選択を終えた俺に迷いはなった。


 俺は奈々実の手を取り、強引に体に引き寄せた。

 泣きそうな目で俺を見つめ返す奈々実。


 奈々実の全てが愛おしい。今この瞬間だけでいい。時間も感情も体も、俺はお前に全てを捧げる。


 そして強く抱きしめながら気持ちを伝えた。


「奈々実、好きだ」


 俺は奈々実にキスをした。


 俺だって死ぬ覚悟なんて出来ていない。覚悟を決める前に目の前に現れたからな。


 だけどそれでも……


 遠回りをした。情けない。だけど許してほしい…………好きだったんだ。ずっと昔からな。


 奈々実は力強く抱き返し、俺を受け入れてくれた。それだけで心が満たされた。


 俺は最後にこう思った。


 "早起きして良かった"


 そして世界は終わりを告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る