第46話 メンヘラちゃんは怒った




【長髪のプレイボーイ 孝也たかや


 あんな風に悠が俺にキレたことなんて、今まで1回もなかった。

 だからか、俺は結構焦った。というか、今も焦っている。いつも怒らない奴が怒るときは、限界に達した時だ。

 だから、もう二度と俺のことを許してくれないんじゃないかと。


 ――いや…………許してくれるも何も、俺は散々許されないことをしてきた。今更……悠にもう一度やり直そうなんて言えるわけがない


 走って追いかけて抱きしめたいのに、身体が物凄く痛む。思うように動かない。


「くそっ……」


 悠美ゆみのせいだ。

 あんなクソアマに手だすんじゃなかった。とんだ地雷女だ。

 そう心の中で毒づいた。


 ――……いや、そうじゃない


 自分のせいだってことも解っている。でも、誰かのせいにしないとやっていられない。


「はぁ…………」


 ガラガラガラガラガラ……


 と、俺がため息をついている間に病室の扉が開いた。そっちを見ると、悠がいた。

 横を見るがクソ医者は一緒じゃない。俺が謝ろうと口を開き、言葉を発しようとした矢先に、


「さっきはごめんなさい」


 悠は俺より先に謝ってきた。それによって俺は謝るタイミングを失った。


 ――お前は本当に、いつもそうだ……


 俺が悪いことしたかなって少し反省しているときに、いつもお前から謝ってくる。俺が謝るタイミングがなくなるだろうが。


「あぁ、驚いた」


 謝罪のタイミングを逃したおれは、一先ずいつもの気丈な態度で悠にそう言った。

 悠は俺の方を直視しようとしない。それが、恥ずかしいからなのか、気まずいからなのか。

 こいつが真っすぐ俺の方を見たのは、出会った頃と、記憶をなくした後のお前と会った時だけだ。

 好きな男を直視できない癖があるのを、お前自身は知っているだろうか。


「…………あの……ずっと聞けなかったことを……誕生日、教えてほしいです」

「あ? あぁ…………9月8日だ」


 悠が携帯にそれを入力し始める。


「あ……開いた」


 そうして逸らしていた目を、真っ直ぐに俺に向ける。前髪が目にかかっていて、全部は見えなかったけど、何かを悟ったような目をしているように思う。


「あなたのこと、本当に大事に思っていたのかもしれないですね」


 そう言って、俺のベッドの隣の椅子に腰かける。悠にどんな言葉をかけたらいいのか、俺は解らなくなった。

 それでも、何を話したらいいか分からないが、謝罪はしようと俺がと口を開けた瞬間に、


「…………ちょっと待っていてくださいね」


 と、悠は立ち上がって電話をし始めながら病室を出ていった。


 ――なんだよ。俺が珍しく謝ってやろうと思ったのに


 せっかく2人で話ができると思ったのに。

 でもホッとした。やっぱりあいつは記憶がなくてもあいつのままだった。早くこの腕の中に抱きたい。

 暖かくなってきた春の空気が、カーテンを揺らしているのを俺は動かない身体で見ていた。




 ***




【中性的な女 ゆう


 携帯を開いた瞬間、着信とメッセージの嵐だった。『亜美』という子から何百件も着信が入っている。

 メッセージも。並々ならない量で、この子が誰か解らないが多分高宮たかみや瑪瑙めのうさんが言っていた子だと思う。

 心配してくれているなら早く連絡しないと、と思って、たかやさんを置いて出てきてしまった。


 ――院内は通話禁止だろうけど、ごめん。少しだけ……


 私が電話をかけると呼び出し音が鳴る。


「……………………」


 ――出ないか……?


 電話を切ろうとした瞬間に


「ユウ様……?」


 と、女の子の泣きそうな、可愛らしい声が聞こえてきた。




 ***




【メンヘラゴスロリ娘 亜美あみ 数十分前】


 怖くて顔があげられない。目の前にまるで悪魔や鬼がいるかのように感じる。

 明らかな身の危険を感じる。別に、殺されたりはしないって分かってるけど、今すぐここから逃げ出したい。

 でも、逃げたらまたユウ様に会えないままになってしまう。


 ――でもどうしよう、どうしよう、どうしよう……怖い……怖いよ……ユウ様…………――――


「何よ、だんまりしちゃって。なんとか言いなさいよ」


 律華お姉様が亜美に向かってそう言う。

 怖い。

 またぶたれるかもしれない。

 髪の毛を掴まれるかもしれない。

 酷い言葉を浴びせられるかもしれない。


「お……お久しぶり……ですね……お姉様…………」


 そんな話をしても何にもならない言葉が、亜美の口からやっとの思いで発せられる。


「白々しいわ。何しに帰ってきたのよ」


 まるで、亜美がこの家にいたらいけないかのような口ぶりで、律華お姉様はそう言う。


「人を……探していて…………この家にきてるって……」

「人? 誰もいないわよ」


 やっぱり駄目。もう律華お姉様と話していられない。亜美は恐ろしく、耐えられなくなり、席を立って逃げようとした。律華お姉様に背を向けた瞬間、


「あぁ、そういえばお兄様の恋人が来ていたわね……あんたの知り合いでしょ? そいつのことかしら?」


 お姉様はそう言った。お兄様の恋人という言葉が刺さる。ユウ様はお兄様の恋人なんかじゃない。ユウ様は亜美の恋人なのに。そう思うと、亜美は言葉が出てこなかった。


「………………」

「お兄様もあんな女の何がいいのかしら。あんたの次はお兄様だなんて。ほんっとうに財産目当てなのがバレバレ。なのにお兄様まで本気になっちゃって、信じられない」


 律華お姉さまの言葉に、亜美は震えた。

 違う。ユウ様はそんな人なんかじゃない。亜美が食材を買ったとき、お金をくれた。亜美の家の財産目当てなんかじゃないのに。


「…………」


 手が震える。身体中が震える。恐怖ではない。


 怒りで……――――


「あんな暴力女の何がいいのか全然解らないわ。ジャングルで捕獲されたゴリラみたいじゃない。可愛くもなければ綺麗でもないし、お兄様もなんであんなのがいいのかしら」

「……――言わないで……」


 小声で亜美は反論する。その声は小さすぎて、律華お姉様には聞こえていない。


「あんなのが雨柳家に入ったらあんたよりもずっと汚点になるわ。ちょっと、あんたも手伝いなさいよ。あのゴリラ女のこと知ってるんでしょ? お兄様の目を覚まさせ――――」

「ユウ様の事悪く言わないで!!!」


 亜美は気づいたら大声を出していた。


「な……なによ……」


 亜美の声に律華お姉様は動揺したようで、たじろいでいた。


「ユウ様の事何も知らないくせに、知ったような口をきかないでください!!」


 ユウ様は……律華お姉様が思っているような悪い人じゃない。

 怪我している亜美のこと背負ってくれた。仕方なくでも、帰る場所がない亜美のこと家に置いてくれた。亜美が勝手にいるだけだったのに、食事代を亜美にくれた。


「ユウ様は……お金目当てなんかじゃない! お姉様の目が曇っているだけです!!」


 こんなにはっきりとお姉様に反論したのは、初めてだった。

 お姉様は酷く驚いたような顔をしている。お姉様の顔をはっきり見たのは久しぶりだった。


「……ふん、あんな冴えない女、他の女と一緒でしょ? あんなのの何がいいのか解らないわ。目が曇ってるのはあんたの方よ」

「ユウ様の事何も知らないくせに!」

「知りたくもないわよ!」


 そう拒絶するお姉様に対して、亜美は怒りも、悲しみもあったものの、強く憐れみの感情を抱いた。


「お姉様はいつもそう……自分の事しか考えてない。本気で人を好きになったことなんてないから、そんなことが言えるんです」


 亜美がそう言うとお姉様が目を見開き、怒りを露わにした。怒りに任せて亜美の髪の毛を乱暴に掴む。


「あんたこそあたしの何を知ってるのよ!? 知ったような口をきくんじゃないわ!!」


 今までの暴力よりも、ずっと激しい暴力だった。物凄く痛い。痛みで涙がにじんでくる。


「そうやって亜美に暴力をふるうなら、お姉様がけなしているユウ様と同じじゃないですか! …………いいえ、違います。ユウ様は自分が気に食わないからって暴力をふるう方ではありません!! ならお姉様はもっと最低です!!!」


 お姉様が髪の毛を引っ張る力が強くなる。


「何よあんた。随分生意気な口をきくようになったじゃない!? 雨柳家の落ちこぼれがあたしに偉そうに口答えしているんじゃないわよ!!」


 パァン!


 律華お姉様が亜美の顔を思い切り平手打ちする。

 目から星が飛び散るような衝撃に、思わず亜美は倒れ込んだ。

 泣きそうになりながらも、それでもこんなことで泣いてはいられないと自分を奮い立たせる。


「お姉様は寂しい人です。自分の事しか考えていない。だから瑪瑙もお姉様のことを好きにならないのです!」


 律華お姉様に、ずっと「言ってはいけない」と思っていたことを言い放った。

 これを言ったら本当に殺されるかもしれないと思っていた。

 でも、ユウ様を侮辱されたまま黙ってはいられない。

 殺されたっていい。

 律華お姉様の顔が、まるで鬼の形相になったのを見た時に、この後の亜美の凄惨な状況が目に浮かんだ。


 ――でも、亜美は後悔していません。ユウ様の為なら、亜美は死んでもいいのです


 ユウ様だって亜美の為に命をかけてくれた。だから亜美も命をかけてユウ様のことを守りたい。

 お姉様にだって負けない。ユウ様を今度は亜美が守るんだから、負けたくない。


「うるさい! 黙りなさい!!!」


 律華お姉様が亜美の顔に何度も何度も、感覚がなくなるのではないかというくらい平手打ちをする。その音が部屋の中に響き渡る。


「あんたに解るわけないじゃない! 何もしなくても愛されているあんたなんかに!!」


 怒りながらも、お姉様が泣いているのが見えた。


 ――何で泣いているの? 泣きたいのは亜美の方なのに


 無慈悲な暴力に蹂躙じゅうりんされていると、何かが走ってくる音と、亜美を呼ぶ声が聞こえた。


「亜美ちゃん……!!」


 ――ユウ様? 違う。ユウ様の声じゃない。それに、ユウ様は亜美のこと「亜美ちゃん」なんて呼ばない……


 声のした方を見ると、瑪瑙がいた。

 顔を見ると瑪瑙はどうしたらいいのか、解らない顔をしていた。

 ユウ様だったら「何しているんだ、やめろ!」って割って入ってきてくれるのに。

 そういうところがダメなの、瑪瑙は。


「瑪瑙……!」


 律華お姉様は亜美から手を離して、亜美から少し距離をとるように後ずさった。自分の手を胸のところで組み、身体を守るような姿勢をとった。。


「亜美ちゃん、大丈夫? 律華ちゃん、どうしてこんなことするの? 実の妹でしょう?」

「瑪瑙……あたしは…………」


 瑪瑙が現れたら、途端にお姉様は狼狽ろうばいしてしどろもどろになった。


「お姉様、さっき言ったこと取り消してください! ユウ様のこと悪く言ったこと、取り消してください!!」


 弱気になったお姉様に対し、亜美は強くそう言い放った。お姉様がユウ様のことを悪く言ったことが許せなかったから。


 ――会いたいですユウ様。だって亜美にはもうユウ様しかいないんだから


 ユウ様が亜美のこと受け入れてくれるなら、お姉様にも、お兄様にも受け入れてもらえなくたって構わない。


「亜美ちゃん、落ち着いて……」


 亜美はお姉様の方を、涙を溜めた瞳で必死にそれをこぼさないようにと精一杯睨み付けた。ユウ様のことを悪く言ったことを訂正しなければ絶対に許さない。


「なんでよ……なんで瑪瑙は亜美のことばっかり…………」


 律華お姉様の声が徐々に小さくなっていく。


「あたしの方が……あたしの方が瑪瑙のことずっと好きなのに!!」


 瑪瑙はお姉様の気持ちに気づいていたんだろうけど、ずっと気づかないふりをしていた。


「なんでなのよ……ずっと小さい頃からずっと……瑪瑙の事…………好きなのに……!」

「律華ちゃん……」


 瑪瑙がどうしていいか分からない様子でおどおどとしていると、


(♪~♪♪♪~~♪♪~)


 亜美の携帯が鳴り始めた。



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