第33話 メンヘラちゃんは病んでいる




【中性的な女 ゆう


 私は気が付いたら眠っていたようだ。

 カーテンの隙間の窓から外をふと見ると、庭に放たれている犬たちがいない事に気づいた。


「うろうろしていたのに…………どうしたんだろ」


 私がカーテンを軽く手でよける。外にはやたらに目立つ女の人が立っているのが見えた。

 金髪の巻き髪が印象的だ。見たことがある。確か、テレビで見たことがあった。女優か何かのRITSUKAだ。何故有名人がこんなところにいるのだろう。


 ――まさかこの家の人…………? 


 何か大きな声を出しているようだが、家が防音らしくて外の音はほとんど聞こえてこない。彼女はいかり肩の後ろ姿から見ても解るように、怒ってここから立ち去って出て行った。

 なんだったんだろうかと思いつつも、私には芸能人やタレントに興味があまりないので、そのままボーッと門の方を見つめていた。まだ頭がぼーっとする。頭部外傷の後遺症だろうか。

 そのまま暫く経ったとき、見覚えのあるスーツ姿の髪の長い男が目に映った。


 ――あ……あの人は病院での……?


 暫くそれを見ていると、栗原さんが門のところまで行き話をしている。男は必死の形相だった。いや、嘘だ。顔までは見えない。ただ、手振りは確認できる。栗原さんは門を閉めると、こっちへ戻ってきていた。男は門に手をかけて何か大声で言っているようだ。

 なんだか、あの人と話さないといけない気がした。

 私は窓を開け、必死に気づいてもらうために手を振ってみた。大声を出すと栗原さんに気づかれてしまうので、声を出すことはできなかった。

 そして私の必死さが伝わったのか、結構遠目だったが長髪の男は私に気づいた。




 ***




【長髪のプレイボーイ 孝也たかや


「申し訳ございません。ご面会はお断りするようにと……」

「少しでいいんです。元気にしている顔だけ見られたら」

「どうか、お引き取りくださいませ」


 とりつく島もなく、初老のメイドは俺に背を向けて屋敷に戻っていった。ダメ元でここへやってきたが、1つ確かな情報を得た。断るという事は、確実に悠はここにいるってことだ。


 ――畜生……悠がいるのに…………!


 門に手をかけて額を門につける。冷たい感覚だ。


「悠……」


 俺は睨むように屋敷の方を見た。すると、1つの部屋の窓が開いているのが見えた。遠目からだとよく見えないが、窓が開いている部屋に誰かいる。顔とかは見えないが、シルエットくらいは分かった。

 それが悠だということは直感的に感じた。大きく手を振っている姿が見える。


 ――俺のことを思い出したのか!?


 そう思っていた刹那、悠が窓から身を乗り出して屋根に降りようとしている。


 ――おい馬鹿! 危ないだろ!? 


 そう言いたかったが、俺は口をつぐんだ。そんな大声だしたらあのメイドが飛んできてしまう。俺は悠に一番近くなるように、外の門に沿って走った。


「悠!」


 恐る恐る屋根に足をかけている。屋根から地上までそこそこの高さがある。落ちたら脚を骨折してしまうかもしれない。いや、それは足から落ちた時のパターンだ。頭から落ちれば絶対に死ぬ高さだった。


「馬鹿、危ないだろ! なにやってんだ!」

「貴方と話がしたくて……!」


 その言葉から悠の記憶が戻っていないことは解った。悠は俺のこと「貴方」なんて言わないからだ。

 しかし、その言葉を聞いた瞬間、抱きしめたい気持ちでいっぱいになった。だが、届かない距離だ。ほんの、6メートルくらいの距離なのに。


「あの時はごめんなさい。話もよく聞かずに。ずっと気になっていたんです」

「家から出られないのか?」

「まだ出してもらえなくて……怪我がもう少し良くなったらとは思うんですけど」

「怪我は? 大丈夫なのか!?」

「なんとか大丈夫です」


 その言葉を聞いて、一先ずはホッとする。本当にあの時、悠が死んでしまうかもしれないと俺は思った。本当に生きていて良かった。その感覚だけはしっかりある。


「お前はあの医者に騙されているんだ!」


 いつメイドが飛んでくるとも限らない。俺は早速核心に触れた。悠は驚きの表情を浮かべると思っていたが、悠は顔色を変えない。


「それは、私には解りません。思い出せないので……」


 酷く冷静な言葉を言う。


「あなたがストーカーだということも、私には解りません。何が本当なのか……」


 何を言っているんだ、俺のことを信じろよ。俺のことだけ、信じていればいいんだ。

 そのもどかしい気持ちが身体中を這い回る。


「それに、あの医者はお前がいながら他の女に手を出しているんだぞ!」


 俺が、こんなことを言えた義理だろうか。俺も散々そんなことをしてきたのに。しかし、それは事実だ。


「…………そうなんですか。でも、みんな誰だって浮気したりしますよね……」


 悠は苦笑いをして、少し困った顔をする。


「何納得してんだよ! お前それでいいのかよ!?」


 自分で言った言葉が、自分に深く突き刺さる。悠に、散々同じ思いをさせてきたのに。こんなことを悠に詰め寄るなんて、おかしいだろ。

 けど、自分の事をとりあえず全部棚にあげて悠にそう言う。


「不思議と慣れているんです。なんででしょうね? 別に驚いたりしてません」


 その言葉に胸が痛んだ。


 ――俺のせいなのか? 俺が悠をこんなふうにしちまったのか?


 犯した罪の数々が身体を這い回る感覚。悠を取り戻したい一心で俺は折れそうな心をなんとか保ち、言葉を続けた。


「ここに証拠がある! お前はここにいるべきじゃない。俺のところに戻ってこい!」


 どんな状態でも俺は悠に戻ってほしかった。

 どうせ傷つくなら、俺が傷つけたい。俺のものであってほしい。そんな身勝手な気持ちを俺は抱いていることは否定できない。


「1回、3人でちゃんと話し合いませんか?」


 悠が冷静にそう言う。あのクソ医者と話し合いなんか、できるわけがねぇ。


「何悠長なことを言ってんだよ!」


 俺がそう言うと、悠は下唇を噛んで険しい表情をした。


「……だって仕方ないじゃないですか! 何が本当か、解らないんですよ!?」


 下唇を噛んでいた口を開き、悠が声を荒げる。怒っているのか、悲しんでいるのか……そんな声だった。そんな強気な態度に、俺は戸惑ってしまう。


「話し合うって言ったって、どうするんだよ……」

「私が隼人に話し合えるよう言いますから」


 ――隼人? そんな風に親し気にあいつのことを呼んでいるのか?


 そう考えると、俺の中で嫉妬がうずまいた。それにやっぱりダメだ、あのクソ医者が俺に会うことを許すはずがない。


「それじゃ駄目だ。お前は一生そこから出られない」


 それに下手をしたら、俺が警察に突き出されかねない。いや、下手をしなくてもあのクソ医者なら俺を容赦なく警察に突き出すだろう。


 ――くそっ……医者のあいつの証言と俺の証言、どちらの信憑性があるかなんて一目瞭然だ


「私は……犬がいるので自分の意思ではここから出られません。メイドさんにお願いしても出してもらえません……なので、話し合いの場を設けてもらうしかないです」

「解った…………詳しいことは連絡…………そうだお前、携帯どうしたんだ?」


 悠にはどう頑張っても、連絡がとれなかった。電話をしても繋がらないし、メッセージを送っても返事がなかった。

 この状況からして、持っている可能性は低い。


「昔の携帯らしきものは、先日渡されたんですが…………パスワードが分からなくて……」


 ――パスワード? こいつ、携帯にロックをかけていたか? 


「昔はかけていなかっただろ? それ本当にお前の携帯なのか?」


 悠は、ポケットからその携帯をとりだした。


「これなんですけど……」


 遠目からではそれが本当にそうなのか解らなかった。俺は自分の携帯を取り出し、悠に電話をかけてみた。


「あ、電話……」


 悠の持っていた携帯が光る。それは悠の携帯に間違いはなさそうだ。


「お前、パスワードに心当たりはないのか?」


 少し考えるが、悠は首を横に振る。


「自分の誕生日とか」

「もちろん試しましたけど、駄目でした」


 ――なんだ? さすがにパスワードまでは俺にも解らない……


「お前、『メンタルディスオーダー』ってバンド好きだろ?」

「えっ、はい!」


 その元気な返事を聞いて、出会った頃を思い出した。

 あぁ、あれから色々曲が出てるんだぞ。あんまりそんな話、俺たちはしなかったけど今は無性にそんな話がしたい。色々話したいことがある。

 俺らの時間を埋めるほどのたくさんの話が。


「ヴォーカルの緋月の誕生日は?」


 パスワードを入力したのちに、悠は首を横に振る。なんだよ、そんなの解る訳がねぇだろ。


「じゃあ俺の誕生日は?」


 俺のことが大好きなあいつが、もし本当に俺のことが好きだったなら俺の誕生日の可能性もある。


「いつなんですか?」

「俺の誕生日は――――」

「松村さん!? 何をなさっているのですか!?」


 俺の誕生日を言おうとした俺の声を遮って、メイドの声が聞こえた。


「あっ、栗原さん、これはその……」

「危ないですから! お戻りになってください!」


 メイドは悠を部屋に入れ、俺の方を見た。俺を見るなりもの凄い形相になった。まるで般若のような顔だった。


「松村さんとのご面会はできないと申し上げたはずです! 警察を呼びますよ!?」


 ――ちっ……こんなときに…………


「あの、栗原さん彼は大丈夫ですから、その――――」

「松村さん! 早くお戻りになってください! 警察を呼びます!!」


 悠はまた、病院の時のように名残惜しそうな顔を俺に向けたがメイドの言う通りに部屋に戻っていった。

 メイドは俺の方をキツイ目つきで睨みつける。警察なんかに掴まったら俺がGPSでクソ医者を尾行したこともバレるし、俺がストーカーだと警察に言われたら本当に捕まっちまう可能性もある。

 ここに長居できず、俺は屋敷から離れた。


 ――畜生…………触れられもしなかった。あんなところに閉じ込めやがって……!!


 SDカードも渡せなかった。悠の処遇についても無性に苛立ってくる。


 ――もういい、あのクソ医者を直接強迫すればいい


 悠があんな風に浮気する男のことを悟っているとは知らないだろう。浮気をバラされたくなかったら、俺の言う事をある程度聞くはずだ。

 まぁ、これはある意味賭けだがな。クソ医者を揺するのはかなりのリスクがある。現時点で揺する方法はいくつもあるが、完璧に固めてからじゃねぇと、もみ消される可能性も十分にある。

 雨柳家……少し調べてみたが、かなりの権力のある家柄だ。医者、政治家、法律家、音楽家、様々な分野で活躍が見られる名家だ。


 ――そんな名家に傷をつけるようなこと、されたくねぇよなぁ……?


 俺はそのままの脚で、苛立ちながら病院に向かった。



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