第6章 嘘でできた砂の城

第31話 メンヘラちゃんは刺客をさしむけた




【メンヘラゴスロリ娘 亜美あみ


 ユウ様は亜美を覚えていない。


 ――ユウ様が記憶喪失……ユウ様が…………亜美があの時飛び出して、捕まっちゃったから……亜美のせいだ……亜美の……亜美が悪い子だったからユウ様があんなことになってしまった…………


 膝を抱えてうずくまっていると、そのことばかりが頭をよぎる。責めても責めても、自分を許すことが全く出来ない。落ち込むところまで落ち込んでいくばかり。


「あ……亜美ちゃん、クッキー焼かせたんだ。美味しいよ。少し食べたほうがいいよ」


 太り気味な、肌艶のいい男性が亜美にクッキーを持ってくる。その甘い匂いを嗅いでも、亜美はそれを食べる気にならなかった。食欲が全くない。


 ――ユウ様に会いたい。ユウ様にごめんなさいって言いたい。ユウ様に亜美って呼んでほしい。ユウ様…………――――


 ずっと堂々巡りで、そこから逃げることすら許されない。

 お兄様はもうユウ様に関わるなと言っていた。亜美のせいでユウ様が酷い目に遭ったのは分かってるから、だからこそ抜け出せない。


「亜美ちゃん……クッキー嫌だった? ケーキもあるよ?」


 亜美が答えないと、太り気味な男性はおどおどと混乱する。

 ユウ様のこと以外、何も考えられない。涙がとめどなく溢れてくる。

 ユウ様に連絡しても音沙汰はないし、多分携帯自体持ってない。

 携帯を取り出してユウ様と撮った写真を眺める。歯磨き中の少し困っているユウ様の顔がそこにあった。このときに戻りたい。


 ――亜美のこと覚えていなくても、それでも、やっぱり、好きです……こんなの嫌…………


「あっ……その…………泣かないで亜美ちゃん……」

「構わないでって言ってるでしょ!」


 亜美は泣きながら高宮たかみや瑪瑙めのうの肩の辺りを思い切りたたく。


「ごめん亜美ちゃん。でもここ数日何にも食べてないし、何か食べないと倒れちゃうよ……」


 そんな言葉、聞きたくない。そんなこと、どうでもいい。


「もう死にたい……ユウ様がいない世界なんてなくなればいい……!!」


 ユウ様がいない世界なんて大嫌い。なくなったらいい。

 それが無理なら亜美が消えたい。


「そんなこと言わないで! 僕は……亜美ちゃんがいなくなったら悲しいよ……」


 瑪瑙の心底どうでもいい言葉に、本当にうんざりする。


「そんなことより、隼人お兄様とユウ様の様子を見てきて! 亜美が行っても門前払いされちゃうんだから」


 お兄様が亜美をユウ様に会わせないようにしているようだった。栗原もお兄様には逆らえない。自分の家なのに入ることすらできず、瑪瑙の家に今は居候いそうろうしている。


「でも……隼人さんが僕のこと家に入れてくれるかな……」

「なんとかして入るの! そんなんだから瑪瑙はいつまでたっても瑪瑙なの!」


 亜美よりずっと大人のくせに、本当に瑪瑙はいつもこう。いつも自信なさそうで、いつも亜美の顔色伺って、でも全然亜美の希望を叶えてくれない。


「ごめんね亜美ちゃん……分かった。今日、亜美ちゃんの家行ってくるね」


 困ったように瑪瑙は、苦笑いを亜美に向ける。


「なんとかユウ様に会ってきて。アミのこと思い出すようにして! じゃないと亜美、このまま死ぬから!」


 手首の傷を抱きかかえる。

 ユウ様が命がけて助けてくれた命だけど、ユウ様のいない世界なんて亜美にとっては地獄そのもので……――――。


 ――ユウ様……どうか思い出してください。亜美のことだけ見て。亜美だけ愛して


 その腕の中で亜美は死んでしまいたいです。




 ***




【ひょろメガネ 隼人はやと


「隼人お坊ちゃまー!」


 私は悠と自室で他愛のない話をしていた中、栗原が私を呼びに来た。


「少し待っていろ」


 悠は軽く頷くと、私を見送った。

 今のところ慎ましい女だ。まるであの荒くれていてた悠がまるで別人格かのように感じる。これで犯罪者集団を蹂躙じゅうりんしたとは思えない。望にははぐらかしているが、事情聴取も控えている。

 まぁ、記憶喪失で事情聴取などできる状態ではないが。

 私は自室のドアをゆっくりと開けた。


「なんだ? 騒々しい」


 ドアを開けると栗原が深く私にお辞儀をする。


「申し訳ございません。高宮家の瑪瑙お坊ちゃまがいらっしゃいまして、隼人お坊ちゃまにご挨拶がしたいとのことです」


 ――高宮家の瑪瑙が? いったい何の用だ……?


「瑪瑙? 亜美ならいないだろ。お帰り頂け」

「それが、隼人お坊ちゃまにご挨拶がしたいと」


 ――ちっ…………高宮家…………流石に雨柳家と並ぶ財閥の者を追い返すわけにもいかない……


 しかし私に何の用だ。

 高宮瑪瑙は、だ。私に直接に用があるとは考えられない。


「解った。すぐ行くから待たせておけ」

「ええ、かしこまりました」


 栗原はそう言って下がっていった。

 一応、家ぐるみの付き合いの相手だ。こんな部屋着のような格好では迎えられない。私が自室に戻ると、悠は首を傾げて私の方を見てくる。


「お客さん?」

「あぁ、そんなところだ。すぐに済む」


 私はクローゼットを開けて、シャツとジャケットを取り出した。セーターやら上に着ているものをその辺に脱ぎ捨てて身なりを整える。


 ――高宮家のお坊ちゃんが一体何の用だ。亜美が捕まらないから私にゴマでもすりに来たのか……まったく……――――


 シャツを羽織り、ジャケットを着て私は玄関まで降りて行った。


「あ、隼人さんこんにちは」


 客間の扉を開けると、高宮瑪瑙が立ち上がりこちらを見た。相変わらずのぽっちゃり体型で、だらしがない身体と、しまりのない顔をしている。こんなだらしない奴でも名家の御曹司には変わりないので、無下にすることはできない。


「愚妹がいないのに珍しいですね。どうされたんですか? 高宮さん」


 少し嫌味のように言うが、高宮はそんなこと気にしている様子もなかった。


「いえ、今日は隼人さんにお話がございまして。少々お時間よろしいでしょうか?」


 高宮は柔かな作り笑顔を向けてくる。

 私は悠と話をしていたいのに、なんでこんな奴と話をしなければならないのだろうか。そう思っていても私は高宮に笑顔で返事をした。


「失礼かとは存じますが、あまり時間がございませんので少しなら構わないですよ」

「ありがとうございます。あの……突然ですが、隼人さんは今、恋人はいらっしゃるのですか?」


 本当に突然、何を言い出すんだこいつは。お前と私はそんな話をするような間柄じゃないだろう。

 かなり違和感があったが、それでも私は極力笑顔で会話を続ける。


「えぇ、おりますが……それがどうかされましたか?」


 悠のことは、恋人なのだろうか。婚約者と恋人とは、何かニュアンスが少し異なるが、まぁ対して違わない。ここで「いない」と言ってもいいだろうが、ここに住むとなれば近いうちに正式に婚約者として両親に紹介するものであるし、高宮瑪瑙に隠し通すことはできない。


「いらっしゃるのですか! 是非ともお会いしたい! どうですか? 3人でお食事でも」


 ――は? 


 高宮は何やらわざとらしく演技しているように見える。それに、やけに胡散臭さを感じる。


「え……えぇ、ご厚意は嬉しく存じますが、なぜ私の恋人にお会いしたいのですか?」


 この豚。何を言っているんだ。


 ――…………愚妹になにか頼まれているのか? 


「いえ……ご存知の通り亜美さんと僕はうまくいっていません……誠に勝手ながら、何か僕らの関係のヒントになればと思いまして。隼人さんは何事も上手くやれている敏腕な方ですから」


 私と悠を見ても、高宮と愚妹の関係に対して何もヒントにはならないだろう。亜美と悠は全く違う。私と瑪瑙も全く違う。それに、状況もかなり特殊だ。話していてもヒントになるようなことは何もない。


「当家の愚妹がとんだご迷惑をおかけしまして……」


 建前だけの謝罪を私は口にする。そんなの私の知ったことではない。


「申し訳ございませんが、私の連れ合いは今療養中でして……面会はお断りさせていただいております」


 それは別に嘘を言っているわけではない。私は悠の担当医で、悠はまだ療養が必要な状態だ。


「あ……どこかお身体が悪いのですか?」

「ええ、少々怪我をしておりまして」

「それはそれは……今度お花をお持ちいたします」

「いえ……お気持ちだけで」


 ――なんなんだ、こいつは。鬱陶しい。早く帰れ


 妙に高宮が食い下がってくる印象を受ける。

 やはり何か亜美に頼まれているのだろう。わざわざ高宮家の跡継ぎが雨柳家に用もないのに来訪するなど、考えにくい。


「あら、松村さん。どうかされましたか?」


 廊下の方から栗原の声が聞こえてくる。その声が聞こえると、私は内臓が一気に冷えたような感覚に陥った。この場で高宮と悠を会わせたくない。悠に「部屋で安静にしていろ」と言わなかったことを瞬時に後悔した。


「あの、お水をいただけませんでしょうか」

「お安いご用です」


 それを高宮に気づかれない訳もなく、声のする方へ視線をやると高宮は悠を捕えた。


「隼人さん、あの方は……?」


 当然、そう私に尋ねてくる。

 高宮が愚妹の指示によってここにきているのなら、悠を婚約者だなどと言えば嘘だとすぐにバレる。それに、仮にその嘘をつき通せたとしても、先ほど3人で食事がどうとか面倒なことを言っていた。

 今は適当に誤魔化すことにしよう。


「あれは親戚の者です」

「そうですか、ではご挨拶を」


 高宮が重い身体を立ち上がらせ、悠の方へと向かう。


「そんな、結構ですよ。ただの遠い縁の親戚ですし」

「いえ、いずれ私も雨柳家さんとはご厚意になると思いますし。今のうちにご挨拶を……」


 ――この豚、本気で雨柳家と婚姻を結ぶつもりか? しかもあんな頭の悪い妹なんかと……


 雨柳家と高宮家の両親は仲が良い。家柄のことを考えるのであれば婚姻関係を結ぶことは悪いことではない。

 だが今はそんなことはどうでもいい。何にせよ、今はこいつと悠を合わせたくない。面倒な事はごめんだ。


「かしこまりました。少々お待ちください」


 悠を親戚の人間として紹介するために、悠に少しばかり演技をしてもらわないといけない。

 私は高宮から離れ、悠にしか聞こえない程度の声量で話しかける。


「悠、少しいいか?」

「うん、何?」


 水を片手に、悠は私のほうを向いた。

 悠の方が少しばかり背が高い。こうして改めて並ぶと、本当に男なのか女なのか解らない。男にしては小柄で華奢な上に、やけに睫毛が長く女性らしい。しかし女にしては背が高く凹凸のない身体をしていて、切れ長だが大きな瞳は男とも女ともつかない。


「今、高宮財閥の御曹子の方が見えていて、お前とのことはまだ内緒にしておきたいから親戚だと先ほど紹介した。だから親戚のフリをしてくれ」

「え……でも、隼人の親戚ってみんなエリート揃いじゃないの? 私……自信ないな……」

「適当に合わせておけ。どうせ軽く挨拶をする程度だ。いつも通り堂々としていろ」


 私は覚悟を決めて高宮の前に、緊張している悠を連れて行った。


「初めまして。松村悠と申します」


 礼儀正しく悠は高宮に頭を下げる。


「初めまして。松村さん。僕は高宮瑪瑙と申します。以後お見知りおきを」


 高宮が握手を求めて手を差し出した。

 悠がオドオドとその高宮の手を握り、握手をする。


「いやぁ、お綺麗な方だ。雨柳家のご親戚の方はみな美しいのでしょうか」


 高宮は握手している手とはまた別の手で、悠の手を包み込む。悠の細く白い手にべたべたと触る高宮に、私は苛立ちを覚えた。


「あ……いえ……ありがとうございます」


 高宮はなかなか悠の手を放そうとしない。


 ――こいつ、いつまで悠の手を握っているつもりだ……


 私は苛立ちを抑えきれずに悠の肩に手を置いた。


「悠、下がれ。高宮さんはご多忙だ。部屋に戻れ」

「え、あ……はい」


 多少不自然だったろうが、悠を無理やりに下がらせた。


 ――まったく、何がしたいんだこいつは。さっさと帰れ


 そう私の顔に書いてあるほどに態度に出しても、高宮は気づかない。相変わらずの鈍さだ。こんな奴が私の義弟になるなどと考えると虫唾が走る。


「お綺麗な方でしたね」

「そうですか。本人もそれを聞いたら喜びます」

「あまり長居してもお邪魔になりますし、僕はそろそろ帰りますね。また恋人さんがお元気になりましたらご一緒にお食事にでも参りましょう。隼人さん」

「はい、ありがとうございます」


 そうしてやっと高宮は帰って行った。


 ――まったく、なんだったんだ?


 あいつの恋の相談など聞いているだけで時間の無駄だ。

 そう思い、私は戻った悠の後を追い、部屋に向かった。



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