第30話 メンヘラちゃんは画策している
【ひょろメガネ
「記憶喪失でございますか……?」
「そうだ、しかも事件に関わっていてまだ療養中だ。思い出すと療養の妨げになる。先ほどの発言は……なんとか誤魔化せ。人違いだったとか、何でもいい」
私は栗原にそう命令した。
「左様でございますか隼人お坊ちゃま。かしこまりました」
まさか栗原と悠が面識があるとは思わなかった。愚昧と知り合いだったのは把握していたが、家にまで来ているとはな。
――危ない。少しばかりヒヤッとした……何故私がこんなに冷や冷やしなければならないのだ
愚昧と面識があったとしても、家には寄り付かないあいつが家に招き入れてるとは思わなかった私の思慮不足で、考慮していなかった。
そして、私と栗原は何事もなかったかのように悠の前に戻る。
「悠、この者は当家のメイドの栗原だ」
悠は私が与えた携帯電話をいじっていたが、私が戻るとすぐさまそれをしまい、栗原の方を向いた。
「いらっしゃいませお客様。先ほどは失礼いたしました」
「あの……私、隼人さんの他に誰かお知り合いの方がいらっしゃるんですか……?」
早速その話を聞いてきて、私は横目で栗原を見た。栗原はアイコンタクトをし、空気を読んだ回答をする。
「……いえ、人違いでございました。ご来客が多いもので、大変失礼いたしました。お初にお目にかかります。雨柳家に雇われているメイドの
うまくそう栗原が誤魔化した。悠はそれで納得したようで、それ以上の詮索をしてくることはなかった。
「そうでしたか、こちらこそ差し出がましいことを聞いてしまい申し訳ございません」
やけに丁寧な受け答えだ。
前の悠の私に対する態度とのギャップを感じ、内心複雑な気持ちになる。
――悠は外面がいいのだろうか? キレていなければ普通の女なんだが……
あの粗暴さの片鱗も見せずに、栗原に丁寧に挨拶をしている姿を見て私はそんなことを考えた。私と会ったときは酷く乱暴だったのに。
余程私の言ったことが癇に障ったのだろうか。
食事の途中で席を立つほどに……。
「栗原、私の隣の空いている部屋を掃除しておいてくれ。当家に住むことになった」
栗原は私の方を見て少し驚いたような顔をしていたが、それは悠に見て取れるほどの表情の変化ではなかった。
しかし、いちメイドは私に対して何も詮索などはしてこない。
「そうでございますか。かしこまりましたお坊ちゃま。しかし、どの部屋も念入りにお掃除しておりますので、すぐにでも入っていただけます」
流石栗原だ。長年雇っているだけはある。有能なメイドが1人いると生活が楽で助かる。栗原はこの家の唯一のメイドだ。
この豪邸に1人は少ないと感じるかもしれないが、量より質だ。栗原はなんでも完璧にこなし、1人で6人分くらいの働きをする。
メイドとは別に料理人は雇っているが、まぁ、買い物に行くときくらいしかキッチンから出てこないし、登場することはないだろう。
「そうか。家具はそろっている。好きに使ってくれていい」
「あ、ありがとうございます」
悠はおずおずと会釈する。私は栗原を下がらせた。
栗原に荷物の引き渡しなどを指示した後、私は悠をつれてひとしきり家の中を案内して回った。
といっても特別見るようなものはなく、いつも通りの自分の家で私は面白くはない。
しかし悠は目を輝かせて喜んでいた。私はそんな悠を見て、なんだか照れ臭い気持ちになってくる。雨柳財閥の代々伝わる豪邸は私にとっては当然のものだったが、やはり一般人にとっては素晴らしいものらしい。
悠はみすぼらしいアパートに住んでいる。何か余計なことを思い出す前に早くそこも引き払わなければなるまい。
「あの、自分の家から色々持ってきたいんだけどいいかな?」
望ましくない質問だ。家に行ったら何があるか解らないので当然行かせたくはない。
「駄目だ。お前は退院したとはいえ、まだ安静が必要だ。鍵と物の指定をしてくれれば私が取ってくる」
「え……でもそれはちょっと……」
悠は嫌がるそぶりを見せるが、もう一押しだ。
「何を恥ずかしがっている? 何度もお前の家には行っているし、物の場所も大体解っているんだ。気にすることはない」
大嘘だ。
1回しか行ったことはないし、中を見たときに物の場所くらいは解ったが、いくら頭のいい私でも、細かく何がどこに何があるかは覚えていない。
それでも悠は私の言葉に納得した。
「そ……そっか。じゃあとりあえずゲーム類をお願いしていいかな? 病院でルービックキューブしてたときに痛感した」
「ゲーム?」
「うん、テレビゲームとか」
私はゲームなどしたことがないから、それの何がいいのか解らない。が、悠に自分の家に行かれるよりマシなので私はそれを了承する。
「家賃とか……本格的な引っ越しとかはどうするの?」
「それなら私が手配して払っておく。心配するな」
「……ありがとう。何から何まで」
悠から柔らかな笑顔が私に向けられる。
――こんなふうに笑う女なのか。警戒心のない女だ。私のことを信じきっている
私は記憶喪失になった経験はないが、私なら記憶喪失後に「婚約者だ」などと言ってくる者は信用しないだろう。いくら相手が信用に足る職業や地位であったとしても、容易に信用はしない。だが、悠はそういう邪推はないようだ。
二度と記憶なんて戻らなければいい。一生私に飼われていればいい。そうすれば絶対に幸福になれる。
この私の妻というポジションは多くの女がどれだけ望んでも手に入らない地位だ。それを悠も後で記憶を取り戻しても正解だと気づくはず。
私は柔らかく笑う悠を見てそう思った。
***
【長髪のプレイボーイ
電話が鳴りやまない。
拒否にしても違う番号から何度も何度も電話がかかってくる。もしかしたら悠かもしれないと思って電話出ると、悠美の罵声が聞こえてきてすぐさま拒否するというサイクルをずっと繰り返していた。
そのせいで俺のイライラはピ―クに達していた。
悠に面会に行こうとすると警備員に止められて病院に入れなかった。
それに、いつの間にか退院していて家に戻っているかと思ったが、悠は昔俺が出入りしてた時のアパートの場所から引っ越しているようで居場所が解らない。連絡を何度もしてみたが、電源が入っていないという機械音性が流れるだけ。メッセージも恐らく読んでないはずだ。
――あのクソ医者……病気だぜ……
医者の不養生どころの話じゃない、絶対に精神的な病気だ。あれを性格の歪みで説明するのは無理がある。あれはもう病気の領域だ。そして、大体病気の奴は自分が病気だと思っていない。あのクソ医者も他人の病気ばっかり診てるくせに自分の病気に気づかないらしい。
悠はどこかにまた消えちまった。いつも俺の手からすり抜けていく。他の女もそうだ。
俺にしつこく好意を振りまいて求めるだけ求めて最後はしれっといなくなったり、俺が鬱陶しくなって終わったり。俺の心の渇きは満たされないままだ。
――本当に俺のこと想ってくれるやつなんていないのか……――――
自分でも都合の良いこと言っているのも解っている。それでも俺は悠がそうであってほしいと願っているんだ。俺にとって都合のいい女でいてくれたのは、悠だけだ。
悠は俺に求めないようにしてくれていた。悠は何も言わなかった。
俺が他の女に呼ばれて「用事が出来たから帰る」と言っても何の詮索もしなかった。
「そう、解った。またね」
と……――――その胸の内を解らなかったわけじゃない。ただ、それが居心地が良かっただけだ。甘えたい時だけ甘えて、必要のない時は連絡もろくにしなかった。
――最低だ
それを悔やんでも、今の悠は俺のことを覚えてすらいない。
せっかく、また出会えたのに。また、俺のこと好きだって言ってくれたのに。
今の俺は無様に膝を抱えるしかできない。
――こんなの、納得できねぇ……
俺が悪かったのは分かってる。俺が全部悪かったことも全面に認める。
自分のしてきたことを後悔しても、遅かった。
でも、このまま終われない。悠になんとか思い出させたい。
――まぁ……因果応報ってなら最悪、思い出さなくてもいいぜ……
けど、最低でもあんなクソ医者にだけは盗られたくない。
あれは俺のなんだから。
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