第2話 メンヘラちゃんがついてくる




【中性的な女 ゆう 数日後】


 私は仕事に行く日は少し家から早く出て、会社に間に合う程度の電車が来るまでの時間、本屋で音楽雑誌をめくってみたり、はたまたノンフィクションの分厚い本をかっこつけて読んでみたりしている。

 今日も私は本屋に立ち寄った。今日は昨日から読み始めた『人間の身体はどこまで耐久できるのか』という、ちょっとエグイ本を読みたかったからだ。立ち読みはいけないことだと分かっているが、私の財力では何冊も本を買う余裕がない。なので、いつも悪いとは思いながらも立ち読みさせてもらっている。

 いつも通りの日常、いつも通りの本屋さん、いつも通りの店員さん……と、何の意識も働かせず、私が目当ての本のコーナーに行くと

 見覚えのある女の子が。


 数日前に、絡まれて私までえらい目に遭わされた原因の女の子がそこにいた。相変わらずフリルのたくさんついた目立つ服を着ていた為、顔が見えなくてもその子だとわかった。

 駅の利用者ならバッティングしてもおかしくはない。おかしくはないが、一つそれにしてもおかしいことがあった。彼女が持っている本が、『人間の身体はどこまで耐久できるのか』という本であったことだ。


 ――偶然か……? まぁいい。今日は別の本にしよう


 そして声をかけずに、向き直って私は彼女に背を向けた。


「この本、難しいですね。全然わかんない」


 やはり聞き覚えのある声だ。可愛らしい彼女の声だ。何故当然のように私に話しかけてくるのか、そして、私が読んでいた本をなぜ知っているんだ。と、思い、恐怖心を感じる。


「あぁ、あの時は災難だったね……」


 適当に話をはぐらかそうとする。関わりたくないという気持ちが現在の感情ランキング1位になっていたからだ。


「あ……あの…………お礼が言いたくて」

「いや、私は何もしてないよ。何事もなくて良かったね」

「あのっ……! よろしければ何かご馳走させてください!」


 嫌だ。

 瞬時に私はそう思った。絶対面倒くさくなるパターンなのは目に見えている。そこにわざわざ特攻していこうなどという冒険心は私にはない。私は勇者ではないのだ。どちらかというと、どう見ても村人Aの方。


「あぁ……ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ。今後は気を付けて」


 私は軽く手を振って彼女から離れようとした。逃げようとしたと言って相違ない。


「待ってください!」


 ――うっ……。そんな大きな声で呼び止めるな。視線が集まる


 衆人環視の中、ここで待たなかったら私が悪い人になってしまう。仕方なく私は向き直し、彼女を見た。メイクをしっかりとしているせいもあるだろうが、改めて見ると結構可愛い子だなと思った。

 私も化粧をすればこんなに可愛くなるのだろうか。

 いや、何を考えているのだ私は。そんなことはどうでもいい。今すぐにこの場を丸く収めて退散したいのだ。


「……ごめん、仕事行くから長くは話せないんだ……」


 仕事を理由にしよう。間違いではないし、一番もっともらしい言い訳になる。


「じゃあ……連絡先教えてください………………だめですか……?」


 上目遣いのあざとい感じだった。目を少しうるませて、甘えるような声で言った。

 絞り出せ。断る理由を絞り出すんだ。これでも社会人だ。御断りの文句の1つや2つすぐ出てくるに決まっている。


「…………」


 駄目だ。出てこない。体裁よくこの場を収める言葉がどうにも出てこなかった。

 携帯を持っていないなどというのは明らかな嘘だと分かってしまう。

 携帯を持っていれば、番号を覚えていないなどの嘘は当然通じない。

 なので……


「あぁ…………うん。いいよ」


 周囲の目もあるし、なんと断ったらいいか分からなかった私は、物凄く、渋々、承諾した。

 彼女は私が承諾した直後、ものすごく嬉しそうにするものだから、もっと断りづらくなってしまった。

 困った。後悔が私のもとを訪ねてくる。

「どうも、後悔です。最近よく会いますね」ほんとだよ。まったく。


「あぁ、仕事だからそんなに返事とか……できんと思うよ」


 保険をかけておこう。なんにしろ本当のことであるし。


「はい、大丈夫です! ありがとうございます!」


 明るく笑う彼女を初めて見た。男というのは恐らくこういう子が大好きなのだろう。確かに可愛い。私は携帯の時計を見た。電車の時間が差し迫っていたので私は駅のホームに移動することにした。


「じゃあ、ね。仕事行くから」

「はい、行ってらっしゃいませ」


 私はホームに向けて歩き出した。

 その後から彼女の足音が一定距離を保ちながらついてきている。きっと行く方向が同じなのだろう。多分……。


「……君もこっちなの?」


 沈黙に耐え切れず、私は彼女に話しかける。


「あ、私、亜美あみって言います」

「……そうなの。私はゆうっていうんだ」

「じゃあ、ユウ様って呼びます♪」

「あぁ……えーと……様づけはちょっと恥ずかしいかな……」


 ――何なんだこの女


 と私は困惑した。いまだかつて出会ったことのない、ネットの中でしか見たことのないタイプだ。原宿にいるようなイメージだが、なぜこのようなサラリーマンの町にいるのだろうか。


「そのうち慣れますよ、ユウ様♡」


 とりあえず、この子は人の話を聞かないタイプの人間だということは解った。


「で、君………………アミちゃんはこっちなの?」

「アミでいいですよ。ユウ様」


 あぁ、うん。そうか。もうなんでもいい。

 私が会社にいく電車のホームまで下りて、電車をいつもの場所から待とうとしていた。が、アミが私の後ろにぴったりと張り付いてついてくるではないか。

 偶然だよね? ついて来ているわけじゃないよね? 

 その疑念によって心の平穏が乱されていく。


「ユウ様、さむーい」


 アミが急に私の腕に絡みついてくる。私は困惑と狼狽ろうばいを隠せなかった。会ったのが数日前であるにも関わらず、距離感が滅茶苦茶近い。物理的にも。


「……アミ……ちゃん、君も電車乗るの?」

「乗ります」


 アミが私の腕により一層密着してくる。結果として彼女の胸が私の腕に押し当てられる形となった。私が男だったら嬉しいと思うのだろうが、私は女であるし、正直全然嬉しくない。

 電車が来るアナウンスが流れる。早く会社に行きたいなんて思ったのは初めてかもしれない。

 電車が満員の状態で到着する。はぁ……乗りたくないな。降りる人もやっとの思いで降りてきているのが見てうかがえた。ギッチギチに乗っている。

 私はこの中に乗り込む決意をまとった。


 電車の中では勿論のことと言わんばかりに私にアミは必要以上に密着してくる。満員電車なのだから、当然と言えば当然なのだろうが、それにしてもかなり近い。もっと離れるスペースはあるように思うが。

 そして、やっと会社近くの駅に到着し、降りた後もアミは私の後をぴったりとついてきた。

 まさか、会社の中までついてくる気ではないだろうかとすら考える。


「アミちゃん……私、会社に行くんだよ?」

「はい。そのお見送りです」


 いやいや、いいから。などと言ってもこの子が話を聞かないのは分かっている。だとしたら、会社の中までは入ってこなければそれでいい。

 駅から会社まで徒歩10分程度だが、これほどまでに長いと感じる会社までの道は初めてだった。

 やっとの思いで会社につくと、アミは流石に大人しく身を引いてくれた。


「連絡しますね、ユウ様♡」

「うん……じゃあね」


 これほどまでに会社について嬉しかったこと等、いまだかつてなかった。




 ***




 私は、溜まっている仕事を片づけるのに必死で、今朝の出来事は私の脳内からほぼ消えていた。それどころではなかった。作らなければならない書類などがしこたまたまっており、その文面を考えるのに必死で今朝のことなど考えている場合ではなかった。あれこれ悪戦苦闘しているうちに定時の時間になった。


 ――残業をしてもいいが、このくらいにして帰ろうか……


 私は、椅子に掛けておいた自分のコ―トを着ようと見た。ふと、ポケットに携帯が入っていることを思い出す。

 なんだか嫌な予感がして、携帯電話を見た。

 着信2回、メッセージ37件。


 悟った。


 迷惑メールの類ではないだろうかと一瞬思ったが、宛名はほぼすべてアミだった。着信は見慣れない番号だった。警察の人だろうか? 


〈ユウさまぁああああ♡♡♡ すっごくかっこ良かったです!〉

〈ユウさまお仕事ですよね……アミさみしぃです……〉


 私は速攻でメッセージを見るのをやめた。早く帰ろう。

 私がコ―トを着て、まだ残っている人たちにお疲れ様を言ってエレベーターに乗り、降り、ビルの出入り口に向かっていると、すれ違う男たちが


「可愛かったなー」

「声かければ良かっただろ!」

「あはははは」


 というような会話をしていたのが聞こえた。


 ――あぁ、なんの悩みもなさそうでいいなぁ……


 と、私が自動ドアから入ってくる冷気に目を細めながらも出ようとした刹那、


「ユウ様、お疲れ様です」


 ゴスロリの少女がそこに立っていた。



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