第19話 水晶の木

 あれから小一時間ほど、物陰に隠れて膝を抱えながら跳ね橋が下がるのを待っていたが、待てど暮らせど下りない事から業を煮やし、お腹の虫も騒ぎ始めた事もあって、別な出口を探すついでに調理場はどこかいな? と、鼻を利かせて離宮を彷徨い歩く。

 途中、すれ違う人達を物陰に隠れて、あるいは佇んでやり過ごし、見えなくなってから動き出す。


「(ふぅ。また気配とやらで気付かれたらたまんないもんね……)」

 そんな人はそうそう居るはずがないと信じたいが、万が一もあり得るのでここは慎重に。

 と、私の鼻センサーが食べ物の匂いをキャッチする。スンスンと鼻を利かせてその場所を突き止めたものの、使用人の女性が三人ほどで食事の準備をしていて、忙しそうに厨房内を駆け回る。

 私はといえば、目の前に温かな食事が置かれていても手を伸ばす事叶わずにお預け状態。きゅるる。と腹の音が鳴って慌てふためく。


「さっき食べたでしょう? はしたない」

「えっ?! 私じゃありませんよっ!?」

 でっぷりした給仕の長らしき人物に睨み付けられる使用人さん。ごめんねそれ私。と両手を合わせ、スキを見てパンとバターを持ち出してテーブルの下に隠れた。

 一旦姿隠しの能力を解いてから再度掛け直す。こうする事で持ち出したパンとバターは一緒に透明化されて、能力を解除するかパンを食べ切るまでは透明のまま。欠けた状態で宙に浮く、バターが塗られたパンを見られる心配もない。他のお料理はひとつまみして口の中に放り込み、咀嚼しながら出口を探すべく厨房を後にする。去り際で、皿に乗った料理が減っている事に首を傾げている使用人さんの姿が見えた。


 そこそこ満足したお腹を摩り、再び出口を求めて彷徨い歩く。前方からまたもや巡回の兵士が二人やって来て、近場の立て掛けた鎧の陰に身を隠してまたやり過ごそうとしたのだが――


「おっ? なんだかバターのいい香りが……」

 あっ。と思ったが遅かった。透明化で姿は見えなくても、匂いまでは消せはしない事を失念していた。どうしたものかと慌てふためいていると、もう一人の兵士が通路の奥へと指を差した。


「厨房からじゃないか?」

「みたいだな」

 そう話しながら通り過ぎていく兵士二人。ここが厨房近くで助かったとため息を吐いた。


「(でもどうしよう。厨房から離れたら流石に不自然よね……匂いが消えるまで何処かに隠れていようかしら……)」

 丁度目の前には、ドアが開け放たれたままの部屋がある。そこで二、三十分も潜んでいればバターの匂いも消えるだろうと思い、部屋に忍び込んでそっとドアを閉じた。


 その部屋は書斎だった。壁一面の本棚に規則正しく本が並び、収まりきれない本達が床に散らばっている。乾燥気味でカビ臭く、だから換気の為にドアを開けっぱなしにしていたのだろう。


「匂いを消すには丁度いいかも」

 身を隠すのに最適なへこんだ部分を見つけて、床に転がる本を積み重ねて本バリヤーを築く。その内側に身を潜めて臭いが消えるのを待った。


「……ん? なんか外が騒がしくない?」

 バタバタバタ。や、ガチャガチャガチャ。と、人の通りが急に増えた気がする。様子を探る為にドアの前に集音の術を仕掛けると、何の騒ぎかが聞こえてきた。


「どうやら、私が脱走したのがバレたみたいね……」

 前を通る人達は口々にお嬢様は何処かいな。と、駆け回っている。そして、部屋のドアが勢い良く開けられて心の臓が跳ね上がる。慌てて集音の術を解除して、透明化の術を掛けた。直後、積み重ねて作った本バリヤーを上から覗き込む兵士さんと視線がかち合った。


「(うっわ。見てる見てる……)」

「ここにも居ないな……」

「(いや、居るよ。あんたビンゴだよ)」

 相手からは見えないと分かっていても、妙な緊張感が頬に汗を流させる。覗き込むのをやめた兵士は、他に隠れていそうな場所を探してここには居ないと分かると部屋を出て行った。


「ハァ。どうしよう……」

 体育座りで膝にオデコを付ける。脱走がバレてしまった為、今後は益々出入りが困難となる。なにせ他国の貴族を誘拐したのだ。逃してこの事実が白日の下に晒されればリエストラ王国は勿論の事、周辺国からも非難が殺到するに違いない。


「そういう所が分かっているならやるなよなぁ……」

 攫ってから気付いたのかもしれんが。ともあれ、私としてはこのまままんまと逃げおおせて、第二王子に誘拐の責を取らせたい所だ。その為には離宮から脱出しないといけない訳だけど、脱走したのがバレて出入り口が閉鎖されている訳で……


「誰も知らない通路とかあれば良いんだけど……」

 そう口にしてハッと気付く。そういえば王女殿下は影法師の侵食から逃れる為に秘密の通路を通ったとか。そして、離宮とはいえここも王城の敷地内。もしかしたら有事の際に王族を逃す為の隠し通路があるかもしれない。

 このまま出口を求めて廊下を彷徨い歩くよりはマシだと考え、先ずはこの部屋から調べてみる事にする。透明化の術を解き、風の流れを探査する術に切り替える。そしてそれはあっけなく見つかった。


「書庫に暖炉って、不自然だと思っていたらそういう事なのね……」

 乾燥気味になる書庫なんぞで火を焚こうものなら火事になるのは目に見えている。でも、秘密の地下通路への入り口として使用するなら全然問題はない訳だ。

 身を屈めて暖炉内に入ると、壁面から僅かながら風の流れがあるのが術を使わくても分かった。その壁面に手を添えて奥へと押し込むと僅かな抵抗の後に壁面が動き出し、地下へと続いている階段が姿を見せた。



 ☆ ☆ ☆

 


 階段が思っていたよりも急で、滑り落ちない様に気を付けながら降りていた事もあってそれ程深くまでは降りてはいなかったものの、この通路って外へ繋がっていないんじゃね? とハッと気付いたが時すでに遅く、急な階段を戻るのは億劫だからと仕方なしに降り続けて三十分。湿気の多さとカビの臭いに嫌気が差してきた頃、唐突に場の空気が変わる。それは、真冬の朝のキンキンに冷え切った空気くらいの清々しさだった。


「空気が澄んでいる……? ううん。浄化されているんだわ」

 恐らくは魔術による浄化作用と思われる。だけど、人目を避けるかの如くこんな地下深くで一体何を浄化させているのだろうか? 色々と疑問に思っていると、降りていた階段は終わりを告げて小部屋へとたどり着いた。


「ここは休憩室かしら……?」

 部屋の中央にはテーブルと椅子が置かれ、部屋の隅には木製の簡素なベッドが置かれている。ベッドは整えられてはいるが、シーツは汚れて所々破れていて、テーブルには木製のお皿とコップが乗っている。中身は空だ。


「うーん。特に何もなさそうね」

 部屋を見渡しても興味を引く様な物もなく、次へと進むべくゆっくりとドアを開けて外を覗き込み、誰も居ない事を確認して部屋を出た。


 私は初め、ソレを薄いピンク色の壁だと思っていた。けれど、視線が上がるのと同時に口もだらしなく開いていき、見上げ終わった頃にはテニスボールすらも入りそうなくらいに口を開けてそれを見ていた。

 ソレは木だった。ローズクォーツの様に薄っすらとピンク色に色づいた巨木。直径が百メートルはありそうな、高層ビルの吹き抜けの様な空間で非常にゆっくりと、浮かんでは沈んでを繰り返している。


「水晶の木……?」

 葉こそはないものの、それは紛れもなく水晶で出来た木。幹は空間の半分近くを占める程巨大ではあるが、根の先や枝の先などは私の指よりも細い部分もある。と、静寂が満ちた空間で、パキリと何かが折れる音がする。私には何が折れたのかすぐに分かった。枝だ。水晶の木の先端に在る、私の指の様に細くて腕の様に長い枝の一本が自然に折れ落ちて、七色の軌跡を残しながら巨木よりも更に下へと落ちて、カラコロと底に着いた音がする。


「今のは……」

 見覚えのある七色の軌跡。その正体を確かめるべく階下への階段を探して駆け降りる。

 階段が終わり空間の底へと辿り着いた私は、切らせた息を整えるべく大きく深呼吸をする。そして水晶の木の真下へと歩みを進め、角を曲がると同時に我が目を疑った。


 暗がりの中、その物体が七色に輝いている。それは虹の七色ではなく、赤黄青、黄緑白紫黒の七色。色に属した奇跡をおこし、今の世になくてはならない代物。私達はそれは授かり物だと習い覚えてきた。教科書にそう書かれているし、教会の教義にも記されている。そして聞けば万人ばんにんがこう答えるだろう。その物体は宝石ジュエルだと。

 その宝石ジュエルが、水晶の木の根の下で河原の小石をかき集めたかの様にうずたかく無造作に積まれている。その数は数千……いや、数万か。女神様が授ける筈の代物が何故にこんな粗雑に扱われているのかは知る由もない。

 と、ギギギィと何処かで戸が開かれる音が静寂な空間に木霊する。コツコツコツ。と、明らかに人が歩いている音に、私は柱の陰に身を隠して、念の為に姿も消して潜む。

 入ってきたのは若い女性だ。顔だけで見ると年齢は恐らく二十代。シスター服を着ている事から教団の関係者らしい。

 その女性は水晶の木の真下、うすたかく積まれた宝石ジュエルに緊張した面持ちで近付くと、手にしていた小さな袋に宝石ジュエルを放り込んでそそくさと立ち去る。その姿は何かに怯えている様にも思えた。


「あの人、一体何に怯えていたのかしら……?」

 ともあれ、人が来たという事は出口があるという事。取り敢えずは脱出優先に頭を切り替えて、女性が出入りしたドアへと向か……う前に、宝石ジュエルの中に埋もれていた薄いピンク色の小枝を拾い上げてからドアへと向かった。



 ☆ ☆ ☆



 階段を上った先は、重厚な扉によって遮られていた。その扉を茫然と眺めながら、この下に重要な秘密が隠されているんだからそりゃそうだわな。と、思っていた。

 これでやっと脱出出来る。と、期待が足を持ち上げて、えっちらおっちらと急な階段を上ってきてからのコレは流石に精神的にクルものがある。つい、扉を吹き飛ばそうかと思ったくらいだ。


「どうしたもんかな……」

 このまま扉が開くまで待つ案と、戻って別の出口を探す案が浮かんだが、迷わず前者を選択する。だって、下りて上がってまた同じだったらもうきっと立ち直れないから。


 待つと決めてから一体どれくらいの時間が過ぎたのだろう。通路の壁には蛍光砂を混ぜ込んだブロックがあるお陰でぼんやりと明るいが、お日様の光がない所為で正確な時間がわからない。

 いつもは正確な腹時計も、ちゃんと食事を摂っていない所為で狂いっぱなし。流石に厨房で摘んだだけのパンとバターと一欠片の料理だけでは、まだまだ色気よりも食い気に天秤が傾いている育ち盛りの体が悲鳴を上げている。


「誰かが来たら腹の虫で間違いなくバレるな……」

 体力と気力温存の為に壁に背をもたれ、床に座ってグッタリとしていたその時、今まで扉が開くのを待っていた時間が無意味だった事に気付いた。


「そうよ。(ぐびぃ)ここは離宮じゃ(ぐびび)んだから、このまま出た(ぐぅぅぅぅ)問題ない筈だわ」

 捕らわれた場所が離宮であった事や、脱走が分かった途端に出入り口を封鎖している事から、事情はあまり多くの者には話していないと推測出来る。そして恐らく、教会にまでは話を通してはいないのではないか? そう考えるとこれ以上待っていても益々腹が減るだけで何の意味もなくなる。この育ち盛りのナイスバディが動けなくなる前に行動に移さねばならない。


 私は腹が減って軽くなった筈の体を、壁に手を付きながらやっとの事で持ち上げて立ち上がり、拳を作って遮っている扉に叩き付ける。そしてゆっくりと開いていく扉から、希望の光が私の顔に差し込んだ――

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