第17話 追跡者

 私は今、追われていた。


 鬱蒼と茂る森の中を脇目も振らずに駆けている所為で、私の為にとあつらえた高価なドレスが枝で破れ下草で裂けて見るも無惨になり果てかけている。

 けれどそんな事をいちいち気にしていては、迫り来る災厄からは逃げおおせる事は叶わない。捕まれば、犯されもてあそばれて飽きたら売られる。それが力無き女の末路である事をこの世界の人々は口を揃えて言う。


「何処へ行った!?」

「こっちだ足跡がある!」

 迫る災厄。捕まれば必ず訪れる絶望が私を前へと突き進ませる。けれど男の、それも大人の足にたかが十一の小娘が敵うはずもなく、いずれは疲れ果てて身動きすら取れなくなってしまうだろう。そして囚われの身となった私は、日の目を見る事も出来ずに一生を暗い部屋の中で過ごすのだ。……普通ならば。


 けれど私は普通の女の子じゃない。彼等無法者に対抗する強力な手段を、権力以外に持っている。人前では使うのをはばかれるこの異能の力も、一人になった今ならば存分に使う事が出来る。


「アエラスマイン」

 土の上にワザと足跡を付けて、その下。土の中に圧縮した空気を設置する。そして少し離れた場所にある丈夫そうな岩の陰に身を潜めてソレを待った。


「おい、こっちに足跡があったぞ!」

 私を追っていた男の一人が仲間を呼び寄せる。そしてある程度集まった所で、設置した圧縮空気を開放した。


 耳を塞いでいてもなお響いた轟音と呼ぶべき音。高圧縮された空気が破裂した衝撃波が私の小さな体を震わせた。離れた場所で岩の陰に身を潜ませていてもこうなのだ。何の対策をしていない不意打ち状態で喰らった男達には悪夢の様な出来事だったろう。荒れ狂う土埃に混じって男達の声が私の側を通り過ぎ、ある者は宙へと高々と舞い上がった。


 土埃が晴れた時、爆心地にはその威力が地面にまざまざと刻まれていた。直径はおおよそ十メートル。そして深さは五メートルという所か。以前に行なった圧縮空気開放実験時よりは小さいが、それは土の中に仕込んで爆風をなるべく上に逸らしたから仕方がない。

 ドレスを破いてくれた木々は折れ倒れて根をむき出しにし、スカートを裂いてくれた下草は跡形もなく吹き飛んでいる。そんな威力の爆風を受ければ如何に鍛え上げた肉体を持とうが意味はなく、ある者は岩に蜘蛛の巣状のヒビを入れて血を滴らせ、ある者は宙を舞って叩きつけられて地面に赤いシミを広げている。そして上半身が行方不明の者や腹から木の枝を生やしている者など、まさに死屍累々の惨状と化していた。


「う、げぇっ」

 辺りに漂う鉄の臭いに胃が悲鳴を上げた。前世でも終ぞ触れる事のなかった他人ひとの死に、自己防衛とはいえ自ら手を下した事もあって精神が耐えきれなくなった様だった。

 朝、食べた物を吐き出して、鼻腔をついた刺激臭と風に乗ってふわりと漂う血の匂いにまた吐いた。


「小娘ぇっ!」

「うぐぅっ!」

 しまった。そう思った時にはもう遅かった。血に染まった丸太の様に太い腕が私を軽々と持ち上げて細首を絞め上げる。胃はまだ出し足りないと脈動し、首を絞められて行き場を失った胃液は上がったり下がったりを繰り返していた。


「一体何をしやがったっ!」

「あ、がっ……」

 男は更に力を込める。腕に浮き出た血管は、このまま命を刈り取ってやると告げている。腕に爪を立てて引っ掻く抵抗も何の意味もなく終わりを告げ、力尽きてだらりと下がる手足の重みで更に絞まる首。酸欠によって視界が暗くなっていく。このまま身を委ねる事は死を意味している。だから私はその死に対して最後の足掻きで抵抗した。


「ろ……あ……」

 声は出せない。けれど、術の発動を感じ取った。拘束を解かれた私は短い距離を落下して地面に這いつくばり、制限されていた空気を存分に吸う。私の命を刈取ろうとしていた丸太の様な太い腕は、今や男自身の首に添えられていた。


「い……きが……」

 男は金魚の様に口をパクパクとさせて必死で吸うべき空気を取り込もうとしている。けれど、どう足掻こうが私が男から奪った吸うべき空気が戻ってくる事はなく、私が意図的に解除をするか、私が気を失う事で恐らくは能力が解除される。だから男が生き残れる唯一の方法は、私を殺すなり気を失わせるしかない。当然の事ながらそれを知るはずもない男は首を押さえたままで私から離れていく。やがて男にも活動限界が訪れた。

 ズシャリ。と膝から崩れ落ちてそのままうつ伏せに倒れる。痙攣を繰り返していたその体も、暫くするとピクリとも動かなくなった。白目を剥いた目からは涙が流れ、鼻と口からも体液を流している。私は男が完全に死んだのを確認してから衝撃波で傾いた木に背を預けて脱力し、ズキリ。と痛んだ首に顔を歪めて震える手を添えた。


「危なかった。普通の人なら死んでいたわ……」

 無詠唱で術を使える私だったから助かった。けれど詠唱を必要とする普通の人なら首を絞められた時点で詰んでいただろう。

 背を預けている樹木に後頭部を付けて空を仰ぎ見る。流れる雲の隙間から差し込んだ陽の光が、死にかけて血の気を失った私の体を優しく包み込んでいた。



 流石にもう不意打ちは無いだろうとは思いつつ、探査の為の空気の波を周囲に放つ。そして二つの反応を近場に感じて慌てて姿を消す能力を使って身を隠す。息を潜めて様子を伺っていると、森の中から男性が二人姿を見せた。

 一人は日に焼けた中肉中背な男。もう一人は色白で、もう一人の男よりは痩せて見える男。二人は革製のノースリーブのベストを着込み、日焼けの男はバンダナを。色白の男はスカーフで口元を覆っていた。


「でけぇ爆発があったから来てみたが、ひでぇなこりゃ」

 日焼け男がクレーターの縁に立ち、辺りを見渡しながら言う。


「ああ。それにどうやら捕獲チームは全滅したらしい」

 色白男は死体を指折り数えて、日焼け男に返答する。


「マジか!? こいつらだってそれなりに腕が立った筈だが……」

「まあ、どれだけ腕が立とうがこんな爆発に巻き込まれたんじゃな」

 それもそうか。と男は呟いてクレーターを指差した。


「んで? 何がどうなったらこうなるんだ?」

「さてな。魔術でも暴走したのかもな」

「まさか、ルナルフレ嬢もこれに巻き込まれたのか?」

「可能性はゼロじゃないな」

「おいおい、勘弁してくれよ。それじゃあの方が怒りまくるだろ。とばっちりを食うのはゴメンだぜ?」

「どちらにしろ、これは一度アジトに戻って報告しなきゃならんな」

「お嬢は謎の爆発で木っ端微塵に吹き飛びましたってか。頭が痛いねぇ……」

「そうとは限らんだろ? 生き延び――」

 男達は会話を続けながら引き返していく。その後ろ姿を見送りながら、会話の内容を精査する。


「(襲撃は『あの方』とやらによって引き起こされたっていうの? わざわざ盗賊を雇い入れてまで捕らえる価値なんて私には無いのに……)」

 実家は男爵家ではあるものの、私は何処にでも居る普通の女の子。転生者か否かなんて他の人には分かろう筈もない。


「(それに、この人達本当に盗賊なの?)」

 賊というのは武装して徒党を組み、掠奪行為を繰り返す者達だ。普段、荒事とは仲が良い為にその振る舞いも自然と放蕩無頼ほうとうぶらいとなる。しかしこの者達はそれが無く、歩く仕草も何処か品性を感じさせていた。


「(彼等が一体何者か。それを確かめる為にも後をつけてみた方がいいかもしれないわね……)」

 本当なら真っ先に両親に知らせなければならないのだろうが、このままアジトまで案内してくれるというのだからそれを確認してからでも遅くはない。そう思い立った私は、姿を隠したまま彼等の後を追った。



 ☆ ☆ ☆



 日に焼けた男と色白の男が揃って森の中を歩いている。私は彼等を見失わない様に距離を保って後をつけていたのだけど、大人と子供という体格差に加え下草を気にも止めずに突き進む男達と、ガサガサ。という音を気にしてしまう私とではあっという間に距離を離される。距離を詰める為に少し急ぐと、日焼け男が急に振り返りって強制『だるまさんが転んだ』状態で身動きどころかつい息をも止めた。


「どうした?」

「…………」

「(ま、まさか尾行がバレた……?)」

 私の方をジッと見つめる日焼け男。バクバクと早打つ心臓の音でもバレてしまうのでは? と不安になり、更に鼓動が早くなる。


「……いや、アレキサンダーだった」

 パキパキ。と、木の枝を落としながらアレキサンダーが飛び立つ。村の飼育小屋から逃げ出した一羽だろう。男達はその鳥を見送ってから再び前を向いて歩き出した。



 転生前でもしたりされたりした事のない尾行。付かず離れずの難しさに苦労しながら、時には慎重に。時には大胆に男達の後をつけていると、鬱蒼と茂った森は終わりを告げて岩が剥き出しで絶壁に囲まれた場所にやって来た。


「(ここは石切り場……?)」

 かつては賑わいを見せていたであろう石切り場には、赤や緑や茶色の苔を身に纏った切り出された岩達が永遠に訪れる事が無いであろう出荷の時を待っている。男達はその岩達の間を通り抜け、更に奥へと進んで行く。その先には大きな洞窟がポッカリと大口を開けていた。

 洞窟といっても自然に出来たモノではなく、人の手によって切り出されて出来た洞窟。その入り口は見上げる程に高く、中の天井はそれよりも高い。奥行きは相当に深い様子だ。


「(あそこに『あの方』とやらが居るのね……)」

 そのツラ、拝んでやろうじゃないかと男達の尾行を再開する。そして再開した直後に日焼けした男が色白男に何かを話して別れた。私に向かって近付いてくる男。岩陰に隠れてその動向を探る。


「小便、小便っと……」

 呟きながら通り過ぎていく日焼け男。トイレなら問題ないかと、洞窟に向かって歩き出したその時だった。前に踏み出した足元に、一本の短剣が突き刺さる。驚いて振り返ると、通り過ぎたはずの男がナイフを投擲した構えのまま睨み付けていた。


「何者だ……?」

 ここで返事をしてしまうと居る事をバラすだけなので黙っていると、男は投擲の構えから腰の後ろに手を回しその手が再び見えると、その手の中に先程投げて地面に刺さっているナイフを隠し持っているのが見えた。


「森からずっとつけていた様だが気配でバレバレだぞ? 一体何の術を使っているんだ?」

 男は手の中に隠し持ったナイフを投げようとゆっくりと振りかぶる仕草をする。こうまでバレてしまっていては、もはや姿を隠しているメリットは無い。ここは別な能力で彼を捕らえて色々吐かせるべきと判断して透明化の術を解いて姿を見せると、日焼け男はビクリとその体を震わせた。


「るっ、ルナルフレ嬢?!」

「エアロバインドッ」

 エアロバインド。空気で作った帯で対象を拘束する術。例によって言わなくても発動できるが、言ったほうがより想像力が湧くので口にしている。その術で捕らわれた男は手に持っていたナイフを地面に落とし、目には見えず、未知の術に自身の動きが阻害されている事に驚きを隠せずにいた。

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