第16話 ファルマの村へ

 国境を越えて東へと旅立って行ったミーシアさん達を見送ってから早四日。手厚く介抱されているヴィエラとケイトの回復も著しく、身の回りの事は何とかこなせる様になっていた。けれどヴィエラだけは時折塞ぎ込む事があり、枕を濡らす事があるのだと使用人から報告を受けている。そして私はというと、両親に呼び出されて執務室にやって来ていた。

 入室の許可を得てドアを開けると、お母様からの視線を受ける。お父様も座ってはいるが、溺愛の娘が来てもそっぽを向いたままで何処か不機嫌そうだ。数日前に起きた『お父様大キライ事件』は、当日夕食時に当人が何気ない顔でしれっと食卓に座っていたから、未だ引きずっている訳ではないと思うのだけど……


「お呼びとお伺いしましたが、何用ですか? お母様」

「影法師の手より王都が奪還された事は知っていますねルナ」

「はい。存じております」

 私が屋敷に着いてほぼ同時に、早馬で届けられた王都奪還の報せ。随分と早いなと思ってよくよく事情を聞いてみると、侯爵閣下麾下の二万の兵は影法師どころか一切何の抵抗も受けずに王都入りを果たしたらしい。今現在は王都の隅々まで探索を行い、生き残りが居ないか探しているそうである。それと、王城に安置されていた紅玉石はやはり何者かの手によって破壊されていたという。


「紅玉石が失われてしまった今、最優先すべきは結界の復活です。エンレンホス卿は早馬を走らせて、紅玉石を再構築する為に不足している物資を近隣諸国に求めました。そして先ほど到着したヴァストゥーク王国からの早馬で、必要物資を提供すると打診があったのです」

 街や村を守る為の結界の要となる紅玉石は、核となっている黒曜石を含めてその全てが消耗品だ。なので各国とも万が一が無い様にと普段から必要物資を備蓄しているのが普通である。しかし今回は定期点検で補修を施した直後を狙われたそうで、リエストラ王国は紅玉石を再構築する為の物資を欠いていた。


「その報せによると、物資を携えた部隊が三日後にファルマの村に到着するそうです。そしてそこで物資の受け渡しを行う、と」

 ファルマの村はここ、ルナ・スヴイェートから東へ行った所にある牧歌的な村で、日本で牛扱いのヤク。豚扱いのシシノコ。ニワトリ扱いのクセにやたらと仰々しい名を持つアレキサンダー。などといった畜産業が村の主収入源となっている。以前は、ファルマの村との間に広がる深い森の所為で大きく迂回を余儀なくされていたが、近年森を切り拓いて街道を整備したお陰で村までは約半日で行けるようになった。


「ファルマの村って、何故そんな中途半端な場所で受け渡しを? ここまでたった半日ではありませんの」

「それが、部隊を指揮している者から突き付けられた条件の一つです。そして二つ目はルナ。あなたに受け取りに来る様に、と」

「わ、私がですか!?」

 どうして私がここへ呼ばれたのかとずっと気になっていたが、この条件とやらの所為だったのか。


「一体誰なんですか? そんな馬鹿げた条件を突き付けたのは……?」

「ヴァストゥーク王国第二王子。セルド・ヴァストゥーク」

 お母様が困った顔でその名を告げる。私はその名を聞くと同時に、軽い目眩に襲われて倒れ掛かった。けれど、側に居た執事のアーノルドが体を支えてくれたお陰で倒れる事は免れた。

 お母様が慌てて立ち上がって心配そうに私を見つめる傍らで、私の体に触れているアーノルドに向かって目くじらを立てているお父様。娘がこんな状態になっているのに心配すらしないのかと、殺意が湧いた瞬間である。


 ヴァストゥーク王国第二王子セルド・ヴァストゥーク。私はその名を知ってはいるものの、顔や姿などどんな人物かは全く知らない。ベールに包まれた謎の王子様などというそんなロマンチックなモノではない事だけは言っておく。

 事の起こりは今から約三年ほど前。その時、一度だけお母様と共にヴァストゥーク城へと赴いた事があり、恐らくこの時にこの第二王子が何処からか私の事を見ていたのだろう。そして私の事を調べ上げたうえで私の気を引きたい一心であろう為に、一方的に贈り物を送って寄越すという奇行に走った。

 私は恐怖した。見た事も聞いた事もない人物から毎日届く大量の花束。時折差し込んである手紙には、私の事を想う言葉が病的なまでに書き綴られていた。当時は前世の記憶も無かったたかが七歳の子供がそれに耐えられるはずもなく、自室で塞ぎ込んでしまうのもそう時間は掛からなかった。

 その後、お父様から話しを付けてきたから安心する様にと言われ、実際その日を境に花も届かなくなっていたから諦めたのかと思っていたのだけど、ここへ来てまたその名を聞くとは思いもしなかった。


「クソッ!」

 ドン。と、両の手を拳に変えて重厚な執務机に叩き付けるお父様。今までずっと不機嫌だったのはこの事があったからだったのか。


「あんのエロガキが! ルナはオレの嫁にすると面と向かってハッキリと言ってやったのにっ、まだ諦めてなかったのかっ!」

 怒り心頭。怒髪天を衝く。とはまさにこの事。そこまで怒って貰えると、子としては……ん? ちょっとマテ。


「お父様「あなたまさか「それを言い触らして回っている訳ではありませんわよね!?」」」

 執事のアーノルドによると、お母様と共に放ったその言葉は、深く暗く、まるで地獄の底から発せられた様な声色だったそうである。それが余程の恐怖だったのだろう。お父様は席を離れてその身を窓際のカーテンの陰へと移していた。その隙間から、ソッとこちらを伺うその顔には大量の汗が浮かんでいる。


「「どうなんですの!? あなた!」お父様!」

「ひゃ、ひゃいっ。言い触らしてまひぇんっ!」

 はい。言ったと自供しました。お父様のウソは分かりやすいなぁ……


「アーノルド」

「はっ」

 短く応えた執事のアーノルドは、素早くお父様の背後に回って羽交締めで拘束する。『くっ、放せアーノルド。何をするっ!』と暴れるお父様にお母様は近付いて、両の手でその頬肉をぎゅぎゅっと摘んでグイと横に引っ張った。『いはいいはいいはい』と騒ぎ出すお父様。


「ルナ。あの者の要請に応えなくても宜しいのですよ?」

 アーノルドから手渡されたハンカチで指を拭きながら言うお母様。そして解放されたお父様はというと、目から涙をルールーと流しながら頬を押さえて床に撓垂しなだれていた。


「しかし、結界の復活は急務でありましょう? いつ再び、影法師の侵食があるかも分からない事態ですのに」

「確かに急務ではありますが、この様な条件を突き付けてくる以上は何らかの要求を強いてくるのは目に見えています。私としては、ルナを行かせたくない。というのが本音です」

「お母様……」

 以前の私なら、嫌だ怖い行きたくない。と言ってしまっていただろうが、前世の記憶が蘇り、神の祝福ギフトも得ている今ならば、あんなストーカーは力で排除出来る。床に撓垂しなだれたままのお父様から『オレも反対だぞー』という声も聞こえたが、それは華麗にスルーして首を横に振った。


「……いえ、大丈夫ですお母様。ルナはリエストラ王国貴族としてこの任をやり遂げてみせますわ」

 意を決してそれを伝えると、それまで床に撓垂しなだれていたお父様が勢い良く立ち上がった。


「いかーんっ! あんなエロガキの所に行かせるなど、女神様は許したとてこのオレが許さんっ!」

「お父様。今こうして言い合っている間にも、王都に駐留している数万の兵士が影法師の脅威に晒されています。その中には徴兵された民兵も多数居る事でしょう。その彼等と、彼等の家族の為に私は行くのです」

 力強く言い放ったその言葉に、お父様は気圧された様に後退った。


「う。うむむむ…………分かった。ルナがそうまで言うのならオレはもう何も言うまい。だがしかしっ! オレの出す提案を受け入れて貰うのが条件だ!」

 ビシッと私を指差すお父様。第二王子にしろお父様にしろ条件付けが好きだなオイ。同じ人種じゃないのか? この二人は。


「分かりましたわお父様。して、その条件とは……?」

「護衛の兵士を幾人か連れて行くのが条件だ」

 一体どんな条件を突き付けてくるのかと思えば護衛を付けるだけとは拍子抜けした。幾人か。というくらいだから三、四人って所だろう。それなら十分許容範囲内だ。


「それくらいなら問題はありませんわお父様。それで、具体的な人数はどれくらいになるのですか?」

 聞くとお父様は真剣な眼差しで指を六本立てた。


「六十人ほど」

「多過ぎるわっ!」

 全然幾人じゃねぇっ!



 ☆ ☆ ☆



 ――それから二日後。私を乗せた馬車が、物資の受け取り先であるファルマの村へと発とうとしていた。

 結局あの後兵士を何人随伴させるかで揉めに揉め、一時は昔取った杵柄で当人が行くとまで言い出し始めて話し合いは泥沼化の様相をみせていたが、お父様を拘束した事でとんとん拍子に話が進み、随伴する兵士はリエストラ王国国境守備隊から六人が選ばれた。

 それを不服としたお父様は今現在に至るまで、執事のアーノルドに羽交締めにされて喚いている。それを見た町行く人々はヒソヒソと何かを囁きながらいそいそと立ち去って行った。

 そんな中で私は見知った顔が見送りに来てくれたのを見つけて馬車を飛び降りた。


「ケイト!」

 屋敷で療養をしていたケイトはもうほとんど立ち直っていた。ヴィエラと共に三人で町中に遊びに出かけたりしているのが功を奏したのかもしれない。


「ごめんね。二日ほど留守にするけど、すぐに戻って来るから」

「ルナ。これを持って行って」

 言って手渡されたのは五センチ程度の丸い石。その石に穴を穿ち、ネックレス状になっている。


「これは?」

「私がお父様から貰ったお守り。ルナにあげる」

 お守りを差し出すケイトに差し戻す私。


「いやいやいや。こんな大事な物を貰う訳にはいかないよ」

「ううん。良いの。持っていって」

 さらに差し返したケイト。言い出したら聞かないのはヴィエラと同じだ。だから。


「じゃあ、預かるだけ。それでいい?」

「……うん。それでいい」

「必ず返しに戻ってくるからね」

「うん。行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 互いに笑顔で手を振り合い、私を乗せた馬車はファルマの村に向けて走り……ちょっと待って。


 私の為に用意された馬車とは別な馬車。運ばれて来た荷を受け取る為に用意された幌付きの荷馬車の中で見付けた見慣れぬ樽。ファルマの村までは半日の距離であるが故に野営をする為の荷物は必要無く、飲み水は護衛の兵士さんが水の宝石ジュエルを持っている為に必要ない。持っていくのは精々小腹が空いた時の為の軽食くらいだ。私はよっこいしょと荷馬車の荷台に乗り込んで、樽を前に仁王立ちする。


「お父様。そんな所で何をしてますの?」

 ガタン。と樽の中から音がした。僅かに開いていた樽の蓋をゆっくりと持ち上げると、顔を引き攣らせながら見上げる視線とぶつかる。


「い、いやぁ。た、樽の具合を確かめていたんだよ」

「へぇ……それでその具合とやらは如何ですか?」

「お、おう。木の香りが芳醇で、これは良いワインが作れそうだぞ」

「それはそれは大変喜ばしい事ですわね。でしたら、美味しいワインを作る為によく寝かして置かなければなりませんね」

 樽の中に居るお父様にニッコリと微笑んで蓋を閉める。『あ、ちょっ』という声がしたが、それを無視して拳に空気を纏って蓋に叩き付けてやると、蓋はギュギュッとキツく閉まってしまい大人の力でもどうにならなくなった。


「アーノルド」

「はい。お嬢様」

「中にお父様が入っているからその辺に捨ててきて」

「畏まりました」

 手を胸に当てて一礼をしてから樽を運び出すアーノルド。これでようやく私はファルマの村へと発つ事が出来た。

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