第15話 帰郷

 ベースキャンプに近付くとふわりと漂う香りに腹が鳴る。塩漬けしてあるベーコンを焼く事でフライパンから脂の香りが放たれている。加えて鍋からもスープが香り立って、香りの二重奏を奏でていた。


「おー、良い匂いね」

 一般よりは小さいとはいえ、私から見たらそれなりの大きさがある樽を軽々と肩に担いであの滑り易い階段を苦もなく上がったミーシアさんが、空いているもう一つの手でお腹を摩る。


「ピッタリの酒」

 サムズアップしているユーイさんは実に嬉しそうだ。


「ただいまー」

「おう。遅かったじゃねぇかって、おおっ?!」

 ドン。と置かれた樽に、目を見開いて驚くデュークさん。置いた衝撃で香りが拡散されたのだろう。鼻をヒクつかせて、樽に向かって指を差した。


「……これ、酒か?」

「大当たり。地下は貯蔵庫になっていてね、そこでこれを見付けたのよ」

「へぇ……」

 ポンポンと叩く樽を繁々と眺めるデュークさん。


「つーかお前ら」

「ん?」

「飲み過ぎだろ」

「そんな事ないよぉ」

「ん!」

 首を縦にブンブンと振った直後、酔いでクラクラきているユーイさん。


「酒臭えんだよお前ら。一体どれくらい飲んだんだ?!」

「えー? ほんのちょっと、味見程度だよぉ」

「ん!」

 なんとか持ち直して、再び首を縦に振ったが為に同じ事態に陥いるユーイさん。デュークさんの視線が二人から私に移る。


「……嬢ちゃん。本当か?」

「ええ、味見程度でした」

 初めのうちは。と、デュークさんから視線を逸らしながら言った。

 デュークさんに言った通り、初めのうちは味見だけだった。木栓を緩めて指先に着いた分を舐めて美味しい美味しいと言っているだけだった。朽ちた棚の下に転がる金属製のゴブレットを見付けるまでは……


「お前らなぁ……」

 手の平で顔を覆うデュークさん。ミーシアさんが樽を肩に担げる事が出来たのは、中身が大分減っていたからだ。壁にぶつかりながら階段を昇るミーシアさんを、このまま転落死するんじゃないかとヒヤヒヤしながら見ていた。


「どうすんだよ。このままじゃ出発出来ねぇぞ」

「ミーシアくらい居なくても問題ない」

「おい。何処見てンな事言ってんだ?」

 部屋の隅に立っている、半ば瓦礫に埋もれた木片に向かって話しかけているユーイさんにデュークさんがツッコミを入れた。


 結局その日は半日遅れで出発をする羽目になり、次の宿場町に着くまでミーシアさんとユーイさんの両名は馬車の中で正座し続ける事となった。



 ☆ ☆ ☆



 王都より東へ七日。盗賊の襲撃から村々を守った功績によって国王陛下から男爵位を賜り、国王陛下と東方方面統治統括官であるエンレンホス侯爵閣下に代わり、お父様が治めている地アストルム領。


 その中心地となっているのが、ヴァストゥーク王国と隣接し、約四千人が暮らす牧歌的な国境の町。その名も『ルナの町』。


「アストルム領に入りました」

「お? そうなのか?」

「はい」

 王国内の各領土には明確な境界線が敷かれている訳ではなく、街道に作られた杭や柵の目印以外には大体これくらいね。という曖昧な決め事があるだけだ。それはアストルム領も同じで、街道に設えた鳥居の様な形の門と気持ちばかりの柵が境界線の証。鳥居から飛び立ったハトに手を振って、帰ってきたんだと実感する。


「先に見える丘を越えると『ルナの町』が見えてきます」

「『ルナの町』? それってルナと関係があるの?」

「聞かないで下さい」

 ミーシアさんからの問い掛けに少し食い気味で答える私。一方で問い掛けたミーシアさんは『そ、そう』と、顔を引き攣らせながら応えた。

 幼い頃、自分の愛称と同じ名前を付けた理由をお父様に尋ねた事があった。けれどその理由を聞いて、重いわボケぇ! と、コークスクリューをお見舞いしてやった事は記憶に新しい。


「な、何があったのかは置いておくとして、取り敢えずは進んで良いんだよな?」

「あ。はい大丈夫です」

「なら、このまま進む――」

「グルゥナァァァァッ!」

 デュークさんの言葉を遮って、青空に何かの声が轟く。心地良く歩いていた馬は急に引かれた手綱に不平の声を上げ、デュークさん達は空を見上げて警戒態勢に入る。そして再び声が轟く。


「ルグナァァァァッ!」

「チッ! 一体何の生物だ!?」

「私が知る訳無いでしょ!?」

 ミーシアさんとエリオンさんは馬車の屋根へと上がり、デュークさんは手綱を握りしめたままで空を見上げている。ユーイさんは鞄から黒い宝石ジュエルを取り出して結界を張る準備をする。そして私は馬車の荷台から降りた。


「ちょ、ルナ。危ないから馬車に乗ってて!」

 馬車の屋根からミーシアさんエリオンさんが見下ろして言うが、私は見上げてニッコリと微笑んだ。


「皆さん。武器を下ろして頂いて大丈夫ですよ」

「いやだけど、明らかにヤバい生物が近付いて来ているのにそれは無理でしょ!?」

 ヤバい生物。ミーシアさんの言う事は当たらずとも遠からずって所だ。あの生物は色んな意味でヤバ過ぎて頭痛の種になっているくらいだ。


「アレは野獣などの類ではありませんので安心して下さい」

 まぁ、ある意味で野獣だが。


「ルナ。あなたまさかコレを飼っているの?!」

 青空を親指で指差しながら驚くミーシアさん。飼っているという言葉に言い得て妙だなと思っていると、三度目の咆哮が轟いた。


「ルゥゥナァァァッ!」

「え?!」

 ハッキリと聞こえたその声にミーシアさん達が驚き戸惑いそして私を見つめる。

 丘向こうから土煙を上げて急接近をして来る何かは、勢いを落とす事なく私の体にしがみ付いた。普通であるならば、それだけ勢いが付いていれば私の体は弾き飛ばされてしまうだろう。しかし驚く事に、私の体にしがみついているこの生物は本来あるはずの衝撃を全く与える事なく慈愛と温もりだけを伝えていた。そして土煙が晴れてその存在が露呈した所で私は口を開く。


「ただ今戻りましたわ。お父様」

「「「お父様!?」」」

 デュークさんにミーシアさん。エリオンさんの声が見事にハモる。ユーイさんだけは『ンッ!?』だったが。


「良かった、良かったよぉ。ルナが生きててくれてぇ。妻のセレーネに先立たれて、それにお前まで居なくなってしまったら父さんは何を楽しみに生きていけば良いのか分からなくなる所だったよ……」

「お母様生きてるじゃないですか。なに勝手に殺してるんですか。叱られますよ?」

 お父様の体がビクッと震え、その振動が抱きつかれている私にも伝わる。


「そ、そこはホラ。それくらいルナの事が心配だったって意味だよ」

 汗を掻きながら必死に弁明をするお父様。そんなお父様に震える手で指を差すデュークさん。その表情からは、憧れていた当人と会えた事に感極まっている様子……ではなさそうだった。


「こ、これがあの英雄なのか……?」

 デュークさんが憧れる程、かつては真面目でまともな人物だったのだろう。けれどもその英雄が第一線を離れて貴族となって結婚し、成した子をオレの嫁にするとまで病んだ結果が今のお父様コイツだ。


「ん? 何だ? お前達は……?」

 ようやくミーシアさん達に気が付いたお父様は、私から離れてゆらりと立ち上がる。顔面を空に向けて目だけをミーシアさん達に向けているのは、見下しているアピールなのかなんなのか分からない。


「お父様、この方達はですね――」

「お前らだな? 娘をたぶらかしたのは。娘のハートを撃ち抜いた罪で、ボコボコのボコの刑に処してくれる……」

 Cランク冒険者のミーシアさん達が一歩下がるほどにお父様からは何かが放出されている様子。パキリポキリと指を鳴らし始めてデュークさん達との間合いを詰め始める。そこへ私がお父様の背後から肩を叩いた。


「お父様(ハート)」

「なんだい?(ハート)」

 語尾にハートマークをくっつけて甘えた声で呼んでやると、お父様はレンチンし過ぎた餅みたいにでれんとした顔で振り向いた。すかさずボディーブローを叩き込んでやる。


「ほぶぉっ!?」

 くの字になって崩れ落ちるお父様。実はこっそりと拳に圧縮空気を纏わせていて、接触と同時に破裂させたので十歳女子の本気パンチよりも若干パワフルになっていたりする。その威力は脂汗を掻いて地面に転がるお父様を見れば一目瞭然だ。そして転がるお父様に軽蔑の眼差しを向けた。


「お父様。この方達は私の命を救ってくれたのですよ? そんな命の恩人に対して無礼の数々。幾らお父様でも許される事ではありませんわ。私、お父様の事を見損ないました。お父様なんか大キライです!」

「なっ!?」

 驚きの表情のままでまるで石化した様に動かなくなったお父様。見開いたままの目からは涙がルールーと流れ続けていた。


「ミーシアさん、デュークさん。お父様が大変失礼を致しました」

「んあっ? いいいや。ももも問題ないさ。なななあ?」

「あっ、うん。そうね?」

 お詫びを込めたお辞儀をすると、終始唖然としていたミーシアさん達も我に返る。が、平常心には程遠いらしく、視線があっちこっちに飛んでいた。


「それでですね。依頼達成などの手続きもあるでしょうし、ここでは何も出来ませんので屋敷まで来て頂けませんか?」

「ま、まぁ。始めから屋敷までの護衛依頼だからな。それくらいなら問題ない」

「そ、そうね」

 まだ少し、先程のショックが抜けきれていないデュークさんとミーシアさん。


「それではあと少しお願いしますね」

「あ、うん。でもさ。行くのは良いんだけど……あれはいいの?」

 地面に転がったままで、ルールーと涙を流しているお父様に指を差すミーシアさん。


「ええ、放置で構いません」

 私がキッパリとそう言うと、お父様の目から流れる涙の量が増えた。



 ☆ ☆ ☆



 リエストラ王国最東端であるルナの町は、他の町とは異なる点が幾つかある。まず一つは、半円状に栄えた二つの町が石造りの門を中心にして互いにくっつき合い、あたかも一つの町の様に見える事だ。しかしこれは間違いであり、壁を挟んで東と西では異なる為政者が統治している土地だったりする。その為、門の向こう側とこちら側とでは全く別な町であり、それぞれの国の兵士が越境をする者に対して睨みを効かせている。

 そして二つ目の相違点はここ。私達が今立っている屋敷の執務室。領主が仕事をする為の執務机は通常一つしかないが、この屋敷ではお父様用とお母様用の二つの執務机が並んでいる。そして、お父様側のテラスからはリエストラ王国が。お母様側のテラスからはヴァストゥーク王国の景色が見える。二つに並んだ執務机のちょうど真ん中が国境線であり、反復横飛びで密入国を繰り返せちゃうのだ。


「皆様お初にお目にかかります。わたくしは、セレーネ・ヴァストゥーク・アストルム。ルナルフレの母で御座います」

 艶麗であるお母様が頭を垂れると背にあった銀色の髪がサラリと前に落ちる。そして姿勢を正すと同時に、自然な仕草で長い髪を耳に掛ける。その艶めかしい仕草に魅せられた様なため息を吐いたのは、ミーシアさんに足を踏まれているデュークさんだろう。


「この度、娘の命をお救いして頂いたばかりか、送り届けて頂いた事に大変感謝しております。何かお礼を差し上げたいのですが、何がよろしいでしょうか?」

 冒険者の方々の事情には疎くて。と手の平を頬に当てる。


「いえ、礼は不要ですよ奥様」

「と、申されますと?」

「お嬢様とは護衛契約を結んでおりまして、先程報奨金も頂いたので私どもとしましてはこれ以上何かを頂く訳にはいかないのです」

「そうなのですか? ルナ」

「はい、お母様。先程契約完了のサインをしてお金をお渡し致しました」

「ふむ。そうですか……」

 軽く拳を握ってその拳を口に付け、考え事をするお母様。色っぺぇ。と小声で言ったのはデュークさんかエリオンさんか。まぁ、デュークさんだろうな。


「では、お金に変わるものを差し上げましょう」

「ですから奥様。これ以上は――」

 お母様は手の平を見せてミーシアさんの言葉を遮る。


「それは護衛に対する報奨でありましょう? 私からお送りするのは、娘の命を救って頂いた恩に対してのものですわ」

 ミーシアさんの言葉を遮って言ったお母様は、言った後で何が宜しいでしょうねぇ。と考えを巡らせていた。そこへ何かを閃いたデュークさんが口を挟む。


「だったら、ヴァストゥーク王国への越境の許可をくだせぇや。奥様」

「越境の許可ですか?」

「ああ。オレ達はこのままヴァストゥーク王国を通って東に向かおうと思ってる。だから本来の越境審査に掛かる時間を無しにして貰いたい」

 それならどうだい? と、言うデュークさんに、お母様は軽い笑みを見せた。


「いかような請求も出来るというのに何とも無欲な事なのですね。分かりました、通行の許可を出しましょう」

 やったぜ。と、ミーシアさん達にサムズアップするデュークさん。


「まあ厳密には、あなた方が立っているそこもヴァストゥーク王国なのですが」

「えっ?!」

 驚いた四人は揃って足元を見る。この部屋の中間からそっち側がヴァストゥーク王国領である事を教えてあげると更に驚いていた。


 唐突にドアが開け放たれる。室内にいる誰もがドアを開けた人物に注視する。その人物とはお母様付きの使用人の一人で、名前はアーノルドという。肩で荒い息を繰り返している事から大慌てでやって来たらしい。


「奥様っ!」

「何ですか騒々しい。来客中ですよ?」

 彼はチラリとミーシアさん達に視線を向けてから右手を自身の胸に添えて深くお辞儀をした。


「申し訳ございません。旦那様よりお手紙をお預かり致しまして、内容が内容でしたので早急にお伝えせねばと思ったのですが……後の方が宜しいでしょうか?」

「……いえ、受け取りましょう」

「では、こちらを」

 言って、手紙というよりかはメモ紙の切れ端みたいなモノを渡す。一礼して退出したアーノルドを見送るとお母様は二つに折られたメモ紙を開いた。

 その手紙を横から覗き見ると、『娘にキライと言われたので旅に出ます。探さないで下さい』と書かれていた。


 我が親ながら面倒臭いなアイツ!

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