侵入

 高級マンションは、もちろんオートロック式。管理人はエントランスにある受付に普段待機している様子だった。



「管理人がいないよ、ヒロ」

「俺が電話する」

 そう言ってマンションのエントランスにある電話をヒロは手に取る。


「すみません。合鍵忘れちゃって。はい、家族です。兄の所に来ました。3階の工藤渉くどうわたるです」

 兄…? 僕達は工藤歩武の弟設定? 工藤渉? 工藤歩武の本名のようだ。ヒロは、そんな事まで知ってるのか。どんだけファンなんだ。

「はい、はい。落として携帯壊れちゃって。はい。連絡出来なくて、親と喧嘩したので兄の所に来ました。3人兄弟です。はい、大丈夫です。寝てるかもしれないので、鍵をすみません。あっ、身分証ですか? はい。弟のがあります。はい」

 喧嘩? 身分証ある…?


「ゆっくん管理人が今、来るから身分証だして」

「なんで僕? 怖い。やだ」

 僕はこういう時、最低だけど自分だけ逃げたいと思う人間だ。僕だけ捕まるのはごめんだ。

「大丈夫ゆっくん。ここの管理人は、委託されてる人達で、きっとシフト制だ。マンションの持ち主が来るわけじゃない」

「なんで僕の身分証? ヒロのじゃダメ?」

「ゆっくんの苗字何?」

「えっ…工藤…ゆう…」

「そう、工藤歩武と同じ。ここすり抜けたら、中に入れる。ゆっくんは、俺と年子の弟の設定だから。よろしくね」

 そういうと、ヒロは急に演技をはじめた。


「はぁ、俺はもう、あの親父のいる家には帰りたくないね。ゆうもそうだろ?」

「そ、そうだね」

 僕もおろおろ演技をはじめる。

「なんでさぁ、話が分かんねぇーんだよ」

「僕も家が嫌になったよ」

「俺なんて親父に大切にしてたポケルンカード全部捨てられたよ」


「はい、おまたせしました。ちょっと駐車場にアブが湧いたって話があったんでね、席外しててすみません」

 エントランスの小窓から少し礼儀正しい丸顔のおじさんが顔出した。息を切らしている。

 ヒロは僕の鞄をガサガサいじり、学生証を出す。

「よろしくお願いします」

 ヒロは管理人に差し出す。 

「えー。工藤ゆうさん、弟さんね」

 管理人は、紙をペラペラめくり何かを確認する。

 除いてみると家族構成が書いてあった。

「すみません、僕たち、腹違いの弟で。母が苗字変えなかったもので。そこに書いてある子たちと名前が違うんです」

 つかさずヒロが大嘘を言う。さっきの演技が嘘だとバレないか、僕はヒヤヒヤする。

「あぁ、そういう事ね。いちよう二人の名前と、住所をこの紙に書いておいてくれますかね?」

 僕はドキドキして、ヒロを見るが、ヒロは堂々と偽名と住所を書いている。僕はヒロの書いたニセの住所を真似して、書く。

 その間におじさんは、工藤歩武の部屋にコールでインターホンを鳴らす。どうか、出ないでくれ、出ないでくれ、念じる。

 …しかし、出ない様子。ラッキー!


「書けました」

「はい、ありがとうございます。やっぱ、お兄さん寝てるのかな、出ないね。仕方ない。いちよう部屋の鍵も渡しておきますね。じゃあ、エントランス開けます」


 僕は、ドキドキしながら、工藤歩武のマンションに入る。ヒロはニヤニヤしている。

 エレベーターに乗って3階のボタンを押す。

 僕は笑ってしまった。ヒロも笑っている。

「ドラマだな」

 ヒロは僕の肩を叩いた。

「だね。運がいい」

「ここから気を引き締めよう」

 ヒロはまるで僕が何をしようか分かっている様子だった。

「うん。ヒロごめん」

「何が? 俺は楽しいから付いてきている。ゆっくんがする事は、間違ってない」

 僕の心は穢れていて、シスターが僕に教えて下さった全てを大事にできない。それでも、ヒロはいつも僕の背中を押し、駄目な僕を信じてくれる。僕は、自分が天国へは行けないと、思っている。僕の頭の中は常に地獄絵図で、心の綺麗な者たちを罵倒する人間になってしまった。情けなさと、寂しさ。今まで救いを求めてきたシスターや、神様を大事にできなかった後悔。どれを取ったって僕が悪いし、言い訳ができない。

 でも、ヒロがいるから生きている。消えてしまいたい気持をこらえて生きている。


「僕がしようとしてること分かる?」

「何となくね。ゆっくんは、臆病なくせに突発的な所がある。俺は、それに振り回されるのが好きなんだ」


 僕達は、3階に辿り着いた。工藤歩武の角部屋を探す。部屋を見つけた。

 僕達は2人して並んだ。


 マァは、笑っていた。マァは、中で何が起きているのかだいたい分かっている。そして、僕が怯えているのも分かっている。

 心が穢れた人間は、獣が付きやすい。工藤歩武についた獣や、幽霊が僕の所に来る可能性もある。そしたら、僕の頭はおかしくなる。それでも、ここに入らないと行けない。

 これは、僕の自己満足。


 僕達は鍵を開ける。



 ゆっくり玄関を開けると…

電気は付いている。工藤歩武の気配がない。部屋を間違えたか?


 僕達はゆっくりと、部屋に入り辺りを確認する。工藤歩武の愛猫、くるみが僕達に気づいて、近寄ってくる。しきりにある部屋へ連れて行こうとする。リビングのカーテンの下の方がボロボロになっていた。くるみの爪痕だろうか。

 

 くるみの後を追ってある部屋のドアを空けると…工藤歩武がいた。

「ゆっくん」

「うん、ヒロ」



 工藤歩武は、テーブルに伏せて起きない。僕はしきりに工藤歩武を叩く。起きて、お願い、起きて。工藤歩武は、泡を吹いている。


 「ゆっくんこれ」

 テーブルの上には、遺書みたいな文章に、さっき工藤歩武が持っていた紙袋と処方箋の袋が置いてあった。薬の説明書きには、睡眠薬と、精神安定剤と書いてある。ゴミ箱には、薬のゴミがたくさん入っている。

 ヒロは慌てて、救急車を呼ぶ。


 工藤歩武についた獣は、まだ工藤歩武についている。工藤歩武はまだ、生きている。

 

『ゆう殿、そんなことして、ゆう殿が呪われますよ。ゆう殿が地獄へ落ちますよ』

 僕は、マァの言葉なんかに騙されたくない。けど、正直怖い。今、この部屋に僕がいて、獣がついた工藤歩武に近づく事で、僕がどんどん穢れていくのが怖い。人の命よりこんなくだらないこと考える僕が嫌いだ。

 工藤より僕の方が穢れている。まだ、工藤歩武には希望があるはずだ。お願いだから、死なないで。これが僕の自己満足で、人を助けたんだから、神様許してというよこしまな思いだったとしても、いい。

 工藤歩武は、僕と違うと思うから。



 工藤歩武についた獣が声高々に笑う。こいつを祓うことができたらいいのに。シスターしか祓えない。こういう時、シスターの偉大さをまた感じ、僕の愚かさを苦しい程、痛感する。

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