ほら、行くよ
ヒロといつものように下校する。街には色々なものが溢れている。その街を普通に歩けたらどんなに幸せか。今までの僕は気づかなかった。
ヒロが喋り倒している横で僕はぼんやりと、こんな事を考えていた。
悪くなるのは一瞬。
良くなる時にはすごく時間がかかるのに、悪くなる時は一瞬だ。悪くなればすぐに坂道を転げ落ちる。
考えグセのある僕は常にこんな事ばかり考えている。マァは、笑っている。何が嬉しいのだろうか。僕が苦しむのが嬉しいのだろうか。
「ねぇ! ゆっくん! 聞いてる?」
ヒロの少し大きな声で我に帰る。
「うん、聞いてる」
聞いてなかった。
「去年の修学旅行は山登りしたらしいよ。俺はそんな修学旅行吐き気がしちゃう」
「そうだね」
「今年はラッキーだね! 学年主任によって修学旅行先がこんなにもちがうだなんて。なんでも、学年主任の早川が校長に掛け合ったらしいよ。この学年は、落ち着きがあって、問題が起きない学年だからって。確かに去年の先輩は荒れてたもんな。あれは、荒修行だね」
「荒修行ね…」
「あの修学旅行の後、金髪だった先輩がさ、黒髪にしてきた時には俺はもう、ビックリさ」
山の上の朝日は綺麗だってよく言う。
朝日を見て涙を流す___。そんなシーンをよくテレビで見かけた。
でも、その山を登るのにどれだけの労力や準備、辛さがあるだろうか。
その山をただ眺める人、途中まで登って諦める人、行きたくても高山病で泣く泣く諦める人。
僕は、山道をコロコロ転げ落ち、ついには谷の底まで落ちた。今は真っ暗な所にいて、陽の光は届かない場所にいる。
今の僕は、マァという相棒でもない物と共に暮らしている。他の皆には見えないし、僕が、今までと変わらないと思う者もいる。
「今度の修学旅行、こっそりゲーム持ってこうぜ!」
ヒロはうきうきした様子で言う。
「絶対、荷物検査あるよ。やめときな」
「さえないなぁ。そんなのバレないさ」
「そうかな。僕はやだね」
眼鏡の位置を直して、ネチネチ物を言う担任の顔が浮かぶ。
「じゃ、俺が上手いこと持っていける方法を考えるさ」
「うまくいくかなぁ」
「ところでさ、ゆっくんは、何を着てく? 2日目は私服おっけーらしいから、何着ようか、ずっとメンズノンノ見て考えてんだけど」
「何も考えてなかった」
そんな余裕がなかった。
「ゆっくんは、いつもなんか、こう、さえないな。反応がうすい」
「反応はしてるよ」
「うん、反応はあるな。とにかく俺は、1日目の制服から2日目は、かっこよく私服に変身するんだ。そして、そのかっこいい姿を女子に見せて、俺の魅力をアピールしようと考えてる。モテたいもの! そうだ! ゆっくん、洋服を見に行こう!」
「ね、なんで2日目は私服でいいの? 制服と私服持ってくの面倒じゃない?」
「もう! ゆっくん。2日目が私服なのは、モテるチャンスを神様がくれたんだ」
神様か…。
「そっか」
「ほら、行くよ!」
ヒロに引っ張られ、駅ビルの百貨店へ入っていく。ヒロはウキウキして進んでいく。おしゃれな人の横を通り過ぎる。
突然、目の前に女性の裸体のいやらしい姿が浮かぶ。あぁ、いつものやつだ。僕はすぐに分かった。
今の僕は心が穢れてるから、街を歩く女性を見ればその女性の裸体をすぐに想像し、心の中で下品な言葉を連呼している。前はそんな事なかった。マァが憑いてからだ。
色々、症状を調べたら、精神科の何かの病気らしい。精神科の病気なんて…こんなもの僕には程遠いって思ってた。
僕は怖くて、病院なんかいけない。僕みたいに獣をつけた人を見たくなかった。
『もうやめてくれ!』
僕は思わず心の中で叫んだ。
『ゆう殿が思っているのですよ』
僕が悪いのは分かってる。もし、マァが憑いていなかったら、僕はこんな事思わずに済んだのだろうか。それとも元々の僕がこんな最低な人間なのだろうか。時々、分からなくなる。
マァはにたにた笑っている。
『ゆう殿は、我々の仲間ですよ』
『うるさい』
そう、普通に街を歩けたらどんなに幸せか。普通に物を見て、これいいな、あれいいなって思えたらどんなに幸せか。商品の素敵さよりも、心の中の暴言が気になって仕方ないのだ。街が怖いものに感じる日さえある。
ある店に入ると、ヒロは僕の横で楽しそうに洋服を選びはじめた。
でも、ヒロがいるから、今、店に入れてる。とりあえず発狂せずに生きられてる。引きこもりにならずに済んでいる。1人だったら、苦しくて買い物ができない。色々な暴言が心の中で鳴り響くから。
シスターに暴言を吐いた僕は今、自分の暴言によって僕自身を傷つけている。苦しい。バチが当たったんだな。
去年の夏、教会を去った後から僕は、学校に行けなくなった。2週間休んでたら、ヒロが家に来た。僕の部屋にづかづか入ってきて、僕の手を引っ張った。
そして僕に「ほら、行くよ!」って言ったんだ。僕より短い指で、僕は心の中で少し笑った。それは、馬鹿にしてではなく、長身の割に手が子供みたいな手で、温かく優しいものに感じたから、なんだ、かわいい手だなって笑った。
僕、普通に生きてもいいかな?って心の中でヒロに聞いた。
「ほら、行くの。行くんだってば。ゆっくんは、おかしい。おかしい人は、喜びを感じて生きなきゃ駄目だ」
僕の目からポタッポタッと涙が落ちていた。あれ、僕泣いてたっけ? この雫はどこから落ちてるんだろうと、思った。
普通には生きられない。僕は、当たり前に生きてきた。突然、当たり前が当たり前ではなくなり、僕は後悔した。世の中の物は皆、敵のように感じて生きてきたから、どこかねじ曲がって物事を考えてきた。でも、もっと素直に物事を見れたら良かった。あの頃の僕は幸せの渦中にいたんだなって、後になって気づいた。
もう、遅い。遅いけど、僕は、暗闇の中から光を探したい。間違いだらけの人生の中から、大切なものを救い出したい。
「ほら、行くよ!」
闇の中でただ立たずんでいる僕を、ヒロは、あの日も、今日も、引っ張った。
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