第6話 おじさんの昔話により僕の魂は生き返った

 僕は感心して聞いていた。なかばノンフィクションの小説を読んでいるみたいな好奇心が湧いてきた。

 夕日のたまり場ーうまい呼び名だな。

 いわゆる行き場のない十代の若者が集まる繁華街の一角か。

 おじさんに性被害を加えた義理の兄は、白いファンデーションとオレンジの口紅で身を飾るようになり、夕日のたまり場ー略してゆうたまに入り浸るようになっていった。

 おじさんは話を続けた。

「僕の義理の両親は、義理の息子に期待を賭けていたんだ。

 中高一貫の進学校に通わせ、将来は立派な人になることを期待していたが、義理の兄はそのレールから外れてしまったわけだ。

 それから家に居づらくなり、高校の帰りには有名チェーン店でバイトを始めたんだ」

 なんだかよくあるパターンだな。

 まあ、生活のためにバイトをしている生徒もいるが、家庭から逃げるためにバイトを始める生徒もある。

 僕は相槌を打った。

「まあ、家庭不和の子供がそこから逃げるために、バイトに精を出す。そして世間を知る。いいことじゃないですか?

 そのバイト先ではうまく務めてましたか?」

 おじさんは、急に暗い表情になった。

「義理の兄は初めは、うまくいってたが、ファンデーションにオレンジの口紅を塗り出してからは、雇われ店長やチーフからは、違和感のある目で見られ始めたのだった。

 それを隠すために、表の顔は後輩に仕事を教えたり、たまには食事をおごったりするいい先輩を演じていたよ」

 演じているということは、裏表があるという意味である。

「ところが、裏の顔では雇われ店長やチーフに、後輩の陰口を叩いてたんだ。

 あいつ、あほですね。こんなこともわからない。給料勿体ないですよ」

 僕はあきれ果てた。

 なんて裏表があるんだろう。表の顔はやさしい味方になってくれる先輩、裏の顔では上役に悪口を言っている。

 しかし「隠れていたものは、明るみにするためにあるのであり、覆いをかけられたものは、取り外されるためにあるのである」(聖書)の御言葉通り、裏でしていることはいずれは暴露するときが訪れるであろう。

 僕はおじさんを笑わそうとして言った。

「僕の勝手な想像ですがね、その人は白いファンデーションと鮮やかなオレンジの口紅で本性を隠してるのかもしれませんね。

 しかし僕の体験上、だいたい職場で上役に同僚や後輩の悪口を言う人って、いつクビになるか内心ヒヤヒヤしている、崖っぷち人間ですよ

 それにそんなことをしても意味がない。人間としての信用を失くしていくだけですよ」

 おじさんは手を打った。

「その通り。ドンピシャ。義理の兄は子供の頃、家庭で虐待を受けてきた可哀そうな人なんだ。教師も止めることはできなかったという。いわゆる孤立無援の存在だったんだ。まあこのことは同情に値するがね」

 よくあるパターンである。しかしどのような事情があろうとも、悪事は許されるものではない」

 おじさんは、少しだけ饒舌になった。

「結局兄は、そういった裏表のある生き方に嫌気がさして、弁護士を目指して退店したよ」

 うわー、弁護士というのは医者になるよりまだ難しい。

 それに弁護士も検事も裁判官も敵の多い職業である。

 実際、アーレフ(旧オウム真理教)と闘い、暗殺された弁護士もいるくらいである。

「なかなか思い切った決断ですね。まあ、義理のお兄さんが成功することを祈ってますよ」

 今の僕は、美辞麗句で締めくくるしか術がなかった。

 おじさんは、穏やかな表情で言った。

「君は、初めて穏やかな表情を見せたね。これで僕も安心したよ」

 おじさんは、伝票を掴んでレジの向かった。

「とりあえず、今日は僕のおごりだよ。またいつか会えるといいね」

 僕はごちそうさまですと言って、去って行くおじさんの背中を見つめていた。


 夕暮れになると繁華街の一角に、行き場のない未成年のたまり場ができる。

 略して「ゆうたま」と呼ばれているが、僕はおじさんに性加害を加えた義理の兄が出入りしていたゆうたまに一度行ってみた。


 メディアで放映されている通り、未成年の男女が大きなキャリーバックを持って集まっている。

 なんとそこには、古川さんがいたのだ。

 古川さんは元アダルトビデオ嬢、顔がさすとまずいのではないか、もしかして、今勤務している老舗喫茶ランプも解雇されるかもしれない。


「あっ今村君じゃない。私ここで、女の子の悩みを聞く係しているの」

 もしかしてカウンセラーか?

 僕が怪訝な顔をすると

「女性の犯罪は、99%まで男がらみ。女囚の半数は既婚者なのよ。

 このゆうたまは、失恋したりレイプされたりした女性が何人かいるの。

 私はそういった心の痛みを聞いて、分かち合おうとしているの。

 このことは、私だからできるんじゃないかな」

 そうかもしれない。

「まあ、私は幸い、悪いヒモ男にひっかかったり、麻薬に走ったりすることはなかったのが大きな救いだったわ。

 聖書の御言葉にもあるように「すべてのことは、イエスキリストに働いて益となる」(ローマ人への手紙8:28)」

 僕は感心した。

「古川さんは隠しておきたい過去を逆手にとって、困った人を助けているわけだね。そういえば、スポーツ新聞を見ていても、そういった元AV女優がカウンセリングをしているな」

 古川さんは続けた。

「カウンセリングなんて、そんな大層なものじゃなくて、私はただ聞き手に回るだけよ。性被害ってそう誰にも言えるものじゃあないでしょう。

 昔だったら、被害者にもなにかスキがあったとか、挙句の果てに被害者から誘惑したとか、水商売をしていた過去のある被害者だったら、完全に被害者側に責任があるみたいに言われてたじゃない」

 へえ、そうなのか。僕は初めて知った。

 じゃあ、僕の性被害告白はジュリー氏が死んだ今、good timingだったんだな。

「すべてのことにときがある」(聖書)ときが熟すれば成功することもある。


 この性被害の聞き手というのは、古川さんだからこそできることだろう。

 人によっては酒に溺れ、麻薬中毒になる人も少なくはないという。

 一歩間違えれば、この僕もそうなっていたかもしれない。


 しかしジュリー氏は、エンタメの才能のある人だ。

 しかし、エンタメの才能と性被害とはなんの関係もないと信じている。

 それだったら、性加害をしている人はジュリー氏のようにエンタメの才能を発揮できる人ばかりなのだろうか?

 もちろん大きな間違いである。


 ジュリー氏曰く

「僕は君たちひよこを、薄汚れた女性に汚されるわけにはいかない。

 だから、その前に僕が性の鉄槌を打っておくのである」

 あくまでもジュリー氏は、自分が正しいと思っていたのだろうか。

 確かにジュリー氏は、エンタメの成功者であり、芸能界にも大きな権力をもっている。

 だから自分の性癖こそが正しいと、うぬぼれていたのだろうか?

 だとしたら、それは大きなお門違いの間違いである。

 しかし、エンタメ社長のしての成功が、ジュリー氏を増長させていったのであろうか。また僕は性被害のことを訴えようとしても、巨大な城壁に小石を投げるようなものであるとあきらめていた。

 しかしジュリー氏の死後と、LGBTが問題になってきたので、告発するときが訪れたのである。

「隠していたものは、露わにされるためにあるのであり、覆いをかけたものは、取り外されるためにあるのである」(聖書)

 時代が変われば、暴露され問題視されるときが訪れるのである。


 話は変わるが、僕は古川さんのAV作品を一度も見たことはない。

 もちろん芸名を名乗っているので、作品名さえもわからない。

 地味な古川さんのことだから、成人向けも含むと記入されている契約書を読むこともなく、モデルや女優志願などとうたっている契約書にサインさせられ、現場にいくとAV撮影であり、出演者やスタッフ、あげくにメイクの女性にまで

「サインしたじゃないか。責任とれよ。三千万円の違約金が必要になってきた。自宅まで取りにいくぞ、大学まで迎えに行くぞ」と脅され、泣く泣くながら出演させられたに違いない。

 まあ、このことは古川さんには封印している。

 辛い過去を思い出させることはない。


 古川さんはゆうたまに集まって来た若者の相談相手になってきた。

 いや、相談相手といってカウンセラーのようではなく、あくまで相手の話を聞き、心を開かせるのが役目であろう。

 被害者が心を開かず、うつむいたままでいると、これ幸いとばかり加害者は被害者こそがスキのある奴と見なし、自分の行為を正当化しようとする。

 そうしているうちに、被害者はますます傷つき、その傷を酒や麻薬などで紛らわそうとする。

 やはりいつの時代にも、コミュニケーション力は必要である。

 世渡り上手というのは、コミュニケーション豊富な人にあてはまる言葉に違いない。

 八方美人の如く、どんな人の話をも聞き、決して出しゃばった意見ははさまない。

 古川さんは、ただ黙ってゆうたまの子の話に耳を傾けていた。

 幸い、ゆうたまの子は、古川さんを姉のように慕っているようだった。

 でもこのことは、裏を返せば、ゆうたまの子は日常生活において、相談相手がいないということを意味するに違いない。

 僕はその光景に、日常生活とは違ったところにある一条の救いの光を見出した。

「そうさそうさ 生きてさえいれば きっと幸せにめぐり会える」

(「すきま風」杉良太郎)

 

 



 

 

 

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