第4話 元AV女優古川さんのセカンドライフ

 僕は思わずため息をついた。

「そうか。そういえば有名大学出身のAV女性が、覚醒剤にはまってしまったケースもあるな。まあ、本人の生き方だけどな」

 そう言いながらも、僕は性被害にあった事実を忘れようとしていた。

 僕も古川さんもこの老舗喫茶「ランプ」が今の居場所である。


「今度は僕の話を聞いてほしいな。

 僕は以前、有名チェーン店に勤めていたが、雇われ店長がロクでもない奴でね。平気で労働時間を詐欺してたんだ。いつも3時間か4時間しか店にいないのに、出勤簿には9時間勤務しているかのように、記入しているんだ。

 チーフの命令で、アルバイト全員そのことを内緒にし、エリアマネージャーが来ても「歯医者に行っています」と言えと広布されていたんだ」

 古川さんは真剣な表情で答えた。

「詐欺と強要、嘘が蔓延している世界ね。でも嘘はどんなに力づくで強要しても、いずれはバレルときが訪れるわ」

 僕は相槌を打った。

「その通り、でもその前に雇われ店長は、僕にこんな無茶を言ってきたんだ。

 なんでも朝の仕込みは一時間以内に済ませてしまえ。そうしないと朝ごはんを与えないぞ。できない場合は、二十分くらい早く出勤して、タダ働きしてくれなどと無茶を言うんだ。

 その当時の僕は休憩なしに八時間働いていて、朝ごはんの時間だけが唯一の休憩の時間だった。

 雇われ店長は、いつも三、四時間しか店にいないから、その事情がわからなかったんだな」

 古川さんは呆れ顔で黙って聞いていた。

「それじゃあ、パワハラ以前に詐欺じゃないの。こういうことって、いくらチーフの命令だからって、隠してたら詐欺に加担している隠匿罪になっちゃいそうね。

 ほう助罪なるか、最悪の場合、グルになっていると思われちゃいそうね」

 古川さんは、しっかりしたことを発言する。

「その通り。しかし僕はそうなる前に辞めたけどね。

 だって、無茶苦茶なんだよ。仕事中に缶ビールを飲み、その缶ビールもバイトのおばさんにおごらせてるんだ。

 大声でわい談をしたり、女子アルバイトに「性体験はいつ?」なんて聞いてみたり。いちばん腹が立ったのは、僕から食事代を徴収するなどと言って二千円騙したんだよ」

 古川さんは「もしかして、その店長ってサラ金で多大な借金があり、債権者に追われてるんじゃないの? まあ債権の取り立てというのは、アウトローが多いけどね」

 僕は思わず頷きながら言った。

「あたりい。まあ僕もこの一件でサラ金の恐ろしさを知ったよ」

 古川さんも同調して言った。

「そういえば、女性のなかにはソフト闇金にはまって、借金だらけになり風俗の世界に身を沈める人も多いわね」

 僕は話を元に戻した。

「結局、チーフのかん口令がエリアマネージャーにバレて、チーフを筆頭にアルバイト全員クビになってしまったよ。このこととは関係のない、アルバイトまで巻き添えを食ったわけだ。ひどい災難だよ」

 古川さんはため息をついた。

「もう、済んだことを言っても仕方がない。しかし、今村さんがその飲食店に勤め続けたとしても、うまくいくといった保証はどこにもない。

 その飲食店自体、潰れるなんてこともないとはいえない。

 もしかしてその店長が、サラ金漬けのアルコール依存になったのも、職場のストレスが原因だったのかもしれない。だから店長を恨まない方がいいわよ。

 それより、これからのことを考えるべきね」

 僕はため息をつきながら、性被害にあったときのことを思い出していた。

 このことは、いくら古川さんでも口には出せなかった。


 今は故ジュリー氏のことを、一度だけ年上の実年男性に話したことがある。

 カフェのカウンターで知り合った、いわば行きずりの男性であったが、父親のような包容力を感じたので、つい悩みを打ち明けてしまった。

 といっても、それは自分じゃなくて自分の中学のときの友達がこういう性被害を受けていけていて、相手は女性にモテない職場の上司といった設定で相談した。

 ジュリー氏の名前など、だせる筈がない。

 その父親のような実年男性曰く

「まあ、ゲイ問題は武田信玄の時代からあったんだ。しかし、日本では表ざたになることはなかった。アメリカでは当たり前にある話だよ。

 多分、君を襲ったおっさんも、そういった被害を受けてきたんじゃないか?」

 そういえば、ジュリー氏はアメリカ出身だったという。

「しかし、こういったゲイ被害を受けた少年は、大人になると自分もそれを繰り返すという。ここにゲイレイプのスパイラルが生まれる。

 だから、アメリカではゲイ男性というのはひどい差別を受けるんだ」

 僕は、真剣に聞き入っていた。

 確かに、人間は受けたものしか返さないという。ジュリーもゲイ被害者のうちの一人だったかもしれない。


 急におじさんは、ポケットを探りながら言った。

「僕は昨日、財布を落としてしまった。といっても金額は一万円だったけどね」

 僕は思わず言った。

「強盗や取り込み詐欺に合うよりも、はるかに小さなことじゃないですか。

 なかには強盗にあって頭と足を怪我させられたという老夫婦もいるし、なかには占師の細木数〇のように、取り込み詐欺にあって、土地、家屋、店舗みんなだまし取られた人もいるよ」

 おじさんは答えた。

「落とし物の意味は、その落とした時と場所で本人に災難が起こる筈だったのを、身代わりになってくれたのかもしれない。

 こう考えれば、落とし物をしたことでかえって難を逃れることができたのかもしれないね。

 拾ってくれた人は、きっと僕以上に有意義な使い方をしたのかもしれない」

 へえ、そんな考え方もあるのか。僕は思わず感嘆した。

「そういえば僕も、恥ずかしながら電車のなかで二度、バックを落としたんでしょ。でも、親切な人が二度とも忘れ物センターに届けてくれてたよ。

 バッグのなかには、一万円と音声レコーダーが入ってたけど、手つかずのままだったよ」

 おじさんは納得したように

「それは君が、今までの人生で悪事をはたらかなかったからじゃないかな。

 盗みなどしたら、多分、君の元に戻ってくることはなかった筈だ。

 盗みというのは、目に見える金銭や貴金属などではなく、人の中傷も盗みのうちに入るよ。ネットもなりすましもそれに入るな」

 おじさんは、いちいち正しいことを言うな。亀の甲より年の劫だな。

 僕は思わず安心したような笑顔になった。


 おじさんは続けた。

「君は君を襲ったおっさんに復讐を企てない方がいいよ。復讐というのは、たとえ成功しても、いや成功した時点で、自分も加害者と同じ人間に成り下がり、加害者と同じ罪を犯してしまう危険性があるよ」

 そういえば「人を呪えば穴二つ」ということわざがあるが、加害者側にもそれなりに不幸な事情があったのかもしれない。

 ジュリーのおっさんも、もしかして人に言えない不幸な人生をおくってきたのかもしれない。

 そう思えば、僕はジュリー氏をなぜか憎むことができなかった。

 そのひとつは、ジュリー氏はベッドのなかで僕の下半身をまさぐったあと、必ず無言のまま土下座をして頭を下げた。

 ことが終わったあと、ドアの閉めて出て行く前にも、無言で僕に二万円を渡し深々と90度のお辞儀をしたのも要因の一つだったのであるが。

 

 おじさんはアイスコーヒーをぼくの分まで二杯お替りしてくれた。

 すっかり恐縮した僕は、代金を払おうとしたが、おじさんはそれを制した。

「こちらこそ、僕の話を真剣に聞き入ってくれて感謝するよ。

 おっさんの戯言などと思わないでほしい。僕は今までの人生体験から語っているだのだから。

 いくら時代が移り変わっても、真実は変わらないよ」

 僕は納得して言った。

「そういえば、千円を盗まれても自殺する人はいないが、ネットに中傷を書き込まれたおかげで、自殺する女性もいましたね。

 また悪質なことに、犯人と間違われた女性もいたそうですね」

 罪が罪を生み、悪がそのまた新しい悪をスパイラルの如く、生産していく。

 おじさんは、急に真剣な顔で前を向いて言った。

「僕たちは今、アイスコーヒーを飲んでいるという、余裕ある日常をおくっているが、この日常はいつ崩壊されるかわからない。

 地震や家事によって崩壊されるケースもあるが、人に足を引っ張られたおかげで崩壊するケースもある。根こそぎ奪われどんでん返しの状態になることだってあるよ。だからこそ、人を見る目は必要だよ。その洞察力が詐欺にひっかからなくて済むんだ。チャットGPTの偽文書にだまされないためにもね」

 僕は昔を思い出したように言った。

「昔、僕がバイトしていたとき、困った女性がいてね、まあその女性は愛想のいいギャンブル狂いの男にひっかかり、行方不明状態になってしまったんですよ。

 僕はその女性に足を引っ張るようなことをされたおかげで、こっぴどく客に叱られ、コックにまで頭を下げる羽目になったんですよね」

 



 

 

 

 

 

 

 

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