第3話 少女と私

 美しい彫刻や絵画が飾られた家の中、ローブを身に纏い、手に箒を持つ少女は俯いていた。目の前にいるのは男。それは奈々美の父であった。父は奈々美に向かって怒号を吐き付ける。

「どういうことだ! 火属性が使えない? 何故だ、答えろよ!」

 その怒りに対して奈々美は蚊の泣くような声で答える。

「襲ってくるの……火が」

「襲ってくるじゃねぇよ! それを制御するのが術者の役目だろ」

 あまりにも大きく激しく殴りつけるような言葉をぶつける父を母はなだめようと肩に触れるも、機嫌が収まるわけもない。

「いいか! それはお母さんから貰った力だぞ! 魔女は子を産むとほとんどの力を失うんだ。だからおめぇが力使って家計を支えてかねぇといけねえわけ!」

 初めから娘に全ての仕事を押し付けるつもりの父、それを知っていたがために奈々美は何もかもがバカバカしく思えていた。父は怒ることはあれども褒めることなど一度もなかった。娘をただただ金を産むための道具のように扱い、夜な夜な酒を飲むだけの生活。ただ酒と金のためだけに一族に吸い付き続けるだけの存在、人間という存在そのものの面汚しでしかなかった。

 そんな父の怒号が再び轟く。

「基本すら出来ねえようなクソザコなんかいらねえ! おめえみたいなカスがいるから他の魔女にバカにされるんだ。この一族の恥さらし。劣等種はもう消え失せろ!!」

 あれは無職。あれは怠け者。あれは金食い虫。

 奈々美はそれらの言葉を胸の中に仕舞って家から出て行く。母こそは励ましてくれるものの、もう我慢など出来ないでいた。

 実際に消え失せたらどうなるであろう。本当にいらないと思っているのだから清々することであろうか、それとも金づるの消失を嘆くのだろうか。

 母も母で、娘が生きていればいい、死んでしまえば自身の名に傷が付く程度にしか思っていない。綺麗な言葉をかけて来る分、父よりもはるかに悪質だった。

「私って……やっぱり要らないようね」

 そんなことを呟く奈々美の耳に、弱々しい声をそよ風が運んできた。

「もう……嫌」

 風が吹いて来る方へ、公園の石段へ。眩しい太陽はローブを着た魔女の姿をこの風景と不釣り合いなことを照らして示していた。

 川沿い、そこに少女は蹲るように座り込んでいた。汚れた制服、明らかに幸せではないであろうその態度、きっと彼女もまた苦しみを持った少女なのだ。

「どうしたの?」

 ついつい話しかけてしまった。何も考えていない奈々美には、親からすらいらないと思われている奈々美には、ここから話を紡いでいく自信などありはしなかった。

 座り込んでいた少女はゆっくりと立ち上がり、振り返った。眼鏡をかけた少女は弱り果てたような顔で、しかしとても強く驚きの感情を露わにしていた。

「どうしたの? 聞かせてごらん。何か出来るかは分からないけれども」

 繰り返し訴える。助けになどなれるのか分からないがそんなことはお構い無しだった。

 魔女は桜を思わせる美しい唇を動かす。

「ねぇ、凄く、凄く、ツラそうだけど、我慢するだけじゃあ……いつの日か壊れてしまうわ」

 ただひたすら閉じていたはずの少女の口から言葉が溢れ出す。悲しみに満ちた日々に苦しみに溺れる今、そして憎む相手の事も。親ですら味方にはならなかった事も。全て全て全て、何もかもを吐き出した。

 奈々美はただ、「ツラかったね、苦しかったね」そう言って抱き締め、「何も出来なくてごめんね」そう言っただけだった。それだけのことしかできなかったのだ。

 しかし、少女はそれだけのことで表情を緩めて優しい顔を見せるのであった。

 奈々美は懐中時計のふたを開き、その時計の中を回り続ける針の指す数字を見る事で十数分の時が風に流された事を確認した。

「あら、そろそろいい時間。ごめんなさいね。高校生の魔女も少しだけ忙しいものだから」

 立ち去ろうとした奈々美を呼び止める声、少女は魔法すら使っていない魔女の見せてもいない魔力に勝手に魅せられていたのだ。

「えぇと、あなたの名前は何ですか? 私は……唐津那雪と言う者です」

 那雪の話を聞いて少し話すだけ、ただそれだけで奈々美は勝手に救われていた。

――もっとこの子のことが知りたい

 奈々美にとって少女との十数分はこの世のどのような魔法よりも強く心を揺さぶるのであった。

 奈々美は苦しみの中からどうにか微笑みの表情を見つけて、名前を那雪に告げたのであった。

「私は東院奈々美、この極東の地の中で〈東の魔女〉なんて呼ばれている者よ」

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