第2話 魔女の深い闇

 月が輝く夜、狭いアパートの一室で4人の少女とひとりの黒いローブをその身に纏う少女が輪を作り座っていた。

 魔女は一糸先も見通せぬ暗闇の中、輪の中心のランタンに手を伸ばし告げる。

「今から明かりを点すから、光が灯されたその時に薬を飲んで」

 様々なハーブの香りが混ざり合い奏で合う部屋の中、闇の中にランタンの頼りない明かりが灯った。この部屋の中唯一の光は少女たちの視線を集める。

 4人の少女はその手に持つ試験管に入った得体の知れない薬を飲み干した。

 すると、突然ランタンが大きくなり始める。否、少女たちが小さくなったのだ。手を、前脚を地に着けたその姿。身軽で足が速くて可愛らしい黒猫。それが薬を飲んだ少女たちから変わり果てた姿だった。

 魔女は4人の黒猫たちを引き連れて外へと向かう。ドアの向こうに広がる世界は明るい夜闇の空の下に広がる街。

 魔女は懐中時計を手に取り開く。回り進み行く針をその瞳に映して黒猫たちに言って聞かせた。

「これから40分、その姿で好きな所へ行っていいわ。ただし、40分後には絶対ここに戻って来る事、いい?」

 4人、否、4匹の黒猫はそれぞれ各々が望む方向へと駆け出した。

 街を駆け回る猫、森を走る猫、路地裏で飛び跳ねてはしゃぎ、やがて屋根の上で走り回り踊る猫、夜空を飛んで月の下で更に下のいつも歩いている遠い景色を眺める猫。それぞれが自由気ままな散歩。

 彼女らの観ているそのセカイは全て魔女の手に乗せられた水晶玉、細い指とは不釣り合いな大きさの傷一つ無い美しいガラス越しに覗かれていた。ただただ眺めていた魔女は溜め息をつく。

「また見付からない。どこにいるの? もしかして引っ越してしまったのかしら」

 そんなはずは無い、そんな事は家を確かめた魔女には分かっていた。それでも夜の闇に飲み込まれてしまったのか、陽の光に透けてしまったのか、魔女が探している少女は今日もまた、魔女に見つけられる事もありはせず。

 やがて時計の針は35分が経過した事を魔女に示す。

 魔女は指を振り、黒猫たちに帰って来るように促す。すぐに猫たちは集まった。

 魔女はドアを開き、猫たちを中へと誘導した。

 猫たち、否、少女たちは瞼を開く。部屋の明かりの点いたアパートの一室に、空になった試験管、あの奇妙な体験その全てはまるでひと時の夢。

 魔女は全てを締め括る言葉を言った。

「本日はご来場いただき、誠にありがとうございました。〈黒猫の散歩〉はこれにて終了です。夜道は危険も多く怖い方もいらっしゃるので気を付けてお帰り下さいませ」

 少女はみな、一礼をして立ち去る。

「ねぇ、何処にいるの……なゆきち」

 その部屋に残されたのはひとりの魔女とその言葉だけだった。



   ☆



 陽の輝きが世界を照らし、部屋はその光をカーテンで遮断している。そんな部屋の中、テーブルに座る女は向かい合って座る魔女に相談をしていた。

「今日大好きな人に告白するのだけど、その時少しでも美しくなりたくて……」

 魔女は女の顔を覗き込む。

「とても綺麗な顔をしているわ、これ以上を求めるのなら危険ではあるけれども……それでも美を求めるのかしら」

 女が頷いたのを確認すると、魔女は棚を開いて何かを探していた。

 しばらくしてテーブルへと女の元へと戻って行く魔女。その手に握られていたのは得体の知れない液体が入った試験管だった。

 女の耳元で魔女は囁く。

「美人なあなたにはこれでもっと美しくなっていただくわ」

 その液体を女の目に、僅かな量だけ垂らした。その瞳は広がり、大きくなって潤いを持ち、可愛らしさが増したように思えた。

「ベラドンナの目薬、魔女の持つ媚薬の一つよ、毒だから出来る限り使いたくはなかったのだけれどね」

 そして女の鞄の中に布袋を忍ばせる。

「オレンジの皮と種を入れたサシェ。あなたの恋が叶うように祈っているわ」

 魔女は窓から差し込む鋭い陽射しの逆光で陰の差し込んだ顔に色っぽい微笑みを浮かべる。

「私はあなたの事を応援しているわ。大丈夫、自信を持って。アナタならきっとステキな恋を掴み取れるわ。それじゃあ、幸運を祈って」

 女は魔女の声援と希望に背中を押されてドアを開き、外へと進んで行く。魔女に背を向けて、陰とは対照的な光の方へと。

「本当は人の幸せを願っている場合なんかじゃないのにね」

 魔女はただそう零した。



   ☆



 その夜もまた昨夜と同じ暗い部屋で昨日とは違った4人の少女たちと共に頼りなく辺りを照らすランタンを囲んで座っていた。

 少女たちは明かりが灯ると共に薬を飲み、夢の中へと引きずり込まれていく。

 魔女、〈東の魔女〉東院 奈々美は水晶玉から夢の中の少女たちへと語りかける。

「これから40分、その姿で好きな所へ行っていいわ。ただし、40分後には絶対ここに戻って来る事、いい?」

 きっと黒猫と化した少女たちの目には魔女が懐中時計と水晶玉を手に持って目の前でそう言っているように映っていることだろう。

 夜の闇の中を、その街の中を黒猫と化した少女たちは駆け回る。4人の記憶と奈々美が用意した夜の街が混ざり合ったセカイの中を駆け巡る。少女たちにとってはただ珍しいだけの貴重な体験。

 黒猫たちが駆け回るその視界の片隅の群衆の中、眼鏡をかけた苦労の白髪によって所々が脱色された黒髪の少女が歩いている様を目にした奈々美は闇の中で懐かしさと優しさを湛えた笑みを浮かべ、高揚する心を言葉にした。

「見つけたわ。相変わらず愛しさに満ちているわね」

 その少女の姿を、動きを、声とその愛おしい声で奏でられる言葉の数々、奈々美の心かれ湧き出る思い出と共にその姿を気配を頭の中に叩き込む。

「気配は憶えたわ。今夜きっと会いに行くからね……なゆきち」

 これまで夜中に何度か眼鏡の少女、唐津 那雪の家を覗き込んだ事はあったものの、姿が見い出せないことはおろか、気配すらもその家どころかこの街の中にすら漂っていなかった。

 普通の高校生の少女は一体何処へ隠れてしまったのか、魔女、東院 奈々美には全くもって見当もつかない。人々の記憶をかき集めて創り上げた世界の中でようやく見付けた愛しいあの子、しかし恋は盲目愛もまたその姿を文字通りに見えなくしてしまうのだろうか、恐らくは普通に会いに行ったところで見つける事は出来ないであろう。

 この街にいると大きな声で断言する事が出来るわけではなかったものの、今この街にいないにしては魔女の用意した舞台の中で歩く彼女の姿はあまりにも鮮明過ぎた。

 そうしたことをただただ考えている内に終了の刻の40分を迎えてしまった。

 奈々美が家へと迎え入れると共に少女たちは目を覚ます。黒猫の体験は終わったのだ。

 少女たちが帰り行く中、一人だけ残った少女が訊ねた。

「ここのコンロ、IHなんですね」

 奈々美はさぞ恥ずかしそうに頭を掻きながら、頬に感じる熱を堪えながら答えた。

「えぇ、そうよ。薬もそれで作って試験管に移しているものなのよ。火は……昔から苦手でね」

 少女は深いお辞儀を一度だけして魔女の家を後にした。



   ☆



 奈々美は橙色の薬を用意し、光を鋭く反射する白銀のナイフの切っ先を自らの指先に当てて浅く削って小さな傷を一つ作り、紅く滴るその血を一滴、薬に垂らす。

 ナイフを仕舞い、ベッドへと潜り込み、先程見つけたあの愛おしい気配を強く、鮮明に、愛を込めて想い、薬を飲み干し眠りについた。



   ☆



 眼を開くとそこに広がるものは辺り一面闇に覆われた空間。奈々美は辺りを見回すも、そこはあまりにも不安定で一寸の先も見通す事は叶わない。

 そんな闇の中、ただひとつだけ見えたもの、ただひとりだけ見えた者。眼鏡をかけて、左に流した白髪交じりの黒い髪と右側の白い額が印象的な痩せ細った少女が目の前に立っていた。

――私に似た髪の分け方……なゆきちも私のことを忘れられないでいるのね

 そんな愛しのあの子は右手に幸運を象徴する四枚の葉の栞を持ち、その手を胸に当てて微笑んでいた。

「なゆきち」

 その言葉は少女には聞こえない。手を伸ばすも那雪には届かない。目の前にいるはずのあの子は遥か遠くにいるように思えて奈々美は不安の闇に飲み込まれ始めていた。

 あの子が手に持っている栞、そこからふた筋の炎が伸びてこの世界を燃やし始める。やがて辺りは炎に包まれ、闇をも飲み込む熱くて忌々しい炎は那雪と奈々美を隔てていく。伸ばした手も、走る身体も、どれだけ近付いても目の前にいるはずの那雪には届かない。炎は奈々美の幸せをも焼き尽くすのであろうか、那雪が目の前にいる、そんな事実まで焼き払っていく。

 紅い炎は那雪の姿を包み隠し、奈々美の身体を焼き尽くした。



   ☆



 幼い頃、初めて使った火の魔法に焼かれた事を思い出す。それは苦手な属性、決して扱う事も出来ない脅威。その時に奈々美は落ちこぼれの烙印を押されたのであった。

 身体に残る火傷の痕は、その存在だけでそれなりに整った奈々美の身体を完全に台無しにしていた。誰にも見られないように、誰にも悟らせないように、奈々美はただ隠し続けていた。

 あの夏、那雪の前で勇気を出して水着姿を見せた時、彼女はただ謝っていた。

 奈々美は火の魔法に失敗してからというものの、魔法としてのものだけではなく火そのものが苦手なものになっていた。この人生の内でずっとずっと隠していたそれは唯一打ち明けた那雪と2人だけの秘密にしていた。

 今回もまた邪魔をした炎、那雪と奈々美を隔てたその存在を憎む余裕などありはせずただひたすら恐怖を持っていた。

――会いたいのに会えないの

 奈々美にとってこの世界はあまりにも無慈悲で光は冷たくて、闇に浸っている方がまだ暖かくて、しかし那雪は恐らく冷たい光の中で生きている。

 奈々美は心にまで焼き付けられたあの光景を思い出しながら目の前の那雪に再び手を伸ばし、想い焦がれ、日の熱に、あの冷たい光に心まで焦がされていくのであった。

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