第4話 矛盾への浄化

――この世界は何度目に戻ってきた世界なんだろう?

 榎本は、はづきを過去に連れていってから、どうしても未来の状況が気になって、何度もタイムマシンを使って過去と未来を行き来していたのだったが、その行動自体が影響するということを考えていなかった。

 普通なら、最初にこの行動を疑問に思うべきなのだろうが、過去に戻った時点で、元いた時代が、本当の自分の世界ではないような気がしていたので、過去と未来を頻繁に往復するという行動に、疑問を持つことはなかったのだ。

 自分の知っている未来と、実際に戻ってきた未来は、少し違っているような気がした。

――やはり、過去に戻った影響だろうか?

 と思ったが、それも若干の誤差の範囲。考えてみれば、未来の何が正しいかなど、誰に分かるというのだろう。

 ただ、帰るたびに、少しずつ何かが違っている。最大の違いで驚いたのは、坂田教授の母親が生きていることだった。坂田教授の母親は、坂田教授がはづきのことを、

「失敗作だ」

 と言って、自己嫌悪に陥っているその時、追い打ちを掛けるように亡くなったのだ。

 その時の坂田教授の顔は、見ていられないほど憔悴していた。榎本は、教授が自分の知っている坂田教授ではないような気がしたことで、余計にはづきに対して危害が加わることを恐れたのであって、もし、その時の坂田教授に違和感を覚えなければ、その背後に何らかの組織が存在していることも気が付かないままだったに違いない。

 榎本は、背後の組織とはどういうものなのかということに興味を持っていた。

 すでに一度この世界からタイムマシンに乗って過去に行ってしまったことで、一度この時代から存在がリセットされた。未来においてタイムマシンを使うというのは、自分の存在を消してしまう可能性があるということなので、あまり使用しようとする人は少なかった。

 はづきのように、この時代から自分の存在を消してしまいたいと思っている人にとっては、タイムマシンというのはありがたい存在であった。それは榎本にも言えることで、彼もこの世界から自分を消してしまいたいと思っている一人だったのだ。それは、榎本が組織側の人間であると思っているはづきのことを好きになったと思っていたからだった。

 しかし、実際には、はづきに対しての思いが恋心とは違うものであることに気付いていた。嫉妬を煽る相手に恋心というのもおかしな気がするからだ。ただ、それでもはづきを守りたいという思いが消えたわけではない。

――はづきと一緒にいることが、俺の存在意義の一つなのかも知れない――

 と感じていた。

 それにしても、坂田教授の母親が生きているのはビックリした。危篤状態で、言葉を話すこともままならない状態で、集中治療室で治療を受けていたはずなのに、何度も未来と過去を往復するうちに母親が回復してくるのが目に見えるようだった。

 もう、坂田教授の母親は死を前にした人間ではなかった。確かに入院はしていたが、病室も個室ではなく、二人部屋だった。一日に何回か、車椅子ではあるが、病院内を散歩するのが日課で、その付き添いに最初は看護婦が行っていたが、最近では、はづきが付き添っている。

――この時代のはづきは、俺が過去に連れて行ったはづきとは、まるで別人のようだ――

 坂田教授の研究に関わってはいるが、過去に連れて行ったはづきを相手にしていたような実験を施したりしているわけではない。従順なところは変わりはないが、逆に従順すぎて、まるで、

――誰かに作られたロボットのようではないか――

 と感じたが、そこに人としての暖かさや感情は十分に含まれている。逆に過去に連れていったはづきの方が、明らかに寂しさや悲しさを持っている分だけ、重たく見える。それだけ人間らしさを持っているとも言えるであろう。

 坂田の母親は、榎本が知っている限りでは、自分たちが過去に行ってから一週間後に亡くなるはずだった。それを予言したのははづきで、

「どうしてそんなことが分かるんだい?」

「私には予知能力のようなものが備わっているみたいなの。でも、それは限られた部分にだけ通用するもので、中途半端なの。教授が失敗作だって言うはずよね」

 と言っていた。

「じゃあ、誰の生まれ変わりなのかが分かるというのも、限られた人間だけということになるの?」

「そうなの、でも、限られた人というよりも、分かる時にタイミングがあって、その時じゃないと分からないのよ。限られたという意味では変わりはないわ」

 はづきは自分のことを冷静に見ているようだった。

 榎本ははづきの予知能力は本物だと思っていたので、信じて疑わなかったが、実際に一週間後を見に行ったことがあった。確かに母親が亡くなっていて、坂田教授が一人憔悴しているのを見かけたが、それ以上見かねて、すぐに過去に戻ってきたのを思い出した。

 ただ、人の運命がそう簡単に変わるというのもおかしいと思った榎本は、最初に見た母親が一週間後に死んでしまうという事実は、寿命や病気などではなく、仕組まれた何かではないかと思うようになっていた。

 榎本はタイムトラベルを何度も重ねてきたが、それが少なからずの副作用を起こすことを懸念していた。そして、その正体がどのようなものであるか、今なら分かる気がした。

――俺は臆病になっている――

 不安を感じさせないと思っていたのは、不安に対する感覚がマヒしているからだった。だが、一つ何かをきっかけに不安に対する感覚が戻ってくると、臆病になってしまった自分を見ることができる気がしてきたのだ。

 そこに、

――もう一人の自分――

 という存在が関わっていることに気付くと、そのきっかけになったのが、坂田の母親が生きているのを見たことだった。

――歴史が変わってしまっている――

 絶対にしてはいけないこと、それが歴史を変えることだったはずである。

――死ぬべき人間が生きている――

 それが榎本に大きな不安を与えることになった。

 しかし、不安も飽和の状態になると、堂々巡りを繰り返すようになる。その時になって初めて、

――もう一人の自分――

 の存在に気付く。

 もう一人の自分は、実に冷静で、そのもう一人の自分の存在が堂々巡りを止めてくれたのだ。

 堂々巡りを止める一番の特効薬は、

――開き直り――

 であった。

 開き直りは、堂々巡りを繰り返している間に溜まってくるエネルギーを、もう一人の自分が凝縮することによって、自分に還元するようになっているようだ。

 未来で坂田が研究していた内容は、完全に秘密組織によって支配されていて、そこに人一人の感情など入り込む隙間はなかった。

「これで、母は助かるかも知れない」

 坂田教授は、密かにそう言って自分に言い聞かせていた。それがどういう内容なのか分かるはずもなく、ただの独り言だと思っていたが、今となってその光景にぶち当たれば、それが組織と坂田教授の関係を結んでいるものであることに違いないと思うのだった。

――坂田教授が、そんなに母親思いだったなんて――

 榎本は意外だった。研究室ではもちろん、プライベートでも母親の話は一切しなかった。だから榎本も坂田教授の母親のことなど、途中までまったく知らなかったのである。

 しかし、ある日はづきが、坂田教授に向かって、

「教授は、斎藤さんの生まれ変わり」

 と言ったことで、坂田教授の顔色が変わり、青ざめた様子になったのを見た時、

――おや?

 と感じた。

 斎藤さんというのは、榎本の友達の斎藤のことであり、教授はその存在すら知らなかったからだ。

 はづきが何のつもりでそんなことを口にしたのか分からない。その時は無意識だったんだと思った。はづきは少しだけだが、斎藤の存在を知っていたからだ。

 まるで口から出まかせにしか思えない言い分に、榎本もはづきという女性が分からなくなった。しかし、それは教授が青ざめた理由とは違うものだったのだ。教授はその時からはづきのことを、

「失敗作だ」

 と罵るようになり、はづきに対して怯えているように思えた。

 自分が研究していた相手なのに、従順だったはずの相手が暴走を始めたような気持ちだったのだろう。

 教授はその時、

「母は助かると思ったのに」

 と言っていたのを思い出した。

 最初は、医者から宣告を受けたのかと思っていたが、そうではないようだ。その時から教授のはづきを見る目は、恐ろしい化け物でも見るような目になった。はづきはそんな教授の目を恐れている。

 教授がはづきに対して強硬な態度を取るようになったのはそれからで、まるで中世の魔女裁判を思わせるような行動に、さすがの榎本も驚いて、はづきを過去に連れていったのだ。

 過去の教授は、その時の教授とはまったく違う人で、確かに神経質ではあるが、将来に希望を持っている普通の青年学者だった。あまり年の変わらない榎本に比べて実に自由に振る舞っている。羨ましく思えてきた。

――時代が違うからなのかな? 俺もこの時代にいれば、今の坂田教授のようになれるかも知れないな―― 

 と思った。歴史が変わってしまうかも知れないと思いながらも、何度も往復することで、マヒした感覚は、

――俺は本当はこの時代の人間だったのかも知れない――

 と思わせるに十分だった。

 はづきは、予知能力を持っているが、それは本当の能力ではなく、組織によって未来の記憶を埋め込まれたからなのかも知れない。その知識をどのように活かすかということまでは、制御されていないことから、どうしても中途半端になり、坂田教授のいわゆる、

――失敗作――

 と言わしめた理由でもあるのだろう。

 榎本は、未来に戻ると、はづきのことよりも、坂田教授のことの方が気になって仕方がないことを分かっていたが、それがなぜなのか分からなかった。確かに、過去の坂田と未来の坂田。過去も未来も自分の前に現れているのは、坂田だけだった。

 だが、一つ気になっているのは、

――ひょっとすると、過去にももう一人の自分やはづきが存在しているのかも知れない――

 という思いだった。

 それがどんなに飛躍した発想であるかということは分かっている。考えてはいけないことなのかも知れないとも思う。しかし、未来で教授のことが気になっている自分を感じると、

――未来に戻ってきた時の自分と、過去にいる自分では違うのではないか?

 と思うのだった。

 ということは、未来に戻ってきている間、過去にはもう一人の自分がいて、その自分がはづきや真奈美の相手をしているのではないかと思う。タイムマシンで旅立ったその時に戻っているつもりだったが、実際には少し時間が経っていることが多い。それは未来にいる時間分、過去も進んだ時間にしか戻ることができないような気がしていたからだ。

 未来にいる時間をなるべく短くしようと思っていたのはそのためだった。

 榎本は、自分が戻った世界にもう一人の自分がいないかどうか、気にしていた。もちろん、

――そんなバカなことはない――

 という思いの元にではあるが、火のないところに煙が立つはずもなく、何か考えるところがあったに違いない。

 榎本が過去に戻ってくると、必ずはづきが目の前にいた。面と向かっているわけではないが、見える範囲にいるということだった。

――ただの偶然?

 過去から未来に行く時は、はづきに知られないようにしようと思い、密かに出かけるようにしている。過去から戻ってきた瞬間が、まわりの人に、自分が他の時代から来たということを悟られないように、数秒間、時間を止めることができる。時間を止めるというよりも、ものすごい短期間に、自分がその時代に馴染むよう、自分だけの時間を操作できるだけのことだった。

 と言っても、自分で操作するわけではなく、タイムマシンの効果として、操作されるだけのことであった。

――パラレルワールド効果なんだろうか?

 規則的に刻む時間の次の瞬間、無数の可能性が広がっているという発想から生まれたパラレルワールドという考え方、榎本はいつもそのことを考えていたような気がする。特にタイムマシンの研究が具体化した時に、一番の懸念として思っていたのが、このパラレルワールドという考え方だった。

 タイムトラベルが、時間の矛盾で起こることだと考えるようになってから、いつ違う世界が開けるのかということを考えると、榎本は自分の発想が、

――してはいけない発想――

 だと思いながらも、止めることのできない時間は運命であることを自覚していた。

 もう一人の自分に気付いている人がいるとすれば、それははづきだけだ。はづきには、タイムマシンで時々未来に戻ることを話している。いくら真奈美にも自分がタイムマシンで来たということを知らせていたとしても、過去の人間に、タイムトラベルのことが分かるわけもない。未来の人間だからこそ、少しでも理解ができるのだ。当の榎本にしても、自分が過去と未来を往復していることで気が付いた部分がかなりある。きっとはづきにも分からない部分であろう。そう思うと、はづきがどこまで気付いているのかということが気になる榎本だった。

 はづきは過去のこの世界を気に入っているようだった。坂田の研究に興味を持ち、人間的にも坂田に惹かれていた。それが恋愛感情ではないことを祈るばかりだが、今の坂田にはづきを預けることは、別に問題ではないと思っている。むしろ、今の教授にはづきを預けることで、未来における教授が組織と関わることもなく研究が続けられるようになればいいと思っているくらいだ。そのためにも、教授の研究は、本当であれば極秘で行われてほしいことだった。他の人に知られる危険性がどれほどのものなのかをいかに坂田に教授できるかが、大きな問題だと思っている。

 はづきの記憶は、なかなか戻ってくることはなかった。榎本ははづきを過去の坂田と、真奈美に預けて、少し未来の様子を気にするようになった。

――おかしいな、こんなはずではなかったのに――

 未来に未練はなかったはずなのに、どうしても気になったのが、死ぬはずだった坂田教授の母親が生きていることだ。それが元から死ぬほどの病気ではなかったのか、それとも死の淵から生き返ってきたのか、その当たりが分からない。はづきの能力に、

――誰かの生まれ変わりであることが分かる――

 というのがあるが、人の生き死にに対して榎本の神経が過敏になっているのも事実のようだ。

 榎本は坂田教授が今まで気にしていなかったことに興味を持った。それは坂田教授が自分自身のことにまったく興味を持っていなかったことだった。組織に操られるように研究を続け、そして、はづきを自分に従順なまるでロボットのような人間に育て上げ、そのくせ、少しうまく行かなかっただけでも、

「失敗作だ」

 として、まわりに宣伝するかのように振る舞っていた。

 ここだけを見ると、あたかも自己防衛の言い訳に聞こえるが、実はそうではなかった。はづきのことを失敗作だと言っているその裏には、組織を意識していることが見て取ることができる。しかし、それは自分のことを度返ししているから言えることであって、もし教授が自分のことを少しでも考えると、もう少しジレンマに陥ることがあってもいいはずだ。

 それはもちろん、組織とはづきの間のジレンマのことだ。自分が板挟みになることは、マイナスしか呼び込まないことは分かっているが、ここまで自分を捨てることができる教授を見ていると、冷静さという言葉はおろか、冷徹という言葉すら凌駕しているのではないかと思えるほどの様子だった。それは本当に自分を顧みることを少しでもしてしまうと、成立しない賭けのようなものではないだろうか。そこまで感じると、背筋が寒くなってくるのを感じた。

 過去の坂田と、未来の坂田教授との一番の違いは、自分のことを気にしているかしていないかではないかと思うようになった。未来の坂田教授は、いかにも、

――世の中は自分中心に回っている――

 と、言わんばかりの自信家に見えていた。そう見えるように、教授がオーラを発していたのだ。よくよく考えれば、無理を押し通しているというのが一般的な考えだろう。しかし、それは教授が、

――自分のことを気にしていないということを隠すためのカモフラージュだった――

 ということの裏返しなのではないかと思った。

 教授の自信家は、そのまま教授のS性に繋がっているかのように思えた。しかし、実際には教授の自信過剰はカモフラージュではないかと思うと、S性と自信過剰な部分とは切り離して考えなければいけないのではないかと思うようになった。

――教授は、はづきの不思議な力に気付いていたのではないだろうか?

 と考えると、さらに考えを発展させて、

――副作用まで見抜いていたような気がする――

 というところまで行きつくようになっていた。

 教授が自分のことを、

――サディストだ――

 と思っていたかどうかは分からないが、自分の気持ちの中で歯止めの利かない部分があることは何となく分かっていたような気がする。だからこそ、

――カモフラージュなどして、まわりを欺こうとしていたのではないか?

 という思いがよぎるのであるが、過去の坂田を見ていて、それがそのまま成長した人間なのかどうにも納得がいかなかった。

 確かに何十年も経てば人間も、まったく別人のようになっているのは不思議でもないと思うのだが、過去と未来の二人は、全然違っているわけではなく、近いところをニアミスしているように思う。それだけに決して交わることがないように思うということは、完全なる平行線を描いてるように思うのだ。

――そばにいても見えない――

 つまりは、どちらかが暗黒の世界を経験しているように思えてならなかった。

――それって危険だよな――

 それぞれしか知らない人はそれでもいいが、過去と未来の教授を見てしまった榎本は、

――見てはいけないものを見てしまった――

 という思いに駆られ、後悔の念がこみ上げてきた。

 だが、未来の教授を見ていると、自分たちがいた頃の教授とは違って見えてきた。

「隣のバラは赤い」

 という言葉もあり、どうしても遠くから見ることで、他人事に見えてくるからなのか、贔屓目に見えてくるのを感じると、次第に自分の目が信じられなくなってくるのを感じていた。

 しかも、過去と未来を行ったり来たりするという感覚がマヒしてしまうほど身体に影響のあることをしているのだから、不安が募ってくるのも無理もないことだった。

 不安が自分に対しての疑心暗鬼に繋がってくることもあるだろう。そんな場合、どこまで自分を信じられるかというのは、今まで生きてきた中で、どれほど自分を見つめてきたかということにも繋がってくる。

 榎本は、いつもまわりの人を見ながら、自分と比べてしまっていた。無意識のことなので、あまりいい傾向にはないと思いながらも、仕方のないことだと思って、半分は諦めていた。

 それが教授の助手となって、心理学を研究するようになると、自分のことをいつの間にか気にしなくなっている自分がいたことに気が付いた。原因が心理学にあるということを感じていなかったが、教授にも同じところがあったのだと思うようになると、二人の共通点である心理学の研究が大いに影響しているのだということを考えないわけにはいかなくなった。

 榎本は自分が他人のことを気にしなくなった原因を最初は、

――タイムマシンで行ったり来たりするからだ――

 と思っていたが、実はその他にも重大なことを忘れているような気がしていた。それははづきの存在であるということに気付くと、

――教授にも榎本にとってのはづきのような人がいるのではないか?

 と思うようになった。

 それがはづきではないことは分かっていた。なぜなら、教授が自分のことを気にしなくなったのは二人が過去に行ってからのことだったからだ。目の前にいる人が無意識に影響しているのだということを榎本が気付いたその時点で、教授にとってはづきの存在は、自分を気にしなくなったという点で、除外されることになるだろう。

――では一体誰なんだ?

 と思った時、ふと感じたのが母親だった。

 教授は自分の母親のことを仕事仲間には決して話そうとはしなかった。何か曰くでもあるのではないかと思うほど、まわりに話すことはなかった。母親が影響していると思って見ていると、母親の死が間近であることを、タイムトラベルの寸前に知った。

 しかし、何度も繰り返しているうちに、母親が死んでいないことを知ると、そのことが今後の自分たちに何か大きな影響を及ぼすような気がして仕方がなかった。

 歴史が変わっていることを、榎本は最初、

――すべては俺の責任だ――

 と思っていた。

 これだけ何度も同じ時代を往復しているのだから、歴史に何か影響を及ぼさない方がおかしいというものだ。しかし、それは以前から研究していた心理学からの派生で、時代を超越する時の考え方として、

「同じ時代を行き来する時、一度であっても、何度であっても、歴史が変わるとすれば一度目だけだ。それ以降は歴史が変わった後のことなので、再度歴史が変わるということはないのではないか」

 というものだった。

 その意見には榎本も賛成だった。

 今回何度も同じ時代を行き来していたのは、その考えの証明でもあった。一度目で何も変わっていないのであれば、それ以降も歴史が変わることはないということを自分なりに証明したかったのだ。

 いや、本当は一度目に歴史が変わっていたのであれば、それを確認したいという思いがあったのかも知れない。だから、今回教授の母親が生きていたということを知ったのだが、変わったとすれば、自分が一度目に来た時にすでに変わっていたことになる。

 一度目に来た時は、他にいろいろ見ておきたいことがあったため、教授の母親のことまで目を向けることはなかった。二度目、三度目と同じことで、最初に気になったことを確認するのに、二度目、三度目は手一杯だった。

――そういえば、今回が何度目になるんだろう?

 改めて思い直すと、何度目なのかすら、ピンと来なくなっていた。それだけ過去と未来の往復に対して感覚がマヒしてきたのか、それとも、記憶が薄れてきたのと同じように、何かの力が働いているということなのか、過去と未来の往復ということだけに限らず、下手に意識してしまうと、確信を持つことができなくなってしまっていた。

 教授の母親が死んでいないということは、榎本に対して精神的に多大な影響を与えていた。

 まず、

――俺はタイムトラベルを続けているけど、本当にいいのだろうか?

 何を今さらと思うのだが、何が正しいのか分からなくなってくると、余計にそんなことを考える。ただ、

――何が正しいなんて、誰が分かるというのだろう?

 開き直りにも似た考えであるが、逆にこの開き直りがあるからこそ、何度もタイムトラベルで、過去と未来を行き来することができているに違いない。開き直りがなければ、タイムトラベルをしない自分は、何を目的に生きていいのか、彷徨っていたような気がする。

 自分に目的のようなものがあることに気付いていると、

――目的を持たない自分の人生って、どんな人生になっているんだろう?

 ということを、一度は考えるものである。

 目的があるからこそ、辛いことや悲しいことを耐えていけるのであって、逆に言えば、持っている目的を果たそうとしている時以外の自分が、いつも辛いことや悲しいことに包まれているようにしか思えない。

 果たして、いつもそんな人生なのだろうか?

 榎本は、自分の人生を顧みる時、悲観的にしか考えない自分がいうことに気付いていた。だからこそ、目的のない自分が悲しいだけの人生に思えてならなかった。

 だが、目的や夢のない人生というのも、それなりに楽しいのではないかと思うようになっていた。

――目的や夢がなければ、それを見つけることから始めればいいんだ――

 自分にだって、最初から目的や夢があったわけではないと思っている。どこかの段階で、見つけ出したのだと思うのだが、それを思い出そうとすると、記憶から引き出すことができない。

――本当に最初から、目的や夢を持っていたように思えてならない――

 と感じた。そう思った時、はづきのことを思い出した。

――そういえば、はづきはいつも、その人が誰かの生まれ変わりだって言っていたっけ――

 もし、自分も誰かの生まれ変わりだとすれば、ということを思い出した時、

――はづきは、俺が教授の子供として一度は生まれたと言っていた――

 それは、自分が一歩間違えれば、教授の実験台になっていたということだろうか?

 しかも、今の自分が教授と関係のある生き方をしているということは、はづきの言っている生まれ変わりをする人間というのは、最初に生まれた世界からあまり遠くないところで、

――生き直す――

 ということができるのかも知れない。

 ただ、それを、

――できる――

 というべきなのだろうか?

――させられている――

 というイメージの方が強い気がする。自分で人生を選べるわけではないので、生きているということだって、ある意味、誰かの見えない力によって、

――生かされている――

 と思うべきなのだろう。

 ただ、そう思ってしまうと、人間、夢も希望もなくなってしまう。最初から生きることの意味をほとんど失っているのと同じことではないか。それを思うと、榎本は自分が考えていることが人生において、いかに後ろ向きなことであるか、思い知らされていた。

 榎本はタイムマシンを使うことで、知らなくてもいいことまで知ってしまったような気がして仕方がなかった。

――後悔なんて絶対にしない――

 と思っていたはずなのに、後悔していないつもりでも、後悔に限りなく近い思いをしているように思えてならなかった。

 榎本は、タイムマシンというものを本当に特殊な装置だと思っている。タイムマシンは、その性能だけではなく、副次的な力が働いているような気がしていた。それは、タイムトラベルが引き起こす派生的な力があって、それは使用しているその人にしか影響しない力である。

 そのことに気が付いたのは、何度目のタイムトラベルであっただろうか。そしてそのことに気が付いて、再度教授のメモを読み直すと、榎本は驚愕に陥るのだった。

――そんな――

 自分でも手が震えているのが分かってきた。

 メモの中には、教授がタイムマシンの研究中に、そのことに気付いていたのだ。まだ、この世にタイムマシンというものが存在する前から、教授には予感めいたものがあったというのだろうか。

 確かに機械的な研究とは別に、個別に精神的な心理学的観点からタイムマシンを見続けていた。

 榎本は、タイムマシンというものが完成した後からしか考えていなかった。きっと完成して実際に使ってみると、そのことに気付くまでに時間は掛かるのだろうが、実際にあるものに対しての発想なので、まだ、この世に生を受ける前で何もない状態での発想ではないので、それほど苦にならなかったに違いない。

 しかし、教授の場合は、何もない状態からの発想である。

 よほど頭の中が柔軟であるか、それとも常人では思いつかないほどの突飛な考えを思いつける瞬間にいたのか、それとも教授自体、他の人とはまったく違った頭を持っていたのか、不思議であった。

 タイムマシンの派生的な力というものがいくつあるのか分からないが、一つだけ分かっているのは、

――タイムマシンから飛び出す時、自分だけの時間というものを操作することができる――

 というものだった。

 言葉で説明するのは難しい。その時々で状況も違っているからである。時間を操作するという考え方は、榎本の中で以前からあった。

――何かのタイミングで、自分だけの時間を操作できる時があるはずなんだ――

 それは、榎本独自の発想だった。

 別にそのことを研究しているわけではなかったが、そのことをタイムマシンが証明してくれるとは思っていなかった。

――時間を操作するというのだから、タイムマシンという発想が一番近いということくらいすぐに分かりそうなはずなのに――

 と思えるはずなのに、どうしてすぐにその発想が浮かんでこなかったというのだろう。

――灯台下暗し――

 という言葉があるが、一番近くにあって、一番目につきやすいことほど、案外と気が付かないものだということの証明のような気がする。

――昔の人は、うまいことを言ったものだ――

 と考えてみると、自分の発想も、過去に誰かが考えたものなのかも知れないとも思えた。

――ひょっとすると、教授はその人の生まれ変わりなのでは?

 そこまで考えてくると、キリがなくなってきそうなので、考えるのをやめた。必要以上に考えが及んでしまうと、そこから先は堂々巡りを繰り返すだけになってしまうことくらい分かっていたからだった。

 今、教授ははづきとは違う女性を研究している。はづきを「失敗作」だと呼んだ教授とはまるで別人のようだ。

――そうだ、あの頃の教授はどこかに焦りがあった――

 ひょっとすると、その焦りというのは、母親の死に何か関係があったように思えてならなかった。最初から、教授は母親の死が分かっていたかのようだった。

 そこまで考えてみると、母親の死というものを、自分が悟っただけではなく、誰か信用できる人から告げられたのではないかと思うようになった。もし、そうであれば、告げるとすれば、それははづきしかないだろう。

 教授がはづきを、

「失敗作だ」

 と呼んだ理由が分かったような気がした。

 はづきに、予知能力というものが備わっているのに最初に気付いたのは教授ではないか、予知能力というものは、元々その人に備わっているもので、それをいかに引き出すかというところで教授の研究が活かされたのだろう。そういう意味では教授の研究は成功だったに違いない。

 しかし、問題はそこからである。

 予知能力という人にはない突出した潜在能力を有しているだけに、その制御が問題になってくる。教授の研究の真髄はそこにあったのではないか。

 そして、はづきの予知能力の成果が、皮肉にも、

――母親の死――

 という事実に結びついたのだとすれば、言っていいことと言ってはいけないことの区別を制御とするならば、そのことを当事者である教授に対して口にした時点で、はづきは教授の研究にとって、失敗作になった。

 そういう意味で、教授にとっては二重のショックだったに違いない。自分の母親の死ということと、研究の失敗という二つである。

 その時の教授のショックは計り知れないものだったに違いない。教授が自分の記憶を消してしまいたいという衝動に駆られたとしても、それは無理もないことだ。

 また、榎本は他のことに考えが及んだ。

――記憶が薄れるというのは、はづきの影響だけだと思っていたがそうではない。その当人の中に、何か記憶を消してしまいたいという意識が働いていないといけないはずではないだろうか――

 と感じた。

 ということは、榎本にも自分の中で記憶を消したいと思っていることがあったに違いない。それがどんなことなのか。榎本はいろいろと思いを馳せてみた。

 いろいろ考えていたが、どうしても核心部分に近づくことができない。何かが思い浮かんでは次の瞬間に消えていくのを感じるからだ。

――何か核心部分の近くを彷徨っているように思えてならない――

 あくまでも、核心部分に近づけないようにしている何かの力が働いているのかも知れないと感じた。それが、自分の記憶を薄めていて、いずれは失くしてしまおうとしていることに繋がっているように思えてならなかった。

 それが一体何なのか、またしても、いろいろ考える。しかし、完全に考えは堂々巡りを繰り返し、そこから抜けると、きっとそれまで繋がらなかった糸が、すべて繋がってくるような気がしていた。

 榎本は、一つ気になっていることがあった。

――タイムマシンは自分が使っているだけではなく、教授も同じように使っているのではないだろうか?

 というものだった。

 教授のところにタイムマシンが一つしかないと思っていたので、その一つを使っているのが自分なので、教授が使うことはできないと思っていたが、考えてみれば、自分が飛び立つ前の世界で最初に教授が使っていれば、一つでも賄えるような気がしていた。それは、教授が自分とはまったく違う世界で暗躍しているということが必要であって、榎本が気付かない間に、教授が間隙をぬってタイムマシンを使っていれば、それも可能だった。

――しかし、何のために?

 榎本とはづきの行動を完全に把握していなければできないことのはずである。そこまでの行動をするからには、何か重要で切実な理由が必要であろう。それが一体何なのか、榎本には分からなかった。榎本は坂田教授の行動を今度は自分の側から見てみようと思った。ただ、それは自分が坂田教授の考えを把握していなければできないことだった。

――俺にできるだろうか?

 どこまでできるかは分からないが、坂田教授が何を考えているのかをぜひとも知りたいと思った。それが、これからの自分の運命を決めることであり、しかも、自分の薄れていく記憶を紐解くことになるからだった。

 未来に戻ると、そこには微妙に違う世界が広がっていた。

 榎本やはづきに関係のある部分だけが違っているのであれば、それは自分たちが過去に戻ったことで、未来が若干変わってしまったということで、仕方がないと感じるだろう。――未来を変えてしまうと、そこには矛盾が生じ、何が起こるか分からない――

 という話をよく聞く。それが定説になっていて、タイムマシン開発の一番のネックになっていたはずだ。もちろん、それが怖くて何度も過去と未来を往復していた榎本だったが、いつの間にか、未来が変わっていようが、そんなことは関係ないと思うようになっていたのだ。

――最初から過去と未来を結ぶものは諸刃の剣であり、完全に決まっているものだという方が、雁字搦めで無理があるような気がする――

 そのために考えられた発想が、パラレルワールドと呼ばれるものだ。

 元々、時間軸や時系列などの歴史に対する考え方は、人間の発想でしかない。言ってしまえば、

――勝手な発想である――

 パラレルワールドや、タイムマシンの発想は、最悪の事態を考えた時に、その危険の可能性とを考えると、どんなに薄い可能性であっても、起こってしまうことに対して取り返しのつかないことであることから、恐ろしくて手を付けられないに違いない。

 そういう意味では、タイムマシンを開発した人の発想はどういうものなのか、脳の中を切り取って見てみたいくらいだ。意外と恐ろしい部分に対しての感覚はマヒしていたのかも知れない。

――いや、それまでの記憶がなかったのかも知れない――

 その時の意識だけが存在していて、今考えていること以外の発想はすべて記憶から削除されていたとすれば、さらに危険な発想は最初から遮断するような発想であれば、タイムマシンの完成も決して無理なことではない。

 しかし、いろいろ考えてみると、矛盾だらけなのは、今の世の中と同じではないか、逆にそれを浄化するために、タイムマシンが作られたと考えれば、

――今タイムマシンを使っているのは、自分だけなんだ――

 という発想がどれほど浅はかであるかということに気付いた。

――会うことはないように、教授の方もタイムマシンを駆使しているのかも知れない――

 そう思うと、教授の方が自分よりも一枚上手だと思えてならなかった。

 はづきのことを、「失敗作だ」と言った教授の考え方は、矛盾に対する何かの挑戦だったのかも知れない。

「私、気になる人が誰の生まれ変わりなのか分かる気がするんです」

 と言っていたはづき、そして、

「誰かが生まれたその時間には、必ず誰かが死んでいることになるんですよ。その数っていつも一緒なんですかね?」

 という言葉を、若き日の坂田に口走った榎本。

 その時の榎本は、意識的だったのか、無意識だったのか分からない。

 その言葉が今後起こってくる自分たちの運命を決めることになるのだということを、

「矛盾への浄化」

 として認識する榎本だった……。


                 (  完  )

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矛盾への浄化 森本 晃次 @kakku

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