アナベルのブレスレット
アナベルには大好きな姉がいる。
惜しげもなく、たくさんの愛をくれるひとだ。両親ももちろん愛してくれているけれど、姉というのはやっぱり特別だった。
エマからもらったルビーのブレスレットは、アナベルにとってとびっきりの宝物だった。彼女からもらったものはなんでも宝物だし、言われた言葉ひとつでさえ、とても大切なのだけど。
今まで、ブレスレットを外につけていったことはなかった。失くすのが怖かったからだ。
家の中でだけ身につけて、家族に褒められるたびにえへへと笑って、少し落ち込んだときや頑張りたいときにはじっと見つめて。
――そんなブレスレットを外に持ち出したのは、ペランに見せるためだった。
「こっちがお姉ちゃんからもらったルビーのブレスレット。こっちはわたしが買ったやつ」
机に置かれたブレスレットとフラワールチルのルースを、ペランは困惑したように見下ろした。
(……まあ、そうだよね)
その困惑も、不本意ながら当然だろうなと思う。わざわざ夜に家を訪ねて、見せたいものがある、なんて大げさな言い方をして見せるものではない。
「ペランが、ルース買わなかったって聞いたから。……参考用に?」
どうして見せたくなったのか、正直アナベル自身もよくわかっていない。けれどペランが自分のルースを選びきれなかったと聞いて、それならわたしのを見せてあげよう、と思ったのだ。
我ながら、まったく理屈が通っていない。ペランも「なんで?」とさらに怪訝そうに眉をひそめた。
「……わかんない」
素直に答える。
言いたくないことだったら、アナベルははっきりと『言いたくない』と伝える。ペランもそれはわかっているから、ふーん、と一応納得するそぶりを見せた。
「まあ、見せてくれるって言うんなら見るけど。このブレスレットとか、何回も自慢してくるくせに一回も見せてくれたことなかったし」
「失くしたくなかったの!」
「なら今日も、こっち来るんじゃなくて俺呼び出せばよかったのに」
「日中ずっとお姉ちゃんといるんだから、夜まで会わなくていいでしょ」
彼に対して、理不尽な態度を取っている自覚はあった。
ペランはアナベルとエマの幼馴染であり、小さい頃からの付き合いだ。そしてペランは――エマのことが好きだ。絶対そうだ。
エマはとても素敵なひとだ。優しくてまっすぐで、努力家で、一人で立てる強さを持ったひと。
(近くにいて、好きにならないはずないもん)
実際、ペランのエマに対する態度は、明らかにアナベルに対するものとは違う。そう気づいたときから、嫌で嫌で仕方がなかった。
大好きなお姉ちゃんを取られたくなかった。
恋人ができたところで、エマがアナベルに冷たくなることは決してない。そうわかってはいても、嫌だ、と思う気持ちは止められなかった。
「あーはいはい、そうだな。これ、触ってもいいの? 見るだけ?」
長い付き合いで遠慮はなくなっているけれど、ペランはこういう確認をきちんと入れる。だからこそ、エマが関わらない限り、アナベルだってペランのことが嫌いではないのだ。
「…………近くで見たいだろうし、持っていいよ」
「すげぇ嫌そうな顔」
ペランはぶはっと笑うと、その笑い方とは裏腹に、丁寧な手つきでブレスレットを持ち上げた。
シンプルなチェーンに、小さなルビーが三つ、少し離れた等間隔でついている。ルビーとルビーの中間には、きらきらとしたガラスの石。通常ならそこにダイヤモンドなどが使われるデザインだが、初めて持つジュエリーなら少しでも安いほうが安心してつけられるだろうから、とエマが特別に作ってくれた。
ガラスはガラスでも、とても透明度が高い。宝石に詳しくないアナベルからしたら、ダイヤモンドと変わりないほど綺麗だった。
「……綺麗だな」
「でしょう」
「こっちのルースも触っていい?」
「あ、待って。この石が何かわかる?」
ふと思いついて、そんな問題を出してみる。ペランの宝石の知識がどのくらいあるか、試してみたくなった。職種は違えど、
「ルチルクォーツだろ。さすがに名前くらいはわかる。花みたいに見えるから、フラワールチルクォーツだな」
「……ふ~ん」
「これが魔宝石だったら何かしらの力があるはずだけど、そこまではわかんねぇ。あんま人気ある石じゃないし……あっ、おまえの石にケチつけてるわけじゃねぇから!」
「それはわかってる」
人気のある石じゃない、と言われたこと自体はどうでもいい。けれど『魔宝石』を話題に出されると、つい唇を尖らせてしまう。
アナベルには魔力がない。エマが語る魔宝石の美しさを、アナベルは一生知ることができない。
だというのに。
ペランには、魔力がある。だからこそアナベルよりも先に、エマの店で働き始めたのだ。
(――ずるい)
何もずるくない。持って生まれた才能だ。
冷静な頭ではわかっていても、ずるい、ずるいずるいと心がわめいてしまうことがある。ペランにきつく当たってしまうのは、それも一因だった。
父も母も、姉も。家族は皆魔力がある。自分だけだ。魔宝石の美しさを見ることができないのは、自分だけ。
逆にペランの家族は、ペラン以外に魔力を持っている人がいない。ペランだけが特別だった。
「……ベル。おまえ、そんなんでうちの店で働けるのか?」
うつむいたアナベルに、ペランが声を落とした。アナベルは来月には刺繍の仕事を辞めて、アステリズムで働き始める。
魔力がないことを咎められているわけではない。そんなことを咎めたってどうしようもないことは、アナベルとずっと一緒にいたのだから、ペランだってわかっている。
魔力がないことを気にして、落ち込んだり八つ当たりしてしまったりする、この性格を『そんなん』と言われているのだ。
「働けるよ」
顔を上げて、アナベルは睨みつけるようにペランを見据えた。
「わたしはお客様の前には基本的に出ないだろうし……仮に何か対応することがあっても、絶対にこんな気持ち、表に出さない。現に、お姉ちゃんにだってバレてないでしょ」
「……まあ。気にしてないわけない、くらいには思ってるだろうけどな」
「完全に気にしてないのは不自然だもん。わたしは、魔力がないことにほんのちょっとだけ引け目を感じてるけど、それを吹き飛ばすくらいの勢いで努力する、他の分野で戦ういい子なの。間違っても、魔宝石のことを考えるだけで落ち込むような人間とは思わせない」
――家族の中で。幼馴染の中で。
自分だけが違う、と理解したとき、つらくてたまらなかった。きっとあれを絶望と言うんだろう。アナベルはそう確信している。
もしも他人から、たったそれくらいで絶望なんて、と笑われでもしたら、耐えられないほどに。その頬をひっぱたいて、おまえに何がわかる、と叫んでしまいそうだった。
(……まあそんなこと、しないけど)
エマは、アナベルがそんなことをするとは微塵も思っていないだろう。だからアナベルは、エマの妹は、そんなことをしない。
アナベルはペランに向けて、ふわりとやわらかく笑ってみせた。
「わたしにそれが、できないと思う?」
「……できると思う」
「うん。まあ……心配、してくれたのは、ありがと」
ペランと二人きりだとそれほど感情を隠すこともないから、彼の心配ももっともだろう。アナベルの振る舞いが悪かった。
ペランは目を瞬いて、「別に感謝されるようなことじゃねぇけど、どういたしまして」と仕方なさそうに笑った。そして再び、ブレスレットとルースに視線を落とす。
「綺麗な石だな、どっちも」
「ふふ、そうでしょ」
胸を張る。エマが選んでくれたものが綺麗じゃないわけがないし、自分が選んだ宝石についても自信があった。花も宝石も一度に楽しめるなんて、素敵な宝石だ。
「ペランも、早く初めての自分の宝石決めたら?」
「焦るようなもんじゃないだろ」
「……すぐ決めたわたしが、『よくわかってない人』みたいじゃない」
「実際まだ石のことよく知らないだろ」
「そうだけど!」
「それに別に、この石選んだこと後悔してるわけでもないんだろ?」
「そうだけど!!」
むーっとペランを睨んでしまう。ペランも軽く睨み返してきた。
息を吐いて、口論を止める。
理不尽でも、身勝手でも、ペランがアナベルを見放すことはない。逆もまたしかりだ。そうわかっているから、態度を改めようとは思わない。
(先に許したのはペランなんだから)
我慢しようとした幼いアナベルを突っついたのは、ペランだ。もう彼は覚えていないかもしれないけれど。
「……買ったら、ペランも見せてね」
「ええ……」
「嫌なの?」
「嫌ってほどじゃねーけど……」
なんとも煮え切らない返事だった。
嫌だとはっきり言えば、こちらだってすぐに引き下がるのに。これでは中途半端に興味が出てしまう。
「……まあいっか、見せるよ。いつになるかわかんないけど」
そう言って、ペランは困ったように微笑んだ。なんとなく、少し珍しい表情だと思った。
それ以上その話題を続けるのはやめて、アナベルはブレスレットを掴み、慎重に手首につけた。
「似合う?」
ブレスレットがよく見えるように、ペランに手を向ける。急に問われたペランは、戸惑ったように首をかしげた。
「そりゃ、似合うけど」
ペランの意見は率直だ。アナベルにとって、ペランからの評価は一番信頼の置けるものだった。何の欲目も入っていないだろうから。
(……ああ、そっか)
気づく。
――どうしてペランに見せたくなったのか。
エマが選んだものが自分に似合っていると、家族以外の誰かに認められたかったからだ。自分が選んだものが素敵なものだと、信頼できる誰かに肯定してほしかったからだ。
情けない内心を自覚して、アナベルは思わず苦笑いした。
もちろん、これがすべての理由ではないだろう。だってこれだけが理由だったら、ペランが宝石を買わなかった、と聞いた直後に行動を起こしたことに説明がつかない。
客観的に考えれば、ペランに早く宝石を買ってほしいということなのだろう。それで自分はいったい何を確かめたいのか――別に、確かめたいわけでもない、のかもしれない。
(……ペランには、わたしに負けてほしくないのかな)
宝石を選んだ早さで勝ち負けが決まるわけではないし、選んだ宝石の質でも勝ち負けは決まらない。そもそも勝負するようなものでもなかった。
けれど思い返せば、ペランの話を聞いたとき、「わたしはすぐに選べたのに」と思ってしまった気がする。アナベルにできたことがペランにはできなかった、ということが、許せなかった気がする。
だってペランには、せっかく魔力があるんだから。
(うわぁ、馬鹿みたい。幼稚すぎるわ)
恥ずかしい。できることなら、今すぐ寝台に入って毛布にくるまって丸まりたい。その上からエマに抱きしめてもらえたら最高だ。
「ベル? なんだよ、似合わないって言われたかったのか?」
ペランは少し眉間に皺を寄せた。
「……ううん、似合うでしょ。さすがエミーだよね」
反対の手でブレスレットをそっと撫でて、アナベルは微笑んだ。
エマが好きだ。家族が好きだ。だから、皆が愛している魔宝石だって好き。――そんなふりをしないで済むペランの傍は、少し悔しいけれど、息がしやすいのだ。
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