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合格祝いは何がいいか尋ねたら、アナベルは「わたしもお姉ちゃんみたいにそのままの宝石が欲しい!」と主張した。以前ルビーのブレスレットは贈ったことがあったのだけど、今度はルースが欲しいらしい。
カットされた状態でアクセサリーに加工してない石はルースって言うんだよ、と教えたら、「ルース……!」とそれだけで嬉しそうにしていた。
というわけで、本日はベルをお客様としてご招待。
せっかくなので応接室に通して、ノエルさんに紅茶も出してもらった。
「……うわっ、ノエルさんの紅茶おいしい」
一口飲んですぐ、アナベルは目を丸くした。
「これっていつも、紅茶だけでお出ししてるの?」
「え、うん、そうだけど……」
「……お茶菓子も出さない? 絶対これ、甘いものと一緒のほうが楽しめると思う。宝石メインで楽しんでもらいたいのはわかるけど、おいしいもの食べてるときって心が軽くなるし、よりお客様の本心も引き出せるんじゃない?」
確かに一理ある。そういえばサニエ卿のところでは、紅茶と一緒にケーキも出してもらったっけ……。
お客様にお出しするとなると、必然的に貴族御用達のお店で買うことになる。正直そういうものに詳しくはないけれど、王都だしそれなりの数のお店があるはずだ。
ご予約のお客様が来るときだけ、時間に合わせてケーキを買いにいく……? 飛び入りのお客様には比較的長く持つお菓子を常備しておく? ノエルさんが休日のときももっとおいしい紅茶を出せるよう、紅茶を淹れる練習をすべき?
「買い出しが必要なら任せて! 工房の人たちっておしゃべりだから、いろんな噂が入ってくるの。気になってるお店も結構あるんだ」
アナベルはそう言って胸を張った。
うーん……試みとしてはありか。お客様のご要望に寄り添うためには、口が軽くなってくれたほうが……というのは言い方が悪いな、えっと、より心地よく過ごしてもらえたほうが都合がいい。
「それじゃあ、ベルにお願いしようかな」
「やった、頑張るね!」
一か月後のことなのに、今から張り切ってみせるアナベルがとても可愛い。
にこにこしてしまいながら、私はテーブルの上にルースを並べた。
「どれも可愛い石だから、ゆっくり選んでね」
「ありがとう! ……全然名前もわからない宝石がいっぱい……。でもほんとに全部可愛いね。お姉ちゃんのおすすめは……って訊いても、全部好きだろうから選びにくいか。最近印象的だった宝石はどれ?」
私のことを熟知した訊き方をしてくれるな……。一応、お客様からおすすめを訊かれたときのために、毎日あらかじめ答えを用意してはいるのだけど。
アナベルの心遣いをありがたく受け取って、ルースに視線を滑らせる。
最近。となると、やっぱりこれかなぁ。
「フラワールチルクォーツっていう石が印象的だったな」
フラワールチルの中でも特に上等な石を選んで、ケースをつまみ上げる。それをアナベルの前にことんと置いた。
「中に入ってる結晶……宝石の内包物をインクルージョンって言うんだけどね、この石はインクルージョンが花みたいになってるの。可愛いでしょう?」
「か、可愛い……こういうのもあるんだ! 宝石ってキラキラしてるのばっかりだと思ってたけど、これはつるんとしてるんだね」
「ふふ、よくぞ気づきました。キラキラしてるのはファセット・カットって言ってね、たくさんの面を切り出すことで光を屈折させて、輝きを強く見せるの。透明な石はファセット・カットにされることが多いかな。逆に透明じゃない石とか、これみたいにインクルージョンを楽しむような石、あとは特別な光の効果が出る場合には、カボション・カットっていうつるんと丸いカットにすることが多くて――」
そんな解説を挟みつつ、フラワールチル以外の石もいくつか見せていく。
宝石を見るときに、知識は何も必要ない。美しいと思うその心が大事だから、基本的にお客様には、求められない限りは必要以上の解説はしない。アナベルに対しても、専門的な話は一つもしてこなかった。
でも今、アナベルはとても楽しそうに聞いてくれている。この調子なら、勉強のほうも楽しみながらやってくれそうだ。
……私が楽しそうにしているから楽しいのかもしれないけど。
「……と、いろいろ話しちゃったけど、大丈夫? 疲れてない? 今更言うのも遅いかもしれないけど、まだ全然覚えようとしなくていいからね」
「大丈夫だよ。お姉ちゃんがこういう話してくれるようになったの、お仕事仲間として認めてもらえたみたいで嬉しいんだ。新しい知識を身につけるのも楽しいし!」
アナベルはにっこりと笑った。そして一つのケースを手に取る。
「今見せてもらった宝石の中だと、この……フラワールチルクォーツ」
「合ってる合ってる」
確認するように視線を向けられたのでうなずいてみせる。
ほっとしたように息をついて、彼女は目を細めてフラワールチルを見つめた。
「この宝石が一番気に入ったかも。宝石もお花も、どっちも傍にあるような気持ちになれるのが嬉しいなって」
「ふふ、素敵な褒め方ありがとう。じゃあこれにしようか」
「うん、ありがとう!」
……うちの妹の笑顔、フェリシアンさんに全然負けてないかも。むしろ勝ってるかも。可愛くて眩しい。
印象的だった宝石、を訊きながらも、なぜ印象的だったのかという具体的なエピソードは話さなかったし、アナベルも求めなかった。一緒に働くようになれば、そういう話も気兼ねなく共有できるようになる。……楽しみだな。
心を弾ませていると、カランコロン、とドアベルの音がした。
「あ、お客様? わたし部屋移動したほうがいいかな」
声を潜め、アナベルが尋ねてくる。
「もしかしたらお願いすることになるかもしれないけど、今はまだいていいよ」
「わかった。じゃあ、ルース見ながら待ってるね。行ってらっしゃい」
接客はノエルさんとペランにお任せしようかと思っていたけれど、アナベルが送り出してくれるのなら私も行こう。
行ってきます、とささやいて、私は応接室を出た。
入り口には、ノエルさんとペランから挨拶をされ、がちがちに緊張した様子の妙齢の女性がいた。貴族ではなく、一般の方だ。ショーウィンドウが気になって立ち寄ってくださったんだろうか。
……この方にも、宝石を好きになっていただきたいな。
そして帰るころには、どうか輝かしい笑顔を浮かべられますように。
私はお客様に近づいて、にこりと微笑んだ。
「――いらっしゃいませ。本日はどのような宝石をお探しでしょうか?」
―――————————―――――
これにて第一章完結となります。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
第二章開始までしばらくお待ちいただけますと幸いです。
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