25

 翌日来店したフェリシアンさんを、私はすぐに応接室にご案内した。


「今日はオーダーの相談をしにきたわけではないんだが……私に何か話でもあるのか?」


 通常の予約であればこの部屋に案内することはないので、フェリシアンさんが疑問に思うのも当然だろう。そして察しがいい……。

 ノエルさんが紅茶を出すのを視界の端に映しつつ、「実はそうなんです」とうなずいて単刀直入に切り出す。


「第三王女殿下の猫が行方不明になっていませんか?」

「……なぜ、きみがそれを?」


 驚いたようにわずかに目を瞠るフェリシアンさんに、よかった、と息を吐く。

 あの猫を見つけられて、保護できて、しかもこんなにすぐ家に帰せる道が見つかった。ペランとユリス様には改めて感謝しないと……。もちろん、怪我を治してくれたターニャにも。


「昨日当店の従業員が、怪我をしている迷子の猫を見つけたんです。そのときたまたまいらっしゃったお客様に猫の特徴をお伝えしたところ、第三王女殿下の猫ではないかという話になりまして……」

「確かに殿下の猫は、一昨日から行方不明になっているらしい。その猫の特徴は? 怪我はどの程度だ?」

「真っ白な猫で、緑色の魔宝石のクリソベリルキャッツアイがついた首輪をしていました……このような石です。できるだけ似たものを選びました」


 実物を見ていただいたほうがわかりやすいだろうと、用意していたキャッツアイを見せる。


「怪我については、従業員の家で保護した後、ターニャの回復魔法で治療を行いました。走り回れるほど元気になっているようですが、猫を診ることのできるお医者様がいらっしゃいましたら、念のため診ていただいたほうがよろしいかと存じます」

「……確かに、殿下の猫だろうな。ありがとう。すぐにでも迎えを向かわせよう。今もその従業員の家に?」

「はい。私の家のすぐ近くで――」


 ペランの家の場所を教えると、フェリシアンさんは従者の方に命令し、家から迎えを向かわせたようだった。

 そして紅茶を飲み干して立ち上がる。


「慌ただしくてすまないが、殿下には私から説明したほうがいいだろう。今日はこれで失礼させてもらう」

「こちらこそ、フェリシアンさんにお手数をおかけすることになり申し訳ございません。よろしくお願いいたします」


 頭を下げた私に「ああ」とうなずいてから、フェリシアンさんは何かを少しためらうように視線を揺らした。


「……この店の都合さえよければ、夕方ごろにまた来てもいいだろうか」


 口にされたのは、そんな控えめなお願い。

 確かにこれほど短い訪問時間では、大した息抜きにはならないだろう。お忙しい中、時間を見つけて来てくださっているというのに……。別件を持ち出してしまったのはこちらの甘えだ。


 申し訳ないと反省しながら、嬉しさも感じてしまった。

 だってこの状況で、その日のうちにまた来たいと思っていただけるなんて。ここで過ごす時間を大事に思ってくださっている証だろう。

 居心地のよさを店のコンセプトとして打ち立てているわけではないけれど、あって悪いものではない。むしろあったほうがいいものだ。


「……ありがとうございます。お待ちしております」


 満面の笑みを浮かべてしまいそうになるのを耐えて、私は小さく微笑んで、フェリシアンさんをお見送りした。



     * * *



 夕方になって、フェリシアンさんは約束どおり再び来店された。

 今回も応接室へとご案内する。さっきの話の続きがあるかもしれないし、外から見えない場所のほうが落ち着いて石を見られるだろうから。

 ノエルさんが紅茶を置いて下がったところで、フェリシアンさんが話を切り出した。


「保護してくれていた猫は、やはり第三王女殿下の猫だった。改めて感謝したい。ありがとう、エマ。協力してくれた者たちにも感謝を伝えてくれ。殿下からも礼を伝えるよう仰せつかった」

「身に余るお言葉、ありがとうございます。必ず申し伝えます」

「ああ、よろしく頼む。……ところで、今更な質問なんだが」


 フェリシアンさんは少し不思議そうな表情を見せた。


「なぜきみは、第三王女殿下の猫の話を私にしようと? 確かに私と殿下は友人ではあるが、きみに話したことはなかっただろう」

「殿下の猫かもしれない、と仰ったお客様から、フェリシアンさんに相談するようアドバイスをいただいたんです」

「そうか。……もしかして、ユリスか?」


 まさかこれだけの情報で答えに辿り着かれるとは思わず、驚きが顔に出てしまった。

 肯定するのもまずく、かといって急にごまかすことも難しい。この不自然な沈黙が、もう答えを言ってしまったようなものだ……。

 返答に窮した私に、フェリシアンさんは慌てて言葉を続けた。


「すまない、きみを困らせるつもりはなかった。他の客の話をそう簡単にできるわけがなかったな」

「……申し訳ございません。ご配慮いただきありがとうございます」


 いや、と首を振って、フェリシアンさんは紅茶を傾けた。そしてカップを置き、ユリス様との関係について語ってくださる。


「ユリスは寄宿学校時代の後輩で、それなりに話す仲だった。しかし……私の友人の第二王子とは、馬が合わなかったようで。他にも理由はあるが、それもあって第三王女殿下とは仲がよくないんだ。猫が行方不明だという情報が出回っていない状況で、ユリスが見つけたと言い出すのは難しいだろう。誘拐犯だと疑われる可能性もあるだろうからな」


 ま、またぽんっとすごい方が出てきた……。王女様に続いて、王子様まで。

 学校は庶民には縁のない話だが、一応貴族にはそういう教育機関があるとは聞いていた。

 もともと第二王子殿下と親しくしていた繋がりで、第三王女殿下ともご友人になられた、というところだろうか。それなら――それなら?


 ……それなら、何だというんだろうか。

 自身の思考に内心で首をかしげる。


「殿下からの謝礼を求める気のない人間で、なおかつ宝飾品に興味があり、私の名前を出せる人間となると彼なんじゃないかと思っただけなんだ。軽率に口に出してしまってすまない」

「い、いえ、お気になさらないでください! ユリス様にはもともと、この店のことを話してくださっていたんですか?」


 ユリス様は、耳に挟んだ、という言い方をしていた気がするけど、もしかしたらフェリシアンさんご本人から聞いたのかもしれない。

 しかしフェリシアンさんは、いや、と否定した。


「直接話したことはない。だが私がこの店によく来ていることは周知の事実だろうし、どこかで偶然耳にしてもおかしくはないな」

「……周知の事実、ですか?」


 思わぬ言葉に目を瞬く。

 確かに貴族の女性のお客様から、フェリシアンさんについて訊かれたことは何度かある。だからある程度は知られていることなのだろうとぼんやり思っていたけれど、まさか『周知の事実』にまでなっていたなんて……。


「もともとセリィのイヤリングは、この店の宣伝として使っているだろう? そのついでに、私もこの店についてよく話しているだけだ。素晴らしい宝石店がある、と」


 何てことのないように言って、フェリシアンさんはまた紅茶を口に運んだ。

 話している。……そんなに、何度も。

 フェリシアンさんがカップを置くまでの短い時間に、私は小さく小さく、息を吐いて、吸った。


「――……ありがとうございます。光栄です」


 背筋を伸ばしてから、深く頭を下げる。

 本当に、光栄なことだった。そんなふうに、何度も話していただけるに足る仕事ができたことが嬉しい。今後も絶対に信頼と期待を裏切りたくない。


「もしも万が一、今後フェリシアンさんが当店に失望するようなことがあった場合には、どうか皆様に忌憚のない評価を広めてくださいませ」

「万が一にもないだろうが、約束しよう」


 フェリシアンさんはふっと微笑んで即答した。

 私の人生の中で――前世も含めて、この約束が一番重くて、一番嬉しいものかもしれない。じわじわと込み上げる喜びのままにだらしなく笑い返してしまいそうになって、慌てて表情を引き締める。

 あくまで控えめな微笑みを意識して、「ありがとうございます」と私は再度感謝を伝えた。


「ああ。さて、そろそろ今日の本題に入ろう。この店では、猫の首輪作りも可能だろうか?」

「……作成したことはございませんが、可能です」


 戸惑いながらも肯定する。

 首輪作りの職人に今のところ伝手はないし、そもそもそんな職人が存在するのかも知らないが、父さんと母さんの顔は広い。見つかる可能性は高かった。

 もし見つからないとしても、シャンタルが革も加工できるから、頼めば喜んで作ってくれるだろう。職人としての気質なのか、シャンタルは新しいことに挑戦することが大好きだ。革でなく綿の素材で作る場合には、その部分だけ外注も考えたい。


 フェリシアンさんは従者の方に声をかけ、テーブルの上に小さなケースを一つ置かせた。

 そのケースに収まっていたのは、濃厚な蜂蜜色をしたクリソベリルキャッツアイの原石。


「第三王女殿下からのご注文だ。この石を使った、今とは違うデザインの首輪がほしいらしい。必要であれば、他にどんな宝石を使ってもいい。見積価格に上乗せして支払いをするから、従業員に特別手当を出すようにと」


 ……猫を保護した程度で、庶民相手にそう簡単に謝礼は出せないのだろう。だからきっと、こういう形でお礼をしたいと考えてくださったのだ。

 それを確認するような野暮なことは言わず、私は粛々と「かしこまりました」と目礼した。




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